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内憂外患と言う言葉を国家としたならば、
とは言え、より現状を理解している人間であれば、ドイツを選択肢から外しただろう。
最早、ドイツと言う民族国家は
実際、ドイツ戦争と言う名が国際連盟安全保障理事会の場で与えられた、国際連盟加盟国とドイツとの戦争は、もはや戦争の態を成していなかった。
日本を筆頭とした
これは無慈悲なまでに徹底して行われている、
日本の偵察衛星を頂点とした戦略偵察機や高高度無人偵察機などによって収集された情報に基づいて効率的にドイツの戦争インフラを破壊し、ドイツ軍自体の無力化を図っていたのだ。*1
鉄道に関しては線路は勿論ながらも操車場まで丁寧に爆破し、道路や橋も徹底的に空爆する。
同時に、民間人への被害を低減する為、事前に爆撃予告を行っていた。
チラシの配布や電子戦 ―― ドイツのラジオ電波をジャックして放送すらしていた。
戦後を睨んでと言う部分もあったが、それ以上にドイツ国民に対してドイツ空軍は無力であり、ドイツ軍はもうドイツを守る力は無いと宣言する行為であった。
これに、ヒトラーは激怒し、当初はドイツ空軍に抵抗を厳命していた。
だが、その命令を果たす事は出来なかった。
厳重な隠ぺい工作などによって、戦闘機自体は一定数は温存されていたが、如何せん、燃料が絶望的に不足していたし、そもそも飛び立った瞬間から捕捉され、爆撃部隊に随伴する護衛戦闘機に効果的に迎撃されるのだ。
ドイツ側が用意出来るレベルのジェット戦闘機は、所謂ジェット戦闘機第1世代級が中心である為、既に第2世代どころか第3世代も見えている
使用している航空機の差は絶対的であった。
そもそも護衛戦闘機を何とか出来たとしても、完全にジェット化された
絶望的と言う言葉のみが相応しい状況。
更には、どれ程に厳重に隠蔽されていた航空基地であっても、一度、戦闘機部隊を出撃させれば徹底的な爆撃 ―― 通常型爆弾に焼夷弾、果ては気化爆弾まで雨霰と降り注ぎ、文字通り
ドイツの空は、ドイツのモノではないのだ。
ドイツの一般市民の心をへし折る事にも繋がっていた。
――イタリア
戦略爆撃によるインフラ破壊は、イタリア軍の進軍を遅らせる効果があった。
だがそれは、事前に国際連盟安全保障理事会から要求されていた進軍速度よりも遅くなる事は無かった。
橋が破壊されていたとしても、事前に日本から提供されている仮設橋セットがあった。
道路が破壊されていたとしても、事前に日本から提供されている大量の土木作業機械があった。
食料は十分に補給されていた。
燃料も十分であった。
進軍を止められる要素は殆ど無かった。
健気なドイツ軍が立ち塞がる事もあったが、圧倒的な航空支援があり、そもそもイタリア製の質と数に優れた装甲部隊と砲兵部隊が存在するのだ。
機械化率と言う意味でイタリアはドイツを圧倒していた。
イタリアは精鋭部隊を投入していたし、ドイツが東欧に配置していたのが二線級部隊であったとは言え、
その結果、イタリアに解放されていった東欧諸国は、重工業先進国としてイタリアを認識する様に成る。*2
結果としてイタリアはバルカン半島を除く東欧を安定して掌握する事に成功する。
だがバルカン半島だけはどうにもならなかった。
ドイツ本国と分断されヤケクソになったドイツ軍部隊と、綱紀が乱れ本国からも半ば見捨てられているソ連軍部隊、そして各民族や組織ごとに乱立する武装抵抗組織や独立派と言う有様なのだ。
ドイツ戦争の後半、イタリアの政治力と外交資産はバルカン半島の安定化に消費される事となる。
――ポーランド
ドイツの混乱に最も乗じた国家はポーランドであった。
既にポーランド領内に侵攻していたドイツ軍とSSの闘いは年を跨いで佳境を迎えており、混乱と戦力の消耗は手酷い事になっていた。
ドイツ本国からの統制も失われており、ヒトラーが仲介をしようとするが現地部隊は自己の安全確保が為され無ければ、総統閣下の命令にも従いかねると宣言し、戦闘を継続していた。
何ともドイツ的であった。
交渉の為の安全確保は大事であるし、相互不信の酷さも仕方がない。
だが、
だが行ってしまっていた。
それは、ある意味で逃避行動であった。
ドイツと言う民族国家が消滅しつつあると言う現実を直視したくないが為の、ある意味で
そんな中にあって
そして同時に、ドイツ軍部隊とSSに対する物資の補給を担っていた。
何とも馬鹿馬鹿しい話であったが、ある意味でソレが
だが、それも年が明ける迄であった。
ドイツ軍もSSも
ポーランド軍の本格的反攻作戦である。
最終目標はベルリン。
作戦名はTUNAMI。
作戦会議に参加していた自衛官が、作戦規模を見て津波の如きと言い、それが採用されたのだった。
ポーランド領内から全てのドイツを叩き潰し、押し流し、押しつぶす作戦であった。
それはさながら、ドイツ終焉の始まりを告げる
連合空軍部隊の運用、情報の提供と攻撃目標の指示は1945年に入って設置された国際連盟戦略空軍司令部が一元管理していた。
司令部が設置されていたのはブリテン島である。
ドイツの国内状況の把握や、ドイツ軍の情報を分析するなどの手間がある為に前線に近いフランスでは無くブリテンに設置されたのだった。
建前としては。
事実としては、日本が情報の収集と分析の為に
フランスとしては、戦争指導の全てをフランスが握るべきだと述べ、その設置費用その他を全て提供するのでフランス国内に設置する事を要求したが、日本が拒否していた。
政治的な理由では無い。
軍事的な理由であった。
フランス国内であった場合、ドイツの
戦争中に、戦争相手国の特殊部隊に首都のど真ん中で
又、誰も公言しない理由として最新鋭のネットワークシステムである為、フランスやブリテンなどの非合法的な情報収集を警戒したと言うのもあった。
日本は、自国の優位性を維持する為、情報の提供は行っても根幹となる部分の開示は決して行おうとはしないのだ。
故に、ブリテン島の日本連邦統合軍施設が望ましいと日本が要求した結果であった。
尚、国際連盟戦略空軍司令部はシステム周りこそ日本が完全に掌握していたが、その司令官はブリテン空軍の将官が務めており、参謀長はアメリカ人であり、幕僚及び情報分析スタッフとしてG4各国空軍の将校や情報技術者、博士号持ちの軍属が大量に入っていた。
総数で1000名にも達すると言う大所帯である。
これは、各国からの不満が出ないように細心の注意が払われた結果とも言えた。
東欧の解放者としてのイタリアと言う評価は、後にイタリアを
欧州の盟主としてデカい面をして、欧州諸国に彼是と指図したがるフランス。
フランスの邪魔をするのに全力投球なブリテンとポーランド。
そんな地獄の真っただ中でバランスを取れと言われるのだ。
ムッソリーニは、何が悲しくてフランスやブリテンと真っ向から対峙する羽目になりたいのかと嘆く事になるが、残念ながらソレを口に出す事は出来なかった。
油田発見からの親G4路線、その結果としてムッソリーニが成功し過ぎていた結果だった。
偉大なる
国民世論を知ったムッソリーニは、その夜、痛飲した。
そして、日本に泣きついた。
日本連邦以外では、アメリカと並ぶ先進的な市場である欧州は日本にとっても重要であると判断し、その安定に協力して欲しいと述べたのだ。
日本の世界戦略にイタリアと東欧を組み込んで欲しいと丸投げしたとも言う。
ムッソリーニに煽てられた日本政府が協力を約束し、結果、実務を立案し担当する日本外務省職員は、その夜、痛飲する事となった。