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ドイツ戦争
歩調を合わせる様に
ドイツと言う国家の全てをつぶさに塗りつぶして進軍する両戦線の部隊。
その速度は指数関数的に加速していく。
ドイツ軍も
戦略爆撃の標的が、前線からドイツ全域へと変更された結果、どこの部隊であろうとも平等に物資不足に陥った結果であった。
食料や燃料、その他。
軍隊と言うモノは、存在するだけで物資を消耗していく。
その消耗した物資の補給を全て潰されたのだから、部隊が戦わずして消耗していくのも当然の話であった。
部隊の配置されていた場所によっては、食料はおろか水すらも満足に得られない事もあった。
そんな状況で戦意を維持できる将兵は多くない。
有り体に言えば
戦争に勝利するどころか、戦闘にすらならない現状への絶望からの行動であった。
取り締まるべき憲兵ですら
敗北主義と言う言葉は、誰も口にしなかった。
個人の脱走と投降。
小規模な単位での脱走と投降。
そして、最終的には部隊単位での組織的降伏が行われる様になった。
部下の為、或いは保護していたドイツ人難民の為に佐官級以上の将校たちも積極的に降伏する様になっていった。
願ったのが安全。
水、そして食料の支給であった。
或いは医療サービス。
それは同時に、国際連盟加盟国軍に対する信用であった。
ドイツに対して感情的になっているフランスやポーランドも、最低限には人道的対応をしてくれると言う信用。
それは、口酸っぱく日本が国際連盟安全保障理事会で主張した結果であった。
無慈悲にドイツと言う民族国家を消す事と、ドイツ人の扱いは別にするべきと言う話の結果だ。
それは慈悲や人道主義ではなく合理性であった。
即ち、ドイツ軍や
当初はドイツの政府や軍の人間を
又、日本が復興支援 ―― 低利融資や
慈悲深い、或いは無慈悲な国際連盟の態度を前にしては、ドイツ人たちのドイツと言う国家への愛情、或いは総統たるヒトラーへの信奉も無力であった。
軍人も官僚も民間人も、その多くは心が折れて降伏した。
だが、そうでない人間も居た。
ヒトラーとその取り巻きと狂信者、そして諦めた人間たちは何かに誘われる様にベルリンに集まり、残った。
それが、最後の闘いであるベルリン攻防戦に繋がる事となる。
――ベルリン攻防戦
ドイツの消滅に抵抗する人間は、結局1万人近い数に上っていた。
ヒトラーや党中枢の人間。
最後に、ポーランドや東欧などの戦場で略奪や暴行などを行った戦争犯罪者たちである。
大帝都などとも号していた華やかなりしベルリンは、今や行き場の無い人間の吹き溜まりと化していた。
いまだ
又、ベルリンを脱出した一般の難民対応が手間取っていたと言うのもあるかもしれない。
とは言え物流は勿論、電気や水道までも止められている今のベルリンにとって、攻められないと言う事が果たして幸運であるかは議論を必要としていたが。
路地を掘って作られた塹壕、廃材をかき集めて作られたバリケード。
薄暗い其処で、焚火を焚いて過ごす人々。
幾人ものカメラマンがこの時期のベルリンに潜入し、写真を残していた。
暖を取る老若男女。
高そうな、だが薄汚れた格好で銃を抱え込むようにして眠る男たち。
女性も少なからず居た。
スカート姿のままに弾帯などを身に着け、男どもに交じってバリケードに身を寄せている。
炊き出しの、何が浮いているか判らない
その様は、正しく
カメラマンたちはありのままの姿を写して回った。
奇妙なほどにベルリンのドイツ人はカメラマンに対して友好的であった。
酒や珈琲、或いは煙草といったお土産が効いたのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
少なくとも、見ただけで日本人と判るカメラマンですら、好意的に扱われていた。
SSの腕章を付けたドイツ人ですら、掴まえようなどとはせずに見て見ぬフリをする有様であった。
極々一部、今だ
潜入工作員の類でないと見ていたのも大きいかもしれない。
今のドイツとベルリンで、情報収集をされたとして何があるかと言う事であった。
兎も角、何とも奇妙な空気と言えるだろう。
脱出をしないのか? と問いかけたカメラマンも居た。
国際連盟は脱出者を阻止しようとはしておらず、それどころか軍民を問わずにベルリンを出る事を促すビラを空から配り続けていたし、或いは空中散布された日本製の鉱石ラジオが街路の何処其処からドイツ語で降伏を促す音声が流れているのだ。
しかも、その待遇は破格とさえ言えた。
無条件で拘束されない。
その後も、戦争犯罪その他をしていないなら放免されると宣言されていた。
だが、残っていたドイツ人たちは疲れた顔で笑い、口々に意味が無い等と応えていた。
ドイツは終わる。
終わるドイツと共に消える積りだとも言っていた。*2
そして終わりがベルリンに到達する。
フランスやポーランドの国旗を掲げた戦車がベルリンのビルから見える所まで到達したのだ。
最後の降伏勧告。
24時間と期限の定められたソレを突き付けられたベルリンのドイツ人たちは、最後とばかりに銃を突き付けるなどして婦女子を無理矢理に退避させていた。
託されたのはカメラマンたちだ。
最後のベルリンを写し、そして婦女子を預かっていた。
その数は100人を超えていた。
トラックに分乗し、ベルリンを離れる。
誰もが涙を流してベルリンを、残っている大人たちを見ていた。
カメラマンたちも涙を流していた。
そして終わりが始まる。
爆撃と砲撃、そしてロケット。
ベルリンを全て更地にする勢いで放たれるソレは無慈悲であり、合理的であった。
科学と物量の前に、人の抵抗は儚いモノでしかなかった。
だが、進軍は更に無慈悲であった。
全ての建物が爆破され、火が放たれていた。
瓦礫などに隠れ潜んで一矢報いようとする人間も居たが、日本が用意していた市街戦用のセンサーを搭載した
それはベルリンを支配する為の闘いでは無かった。
ベルリンを地上から消し去る為の作業でしか無かった。
ベルリンに国際連盟軍部隊が侵入して6日目。
ヒトラーの自決によって残存していた人員が降伏を選択。
ベルリン攻防戦は終結する事となる。
尚、終結時に生存していた人間は1000名を切っていた。
そして、ベルリン陥落をもってドイツ戦争の終戦が宣言される事となった。
無論、バルカン半島などで終戦宣言を受け入れないドイツ軍残党部隊も存在していたが、公式には戦争は終わる事となった。
日本がドイツ戦争で費やした戦費は余裕で3桁の兆単位を越えていたが、それが日本にとって大きな負担となる事は無かった。
日本連邦の経済規模が巨大と言うのも大きかったが、同時に、爆発的な
日本は戦争参加国に対して莫大な物資、機材の提供を行っていたが、それらは日本政府が民間企業に発注し、各国に売りさばく形であった。
即ち、形としては
又、余剰生産力を日本が抱えていたというのもその一助となった。
シベリアを筆頭に、広大な日本連邦の領域の近代化の為の物資を生産する能力を転用出来た事が、戦後を睨んだ大きな投資を不要とした為、経済界への負担 ――
そもそも、低利融資にせよ
問題となるとは財務省官僚は考えていなかった。
いまだ戦意旺盛なSS、或いは憲兵などは、ベルリンを脱しようとする人々を敗北主義者と称して街路から吊るすと言う行為に及んでいたが、それが成功したのはごく一部だった。
そして大半は、加害者では無く被害者となっていた。
首から
誰もが終わりを前にして、素直になっていたと言えた。