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紆余曲折はあれども粛々と進むドイツの解体作業。
その最中、ドイツの高等教育を受けた人材は、その去就を迷っていた。
ドイツは、
科学を信仰すると言って良いドイツに於いて、一角の地位にあると遇されていた人々。
だが、ドイツの敗戦が全てを変えた。
事実上4分割されるドイツ。
新しい支配者である日本、フランス、イタリア、ポーランド。
高等教育を受けた人間として遇される可能性があるのは、ドイツの遺産を最大限に活用する気満々のフランスとポーランドだけであった。
対して日本とイタリア。
共に、義理で管理する羽目になったと言う態度を隠していなかった。
日本の場合で言えば、ドイツにとって重要な拠点であったキール軍港を管理下に収めているにも関わらず、その再建をしようと言う気が一切ない所にも現れていた。
様々な支援の中には雇用も含まれては居たが、人足としてのソレであり、高等教育の類を受けた人間が行う仕事ではなかった。
名誉も無く、地位も無い。
只の人間としてしか扱われないのだった。
イタリアはより酷く、管理区域での自治体に対して自給自足で行う事を要求していた。治安維持目的の軍駐屯もする気は無いと言う酷さであった。
外交軍事の権限を制限するが、それ以外は自由にして構わないと言う扱いであった。
良いことの様にも見えるが一切の配慮は行わないし、食糧支援なども有償で行う。
公文書に関してもイタリア語のみで行い、ドイツ語訳を付ける
ある意味で自由な管理。
だがそれは、特別に保護しないと言う事をも意味していた。
ドイツによって甚大な被害を被った東欧諸国民による報復から、イタリア管理ドイツ領域民の保護は行わないと言う事を意味していたからだ。
尚且つ、治安維持を自分たちでせよとは言っていたが、支給される武器は精々が木の警棒であり、重装備は勿論、拳銃すらも与えられていなかった。
結果、正体不明の武装した強盗団などの被害が頻発する事となった。
警察は無力であり、治安は乱れていった。
そも、ドイツ人同士での紛争すら頻発し、そこにドイツへの個人的憎悪を拗らせたフランス人やポーランド人、果てはオランダ人までが流入し、暴れていた。
暴力、略奪、殺人、婦女暴行。
何とも悲惨な状況としか言えなかった。*1
コレでは高等教育を受けた人間として遇される以前に、人間としての尊厳すら維持されるかすら判らない状況であった。
そも、移転可能な企業はフランス領乃至はポーランド領への移動を図っていたのだ。
受けた高等教育を活かせる仕事が残るとは思えなかった。
絶望的な状況。
それが頭脳流出を生み出す事となった。
ドイツ政府やナチス党と関係の浅い人間にとっては、アメリカやフロンティア共和国などの比較的ドイツ系に穏当な先進国があった。
アメリカは移民の受け入れに関して、非白人系に対する門戸を狭めていたが、生粋のドイツ人であれば問題は無い。
それどころか、日本の居る高みを目指して高等教育の充実を図っているのだ。
手を挙げさえすれば、アメリカ政府関係者が即座に移民の手伝いに来る有様であった。
だが、ドイツ政府やナチス党と関係が深い人間は別であった。
とは言え、ドイツの領域で仕事を探すのも難しかった。
何故なら一般的なドイツ人にとって、ドイツ政府やナチス党と近かったと言う事は、いわば
どこにも生きるべき場所の無い人々。
だが、そんな人々に手を差し伸べた国もあった。
1つは南米諸国。
国際連盟加盟国であり、親
だが協力してと言う訳では無い。
逆に、南米に存在する各国は対立関係を持っている側面があるが為、競ってドイツの頭脳を欲していたのだ。
だが、ドイツ側からすれば十分では無かった。
確かに良い待遇を受ける事は出来るだろうが、それでは不十分であった。
ドイツ政府やナチス党に近かったと言う事は強い
日本に追いつくのは難しいかもしれない。
だが、何時かはフランスやブリテン程度は打倒したい。
そういう意識があったのだ。
故に、残された選択肢は1つであった。
ソ連である。
ドイツの敵国の1つであり、ナチス党が言う所の
少なくとも、ドイツ人側からすれば。
無論、正直な話としてソ連側からすれば、一方的な反
――ソ連
ドイツ消滅によってソ連の主要
戦争は相手国の意志よりも能力に備えるものである。
それ程の技術的な進歩と軍備拡張をポーランドは果たしているのだ。
ブリテンの
産業基盤の強化は、国土の半数が荒らされた状況であるにもかかわらずであった。
これは、日本の
特に、エチオピアと同様に、貸与される事となった
国力と言う意味で、ポーランドの未来は果てしなく明るいのだ。
その国力を背景とした軍事力の整備計画は、ソ連を明確に仮想敵国と指定していた。
ソ連は、国際連盟の場で非友好的行為であるとして非難の声を上げたが、ポーランドが相手をする事は無かった。
そもそも国際連盟自体、戦争行為自体は厳しく戒める所があったが、軍事力の行使は兎も角として整備に関しては内政不干渉の原則に基づいて関与しようとはしないのだから当然であった。*3
加えて、ドイツ領の東部域を併合し欧州北部の国々を反ソ連と言う形でまとめ上げているのだ。
ソ連がポーランドを深刻な脅威と捉えるのも当然の話であった。
だからこそ、主義主張の問題を無視する形で、ドイツの頭脳労働者を好待遇で迎える事としたのだ。
軍事面でもだが、国家の基盤的な工業などの振興に活躍していく事となる。
問題は、ソ連の発展以上に欧州諸国の発展具合が著しいと言う事だろう。
G4であるブリテンとフランスは元より別格であったが、ポーランドや北欧の国々、或いはイタリアと東欧諸国に日本の
比較してのソ連の立ち位置は低下の一途をたどる事となる。
この、余りにも酷い状況にスターリンは東欧の戦災復興を鎹として、イタリアへの接近を試みるのであった。
後には東欧平和イニシアティブとして確立する協力体制であった。
尤も、イタリアは明確に親
とは言え、ソ連とイタリアの連携が混乱した東欧諸国の安定に寄与したのは事実であった。
但し、ユーゴスラヴィアを除いて。
ある意味で東欧諸国の安定にはユーゴスラヴィアの安定が必要不可欠であり、であるからこそソ連とイタリアは同床異夢でありながらも、ある程度の関係を構築できたとも言えた。
日本の管理下では当然であったが、フランスやポーランドの管理下の地域でも永続的統治を目的として治安維持は積極的に行われていた。
無論、陰に隠れての私的制裁や
平然とフランス人価格と、新フランス人価格と言う二重構造すら採用されていた。
建前として、新しいフランス同胞への対応に必要なコストの付与としていた。
フランス人も、ブリテン人のやり口を真似る事もあるのだった。
ソ連は、その国家戦略として日本は勿論として、
精々が、非友好的中立であった。
国力の低下したソ連としては、武力による対峙はあっても積極的な敵意を見せる事の無い
非合理的に、感情的かつ突発的には戦争を仕掛けて来る事は無い。
そう日本を認識するが故であった。
他人を信用しない事に於いて定評のあるスターリンであったが、毎夜毎夜と痛飲して恐怖を紛らわせ、日本は攻めてはこないと自分に言い聞かせて、ソレを国家方針に組み込んでいるのだった。
軍事力整備に於いて加盟国不干渉を基本とする国際連盟が、その基本を踏み越えて加盟国に対して枠を設けているモノが1つだけあった。
核兵器とはコストパフォーマンスの良い大威力兵器であった。
開発と製造に掛かるコストは膨大であるが、同規模の破壊力を通常兵器で達成しようとすれば此方も莫大なコストを必要とするのだから。
ただ1発の原子爆弾と同等の破壊力を通常の爆弾で達成するには、何万tもの物量を必要とするのだ。
ある意味で核兵器とは、
特に防衛目的であれば効果的であった。
だが同時に、使用すれば地球環境 ―― 人類の生存域に甚大な影響が出る事となる。
日本列島の様な自然の回復力が莫大な土地であれば、その悪い影響が長期間に渡る事は無いが、例えば降雨の少ない土地であれば地表に残った汚染が自然の力で除去される事は無いのだ。
大威力兵器故の惨禍と言うモノはあったし、日本政府もその点をアピールもしていた。
だが、戦争の惨禍と言う意味では、通常兵器のソレと過程は違っていても結果は同じ ―― 核兵器で一瞬で焼かれる事と、焼夷弾などで普通に焼かれる事の差は、被害者にとってみれば誠に意味は無いのだ。
無慈悲に殺されると言う意味に於いて、全くの同一であるのだから。
兎も角。
日本は核技術の軍事利用に関しては、国際連盟での厳重な制限をするべきであると主張し、安全保障理事会で認めさせていた。
尚、その核兵器の軍事利用を自粛する対価として日本は、国際連盟加盟国に対して
コレは、国際連盟加盟国が核兵器による攻撃を受けた場合、ソレを安全保障理事会による監査と判定を経れば日本が核攻撃被害国の要請に基づいて全面核融合弾攻撃を実行すると言う、ある意味で狂気めいた協定であった。
通称、
この目的の為、日本は水中排水量40,000t級の
機密保持の為、はりま型と言う名前以外は全てが非公開とされている。
協定の名からピースキーパー級とも呼ばれる本潜水艦は、建造と運用は日本が担うが、乗員は日本人だけでは無い。
その指揮系統に安全保障理事会から指名された特別監査官が加わっており、その護衛役としての武官も乗り込んでいた。
尚、核関連技術の平和利用に関しては、日本は制限するべき等の主張はしていなかった。
核融合炉に比べれば安価な原子力発電の開発と普及に関しては、地球環境の保全に資するとの判断あればこそであった。
又、手頃な日本製の原子炉の
提供されるのは所謂第4世代原子炉。
タイムスリップ前より開発され、営々と重ねてきた運用経験の結晶であるソレの提供は、ある意味で後発となる世界各国の原子炉開発意欲をへし折るモノであった。
日本は、核の平和利用に関する研究を自由に行わせる事で、逆に、日本製原子炉の売却を成功させていた。
この点を指して、反日本主義の人々は
尤も、技術的な意味での国産至上主義以外の面では、極めて安全性が高く、コストパフォーマンスにも優れ、何より管理に関しての透明性確保に日本が腐心していた為、