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ドイツの消滅によってヨーロッパ亜大陸の殆どで戦火は途絶える事となった。
ドイツの敗北と消滅後であっても戦火が止まらない数少ない場所。
それがバルカン半島 ―― ユーゴスラヴィアであった。
ドイツ軍の残党
ソ連軍からの離脱者集団
現地住人の民族毎の抵抗組織
だが三者三様、と言う程には甘くない。
ドイツ軍残党もソ連軍からの離脱者集団もひとまとまりな存在では無いし、抵抗組織も組織母体が各民族毎に行われているが為に抵抗運動と称する民族間での武力闘争も頻発しているのだ。
地獄めいた紛争地となり果てていた。
その入り混じり具合から、
幸いな事は、戦車や野砲といった重武装は補給物資や交換部品の枯渇によって早々に使用不能になっていた位だろう。
大規模な殺戮などは発生していない。
だが、だからこそダラダラとした武力行使の応酬が続いていると言えた。
国際連盟が、ユーゴスラヴィア問題に積極的でない理由は、第一にはユーゴスラヴィアが国際連盟加盟国では無く、そもそも先ず一個の国家として確立していないと言う事があった。
基本的に国際連盟とは独立した国家による集まりであり、国家の安全と繁栄の為の互助会であるから、未加入どころか国家ですらない地域の問題が主題とはなり辛かったのだ。
そしてもう一つ。
ドイツ戦争の一端として見た場合、ユーゴスラヴィアはイタリアの管轄であると言う事もあった。
イタリアは国際連盟安全保障理事会の常任理事国であり、覇権国家の連合体たる
その大国の専管事項に嘴を挟むのは、一般の国家にとって虎の尾を踏みに行く行為めいて居ると言うのが大きかった。*1
当のイタリアからすれば、勘弁してください。
誰か助けて下さいと言うのが本音であったが。
特に、戦時中よりも飲酒量の増え気味なムッソリーニからすれば、リビアの油を少し融通するから誰か手伝えと言うのが本音であった。
特に深刻なのは、治安維持に入るべきイタリア軍の戦意だ。
戦争中もそう高い訳では無かったが、それが戦後ともなれば極めて低かった。
イタリア人の戦争は終わっているのに、何でこんなことをせねばならぬのかと不平不満を漏らす兵も少なからず存在していた。
何とも当然の話であった。
そもそも、ムッソリーニからして、何でイタリアがこういう責任を背負わねばならぬのかと不平不満を抱いていたから、公言するなとの口頭での叱責はあっても処罰される事も無かった。
かつてはイタリアの繁栄の為に環地中海大帝国の建国、大ローマ=イタリアを夢見ていたムッソリーニであったが、リビアの油田を得てからの
石油の売却益と、日本との優遇待遇での貿易は覇権主義が馬鹿馬鹿しくなる勢いで国を豊かにしていったのだから。
そして、そうであるが故にイタリアの外での活動に魅力を見いだせないのだ。
ユーゴスラヴィアで頑張ったと言ったイタリア軍の男たちが、イタリアの女たちにモテるとはとても言えない。
それよりは、リビアへの出稼ぎ帰りか、日本が勢いよく買ってくれる自動車やバイク、或いはファッション関連の方が金もある事でモテるのだから。
そしてイタリアの活動意欲の低さが、ユーゴスラヴィアの現状にも繋がっていた。
他の、ドイツ戦争の後片付けとしてイタリアの管理下に入っている東欧諸国からすれば、内政不干渉めいて現地国家に
この状況に腹を立てたのはフランスだった。
イタリアの管理地となったドイツ南方域での治安維持も含めて、国際連盟の代表での2国間会談にて叱責する事態となる。
何故なら、ユーゴスラヴィアで発生した難民が流出し、それに玉つきされる様に東欧やドイツ南方域で難民が増えてフランスに流れ込みだしたからだ。
難民は、最終的にはドイツ戦争の惨禍が限定的なフランス国内へ流入する様になっていたが、それ以外にもフランス領となるドイツ西方域でフランスによる現地支援物資を大量に消費する有様であったのだ。
フランスからすればとてもでは無いが看過出来る話では無かった。
フランス本土が荒れるのは我慢できないし、これから先はフランスに成って金の卵を産む鶏にせねばならないドイツ西方域が荒れて治安維持の為の追加投資が出る事も我慢できなかった。
これから先のフランスは、アフリカのフランス
無駄な出費など受け入れられるものでは無かった。
このフランスの行動が、ユーゴスラヴィアの状況を動かす最初の一歩となる。
――イタリア
フランスの真面目にやれとの叱責に、重い腰を上げる事になったムッソリーニ。
とは言え問題は軍、将兵の数でありやる気であった。
ドイツ戦争終結に伴って動員令は解除しており、祖国の危機を乗り切ったのでとばかりに軍を辞める人間が大量に出ていたのだ。
装備面だけならば、日本から大量に導入した
そもそも兵卒は勿論、将校も結構な数の人間が軍を除隊している為、その再編成と言う問題もあった。
そこでムッソリーニは知恵を絞った。
結果、
訓練を受けた、そして暇を持て余している将兵が大量に居る、と。
旧ドイツ軍の将兵である。
イタリアは、ドイツ軍将兵収容所にて人員の大々的な募集を行った。
募集時には、作戦行動区域は旧ドイツ南方域、及びその周辺と言う形で行った。
主要派遣先がユーゴスラヴィアとは欠片も書いていない、詐欺めいた募集内容であった。
その事を募集後、部隊編成と訓練完結後に知らされたドイツ人傭兵部隊 ―― 特別治安維持隊は大いに文句を言う事となる。
とは言え、装備自体は優良なモノが与えられ、弾薬や食料などの潤滑な補給と
ユーゴスラヴィアの安定後に、除隊する際にはイタリア人に準じる待遇として扱われる事が約束された事も大きかった。
再就職に有利となる、と言う事だ。
特に好景気に沸くイタリア本土やイタリア領リビアなどで仕事を探すのであれば、大きな意味を持つ事であった。
結果、最終的には旧ドイツ軍人以外にもドイツ南方域の若い男性などが志願してくる事となり、ドイツ人傭兵部隊は最盛期には40万もの数に達する事となった。
又、投入される場所は紛争地ではあっても戦争では無いと言う事も心理的影響として大きかった。
他人を殺せと言われる訳では無いのだから。
無論、無法なドイツ軍残党やソ連軍の離脱者集団などを相手にする場合、交戦する可能性は高かったが、その場合、与えられている装備の差でかなり有利に戦えると言う算段であった。
装備の差である。
ドイツ人傭兵部隊にも、イタリアは最新装備 ―― MLシリーズを分け隔てなく装備させていた。
とは言えそれによって別の意味で、士気は下がる事になったが。
MLシリーズ、日本製の自動車や通信機などに触れたドイツ人傭兵部隊の将兵が、改めて日本製兵器と、かつて自分たちに与えられていたドイツ製装備との差を思い知らされての事であった。
治安維持作戦に於いて重要となる兵隊を揃える事に成功したイタリアは、続いてユーゴスラヴィア人の各組織に接触し、このユーゴスラヴィアを纏める事の出来る人物を探す事とした。
旧政府関係者、王室関係者は現地のユーゴスラヴィア人に否定され、最終的には抵抗運動の指導者が選ばれる事となった。
その人物は、既に自分から各ユーゴスラヴィア人抵抗運動組織と連携を作っていた人物であった為、イタリアはそこに乗る事を選んだだけとも言えた。
やる気を出したイタリア人の仕事は早かった。
その様は、割と局外に居た
――フランス
治安維持戦にドイツ人を動員したイタリアを見て、フランスも自分でも行う事を考えた。
投入先は勿論、アフリカである。
ドイツ人が火を点けた場所なのだから、その責任はドイツ人が果たすべきであるという理屈でもあった。
この為、待遇その他に関してイタリア程には優遇する事は無かった。
それどころか
フランスとしては、ドイツが付けた火によってフランスの財政に大なる被害を出しているのだ。
だから仕方がないと言う話であったが、刑罰として動員される旧ドイツ軍将兵からすればたまったものでは無かった。
結果、フランス軍管理下のドイツ人部隊の士気の低さに繋がり、ユーゴスラヴィアとは違い、抵抗運動などの鎮圧の長期化を呼ぶ事となるのだった。
尚、ブリテンはソレを見て、手を叩いて喜んでいた。
ユーゴスラヴィアに近いトルコなどは、この問題に対してかなり神経質になっており、国際連盟の場で、ドイツ戦争の処理の一環として優先して解決するべき問題だと主張した程であった。
とは言え日本としても関与するべき法的根拠が乏しいが為、人道支援を行うのが精々であると返事をするに留まっていた。
この為、トルコはユーゴスラヴィアの混乱がトルコへ波及する事への予防措置として、軍の近代化を選択する事となる。
その為として、トルコの重工業育成と
口の悪い人間は、トルコ指導者の酒好きの本性が出たとも言っていたが、大戦争を間近で見て国力涵養の重要性を痛感していたトルコ人は、その政策に反対する事は無かった。
又、医療分野も重視されていた。
酒好きとして、命にかかわる経験をした事で、トルコの指導者は医療の重要性を身に染みていたとも言えるだろう。
2023.05.20 文章修正