タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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A.D.1946
182 新秩序への道-07


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 1944年に勃発し、1年近く続いたドイツ戦争。

 故に別名としてドイツ解体戦争や1年戦争などの別名が付けられていた。

 その中で、戦争に関わった領域の広さが世界大戦(World War 1914-1918)に匹敵する事もあり、国際連盟総会で正式に第2次世界大戦(World War Ⅱ)の名前が付けられる事となった。

 戦場となったヨーロッパ亜大陸、大西洋、太平洋、そして極東。

 関連してアフリカ大陸での戦乱もあったのだ。

 世界大戦の冠を付ける事に不足は無いと言うのが、国際連盟安全保障理事会での総意となる。

 誰もが、自分の参加した、そして勝利した戦争を輝かしい金の文字で飾りたいと言う事であった。

 そもそもドイツ戦争。

 ドイツ以外の被害が、特に民間人が被った被害が少ないと言うのも、この気楽な態度を後押ししていると言えた。

 それが、年を跨いだ1946年に大規模な戦争終結の祝賀式典を行いたいとの流れに繋がった。

 戦乱が治まり切って居ないバルカン半島や、今から鎮圧に取り掛かるアフリカ大陸(フランス海外県アフリカ群)の問題もあるが、正直な話として世界中はイタリアでも無ければフランスでも無いのだ。

 取り敢えず、自国に関わる部分が平穏となったのであれば無問題(世は全て事もなし)となるのも仕方のない話であった。

 又、フランスやイタリアも、一区切りと言う事は政治的に重要であったが為、反対する事は無かった。*1

 廃墟となったベルリンで盛大に行われる事となった陸と空の戦勝記念式典としての国際閲兵式。

 そして海は北海にて戦勝国際観艦式として開催される事となった。

 

 

――日本

 閲兵式への参加自体は問題はない。

 エチオピア軍などの撤兵は行われていたが、もとより万単位での将兵が遣欧総軍には所属していたのだからだ。

 重装備も十分であった。

 退役の始まっている10式戦車などは最後の花道だとばかりに、現場将兵から参加希望が出されてしまえば、上層部として受け入れざるを得なかった。

 そもそも10式戦車は実戦に投入されており、フランス軍を筆頭とした諸国の将兵もその姿と活躍を見ているのだ。

 機密保持の為、と言う隠す理由は流石に通らないと言うものであった。

 現場の声を遣欧総軍総監部が受け入れ、日本国連邦統合軍幕僚本部が受け入れ、そして日本政府が受け入れる事となった。

 であればとばかりに、陸上自衛隊はこの時ばかりはとヨーロッパ亜大陸に持ち込んでいた重装備の悉くを開陳する騒ぎへとなった。

 ある意味で日本も戦争が終わった事に浮かれていると言えた。

 そして連邦統合軍と自衛隊のみならず、この国際閲兵式には特別な要人が参加する事となる。

 日本国皇太子夫妻である。

 皇室関係者が日本連邦領域外に出るのは、これが初めての事であった。

 日本政府が発表した際、世界は衝撃を受けた。

 竹の御簾の向こうに隠されてきた日本の君臨者(エンペラー)が世界史に登場する、と。

 正式には天皇(エンペラー)ではなく名代としての皇太子(プリンス)であったが、世界から見れば同じ事であった。

 日本政府と皇室による歴史的、そして政治決断の結果であった。

 だが同時に、ブリテン王室を筆頭としたヨーロッパの貴族階級の人々による政治活動の結果でもあった。

 世界帝国群(ジャパンアングロ)の一角たる日本の象徴(皇室)を繋ぐ事の重要性を重視しての事であった。

 後の歴史家は、この皇太子の国際社会への登場(デビュー)をもって、日本が極東の異邦人から世界史の中央に迎え入れられたのだと表現するのであった。

 閲兵式が10式戦車や皇太子夫妻の参加で盛り上がった事で不満を覚えたのは、勿論、海上自衛隊と日本連邦統合軍海軍部隊である。

 此方も目玉が欲しいと言う話になった。

 皇太子夫妻は観艦式にも参加されるのだが、開催日は観艦式よりも閲兵式の方が先なのだ。

 目立たないではないかと関係者が立腹するのも仕方が無い話であった。

 この為、日本近海を離れる事の無かった秘蔵っ子たるグアム共和国軍(在日米軍)の総旗艦。満載排水量10万t級の超ド級原子力空母ロナルド・レーガンの派遣を決定した。

 実に大人げない態度と言えるだろう。

 ブリテンに置かれていた、国際観艦式調整委員会は頭を抱えた。

 既に派遣されていたしょうかく(68.000t級空母)でお腹一杯であった為、これ以上の参加は勘弁してほしいと言うのが本音であった。

 だが、それは中小海軍などの気分であった。

 海洋戦力に於いて不足の無いアメリカとブリテンは、手持ちの空母と戦艦とを総ざらいする勢いで参加させると元気になっていた(ハッスルしていた)

 面子と言う意味では決して負けられないフランスと、イタリアも大型艦艇を揃える事となった。

 南米諸国も青息吐息で大型艦の派遣を決定した。

 そしてソ連。

 他の大型艦を持っていなかったが為、修理の終わって居ないヴォストーク(鄭和)の派遣を決定した。

 甲板上の構造物は滅多矢鱈に叩かれていたヴォストーク(鄭和)であったが、至近距離からの戦闘であったので喫水線下の船体被害は大きく無かった事が、コレ(無茶)を可能としたのだった。

 とは言え現実として構造物は半壊状態である為、薄い鋼板だの合板だので加工した化粧(ハリボテ)めいた姿ではあったが。

 尚、ヴォストーク(鄭和)の正体が看破されぬ為、観艦式で甲板に出す将兵の半分をソ連(スラブ)人すると言う念の入った工作をソ連海軍は行っていた。

 尤も、その正体はG4(ジャパンアングロ)には知られていたが。

 アフリカ沖でドイツ海軍(モンスーン戦隊)に袋叩きにされたヴォストーク(鄭和)を善意でソ連のサンクトペテルブルクまで運んだのは日本連邦統合軍の傭船(重量物運搬船)であったからである。

 その際に至近距離でヴォストーク(鄭和)を見て、そして乗組員とも交流したが為、その正体を把握したのだった。

 そして勿論、アメリカとブリテンには伝達していたのだ。

 とは言え、今更にアメリカもヴォストーク(鄭和)をどうこうと思う所は無かった。

 既にチャイナとの戦争も終わっているからである。

 それどころか、同じ船乗りとして祖国では無い国の旗の下で戦って被害を出した事に哀悼の意を覚え、そして見事な戦果を挙げた事を評価していた。

 只、アメリカ海軍は少しだけ、そう、意趣返しと言う訳ではないのだが、国際観艦式の際の配置で、ヴォストーク(鄭和)の隣に、その捜索を行っていたキティホーク級哨戒巡洋艦(航空巡洋艦)を配置する事を要求していた。

 兎も角として、世界はこの2つの式典をもって一区切りとする積りであった。

 

 

 

 

 

 

*1

 フランスにせよイタリアにせよ治めるべき面倒事は極めて厄介であり、まだまだ時間を要すると言うのが正直な話であったが、戦勝記念式典に関しては実に積極的であった。 

 戦争終結後も続く厄介事があればこそ、()()()()()()()()()()()()()

 政府への支持率と言う事である。

 ドイツが生み出した面倒事は残っているが、それでも現政権は勝利者であり、上手くやったのだと宣伝しなければならないのだから。

 民主国家(フランス)にせよ独裁国家(イタリア)にせよ、国民の支持こそが国家運営の基盤だからだ。

 フランスは20年から続いた対ドイツ政策の堅持方針によって準戦時体制 ―― 挙国一致常態であり、政権交代が事実上行われて居なかったが為、国民の不満が蓄積していた。

 イタリアは言うまでも無い。

 独裁体制にとって、国民の支持を失う事は政治的権限どころか命すら脅かされる事を意味するのだから。

 ある意味、華美な戦勝記念式典は両国にとって望むところであった。

 

 




2023.05.20 文章修正
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