182 新秩序への道-07
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1944年に勃発し、1年近く続いたドイツ戦争。
故に別名としてドイツ解体戦争や1年戦争などの別名が付けられていた。
その中で、戦争に関わった領域の広さが
戦場となったヨーロッパ亜大陸、大西洋、太平洋、そして極東。
関連してアフリカ大陸での戦乱もあったのだ。
世界大戦の冠を付ける事に不足は無いと言うのが、国際連盟安全保障理事会での総意となる。
誰もが、自分の参加した、そして勝利した戦争を輝かしい金の文字で飾りたいと言う事であった。
そもそもドイツ戦争。
ドイツ以外の被害が、特に民間人が被った被害が少ないと言うのも、この気楽な態度を後押ししていると言えた。
それが、年を跨いだ1946年に大規模な戦争終結の祝賀式典を行いたいとの流れに繋がった。
戦乱が治まり切って居ないバルカン半島や、今から鎮圧に取り掛かる
取り敢えず、自国に関わる部分が平穏となったのであれば
又、フランスやイタリアも、一区切りと言う事は政治的に重要であったが為、反対する事は無かった。*1
廃墟となったベルリンで盛大に行われる事となった陸と空の戦勝記念式典としての国際閲兵式。
そして海は北海にて戦勝国際観艦式として開催される事となった。
――日本
閲兵式への参加自体は問題はない。
エチオピア軍などの撤兵は行われていたが、もとより万単位での将兵が遣欧総軍には所属していたのだからだ。
重装備も十分であった。
退役の始まっている10式戦車などは最後の花道だとばかりに、現場将兵から参加希望が出されてしまえば、上層部として受け入れざるを得なかった。
そもそも10式戦車は実戦に投入されており、フランス軍を筆頭とした諸国の将兵もその姿と活躍を見ているのだ。
機密保持の為、と言う隠す理由は流石に通らないと言うものであった。
現場の声を遣欧総軍総監部が受け入れ、日本国連邦統合軍幕僚本部が受け入れ、そして日本政府が受け入れる事となった。
であればとばかりに、陸上自衛隊はこの時ばかりはとヨーロッパ亜大陸に持ち込んでいた重装備の悉くを開陳する騒ぎへとなった。
ある意味で日本も戦争が終わった事に浮かれていると言えた。
そして連邦統合軍と自衛隊のみならず、この国際閲兵式には特別な要人が参加する事となる。
日本国皇太子夫妻である。
皇室関係者が日本連邦領域外に出るのは、これが初めての事であった。
日本政府が発表した際、世界は衝撃を受けた。
竹の御簾の向こうに隠されてきた日本の
正式には
日本政府と皇室による歴史的、そして政治決断の結果であった。
だが同時に、ブリテン王室を筆頭としたヨーロッパの貴族階級の人々による政治活動の結果でもあった。
後の歴史家は、この皇太子の国際社会への
閲兵式が10式戦車や皇太子夫妻の参加で盛り上がった事で不満を覚えたのは、勿論、海上自衛隊と日本連邦統合軍海軍部隊である。
此方も目玉が欲しいと言う話になった。
皇太子夫妻は観艦式にも参加されるのだが、開催日は観艦式よりも閲兵式の方が先なのだ。
目立たないではないかと関係者が立腹するのも仕方が無い話であった。
この為、日本近海を離れる事の無かった秘蔵っ子たる
実に大人げない態度と言えるだろう。
ブリテンに置かれていた、国際観艦式調整委員会は頭を抱えた。
既に派遣されていた
だが、それは中小海軍などの気分であった。
海洋戦力に於いて不足の無いアメリカとブリテンは、手持ちの空母と戦艦とを総ざらいする勢いで参加させると
面子と言う意味では決して負けられないフランスと、イタリアも大型艦艇を揃える事となった。
南米諸国も青息吐息で大型艦の派遣を決定した。
そしてソ連。
他の大型艦を持っていなかったが為、修理の終わって居ない
甲板上の構造物は滅多矢鱈に叩かれていた
とは言え現実として構造物は半壊状態である為、薄い鋼板だの合板だので加工した
尚、
尤も、その正体は
アフリカ沖で
その際に至近距離で
そして勿論、アメリカとブリテンには伝達していたのだ。
とは言え、今更にアメリカも
既にチャイナとの戦争も終わっているからである。
それどころか、同じ船乗りとして祖国では無い国の旗の下で戦って被害を出した事に哀悼の意を覚え、そして見事な戦果を挙げた事を評価していた。
只、アメリカ海軍は少しだけ、そう、意趣返しと言う訳ではないのだが、国際観艦式の際の配置で、
兎も角として、世界はこの2つの式典をもって一区切りとする積りであった。
フランスにせよイタリアにせよ治めるべき面倒事は極めて厄介であり、まだまだ時間を要すると言うのが正直な話であったが、戦勝記念式典に関しては実に積極的であった。
戦争終結後も続く厄介事があればこそ、
政府への支持率と言う事である。
ドイツが生み出した面倒事は残っているが、それでも現政権は勝利者であり、上手くやったのだと宣伝しなければならないのだから。
フランスは20年から続いた対ドイツ政策の堅持方針によって準戦時体制 ―― 挙国一致常態であり、政権交代が事実上行われて居なかったが為、国民の不満が蓄積していた。
イタリアは言うまでも無い。
独裁体制にとって、国民の支持を失う事は政治的権限どころか命すら脅かされる事を意味するのだから。
ある意味、華美な戦勝記念式典は両国にとって望むところであった。
2023.05.20 文章修正