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アフリカ情勢は今、2つに分類されていた。
1つはブリテンやイタリア、そしてエチオピア-日本による「独立運動/武力蜂起の余波なんて勘弁しろ」と言う集団だ。
ブリテン、ブリテン連邦の
混乱など迷惑極まりない話だった。
イタリア、イタリア領リビアに関してはもっと切実であった。
イタリアの発展の礎が、イタリア領リビアが産出する石油資源であるのだから、その安定を揺るがされてしまっては堪ったものでは無かった。
国境の多くをフランス
現在、
キリスト教徒ではないかもしれない。
伝統的なイタリア人ではないかもしれない。
だが、名誉ある新しい地中海帝国の一員として豊かな生活を送ろうではないか! と言う事である。
イタリアは注意深く、アフリカでのブリテンとフランスの統治政策を見比べ、そしてジャパン帝国の朝鮮半島統治も確認し、安定して利益の得られる統治手段を採用したのだ。
面倒臭い事を引き起こす、イタリア領リビアの人々の差別は行うな。
区別は仕方が無いが、最低限度に留めろ。
その分、イタリア領リビアにも話を通す。
剛腕とも言えた。
それは、国民の信頼と支持を圧倒的に得ているムッソリーニの、絶頂期とも言える権威が可能にした事であった。
そこに火を点けられてしまっては、
その恐れを感じていた。
そしてエチオピアだ。
幸いな事にも周辺の大半にフランスの
現在、日本連邦の準加盟国として日本からの
別名はエチオピア維新。
皇帝を頂きつつ国を近代化させ、安定して次の1000年も国家を繁栄させていこうと言う大計画だ。
正に、そんな暇はないと言うのが本音であった。
エチオピアの大地には地下資源もそれなりにあり、何よりも水資源があった。
だからこそ、日本から
電気、
又、日本連邦の準加盟国と言うものが、
これには、先のドイツ戦争で日本連邦統合軍に軍を派遣し、そしてドイツ軍と闘い、ヨーロッパの大地を一部なれども支配したという経験も良い影響を与えていた。
アフリカの1等国エチオピア。
そう言う国民意識が醸成される、いわば近代国家の勃興期にあるエチオピアにとって、外的要素による混乱など看過出来るモノでは無かった。
それぞれ事情は異なっているが、取り合えず混乱を波及させるなと言う事で一致していた。
混乱を拒否すると言う意味に於いては、対する集団 ―― フランスもソ連も全くもって同意する所であった。
ヨーロッパの盟主を気取りたいフランスからすれば、それを裏付ける
資源や市場として、或いは人的資源として手放せないのではない。
国家の尊厳として手放せないのだ。
たとえ、
そもそも、伝統的なライバル国であるブリテンが、曲がりなりにも世界帝国を維持し続けようとしているのだ。
にも拘らず、フランスが世界帝国の座から降り、
百家争鳴とも言えるフランスの政治状況であったが、各派共に
名誉的な意味でアフリカの損切が出来ないのがフランスであれば、経済的な理由で損切が出来ないのがソ連であった。
只、フランスとは違うのは、アフリカ ―― コンゴの大地が独立運動などによってベルギーが管理できなくなった物件と言うのを前提条件として理解していると言う事があった。
即ち、火中の栗を拾う決意のもとで、コンゴをソヴィエトにすると言う選択肢を選んでいるのだ。
その意味に於いて、フランスとは覚悟が違っていた。
同時に、手段を択ばないと言う意味でも格が違っていた。
その事が世界に知れ渡るまで、いくばくかの時間が必要となる。
――ブリテン連邦
ブリテン王室を頂くとは言え、公式には独立国となっているブリテン連邦加盟国。
ある程度の自治権は与えられているし外交権も持ってはいても、実態として言えば、ブリテン経済界の市場であり、同時に資源の安価な獲得先であった。
とは言えブリテンは日本との高いレベルでの経済協力協定を結んでおり、その恩恵を受けられると言うのは決して馬鹿に出来るモノでは無かった。
少なくとも、諸外国に比べて日本の投資先として優先的に扱われ、投資のみならず
ブリテンの王室を建前として崇めたり、英語を
少なくとも、ブリテン連邦の構成国として独立したばかりの頃は。
だが、ドイツ戦争に前後して吹き荒れる様になったアフリカでの武力蜂起問題は、その気楽さに影を落とす事となる。
既に小規模ながらも難民が発生し、ブリテン連邦加盟国に流入する様になっていた。
それは国家としての基盤がまだ弱い、独立したばかりのブリテン連邦加盟国にとって大きな負担であった。
更に言えば、民族自決と言う美句も、毒めいた効果を発揮していた。
我らの誇りの為、ブリテン人の頸木を破壊するべきであると言う主張である。
これは、特に組織化されたばかりの軍、その一部で広まる事となる。
ブリテン人指揮官を減らし、各国の独自な軍として組織する際、指揮官などに地元の有力者の血縁関係者などが多く採用されていた事が理由であった。
この状況に気付いたブリテン政府は大いに慌てる事となる。
各ブリテン連邦加盟国の軍が、民族自決に基づいた要求を行うという事は、即ち、
慌てるな、と言うのが難しい話であった。
幸い、それ以前への対応能力 ―― ドイツによる
出来れば一度、軍を解体した方が楽と言うレベルの問題であったが、アフリカのブリテン連邦加盟国の状況は、そう言う余裕などを許さない部分があった。
即ち、フランスの
フランスが伝達した訳ではない。
フランスは国の恥だとばかりに、絶対に情報を伝えようとはしなかったが、伝統的なブリテンの情報網と、今や20を超える規模へと達した日本の偵察衛星による情報が補っていた。
示されたのは難民の群れが、フランスの
幸い、フランスによる支援 ―― 食糧支援や移動支援、仮設住居などの設置が
この、僅かばかりに存在する猶予を有効に利用する為、ブリテン政府はブリテン連邦加盟国の軍の再建に着手していた。
過度な民族独立思想の強い人間は軍から追放し、その上で若い世代の人間に士官教育と並行しての親ブリテン教育を実施する事としたのだ。
とは言え、それは簡単な話では無かった。
アフリカのブリテン連邦加盟国の軍人を纏めて教育する場所、と言う意味でだ。
結果、全く新しい士官学校が建設される事となった。
陸軍士官としての教育のみならず文明人、
尚、余談ではあるが同じ内容をブリテン人自身も受ける事となった為、結果としてある種の強固な
――日本
ブリテンが音頭を取り、
情報の共有その他が主たる業務であったが、その中で問題として挙げられたのは広域哨戒であった。
アフリカの大地が余りにも広すぎる事が問題視されていた。
これは、一つには一般的な1940年代の自動車と言うものの信頼性が今一つと言うのが問題であったのだ。
性能そのものもだが、故障の問題や部品交換の問題などなど。
何故、それが目についたかと言えば、ドイツ戦争に際して日本が大量にばら撒いたMLシリーズ、
自国産兵器に対して忠誠心の強いブリテン陸軍士官ですら、部隊には愛国心の詰まったブリテン製トラックよりも、色気も愛想も無い直線主体の簡素なデザインの
100年の差と言うものは、見よう見まねで努力した程度で補えるモノでは無かった。
そもそも電子化によるエンジンのインジェクション化、或いはオートマチック化されたトランスミッションと言うモノを真似る事は出来る筈も無かった。
だからこそ、日本には要求される事となる。
広域哨戒用の自動車、その開発と提供である。
ブリテンにせよイタリアにせよ、先進国としてのプライドがある為に自国軍向けの自動車だけは自国で賄う積りであったが、これから自動車の操作まで教育するとなると、その習熟まで手間が掛かり過ぎるのだ。
だからこそ、扱いやすい日本製が熱望される事となるのだ。
日本の国際連盟代表は、肉食獣に狙われる気分が判ったなどと、後に国際連盟日本代表団に語る程であった。
結果、日本は
後に、実際に開発する段になって集められた要望、そして戦訓などを勘案し、先ずは3つの車両が開発される事となった。
そして特殊部隊向けとしてML-03B、高機動車両が量産される事となった。
特に大きく期待されているのが、自動車による広域哨戒に於いて中核となる事が想定されている、大型通信機を搭載した中型哨戒拠点車であった。
運転手や指揮官役を含めて最大、10名を乗せる大型な車体に、一般的な歩兵火器であれば抵抗可能な装甲を持ち、強力なエアコンとセンサーを持つ様にする事が予定されていた。
暑く広大なアフリカの大地に於いて陸上からの哨戒任務を行う上で重要な車両となる予定であった。
この開発話が出た途端に、
実際に治安維持活動を担うフランスに最優先で購入する権利が譲与されるべきだと言い出したのだ。
だが、流石にご都合主義が過ぎるとして日本にせよブリテンにせよ深く受け止める事は無かった。*1
――フランス
MLシリーズの流れを汲む日本製哨戒車両の早期収得に失敗したフランスは、であるならば是非も無しとの形でフランス製の偵察車両に頼る事となる。
とは言え、全てが悪い話では無かった。
フランスの政府や軍上層部は兎も角として中堅の士官や官僚、或いは民間軍事企業などの間からは、先端技術に関する日本信仰とも言える状況に対する危機感があった為、この状況を歓迎する向きがあった。
既にフランス陸軍はドイツ戦争の終結に伴い、
その主要装備に日本製を導入してしまうのは大問題であると言う意識である。
多少、性能は悪くとも、フランスも自分の力で装備を開発し、配備し、運用して経験を積まねばブリテンやアメリカに技術開発で後塵を拝する事に成ると言う危機感であった。
特に、戦車などの重装備開発に於いてフランスは、ブリテンやアメリカよりも日本の協力を必要とする度合が重かったのだ。
技術開発に関わる部署の人間が危機感を強く持っているのも当然の話であった。
又、それ以外にも
戦争でインフラその他が荒れ果てているとは言え、そこから立ち直る為の資金が補助金漬けとなるのは困ると言う話である。
ルール工業地帯の企業に企業活動を本格化させ、税金を納めさせねばならぬと言う事である。
結果、装輪偵察車、装輪人員輸送車、装輪戦闘車と言う形で、様々な車両の開発に邁進する事となる。
尚、その開発に際して日本との技術協力、技術開発に関しては決して拒否するものではないと言い添えるモノであった。
日本の方針である、戦車などの完成品の売却よりも通信機その他の
日本にせよブリテンにせよ、他の
当然であろう。
ドイツが独立運動に着火したとは言え、その火を大きくしてしまったのはフランスの対応の失敗であるからだ。
内密に行われている国際連盟安全保障理事会に付随して行われている
フランス代表は、
尚、全くの対岸の火事であったアメリカの代表は、お菓子として用意されていた