タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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皆、自分以外の全ての人々はいずれ死ぬ運命にあると考えている

――エドワード・ヤング    
 







A.D.1932
019 上海事件-1


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 事の発端はあれども黒幕と言う程の物は無かった。

 単純に、チャイナ国内で醸成されたアメリカ排斥運動と反アメリカ感情の高まりが生んだ悲劇であった。

 

 

――状況:事前

 北チャイナを支援するアメリカであったが、南チャイナを無視している訳では無かった。

 商売相手として尊重すらしていた。

 それ故に、南チャイナの領域で活動するアメリカ人は少なくなかった。

 但し、治安の悪化には注意していた。

 特に大手の民間貿易企業は、アメリカの半国営の民間軍事企業を護衛として雇う事が常となっていた。

 主となる兵士は日本ソ連戦争で俘虜となり、だがオホーツク共和国(日本)への帰化が心情的に困難なロシア人、そしてコリア人だった。

 この頃になると朝鮮共和国政府は積極的な外貨獲得手段として朝鮮人傭兵を活用しており、日本政府の承諾の下で最大で中隊を単位として、4桁以上の朝鮮共和国軍人をアメリカに貸し出していた。

 コーカソイド(アメリカ)人を護衛するモンゴロイド(コリア)人と言う構図(※1)。

 その上で、チャイナからみて傲岸な態度をみせる。

 これがチャイナに仄かな怒りを与えていた。

 

 

――上海事件・チャイナ共産党

 南北チャイナに挟まれて劣勢なチャイナ共産党であったが、武器だけは豊富にあった。

 シベリアで日本とアメリカの圧力を受けているソ連が、特にアメリカの下腹部と言ってよいチャイナでの騒乱を求めて、旧式化した武器弾薬を大量に提供していた為だ。

 この武器を手に、チャイナ共産党は反アメリカの宣伝に努めた。

 チャイナを搾取するアメリカと、その手先であるコリアという風に。

 その上で賄賂を用いて南チャイナの軍閥に懐柔の手を伸ばした。

 狙うのは上海。

 アメリカを含めた列強諸国の足掛かりであり、チャイナの意思を示すには絶好の場であった。

 軍は少なく、民間人は多い。

 この場所で事を起せば、世界に宣伝する事が出来るだろうというのが、チャイナ共産党の考えであった。

 チャイナと世界の戦争状態。

 それこそが、南北チャイナによって圧迫されたチャイナ共産党の生き残れる道であると、チャイナ共産党指導部は喝破したのだ。

 アメリカを筆頭とするヨーロッパ・アメリカへの憎悪を炊きつけた。

 

 

――上海事件・発端

 上海市から内陸に100㎞程離れた村で起った武力衝突が口火となった。

 増長した態度のアメリカ人が悪かったのか。

 虫の居所の悪かったコリア人が悪かったのか。

 乱暴者で気の短いチャイナ人が悪かったのか。

 何が悪かったと特定する事に意味は無い。

 只、その村で商人のアメリカ人が襲われ、護衛のコリア人が反撃し、チャイナ人が殺されたと言うのが全てであった。

 ある意味でチャイナ全域でよく見る話であった。

 被害者と加害者が往々にして入れ替わるが、新聞に書かれて終わる。

 少なくとも当事者以外には。

 そんな話が大きな問題となったのは、火に薪をくべるチャイナ共産党が居たからだった。

 事前に誼を通じていた南チャイナの軍閥を唆し、大騒動へと発展させた(※2)。

 発端となったアメリカ人とコリア人を吊るし、満天下にチャイナからのアメリカ排斥を訴えさせたのだ。

 この扇動にチャイナの大衆は乗った。

 発端となった軍閥に、民族の英雄の下で兵隊となりたいと志願するお調子者も出た程だった。

 又、軍閥と関わらず非チャイナに対する暴動が、燎原の大火の如く広がって行った。

 慌てたのは南チャイナである。

 この勢いに抵抗してはチャイナ南部の主導的立場を明け渡す事になりかねない。

 財も民も握る南チャイナであったが、その優位性は絶対では無い。

 複数の軍閥を束ねる事で成り立つ、比較的という言葉が似つかわしい優位性であったのだ。

 であればこそ、民意に背ける筈も無かった。

 協力関係にあったドイツを夷狄の中から除く様に宣伝し、同時に国際連盟の場にてチャイナの総意として列強諸国の中国への過干渉停止と不平等条約の撤廃、そして駐留する軍隊の即時撤退を訴えたのだ。

 国際連盟は荒れた。

 上海に日本帝国から引き継いだ小さな権益を持つだけの日本は兎も角、大きな権益を持っていたアメリカ、ブリテン、フランスなどは激高した。

 特に、議題の当事者であった為にオブザーバーとして参加していたアメリカは、自国民を殺されたにも関わらず非難される状況に大激怒した。

 そして先ず謝罪をするのが筋であると反論する。

 ブリテンとフランスも同調する。

 だが南チャイナも一歩も退かなかった。

 此処で退いては南チャイナはチャイナ国民の支持を失い、又、チャイナ全土を統治する正統な権利者 ―― 国家の擁護者としての立場を完全に喪失してしまうとの思いからだった。

 白熱した会議は連日連夜に及ぶ事となる。

 

 

――上海事件・北チャイナ

 チャイナ全土に広がった反アメリカの機運に焦ったのは北チャイナである。

 南チャイナに比べて勢いでも規模でも劣る北チャイナが今まで存続できたのは、アメリカの支援と満州から得られる税金あればこそであった。

 その為、事件発生当初はアメリカを擁護する宣伝を行っていた。

 だが、それがチャイナの民衆の怒りを買った。

 北チャイナの各地で暴動が続発する事となった。

 特に北チャイナの拠点であった北京での暴動は凄まじかった。

 チャイナ共産党が手引きをし、武器を提供した大衆は暴れ回った。

 北チャイナの軍は将兵の脱走と離反が続発した為、北チャイナの指導者は満州への移動を決断。

 奉天を次なる根拠地と定め、鐡道にて移動を開始した。

 それが北チャイナの運命を決めた。

 その行動予定を手に入れたチャイナ共産党が、暗殺を決行したのだ。

 鉄道に爆薬を仕込み、爆殺したのだ。

 これによって北チャイナは崩壊する。

 北チャイナは混乱の坩堝と化する。

 

 

――上海事件・国際状況

 国際連盟での会議は怒鳴り合いに終始し、その結末は誰も読めなかった。

 それを終わらせたのは、上海近郊で蜂起した軍閥であった。

 義勇兵や馬賊などが参加し、遂には10万と号する程の大軍勢となった彼らは、その巨体を維持する為の餌を必要とした。

 それが上海であった。

 兵を整えて上海に向けて進軍を開始する。

 上海市には降伏を。

 上海に在住するアメリカ・ヨーロピア ―― 夷狄に対しては即時の、チャイナからの退去を命じていた。

 猶予は、軍勢が上海に到着するまでの3日。

 出来る筈も無かった。

 国際連盟の場は、この無法を宣言した軍閥と、その管理者たる南チャイナを非難する場となった。

 南チャイナにも言い分はあった。

 そもそも、植民地の如く扱われているチャイナの民衆の蜂起である。

 世界大戦後に定められた民族自決の原則に基づいて考えれば、その行為は認められるべきだ ―― と主張した。

 だがそれが通る事は無かった。

 反対したチャイナ、棄権したドイツとソ連を除く全ての安全保障理事会の参加国が一致し、チャイナの国際連盟の参加資格の停止を決めた。

 併せて上海市防衛に列強が兵を出す事は、自衛の範疇である事が宣言された。

 チャイナは世界から孤立した。

 

 

――上海事件・防衛戦力の集結

 アメリカを筆頭とする列強諸国は、軍閥に膝を屈する事を良しとはしなかった。

 アメリカは関東州に駐屯する海兵隊から1個連隊を先遣隊として派遣し、続いてフィリピンから1個師団を派遣する事を決断。

 ブリテンはシンガポールから陸軍1個旅団相当の兵を派遣する事を決断。

 フランスはインドシナからの1個旅団を派遣する事を決断する。

 そして日本も、緊急展開部隊に指定されていた第8師団を動かす事を決断。先遣隊として第42連隊を緊急展開させる事とした。

 都合、2個師団2個旅団規模である。

 決して軍閥風情に劣る様な将兵では無かった。

 だが問題は時間であった。

 その全てが集結するには1月近い時間を必要とすると予想された。

 否、ブリテンやフランスの部隊は海を越えての展開を前提としていなかった為、1ヶ月で先遣隊を派遣できれば御の字と言う有様であった。

 ここに、上海防衛の主力は軽装備のアメリカ海兵隊1個連隊と、圧倒的な輸送力を持った日本の第42即応機動連隊(※3)となる事が決定した。

 とは言え、これだけで10万の軍勢と戦える筈も無い。

 日本は日本ソ連戦争以来の空軍の動員を行う事を宣言した。

 又、護衛艦いずもを旗艦とする任務部隊を編制、攻撃ヘリを搭載して上海沖へと向かわせた。

 海洋戦力に関しては、アメリカやブリテンも巡洋艦を含む艦隊を派遣した。

 陸の兵こそ乏しいが、それを支える空海の戦力は圧倒していた。

 尚、南チャイナの軍艦も上海には停泊していたが、国際連盟での騒動を聞いた指揮官は、今回の事件への局外中立を宣言し、艦隊の保全を図った。

 ボイラーの火を止め、弾薬庫を封印し、上海の列強連絡会の監査を受け入れる宣言をする徹底っぷりであった。

 このお蔭で、南チャイナ海軍は壊滅を免れた。

 

 

 

 

 

(※1)

 アメリカに雇われた傭兵はコリア人のみならずロシア人やアメリカ人、ユダヤ人。果ては日本人やドイツ人までも居たが、数も多く一番に悪目立ちしたのがコリア人であった。

 

 

(※2)

 アメリカへのチャイナの反発は目に見えるレベルで広がっていた為、扇動自体は簡単に行った。

 又、上海と言う大きな獲物があった事も大きい。

 チャイナ共産党が唆した軍閥は5万の規模の軍勢を有していた。

 対する上海に駐屯する兵は併せても1千を越えようかといった程度しか居なかった。

 上海の夷狄を打ち滅ぼし、その財を奪い尽くし、その功績を持って満天下に南チャイナの真なる指導者である事を示すのだ ―― そんな甘言に、軍閥の首領は乗ったのだ。

 

 

(※3)

 第8師団は機動化師団としての規模改変と、装備の変更が行われている真っ只中であった為、第42即応機動連隊以外が、即時に戦闘態勢へと移行できる様な状態では無かった。

 とは言え、1個連隊だけの派遣では死にに行かせる様なものである。第42連隊を死なせるなと師団長が檄を飛ばし、第8師団で戦闘可能な練度にあった部隊をかき集めて、臨時の装甲連隊戦闘団(第81独立装甲連隊と命名)を編制して後詰とした。

 編成未了ながらも10式戦車を受領している第8戦車連隊を根幹に、第8偵察大隊や第43普通科連隊から抽出した部隊で構成されている。

 特科部隊こそ含まれて居ないが、10式戦車2個中隊と16式機動戦闘車を1個中隊規模有する、強力な機甲部隊であった。

 この臨時部隊を第8師団の将兵は何とか3日で編成し上海へと派遣した。

 

 

 

 

 

 




2019.05.10 記述修正
2019.05.10 記述修正
2022.10.18 構成修正

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