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ドイツ戦争終結後、チリは南米は平穏になると思って居た。
もはや世界に
そこに降って湧いたアルゼンチンの軍事力強化計画。
そして、アルゼンチンに対抗する為としてブラジルも軍備拡張を宣言する事になったのだ。
勘弁して欲しいと言うのが本音であった。
だが国家として、近隣の国々が軍備拡張に走っている状況で無対応と言うのは、出来る筈も無かった。
だが、協力を要請するにしても選択肢は多く無かった。
文化的に近いフランスはアルゼンチンに近かった。
南米の親分顔をしているアメリカはブラジルに近かった。
どちらも、協力を要請すれば対応してくれるだろうが、それぞれの支援先国から下に見られる可能性を孕んでいた。
それは国家の威信的な意味で絶対に許容できる話では無かった。
チリとて南米の雄国の1つと言う矜持は持っていたのだから。
この結果、国際連盟で外交に勤しむ事となる。
支援要請の先として、最初に選ばれたのはイタリアだった。
親
5番目の覇権国家等とも言われているイタリアだ。
であれば、南米にも影響圏が作れると言う謳い文句を付ければ、支援が得られるのではとチリが考えるのも道理であった。
だが、国際連盟の場でチリ代表と面会したイタリア代表は心底からの不快気な顔での拒否であった。
そこには一切の交渉の余地は無かった。*1
取り付く島もないイタリアの態度に悄然としたチリ。
であったが、捨てる神あれば拾う神あり。
声を掛けて来る国家があった。
ブリテンである。
――ブリテン
ドイツ戦争での実戦経験を基に装備の更新を図っていたブリテンは、そうであるが故に旧式化した装備を大量に抱えていた。
小銃などの歩兵装備やトラック等は汎用性も高い為、
バンク機動砲車などの車両はまだ二線級部隊の歩兵支援火力として使い道があったが、チャレンジャー重巡航戦車などの旧型は別だった。
走攻防のバランスを取った
特に問題であったのは、コンパクトで大出力のエンジンであった。
50t級に準じた車体を機敏に動かすに足るエンジン、それも出来る限りコンパクトなモノと言う要求は、簡単では無かったのだ。
その問題をある程度解決できたのが、今の主力であるチャレンジャーⅡ戦車である。
主砲に105㎜砲を採用し、重量52tに達する重戦車であったが、その最高時速は50㎞/hに達すると言う堂々たる主力戦車だ。
だからこそ、チャレンジャー巡航戦車は安価で放出する事が出来る様になっていた。
とは言え下手な所に売れば紛争の際に使用され、国際連盟安全保障理事会で追及される羽目になる。
だからこそ、チリは旧式化した装備を売りつける上で良い相手であった。
ブリテンは戦車のみならず第1世代ジェット戦闘機や駆逐艦、果ては巡洋艦までも売却する話を持ち掛けたのだった。
巡洋艦は防空艦であった。
これはチリは旧ドイツの
最新型と言う訳では当然ながらない。
とは言え、旧式と言う訳でも無い。
ダイドー級軽巡洋艦だ。
対空攻撃手段が砲に限られているが火器管制レーダーに連動しており、又、広域の哨戒に関しては日本製の汎用対空レーダーを導入している為、防空統制艦としての機能を有していた。
レーダー周りだけで言えば最新鋭と言っても過言では無い。
それをブリテンが手放す理由は、その船体規模からくる発展余裕の乏しさだった。
基準排水量6000t級という軽巡洋艦として建造されている為、今後の発展余裕が乏しいのだ。
ダイドー級巡洋艦は、言わばドイツ戦争に向けて整備された艦でしかなったのだ。
そして実際、北海やバルト海などと言ったドイツ空軍の跳梁する海域ではそれなり以上の価値を示してはいた。
だがブリテン海軍にとっては、間に合わせる為の艦でしかなかった。
基準排水量が控えめなのも、価格を安く抑える為であったのだから。*2
ブリテンにとっては最新の、そして武勲ある二流巡洋艦であったが、チリにとっては話が違っていた。
日本とブリテンと言う先端国家のレーダーを有する、最新鋭軽巡洋艦となるのだ。
これ程の対空哨戒能力を備えた艦は、現時点では南米の何処にも存在していなかった。
結果、チリ政府は色めき立ってブリテンとの軍事協力関係を締結する事となる。
――アルゼンチン
南米の軍拡競争の火付け役となったアルゼンチンであったが、それで軍事的なアクションを起こす気など何も無かった。
只、国威の為の整備であったのだ。
だが、そんなアルゼンチンの気分など意にも介さぬとばかりにブラジルとチリが軍拡を始めたのだ。
何とも自分勝手な話であるが、アルゼンチン政府は南米の同胞に裏切られた気分を味わっていた。
だが、裏切られた気分というだけで終わらないのは、チリ政府が導入を決定したチャレンジャー巡航戦車が問題となるからである。
チャレンジャー巡航戦車は50tに準じる重量を持った堂々たる重戦車であり、今現在のアルゼンチン陸軍に対抗できる戦車などは存在しない超戦車であったのだ。
アルゼンチン世論が、対抗できる戦車整備計画を訴える様になるのも当然の話であった。
とは言え簡単な話では無い。
50t級の17lb.砲を持った戦車に対抗しうる戦車であるからだ。
巡航戦車と名付けられていても、非力なエンジンに起因する速度の遅さと言う問題はあっても、それ以外は最新鋭の、言わば
非
とは言え、これが万能である訳では無い。
重量が50t級と余りにも重い為、インフラの脆弱なチリでは十分な活動が出来ないと言う弱点があった。
その点は、アルゼンチンに侵攻された場合でも同じである。
アルゼンチンとチリの国境周辺は、いまだ開発が十分にされているとは言い難いが為、侵攻を受ける可能性は乏しかった。
純軍事的には、脅威とは言いづらい存在。
それがチャレンジャー巡航戦車であった。
問題は、国民世論がその判断に従わないと言う事であった。
マスコミは
国民はその声に乗せられて政府への批判、デモ活動を行う有様となっていたのだ。
結果、アルゼンチン政府は国産戦車の共同開発と並行して、ソ連戦車の導入を図る事となる。
主力となるのはT-34戦車だ。
30t級で85㎜砲を搭載すると言う、スペック的な意味ではチャレンジャー巡航戦車に対抗が難しいが、インフラへの負担が少ない軽量さと、そして軽快な機動が可能と言う点を評価しての決定であった。
又、中古品である為、導入が安く済むと言う点も大事な評価点であった。
ソ連では性能限界の見えていたT-34ではなく、より大型の
結果、T-34/Ar型として導入が図られる事となる。
取り敢えずは200両。
それなりに纏まった数であり、チリに対する抑止力としては十分以上。
そう考えられていた。
問題は、アルゼンチンが国境を接する国はチリだけでは無いと言う事である。
ブラジルは、アルゼンチンが導入したT-34/Ar戦車の衝撃を正面から受ける事となった。
――ブラジル
玉突き事故の様な有様で、ブラジルの陸上装備の問題が露呈する事となった。
現在のブラジル陸軍で主力となっているのは、事、対機甲戦力として数える事が出来るのは日本製の
結果、ブラジルはアメリカに泣きつく事となる。
混乱は少しずつ拡大していく。
ドイツ戦争の結果としてイタリアはバルカン半島の安定化と戦火に荒れた旧ドイツ南部域、そしてドイツに収奪された東欧の管理を背負う羽目になっているのだ。
これ以上の面倒などごめん被ると言うのがイタリアの政府関係者の、心底からの本音であった。
1940年代以前なら、或いは親
偉大なるドゥーチェによる大イタリアと言う黄金期は為されたのだ。
にも拘らず、不採算な仕事 ―― ドイツのクソ野郎の後片付けをヤル羽目になっているのだ。
である以上、これ以上の面倒事は寄越すなとなるのも当然だった。
しかも場所は南米である。
アメリカが自分の裏庭と公言し、ソ連が其処に手を突っ込んでいるという場所だ。
フランスが何も考えずにモノを売っているが、どうみても厄介事に育つのは目に見えていた。
イタリアは
国力もそこまで大きくない。
その自覚あればこそ、黄金の時代を迎えたイタリアが陰らぬ様に注意した立ち回りをしていたのだ。
裏庭に手を突っ込んで来たとアメリカに睨まれるのは困る。
商売の邪魔をしたとフランスに難癖を付けられても困る。
何より困るのは、間違ってソ連と距離が近くなったように見えたら
南米への干渉は、イタリアをして即死しかねない厄ネタであった。
故に、チリの要請を一言で切り捨てたのだった。
ダイドー級に繋がる戦時対応防空巡洋艦整備計画が立ち上がった際、たたき台となったのは5000t級
当初、優勢であったのは9000t級の船体型である。
これは将来的な発展余裕、開発中の防空ミサイルを搭載する事が念頭にあっての事であった。
長く使えるメリットが考えられていたのだ。
建造コストの差も、試算によれば1.3倍程度に抑えられそうだという事も、この考え方を後押ししていた。
その状況を変えたのは、オブザーバー参加していた内閣府官僚であった。
産業と技術維持の観点から、内閣府としては大型艦の長期運用は好ましくないとの意向を伝えた事であった。
定期的な建造によって造船業界へと仕事を斡旋し、ブリテン本土の造船能力を維持したいとの意向だ。
又、技術的な意味から、現段階で想定される技術革新と、現実で発生する技術革新の差を考えた場合、
言ってしまえば、日本が建造配備している様な装備をブリテンも開発出来たとして、9000t級の船体でも適応できるのか? と言う話である。
日本の艦艇が備えている艦内の情報ネットワークや発電力その他。
そう言うモノが必要になった場合に掛かる改装コストと、新規の建造コストの差。
又、その後の艦の余命などを考えるべきと述べたのだ。
9000t級の船体で整備すれば短期的には安上がりになるかもしれないが、その先となれば5000t級と技術進歩対応船体型の組み合わせの方が安くなるだろう。
そう言う話であった。
この、ある意味で至極真っ当な提案の結果、ダイドー級軽巡洋艦は5000t型軽巡洋艦として建造される事となり、設計途中で様々な修正が加わった結果、6000t級として生み出される事となったのだった。
勿論、開発元である日本では対装甲戦闘を想定していなかった。
歩兵支援の為のお手軽大口径砲として、6lb.砲を積んだ車両でしかなかった。
或いは、機動力があるので偵察部隊に回す車両として考えられていた車両であった。
日本としては余り深く考えていなかった。
当然である。
通常の自衛隊/日本連邦統合軍向けと違って、綿密な運用コンセプトの組み上げなどをやっていない。
その意味に於いて、
尚、後には
これは
被発見率低下の為に車高を低くし、アメリカ製の75㎜砲を搭載すると言う、主力戦車以外は全ての地上車両をブチ殺せる低価格車両であった。
尚、砲塔正面装甲も厚くされており軽戦車クラスであれば正面戦闘も可能と言う殺意の高い車両として完成していた為、諸外国からは最初から
フランスも