タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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193 エウロペア・ニューオーダー -1

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 ドイツ戦争の終結後、大きな火は消えはしたが、潜熱と言う形で戦火の火種がくすぶっている世界。

 だが、今の所はG4(ジャパンアングロ)日常(平常運転)を送っていた。

 勿論ながらも平穏無事と言う訳では無い。

 ドイツと言うヨーロッパ亜大陸の中央に存在していた国家の消滅は、多くの国々がひしめいているヨーロッパの態勢が大きく変わっていく事を示していた。

 特に主要プレイヤーである5ヶ国の動向には、多くの国々が注意を払っていた。

 ヨーロッパ最大勢力となるフランス。

 南欧の雄にして東欧の守護者たるイタリア。

 北欧を纏めた反ソ連の盟主であるポーランド。

 旧大陸(ヨーロッパ亜大陸)は知らないとばかりに関与しないブリテン。

 そして最後に、巻き込み事故を喰らったようなモノだと不平不満顔を崩さない日本。

 5ヶ国中3ヶ国(日本、ブリテン、イタリア)は内側指向を隠さないが、その国力故に警戒され、注目されているのであった。

 とは言え、警戒はされても戦争的な、或いは対立的なモノは其処に無かった。

 それだけが中小国にとっての救いであった。

 

 

――日本/北ドイツ平原州

 日本は新しく支配下に入った(押し付けられた)北ドイツ平原州の治安と統治機構の再建に少なくない労力を払っていた。

 先ずは内閣府の下に、新たに北ドイツ平原州庁を創設していた。

 人員は各省庁からの派遣、そして民間の独系日本人を雇用するなどして体裁を整えていたが、実際には極めて小規模なモノであった。

 最近は独立国(邦国)として日本連邦に正式加盟を言い出している南洋(ミクロネシア)邦国を統括していた南洋庁よりも小規模な辺りに、日本政府のヤル気と言うものが見て取れていた。

 北ドイツ平原州は国際連盟からの委託と言う事で管理(ケツモチ)はするけども、元はドイツも先進国であったのだ。

 であれば早々に自治させてしまえば良い。

 日本からヨーロッパを管理するなんて面倒事は勘弁して欲しい。

 周辺は()()()だし、戦争の危険も少ないのだから。

 そう言う感じであった。

 だが、状況はそう日本が思う程に甘くは無かった。

 日本の管理下となった地域は、日本連邦軍によって掌握されて早々から比較的に治安が良かった為、戦乱を逃れる為として戦時中から民間人が避難民として流入していたのだ。

 その難民の多くが、ドイツ解体後にも故郷へと戻る事を選択しなかった事が、単なる行政システムの再建では無い苦労に繋がっていた。

 これは一つには国境を接しているフランスやポーランドの統治下に編入された旧ドイツ領では、ドイツ的なモノが言葉から文化から抹消される流れになっているというのがあった。

 公用語はフランス語、乃至はポーランド語のみと限定され、市区町村などの地方公共団体で取り扱う言語にドイツ語は含まれないと言う有様。

 学校カリキュラムなども変更され、歴史はフランスやポーランドのモノが国家の歴史として教育される事となっていた。

 建築物の再建に際しては、従来のドイツ様式は否定され、フランスやポーランドの様式、乃至は愛想の無いコンクリート建屋として行われていた。

 宗教施設ですらも、そうであった。

 又、文化的な行事も()()()()()()として、全面禁止とされている有様であったのだ。

 ドイツ人である事が徹底的に否定されていったのだ。

 正しくドイツ消滅。

 ドイツ的なモノの地上から消し去ろうと言うフランスとポーランドの熱意は、ドイツ戦争終結から2年近く経過し、それは誰の目にも判る形となっていた。

 その対価として、フランスとポーランドに編入された地域の旧ドイツ人は、その政府に従順な限りに於いて、()()()として保護もされていたが。

 だが、日本の管理下は違っていた。

 良くも悪くも日本的な対応、いい加減さと言っても良いが、ドイツ的な伝統や文化を壊す積りは無く、それどころか早期の住民(ドイツ人)による自治を指向していたのだ。

 市区町村の役場はドイツ語での書類が使えた。

 ドイツ通貨(ライヒス・マルク)すら流通し、将来的な切り替えすら検討はされても実際の実行に関しての予定は立てられぬ有様であった。

 治安こそ日本連邦統合軍が担っていたが、占領下のドイツ人が殊更に暴動的な行動に出る事が無かった為に重武装部隊は撤退しており、主役となるのは日本連邦統合軍管理下のドイツ人による武装警察隊であった。*1

 そして大多数の現地(ドイツ)人に日本が行ったのは難民保護(炊き出しなど)ではなく、生活基盤の再建支援であった。

 即ち就労である。

 莫大な金額を北ドイツ平原州自治政府に貸し出し、その自治政府が発注したと言う態で日本本土から当座の住居としてプレハブ住宅を持ち込んだのだ。

 ある程度の基礎工事さえ行えば、後は組み立て玩具(プラモデル)の様に作れるのが工場で規格化され製造されたプレハブ住宅の利点である。

 要するには、技術の無い人間であってもそれなりに作れると言う特徴があった。

 目的は勿論、仕事の無い人間に対する仕事の斡旋であった。

 住民の一部からは伝統的住宅では無い事への批判も出ては居たが、その様な意見を自治政府は一切無視していた。

 文化的伝統は大事であるが、非常時には非常時の対応がある(非常時にゴタゴタ抜かすな)、との日本内閣府ドイツ平原州庁 ―― 日本政府の意向を呑んでの事であった。

 実際、ドイツ戦争の最中に軍民を問わぬ焦土作戦めいた行為によって、北ドイツ平原州の住宅は、絶望的に住人の数に対して不足していたのだ。

 非常時に理屈(寝言)を言うなと言うのは、実に日本的態度であった。

 そこに一切の妥協、乃至は交渉の余地は無かった。

 理屈の前に先ずは生活再建と言うのは、日本にとってある種の基本(ドグマ)であるからだ。

 宗教家や哲学者、或いは高学歴の人間が様々な理屈を滔々と述べても、頑として受け入れず無視していた。

 何故なら、一般の人々は3年先の伝統住宅よりも1週間後の仮設住宅を選択し、日本への感謝を述べていたからである。

 即ち民意が北ドイツ平原州自治政府と日本の選択を支持していたのだ。

 こうなってしまっては旧来の権威構造層(ドイツ的な伝統)に出来る事は無かった。

 日本に対する非暴力不服従を唱えた所で、それで困るのは一般大衆であるのだからだ。

 ある意味で日本は、旧ドイツを管理下にした4つの国で最もドイツ的なモノを破壊する無慈悲な支配者であった。

 尤も、その事に日本にせよ北ドイツ平原州にせよ、人々が気付くのはかなり後になっての事であった。*2

 

 

 

 

 

 

*1

 警察組織とは別に武装警察隊が創設された理由の一つは、軍務時に法律違反などをしておらず無罪放免として世に出た旧ドイツ軍軍人の処遇問題だった。

 年若い人間ばかりであれば、破壊されたインフラなどの再建の現場などで生活の糧を得る事が出来るが、そうでない人間も多い。

 又、そもそも、フランス軍やポーランド軍は論外であるからとばかりに日本連邦統合軍に投降したドイツ軍も多かったのだ。

 それがそのまま残っているのだ。

 軍人としての生き方しか知らない人間が、である。

 この人々に職を与える為であるのだ。

 尚、この武装警察隊の主たる()となるのは、大量に残されている旧ドイツ軍の銃火器類を持った強盗、そしてオランダその他の周辺国やらやってくる夜盗の類であった。

 或いは旧ドイツ軍/武装親衛隊(Waffen-SS)残党というのも一定数は存在していた。

 それなりに武装をし、それなりの集団でやってくる為、一般の警察では対応が難しかったのだった。

 尚、当初は警察予備隊 ―― 警察の予備戦力と言う意識から命名されそうになり、日本人が微妙な顔で再考を促し、現在の武装警察隊と言う看板に落ち着いたのだった。

 

 

 

*2

 それは未来、フランスやポーランドに睨まれ、オランダからの悪意に晒されつつも、日本の庇護によって国家としての基盤を再建し、経済的にも自立できる様になった頃の事であった。

 北ドイツ平原州での帰属に関する選挙が行われた際、7割の人間が()()()()()()()として本土(日本連邦)への参加を求めると言う選択肢を選んでいたのだ。

 日本政府からすれば独立し、自立し、ドイツの伝統を継ぐ国家としての道を何故歩まないかと言う話であった。

 その疑問を北ドイツ平原州自治政府の人間に対して率直に口にした日本政府の高官も居た。

 ある意味でソレは北ドイツ平原州自治政府を焚き付ける言葉であった。

 だが、その返答は何とも言い難いモノであった。

 感情的な反発や、激昂などでは無かった。

 只、哀しげな顔で本土人は、我々ドイツ系日本人を見捨てるのかと言ったのだから。

 1940年代に比べればマシになったとは言え、経済的にも遥かに格上と言えるフランスとポーランドからは睨まれ続けているのだ。

 しかも、経済的には日本連邦各国との交易 ―― 日本製製品のヨーロッパ亜大陸への窓口としての仕事がかなりの割合を担っており、進出した日本企業の大規模な現地工場なりが重要な役割を担っているのだ。

 この状況下で、ある程度の自立力が得られたからと日本から離れれば、早晩にフランス乃至はポーランドの影響下に入るのは目に見えていた。

 だからこそ日本からは離れられないのだ。

 北ドイツ平原州自治政府は自らが伝統的なドイツ人の様式を維持しているとは思わなかった。

 色々な意味で日本の影響を受けていた。

 第1言語はドイツ語だが、街には第2言語(日本連邦公用語)である日本語が溢れているのだ。

 だが、それは北ドイツ平原州の人々の努力でもあった。

 ある意味で北ドイツ平原州自治政府は、自らの存続の為に日本化の道を選んでいたのだ。

 少なくともドイツ語が自由に使える。

 ドイツの伝統が否定されない。

 それは日本の保護下にあればこそである。

 その自覚があったのだ。

 そこまで言われてしまえば、日本に拒否権は存在しなかった。

 

 

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