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ドイツ戦争の終結は日本連邦統合軍、と言うよりも日本の海洋戦力の根幹を為す海上自衛隊にとって待ちに待った時であった。
当然の話である。
海上自衛隊は、海外からは超巨大空母群ややまと型護衛艦を筆頭とする水上砲戦部隊が主役の戦力集団と見られていた。
だが真に
対艦、対空、対地。
そして対潜。
あらゆる環境に於いて生き残り、そして任務を果たす戦闘艦。
それが海上自衛隊にとっての
だが、1930年代後半から、その更新が事実上、ストップしていたのだ。
数的な意味で主力であったのはむらさめ型とたかなみ型であったが、同時に
海上自衛隊が切に更新を望むのも当然の話と言える。
当初は、あさひ型の拡大改良型である基準排水量6,200t級の汎用護衛艦ゆきかぜ型で更新する予定であったのだが、ドイツ戦争が現実的なタイムスケジュールになった1930年代後半から艦艇整備に於ける優先順位が変更されてしまい、3隻で調達が打ち切りとなっていた。
所謂、1939年度艦隊整備計画が成立した為であった。
戦争となれば駆逐艦は消耗品であり、竈にくべる薪の如く燃え尽きていく事になるだろう。
だが、それでも火を絶やす訳にはいかない。
その為には数が必要となる。
ゆきかぜ型は、高い汎用性と性能を誇るが故に整備に手間がかかる。
戦時に要求される数を揃える事は出来ないとは言わないが、その手間を省けばもっと数が作れると判断される事となった。
結果、ゆきかぜ型に代わって5,500t級のあやなみ型汎用護衛艦と3,300t級のちくご型対潜哨戒艦が整備される事となった。
とは言えあやなみ型、汎用護衛艦として整備される事となっているが、むらさめ型より始まった従来の汎用護衛艦船体の延長にある艦ではなく、もがみ型
海上自衛隊としては不満足であった。
むらさめ型とたかなみ型の後継として欲したのは単艦としても、艦隊構成艦としも運用可能な汎用駆逐艦であったのだから。
あやなみ型は性能が決して低い訳では無い。
だが、探知や脅威判定、指揮管制能力に於いて十分とは言えない部分があり、高脅威環境下での運用は、上位高性能艦や多数の僚艦があってこそなし得る艦であったのだ。
あやなみ型ですらそうなのだ。
ちくご型に至っては言うまでも無いだろう。
そんなあやなみ型やちくご型の整備計画は、1943年度に整備目的達成前に中止される事となった。
とは言え、ゆきかぜ型の整備が再開される事は無かった。
予算はドイツ戦争で消費される弾薬や、予備部品の備蓄に振り分けられたからである。
そして今、1948年。
漸く、海上自衛隊は
――7,000t型汎用護衛艦
むらさめ型の単なる性能向上型に過ぎなかったゆきかぜ型に対して、新しく整備される事となった7,000t型は、全く異なった船体その他を採用した新世代の汎用護衛艦として建造される事となった。
その主要コンセプトは
やまと型護衛艦を筆頭に、
海上自衛隊が装備する潜水艦よりも粛音性に優れた潜水艦が、長距離から高速の魚雷で襲撃する時代を。
超音速長射程の対艦誘導弾が飛び交っている時代を。
対艦誘導弾を容易に撃墜可能な防空手段が成立している時代を。
或いは光学兵器が実用化される事すら危惧していた。
その全てに対応する事は難しかった。
又、専門の各護衛艦の問題もあった。
防空を言えば
あそ型は連装8in.砲搭載が目立っているが、14,650tと言う船体規模から汎用護衛艦よりも上位のレーダーその他が搭載されており、VLSも更に
又、あたご型とまや型の本来のイージスシステム搭載の護衛艦もあり、それらの近代化改修は手抜かりなく続いているのだ。
である以上、この新型汎用護衛艦に求められる水準と言うモノも見えて来る所があった。
又、従来の汎用護衛艦よりも重視されている点として居住性があった。
完全な乗員の個室化である。
とは言え、簡単な話にはならない。
200名からの乗員の全てを個室化した場合、従来のむらさめ型の様な5,000t級の船体では艦内空間が圧倒的に不足する事が予想されていた。
大型化が解となる。
だがそれだけが全てとはならなかった。
十分な個室化を進めた場合、10,000tの船体が必要となる為である。
結果、省力化も進められる事とされた。
とは言え省力化は、被弾時の対応力の低下 ―― 継戦能力の低下に繋がるのだ。
この問題を海上自衛隊は力技、技術力と割り切りで対処する事とした。
その上で自動化を進める事で被弾時に対応に回せる人間を多く出来る様にしたのだ。
又、補修その他に関して根拠地などに高い整備能力を与え、対応部隊を用意する事で対応する事とした。
ある意味で護衛艦、海軍艦艇としては珍しい自己完結しない艦として計画される事となっていた。
これは元よりあさかぜ型
最終的に纏められた諸元は以下となる。
高速発揮可能な7,000t級の船体。
最大速力は30ノット。
主砲は海上自衛隊艦艇として初の採用となる40㎜レールガンが1門。
副砲としてコンパクト化された76mm砲が2門。
近接防空システムとしてレーザー砲が1門。
性能向上型SeaRAMが1基。
VLSは64セル。
艦載機はヘリコプターが2機まで搭載可能。
乗員は102名(航空関連要員を除く)を予定していた。
正に汎用の
コンパクト化された76mm砲が2門も採用されている理由は、新機軸装備であるレールガンとレーザー砲が共に故障した場合に備えての事であった。
2門搭載となった理由は、主砲としてではなく拡大CIWS的な運用が予定されているお陰で弾薬庫などの船体内部のシステムも軽量で済んだ事、そして艦の船体中央の直線上に配置した場合、船体が長くなってしまう事を忌避した結果であった。
艦橋の真下、前部甲板に並列して2門搭載する事となっている。
7,000t型
1947年度予算で建造がスタートしたのだった。*1
――海洋戦略
世界規模で展開する事となった日本連邦統合軍と海上自衛隊。
とは言え、その全てで何を為すのかと言う点が再検討される事となった。
その
敵は何となるのか。
そこが議論となっていた。
尚、主敵である所のソ連であったが、極東には領土も友好国も、そして根拠地の類も無いので意識される事は無かった。
有事に成ればシベリアから西征をすれば良いと言うのも大きな理由と言えるだろう。
現時点でソ連との戦力比は質は勿論ながらも数に於いてすら、陸も空も隔絶しているのだ。
戦争と言う意味に於いて、
そもそも日本は平和主義国家であり、戦争をしたいとは思っても居なかった。
憲法第9条は堅持されており、自衛 ―― 国家と国民の生命と権利、そして財産保護を除く紛争解決手段としての戦争は放棄したままであるのだ。*2
世界秩序の維持と言う意味に於いてであれば、日本では無く国際連盟。
或いは
結果、国際秩序維持任務に投入可能な戦力の維持。
日本近海、南洋、インド洋、北大西洋の4つの大海域において、治安維持と国防を担う方面部隊だ。*3
そして最後には、海難等の災害対応である。
海上保安庁も、この流れに乗る形でインド洋及び北大西洋に常時展開する事となる。
尚、この流れの中で海上保安庁は海上における海難事故対応その他に於ける協力関係の構築が政府サイドから要求される事となり、大いに慌てる事となる。
政府からすれば東アジア、東シナ海-南シナ海での海洋安全協力体制に繋がるものだと認識していたが、流石に海上保安庁側からすれば無理を言うなであった。
人的組織的規模にも予算的にも簡単な話では無いからだ。
結果、財務省と頭を突き合わせて政治から要求された内容に対応できる組織規模を勘案し、その上で予算を作り上げていく事となった。
尚、主張した政治側であったが、その発端は外務省にあった。
国際連盟に於ける安全保障分野に近い所での影響力拡大と言う狙いからであった。
その事を知った海上保安庁は外務省を呪った。
呪った上で、多国間での交渉の現場にオブザーバーとして外務官僚の出張を要求していた。
そして財務省は、少しだけ外務省の予算案に
日本の海上艦艇の非常識さ的な部分に大分なれてきた所のあった世界であったが、流石に7,000tで駆逐艦と呼称するのはどうだろうか?
と悩む事となる。
尚、某軍事誌では、日本の艦艇は「
そして主武装にレールガンがあり、レーザー砲が搭載される事を知った科学者とSF小説家は色めき立つ事となる。
ある意味で1940年代中盤に於ける最大の話題、それが最終的にはふぶき型汎用護衛艦となる7,000t型
艦名 ふぶき(ふぶき型汎用護衛艦)
建造数 16隻(ふぶき 以下艦名未定)
基準排水量 7,650t
主砲 70口径40mmレールガン 1門
VLS Mk41 64セル(船体中央部64セル)
他 64口径76mm砲 2門
近接防空レーザー 1門
SeaRAM 1基
3連装短魚雷 2基
航空 格納庫(ヘリ 2機 観測用UAV 3機)
タイムスリップ後の同盟関係、特に
無論、日本国内では絶滅寸前の態となっている古式ゆかしい平和主義者と憲法第9条保護者は、今の日本の態度を欺瞞であり、帝国主義であると批判し続けては居た。
だが、その声が大きくなる事は無かった。
タイムスリップ前の出来事も大きかったし、そもそも、この世界では日本は日本連邦は従来的な意味での日本人だけの社会ではなくなっていたのだから。
又、日本連邦に参加している邦国の人間からも、軍備放棄とか言い出すのは問題であると正面から批判されるようになっているのだ。
ある意味でタイムスリップ前の1945年の決定的な敗北が生み、そして冷戦崩壊と共に滅べなかった亡霊は、漸く墓穴へと埋葬される事となっていた。
広域に展開する事を受け入れた海上自衛隊であったが、とは言え大西洋やインド洋の主役はブリテン海軍と言う意識があった為、ここでブリテンの面子を潰さない様には細心の注意が払われていた。
ブリテンとの関係悪化は勘弁して欲しいし、そもそも
そこに波風など立てたくないと言うのが心底からの本音であった。
尚、日本は南洋の問題や資源関係からオーストラリアに接近 ―― 資源開発と農地開発に莫大な投資を行っており、一時はブリテン側が日本による
日本がエチオピアに次いで、オーストラリアに核融合炉を
最終的に、日本の目的が鉄と小麦と言う事が判り、緊張関係が育つ事は無かったが、それまでの間、微妙な緊張感があったと言う。
余談ではあるが、日本の進出意図が判明後、逆にブリテンはオーストラリアの日本への接近を図らせる事となる。
これは日本とアメリカの関係の良好さは
ブリテンは日本との関係安定化の鎹として、オーストラリアを使おうとしていた。
因みにオーストラリア。
日本からの投資によって経済が活性化し、そして日本への輸出の本格化で経済が潤っていた為、普通に親日化していた。
2023.10.23 文章修正