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ヨーロッパ亜大陸の盟主を自認するフランスは、そうであるが故に国際連盟とは別のヨーロッパの経済軍事協力体制の構築を考える事となる。
一つはアフリカでの治安維持戦で消費している戦費を、少しでも取り戻したいが為に諸外国との経済協力 ―― 有り体にいえばフランス製品の
本来、フランス本土の余剰生産力を売りつける先として
フランス製品、特に不要不急となりがちな高付加価値商品を購入する余力が少なかったのだ。
ブリテン連邦加盟国の様な経済発展を促そうにも、治安もだが高等教育システムの未整備による識字率の低さなども相まって上手く出来て居なかった。
フランスは、フランス本土を頂点とする学歴
その結果であった。
だからこそ、市場としてのヨーロッパ亜大陸が必要となるのだ。
既にドイツ戦争終結から3年以上の月日が経過しており、戦乱に荒らされた国々であってもそれなりの購買力は有する様になってきている筈である。
であれば、フランス製品を買うべきである。
それは一つの曇りもないフランスの都合であった。
とは言えフランス以外の国家にも都合と言うモノがあった。
特に東欧の併合されていた国々は、ドイツによって国庫を荒らされ、そこにドイツ戦争の被害 ―― ドイツ軍による
とてもでは無いが、ドイツ戦争前の水準までの経済復興など夢のまた夢と言う有様であった。
イタリアからの友好国価格での石油輸入や、日本による
当然の話である。
イタリアは、先ず、自国経済を最優先としていた。
日本は、戦災からの復興
戦争と言う、戦災と同時に、平時に蓄えていた全てが奪われる様な大惨事を受けて、数年で復興しろと言うのは、普通の国家にとっては中々に無茶な話であったと言える。
当然の話とも言えた。
故に、東欧諸国は10年単位での国家の再興を考えていた。
だがフランスは、自国の都合最優先で、東欧や北欧諸国との貿易拡大を要求するのであった。
東欧諸国は、フランスを
だが、流石にこの要求は無体であるとして動き出す。
――国際連盟 経済協議
東欧諸国が頼ったのはイタリアだった。
だが如何なイタリアとて、フランスと対峙すると言う選択肢は無理であった。
だからこそイタリアは、国際連盟を使う事とした。
ヨーロッパの復興に向けた経済活動の活性化をお題目として、常設されてはいたが有効活用されていたとは言い難い、国際連盟経済金融機関である。
主体となるのは、出来るだけ自由な貿易関係の構築である。
貿易に関する条約を締結する際のルール作りもあった。
又、ブロック経済等を抑止する事で諸国家の経済対立を緩和すると言う狙いも挙げられていた。
ドイツ戦争の原因はドイツ ―― ヒトラーとNazis党に帰する部分が殆どであったが、その遠因と言う部分に焦点を当てると世界、特に
世界大戦や世界恐慌によるドイツの経済的混乱、苦境に日本やアメリカ、ブリテンは無関心であり、フランスは敵視していたのだ。
その
故に、ヒトラーとNazis党によるドイツ掌握に繋がり、そして世界に挑んだと言うのだ。
だが、ここで話は終わらない。
ブリテンが日本を巻き込んで、貿易の前に経済に関する公平性と持続性の問題を述べたからであった。
即ち、この時点で既に萌芽している公害問題と、そして40年ほど後から問題が顕在化するフロンガスによるオゾンホール問題や、二酸化炭素排出による地球温暖化の問題である。
貿易は重要であり、貿易 ―― 交易による経済発展は大事である。
だが、地球環境に破滅的な影響を与え、或いは人間の生命活動に重大な問題を及ぼす事は宜しくない。
そういう主張であった。
ブリテンの主張を裏打ちする資料を、日本が用意したのだ。
日本はタイムスリップ前の歴史で起きた諸々を国際連盟総会の場で一挙に公開し、その上で、各国の科学者に対して検証する様に促したのだ。
その衝撃たるや甚大なモノとなった。
フルカラーの写真、動画、精緻な資料であるのだ。
世界がひっくり返る様な大騒ぎとなるのも当然であった。*1
ブリテンと日本の主張にフランスは
東欧が国際連盟の場で主張した公平な貿易と言うのは、フランスの市場開放にも繋がる事であったが為であった。
食い物にする積りが、食い物にされては堪らない。
だが、このブリテンの主張となれば話が変わる。
そう言う話である。
話が違うと慌てたのは東欧諸国とイタリアである。
自由と平等、公平な経済発展をお題目としていたが為、ブリテンによる
特にイタリアは大変であった。
現在、イタリアの主要貿易相手は日本であり、日本との貿易は日本が民生分野での輸出は絞り気味な事もあって輸出過多と言う状態であったのだ。
自動車やバイクと言った一部工業製品、革製品、服飾製品、果てはワインなどの食料関連品。
実に良い商売であったのが一気に凍結されかねない事態であったのだ。
ムッソリーニが深夜、
慌てて対処に走る事となる。
中心となったのは実物のムッソリーニに惚れ込み、日本から
それなり以上に日本を理解していたお陰で、解決策は出た。
とは言え、コレは日本にとっても利益の出る話であった。
円借款としてG4と貿易をしたい国家に投資が出来、そして投資対象が日本であるので堅い
又、環境対策技術が
このメリットを主張する為、ムッソリーニは北欧諸国も日本の環境対策技術の導入に関して賛成する様に
イタリアの動きに対して日本も歓迎の意向を示すのであった。
但し、技術の
違法コピーなどがされた場合、該当国が責任をもって処罰すると言う事である。
技術のコピーと言う意味で違法意識の薄いこの時代で、国内の統制を厳重に行わねばならない話である為、重い荷物を背負う話ではあった。
だが、長期的に見た場合、イタリアその他の国家にとっても悪い話では無かった。
各国が独自に開発した技術も保護される話であるからだ。
故に、ムッソリーニは東欧や北欧の諸国を説得して回る事となる。
今、イタリアは統治側が
――フランス・ブリテン
環境対策技術と言う意味で、日本を除く世界の先に居ると思っていた両国であったが、環境対策技術に関する議論が深まると共に大いに慌てる事となる。
日本が提示した対策、その水準が余りにも高すぎたのだ。
特に資源主体の対日貿易を行っているフランスは、資源の採掘に際して環境破壊が酷過ぎるのでは? と言われる有様であった。
採掘がフランス本土では無く
対してブリテンはまだマシであった。
植民地であった国々は、一応は独立国となっていた為、それなりに進められていたのだから。
とは言えブリテンの連邦加盟国もまだ独立して長くはない為、環境対策と言った分野での官僚機構の育成は進んでおらず、規制に関する法整備などもブリテンが担っているのが実状であったが。
この為、慌てて議論の方向性を抑制する事となった。
――アメリカ
日本と並んで自国と領域で経済が完結しているアメリカは、当初、この環境対策に関する議論を他人事の様に感じていた。
自由を重視する国風である為、経済活動の自由を阻害するモノであると認識していたからである。
特に、フロンティア共和国やチャイナ人民共和国と言った、
アメリカ政府が環境対策に対して積極的になれないのも当然の話であった。
将来的に問題になりそうだとは判っているが、政治家も
その流れに一石を投じたのは、チャイナ人民共和国であった。
アメリカの半植民地めいたチャイナ人民共和国であったが、その貿易相手国はアメリカとフロンティア共和国だけではなく、日本連邦 ―― 近隣の
特に日本は、タングステンを含んだ地下資源の有望な売却先であり、同時に、日本製の農機具などの人民の生活に直結した民生分野の輸入はチャイナ人民共和国にとって重要であったのだ。
更に言えば、日本製の信頼性が高く使い勝手の良い土木建機などは特に重要であった。
チャイナ戦争で荒廃したチャイナの大地を復興させるのに大きく尽力してくれており、更には農地の拡大や道路の新しい造成などで、チャイナ人民共和国の経済発展を大きく支えてくれていた。*3
それらが
そう考えられていたのだ。
指導者たる周恩来も必死になると言うものであった。
そしてアメリカ政府も、その周恩来の必死さに触れ、対応せざるを得なかったのだった。
環境対策に対応する事となったアメリカは、そうであるが故に本気になった。
参加するのであればアメリカにとって都合の良い内容でなければ困るからである。
結果、国際連盟の経済関連機関の場は
戦争よりも本気の闘争。
その熾烈さを、小国の代表団は恐怖に慄きながら見るのであった。
勿論、主導したのはブリテンであるのだから善意などでは無いし、地球環境に対する良識に基づいての事では絶対に無かった。
目的は一つ。
ブリテンの繁栄。
永続的な、
後発の経済発展を始めた国家群の野放図な企業活動を抑制し、或いは経済発展するには環境対策技術を
それは
そういう構造作りであった。
実にブリテンらしい邪悪さであり、
尚、フランスは
誰が言い出したかは知らないが、多分にブリテン人だろうと言われている
勿論、非
ある意味で
イタリアの
日本政府が国民の海外への移動を自由化する前の移住であった事から、日本との外交案件になる事を警戒し、公式には
イタリアでルイージは家名として普通に存在するが、その2つを並べてしまってはどうにもならない。
この偽名選択からも判る通りやや軽率な所もある人間であったが、日本を脱してイタリアに行く程のバイタリティを持った有能な人間であったが為、未来情報の全てを吐きだした後でもムッソリーニに重用され、厚遇されていた。
ローマ市内にそれなりの家を与えられ、ファシスト党有力者の娘を嫁を貰っていたのだから。
地中海東側と東欧を押さえた大ローマ=イタリア帝国となり、過労死するイタリア人が出る程に大変な状態となったイタリアで、苦労しつつもそれなりに幸せな人生を送っていると言えるだろう。
尚、日本からは、その体格から
アメリカの土木建機メーカーはチャイナ人民共和国の動きを俊敏に察すると、自社製の土木建機を強烈に売り込んでいた。
アメリカ製の機材も、この時代としては優秀ではあった。
又、日本製のソレらを見て、進歩を続けていた。
だがそれでも、日本製の土木建機と比較すると、性能差は歴然であった。
何よりも始動性や操作性と言った、本来の能力以外の部分での差が余りにも大きすぎ、比較にはならなかったのだ。
尚、チャイナ人民共和国が日本製の土木建機を導入出来ている理由は、日本とアメリカの協定が理由であった。
チャイナ人民共和国と周恩来への支援だ。
嘗て外敵と口汚く罵っていたアメリカの強い影響下に入っている現状で
チャイナ人民共和国に売却された土木建機には星条旗や日章旗が鮮やかに記されており、住民感情の改善に役立っていた。