タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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199 日本国信託統治領北ドイツ平原州-1

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 1945年のドイツ戦争終戦と言うゲルマン民族の決定的敗北から4年の月日が流れようとしている昨今、北ドイツ平原州は着実な復興が進んでいた。

 破壊されたインフラの再建、一般住宅の再建、そして経済の再建である。

 衣食足りて礼節を知る。

 毛筆で書かれたソレが、額縁に入れられ信託統治領たる北ドイツ平原州を治める中央庁舎の大会議室に掲げられていた。

 真理であった。

 そしてドイツ人 ―― 1940年代後半にはゲルマン人と呼称する事の多くなった日本統治下の人々にとっても判りやすい話であった。

 とは言え、この看板を掲げてしまったが故に、日本は自覚せぬままにドイツ経営にドップリと浸かる羽目になってはいたが。

 不足する食料は、信託統治領債を発行して輸入した。

 農業大国たるフランス、或いは日本の支援で莫大な生産力を確保しつつあるオーストラリア。

 果ては日本の支援もあってアフリカ随一の農業大国に育ちつつあるエチオピアからである。

 とは言え輸入と言うのは輸送コストも掛かるので、早急に北ドイツ平原州の自給率60%と言う目標が設定される事となった。

 ジャガイモを主体として、生産性の高い品種の種/種芋が日本から導入され、同時に肥料や農機具も貸与される事となる。

 北ドイツ平原州の管理庁から要請を受けた全国農業協同組合(Japan Agricultural Cooperatives)、所謂JAがドイツ支部を作り、先端の農機具や肥料、農薬を使った農業を全力で指導したのだ。

 又、日本国内の独系日本人(独国在住経験者)などのアドバイスなども行われた。

 これが北ドイツ平原州の農業事情を劇的に向上させていく事になる。

 更にはJAの進出に伴って、日本の銀行もドイツに本格的に進出を開始した。

 貸与される農機具よりもより巨大で高性能な機材の導入を提案してまわったりもしたのだ。

 JAはシベリア共和国に進出しJAシベリアを作り上げた成功体験を、この北ドイツ平原州でも再現する積りであったのだ。

 このJAの動きに連動する形で、日本の農機具メーカーなどがドイツへと進出したのだ。

 支社を作り、新製品の売却や整備などのアフターサービス拠点を構築していった。

 ある種、手慣れた仕草であったが当然の話である。

 日本企業には、シベリア共和国と言う()()があったのだから。

 とは言えシベリアと比べて北ドイツ平原州の場合、差し出せる対価 ―― 資源も無ければ、農産物も無い。

 差し出せるのは人間だけと言う有様であった。

 とは言え、人を差し出せば今度は北ドイツ平原州を立て直す人間不足に陥るだろう。

 何とも因果な状況であった。

 そこを救ったのが、日本の北ドイツ平原州管理庁であった。

 基本的に現地住人の自治に任せる積りだったのが、状況の余りの酷さ故に人道から日本の財務省に掛け合い、予算を確保したのだ。

 更には状況に同情した朝鮮(コリア)共和国や台湾(タイワン)民国も寸志ながらも出資した。

 それは古き(未来の)SF小説の題材からの言葉、闇よ落ちるなかれ(Lest Darkness Fall)を合言葉とした、混じりけの無い善意であった。

 そして、そうであるが故に真っ当なドイツ(ゲルマン)人の心に響く事となる。

 ある意味でコレが、北ドイツ平原州とそれ以外の旧ドイツ領との分断に繋がっていく事となる。*1

 農業と言う生活の柱が立てば、他の部分も好転しだす。

 特に資本をもって北ドイツ平原州へと移住してきた地方貴族(ユンカー)などの富裕層も動き出す。

 だが、この好転が悪い動きを呼ぶ事となる。

 不逞な人間の活発化である。

 飲む()打つ(賭博)買う()の三拍子が鳴り響きだす事となる。

 そこに付け込む周辺諸国の人々。

 当然、日本人も悪どい人間が少なからず出た。

 当初は自治政府にせよ北ドイツ平原州管理庁にせよ、ある程度は目こぼしをする積りであった。

 何れも、人間にとって必要悪な部分もあったからである。

 憂さ晴らしの酒や賭博は過度で無ければ問題にはならない。

 売春とて生活の糧を得る手段が無ければそうせざるを得ない部分はあったし、更に言えば売春をせざるを得ない女性たちを纏めて救うだけの余力も北ドイツ平原州には無いと言うのが実状であったからだ。

 だが、食い物にされるとなれば話は変わる。

 日本の監視下にあって汚職とは無縁であった北ドイツ平原州の警察機構は、本気を出す事になる。

 日本も又、腹を立てていた。

 日本の管理下(信託統治領)である北ドイツ平原州に手を突っ込んで、舐めているのかとなったのだ。

 不逞な人間の捜査と逮捕と言った実働に関しては北ドイツ平原州警察機構が、周辺諸国との折衝は日本の外務省が出て調整し、撲滅を図る事となった。

 その動きの最中、判明したのはドイツ人に対する深い反感を隠そうともしないオランダ人組織の暗躍であった。

 

 

――オランダ

 北ドイツ平原州と長い国境線を接したオランダは、麻薬の密輸から人身売買まで、様々な事をやらかしていた。

 特に人身売買は酷い事になっていた。

 周辺の旧ドイツ領からの流入や、未だ北ドイツ平原州で戸籍が完全に整備されていない事から、問題が表に出にくかったというのが理由であった。

 とは言え許せる話では無い。

 激怒した日本政府は秘密裏に代表をオランダに送る事となる。

 日本政府から証拠と共に詰められたオランダ政府は、顔面蒼白となって至急対応すると約束するのであった。

 かつてのドイツ人婦女暴行未遂も酷いが、此方も相当に酷い。

 オランダの政府関係者は日本政府代表が帰るや否や、自国の警察機構幹部を呼び出して怒鳴りつける事になる。

 現オランダ政府は、自国の所業によって関係が悪化してしまった日本や旧ドイツ(北ドイツ平原州)との和解を政治命題としていた。

 日本との関係が齎す影響(両国関係の悪化による経済不調)は、それ程に大きかった。

 そうであるが故にオランダ国民も、政府の方針を支持していた。

 そして現政権による関係改善方針によって、オランダも又、北ドイツ平原州の復興需要にありつけていた。

 又、オランダ領内の戦災復興にも日本の大きな支援を受けられていたのだ。

 それが、一部の不逞なオランダ人によって破断する危機となったのだ。

 オランダ政府関係者が激怒、怒髪天を衝く(あ”あ”あ”あ”あ”あ”)となるのも当然の話であった。

 このオランダ政府のマヂ切れに慌てた警察関係者は憲兵や軍に対しても協力を要請し、全力での対応に出る事となる。

 オランダ国内には一定の反日本反ドイツと言う政治勢力があったが、麻薬と人身売買は、その手の政治的遊びで許される範疇を遥かに超えていた。

 空気の読めない識者(自称インテリ)が、オランダ人の感情の問題を主張したりもしたが、一般のオランダ人がその意見に流される事は無かった。

 又、麻薬問題はオランダの国内問題でもあった為、オランダ政府はこの外圧(日本からのオハナシ)を奇貨として、国内での反麻薬に強権を振るうのであった。

 それは後にオランダ-1949麻薬戦争と言われる程の流血を呼ぶ事となる。

 

 

――北ドイツ平原州武装警察隊

 オランダとの積極的協力関係の構築は、この麻薬と人身売買を中心とした問題への対応の難易度を下げる事となった。

 とは言えオランダ国内の綱紀粛正には時間も掛かる事が予想される為、同時進行でオランダとの国境線の安定化と、北ドイツ平原州内部での不逞者の捕縛が強力に行われる事となった。

 その中で武装警察隊に要求されたのは、国境線の警戒であった。

 オランダからの不法越境者の逮捕、乃至は鎮圧(退治)が主任務である。

 この目的の為、北ドイツ平原州管理庁は余剰となってシベリアで保管されていたMLシリーズのトラックや装甲車などの供与を日本政府から勝ち取るのだった。

 又、武装も対人と言う意味では十分なモノが与えられた。

 コレはドイツ戦争終結、否、ドイツの滅亡によって余剰となり裏社会に大量の武器が流出した事が理由であった。

 オランダからの越境犯罪者は、並みの警察組織では対抗できないだけの重武装 ―― 小銃や拳銃、手榴弾と言ったモノではなく、重機関銃や対戦車擲弾砲などまで保有しており、随分な数の殉職者を北ドイツ平原州の警察機構は出す羽目になっていた。

 だからこそ、ならばこそ本気(戦争をしようじゃないか)となったのだ。

 武装警察隊は元軍人(ドイツ国防軍経験者)が多く在籍しており、武器の扱いに関しては手慣れている事もあって、運用に問題は無かった。

 只、多くの武装警察隊隊員(将兵)は、日本製の装甲車や火器、そして通信機などに触れてあの戦争(ドイツ戦争)の時に欲しかったと言う思いを抱いてはいたが。

 兎も角。

 十分な武装と装甲、何よりもセンサー群を得た武装警察隊はオランダ方面からの武装不逞集団を一方的に潰して回る事となった。

 これが後には日本連邦軍随一の治安維持戦対応力で知られる特別自治邦国ハンブルク(ハンブルク共和国)軍の初陣であった。*2

 又、洋上からの不逞者流入阻止の為、北ドイツ平原州にも海軍 ―― 沿岸警備隊が新たに設立される事となった。

 数の上で主力となったのはさくら型哨戒艦*3だ。

 5隻のさくら型哨戒艦と1隻のリバティ型対潜護衛艦で北ドイツ平原州の水上戦力は発足するのであった。

 尚、余剰装備としてウラジオストクで保管されていたリバティ型対潜護衛艦が入っている理由は、さくら型哨戒艦の指揮統制用である。

 かつてのドイツ高海艦隊(Hochseeflotte)を知る人間からすれば寂しい陣容であったが、それがドイツでは無い北ドイツ平原州の海洋戦力としての新生である。

 

 

 

 

 

 

*1

 1940年代、ドイツ戦争終結して早々で言えば、裕福さと言う意味ではフランス領になったドイツ地方が圧倒的であった。

 ルール工業地帯を筆頭とした産業があった為、フランスも投資を積極的に行い、又、金があるから様々な資材がフランスから流入していた。

 何より、フランス領になった旧ドイツの領域は4分割された中で最も広大でもあったのだ。

 フランス領となったドイツの住人達が、自分達は勝ち組であるとの心理に至るのも仕方のない話であった。

 だからこそ混乱の続くイタリア領や奴隷扱いめいているポーランド領、或いは黄色人種に支配された日本領のドイツ人を下に見ていたのだ。

 ある意味でドイツの分断は、一部の陰謀論者が言う様な悪辣なG4(ジャパンアングロ)がドイツを恐れての謀略などではなく、当然の帰結と言えた。

 

 

*2

 北ドイツ平原州 ―― 特別自治邦国ハンブルク(ハンブルク共和国)での実戦経験のみならず、旧ドイツ軍上がりの人間の結構な数が朝鮮(コリア)共和国軍上がりに誘われて、フロンティア共和国の国境警備部門に参加していた事も、この経験値に繋がっていた。

 とは言え、特別自治邦国ハンブルク(ハンブルク共和国)軍は軽装歩兵が主体と言う訳では無い。

 それどころか常設の5個旅団で構成されている特別自治邦国ハンブルク(ハンブルク共和国)軍であったが、3個旅団は装甲旅団(重機械化旅団)であり、シベリア共和国軍と並ぶ重量編成部隊であった。

 ドイツ人(ドイツ系日本人)らしいと言う部分と、ポーランドとの対ソ戦力の予備としての役割もあっての事であった。

 又、ドイツ戦争の汚名(ゲルマン人は戦争下手と言う噂)返上の為、日本が日本連邦統合軍を投入する際には、かならず参加を希望するのであった。

 残る2個旅団の内、片側は特殊戦旅団(空中機動旅団)

 最後の1つだけが軽歩兵旅団であった。

 

 

 

*3

 日本連邦統合軍、その邦国軍の海洋戦力に於ける数的主力を担っている警備向け護衛艦であり、海上保安庁と共に海の守護を担っている多目的艦である。

 正式名称は、2000t型哨戒護衛艦である。

 武装は54口径5in.砲1門と言う、トン数と比較すると極めて貧弱と言えるのだが、本艦の本質は艦隊に於ける触覚(センサーノード)であり、極論すれば非武装でも問題は無いと言える。

 それでも、非常時には船体各部に無人銃座(RWS)を搭載する事が可能であり、正規の海軍以外の存在にとって侮れない艦となっている。

 又、本艦は基本的に戦闘が発生しうる海域に単独で投入される事は無く、常に海上自衛隊などの大火力艦と任務に共同で当たる為、火力と言う意味での問題は存在しない。

 尚、格納庫は有しているが、有人ヘリの搭載は予定されておらず、UAVが艦載機となる。

 

 

【挿絵表示】

 

 艦名 さくら型哨戒艦

 建造数   - 隻

 基準排水量 2,120t

 主砲    54口径5in.単装砲 1基1門

 装甲    -

 速力    25ノット

 主機    ディーゼル

 

 

 




新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

令和ジャポン
着地点が見えていますけど、そこまでの筋道がマジで迷走状態ですので、気楽くお付き合いいただければ幸いです。
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