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日本国民の政治への感情。
安定した長期に渡る連立政権に対する
閉塞感があった訳ではない。
経済的な問題があった訳でもない。
それなりに汚職や失政の類は在ったが、重大かつ致命的な問題になるモノはなかった。
逆に20年の成果を言えば、先ず経済を言えるだろう。
バブル崩壊から低調であった経済は、2020年代の悪化した極東情勢による混乱を経てタイムスリップが止めを刺していた。
GDPは前年比マイナスと言う言葉では、生ぬるいと言える状況に陥ったのだ。
その酷さは、非常措置として人心を慰撫する為としてタイムスリップ混乱期の数値は、今後10年は
実際、食料や燃料その他で
それが現在は、苦境を脱するどころか好景気 ―― この10年は年率で7%を超えるGDPの成長を連続達成する、1970年代めいた高度経済成長期が実現していたのだ。*2
シベリアを筆頭に各邦国と言う広大な
食料や建材その他、様々なモノの大消費地を得た事で日本の産業界は旺盛な生産力を発揮する様になり、その生産の為に残業代その他の大盤振る舞いをする様になったのだ。
そして経済の活性化は物価の
又、物価の上昇はローン等の借金の相対的な低下を生み、更にそれが消費意欲に繋がるのだ。
正に景気の好循環であった。
生活は楽になった。
食料供給その他は統制が終わり、ガソリンなども自由に購入できる様になった。
残念ながらも、海外から高度先進的なモノの輸入は不可能になったが、その分、かつてはビンテージ品として珍重されていた、服飾、アルコール、或いはバイクや自動車などが新品として輸入され、それなりの楽しみが出来る様になっていた。
一般の人々にとって政治に文句をつけるなど、必要の無い状況と言える。
この他、タイムスリップ後に劇的な変化をした事を言えば、出生率の変化があった。
日本連邦の数字ではない、日本と言う弧状列島在住者の数字が、劇的に向上したのだ。
これは、タイムスリップによってインターネットが寸断され娯楽に壊滅的影響が出てしまった為、夜の楽しみが
子育てに必要なコスト、その心配が消えたというのも大きな影響となっていた。
であるにも拘わらず、政権与党に対する
――クウェート国
主要産業が石油であり、その売却先が日本と言う大口の顧客と言う国家にとって、日本の物理的かつ政治的な安定は国の根幹に関る部分があった。
ブリテンにとってクウェート国は中東にあるブリテン連邦の構成国の一つでしかないが、日本にとっては
当然の様に日本から手厚い支援が与えられていた。*3
この莫大な支援が途切れる事は、クウェート国に重大な影響を与える事になるのが火を見るよりも明らかであった。
今、クウェート国は中東に在る国家群にあって頭一つ抜けた存在 ―― 準先進国の所まで発展しつつあるのだ。
国際会議の場でも国際連盟の場でも、先進国の様に扱われる立場。
それを失われる事など認められる筈も無かった。
故に、どんな手段を使ってでも日本の方針を現状維持させる決心をクウェート国政府はしているのであった。
宣伝戦と言う、もし露呈したならば強く批判される可能性のある発想が出てきたのも、この覚悟と決意あればこそであった。
宣伝戦の基本方針は、タイムスリップ後の日本が成し遂げた事を宣伝すると共に、日本国内のマスコミを買収して反政府的な報道に対する
マスコミを買収と言えば言葉は荒いが、正確に言うならばゴールデンタイムなりの放送番組に
日本政府は伝統的に戦争などの極非常時以外で報道機関の行動に対して自制を求める事はあっても、法その他によって規制をしようとは考えていない。
この為、クウェート国の示した方針に対して難色を示していた。
情報を正しく届けないという事は、国民に国家状況を誤解させ、結果、国家の指針を誤らせると思っていた為であった。
ある意味、実に理想主義であった。
経済発展こそ大事であり、理想主義を鼻で笑い現世利益を重視する政権与党であったが、事、情報の伝達と言う部分に関して言えば、他の
そんな日本国政府に対し、クウェート国の代表は嘯く。
嘘を言う積りは無いのだと。
只、事実ではない事をさも事実であるかの如く宣伝する番組、或いはコメンテーターに
それは本来、
それが果せなかったのは偏に既存のメディアが、JITIの発表に対して
何某の陰謀があった訳では無い。
只々に単純な理由であった。
国が報道に関わってくる事への拒否感、あるいは
この状況を理解していたグアム共和国関係者が入れ知恵をして、この
又、コレに合わせて
これは、耳に痛い諫言の類も、美人が言えば通り易いと睨んでの事でもあった。
クウェート国はそんなに甘いものであるかと首を傾げながらも、かかる
――シベリア共和国
日本が国家の指針として
それは、日本とシベリア共和国が如何に深い絆で結ばれているかのアピールであった。*4
又、日本からの移住者も、日本は日本人を見捨てるのかと声を上げるのであった。
情の面からの主張。
同時に日本経済に対するシベリア共和国の貢献度合いをアピールするという、利の面からの主張を日本の国民に対して行く。
それは、グアム共和国やクウェート国に比べると迂遠さの無い直球の行動であった。
そうであるが故に、日本国内の小日本主義者と正面衝突する事となり、大いに議論を盛り上げる事となる。
タイムスリップ前の様な、平時の様な奔放で放漫な経済活動を行った場合、それなりの規模で日本国内に備蓄されていた資源は半年も持たずに消耗しきる事が予想されていた為、日本政府は速やかな経済統制を実行したのだ。
これが出来たのはタイムスリップ前の極東情勢、戦争寸前の状況であった事の影響であった。
政府がおっとり刀の態で、戦争状況に対応する為の法整備を進めた結果であった。
この通称で戦時対応法と言われた複数の法律を、タイムスリップの非常事態であるとして適用していたのだ。
当時、一部の言論界隈が批判的な声明を発表していたが、タイムスリップから3年も経ずして発生した時代の洗礼 ―― ソ連との戦争が勃発した為、その手の意見が主流になる筈も無かった。
尚、この戦時対応法の一環として内閣府の下に設置された非常事態食料管理庁が食品その他を一手に管理する体制となった。
これは一部農林水産省官僚陣の画策によって行われた内容であり、目的は水産庁への指揮権を農林水産省から一時的措置としての掌握する事であり、これによって農林水産省が漁業関係者から恨まれない形での、強権発動が目的であった。
強権発動によって果たされるべき目的は、永続的に漁業を行う為の国家による水産資源の管理だ。
又、漁船や漁業器具の管理、不法投棄の全面禁止。
それに治安維持部門からの密入国阻止に関する漁船の行動管理も含まれていた。
自由、或いは気ままな行動を禁止される事となる漁師側から強い反発も出たし、裁判沙汰ともなった。
だが、最終的には国家側が勝利する事となる。
法的な面で見た時、漁業関係者の大部分が声を上げた先祖からやっていたから許されるべきという既得権益の維持と言う主張は通らない。
又、好き勝手な水産資源の乱獲その他は、法の定めるところの「公共の利益に資するモノ」では無いという、当たり前の判決を裁判所が行った結果だった。
判決を漁業関係者が受け入れたのは、漁業に必要な船を動かす重油が国家による統制/管理の下に入った為であった。
判決に従わぬのであれば、国の指揮権を受け入れぬのであれば重油の提供は無い。
実に強権発動であり、であるがこそに実現できたのだった。
後に「非常事態」と言う錦の御旗をもって漁業関係者に対する国家の優越を実現したと言われる程に荒っぽい対応であり、漁業関係者から非常事態食糧管理庁が恨まれる理由ともなった。
後に、予定通りに非常事態食糧管理庁が廃止されたが、その事で、漁業関係者は我々の抗議による成果であると
日本の好景気であるが第3次産業、特に観光分野だけは好景気の波に乗り切れなかった。
これは海外からの旅行客が事実上消滅している事の影響であった。
日本政府もこの状況を座視していた訳では無く、景気の回復と統制経済の終了に伴って国内旅行需要の喚起政策を実行していたし、或いは、出張などで現地宿泊を推奨する税制支援も行っていた。
これらの経済対策によって観光業界が壊滅する様な事態には成らなかったが、嘗ての来日観光客1000万人などと景気よく叫んでいた時ほどのモノにはなっていないのも事実であった。
日本によるクウェート国支援は、当然ながらもブリテンとかなり深い所まで協議した上で行われていた。
過度な支援が行われた結果、クウェート国がブリテン連邦からの完全な離脱を行われては問題であるからだ。
又、国力が増進しすぎた結果として中東の盟主を気取って動かれても大変に宜しくない為だ。
現在、ブリテン連邦の諸国は安定しているが、その周辺に存在するフランスの
とは言え、適切な範囲での支援と言うものは日本やブリテンにとってのソレであり、
兎も角。
日本が行ったクウェート国への支援は、国家の姿を根本から変えるモノとなっていた。
提供された核融合発電
又、稼働を開始した大規模淡水化プラントの造水能力は、国民の需要の全てを賄う規模であった。
勿論、送電網や上水道配管網の構築は、1940年代末の時点で全国津々浦々を網羅したとはとても言えない所であったが、それでも順次拡大しており、いつかは自分の所にも届くという希望は、クウェート人を明るくするものであった。
とは言え、中東と言う平穏と呼ぶには聊か問題のある地域で1国だけ安定した成長軌道に乗るという事は周辺の国々からやっかまれる恐れがあった為、国防分野への支援も行われていた。
直近では、1919年に第1次世界大戦の余波として勃発していたサウジアラビア王国とのクウェート・ナジュド戦争もあったのだ。
油断出来る筈が無かった。
又、国家との戦争は無くとも、不法な人の流入の恐れもある為、強力で現代的な警察組織の構築も図られたのだ。
近代的な国軍の創設。
一般警察、そして広域武装警察の整備。
その全てに日本はODA ―― クウェート国への駐屯料代わりとして関わる事となり、そしてブリテンは武官や技術者を派遣してつぶさに確認するのだった。
クウェート国の為でもあるし、クウェート国の治安が安定する事は駐屯する日本連邦軍にとってもメリットがあるからであった。
又、教育にも関与していた。
この辺りの手厚い支援は、正に日本連邦に所属する邦国に準じるものであった。
そうであるが故に、日本連邦の準加盟国とクウェート国は言われるのであり、同時に、世界中の国々から日本連邦への加盟申請が出る騒ぎになっているのであった。
シベリア共和国の発展は、資金や技術その他と全ての面で日本が行った潤沢な支援あればこそであった。
道路や通信などのインフラ整備。
農業や工業の整備。
開発するべき事は多岐に渡っていた。
とは言え、シベリア共和国の国土は人口に対して余りにも広大であった。
この為、シベリアの開発/開拓には機械の力が極めて重要であった。
アメリカも様々な機材を
問題は、100年先の生産物であったという事。
例えばショベルカー、機能的な差は少なくとも、その操作は余りにも違っていた。
車にしてもそう。
機能その他が余りにも高度であり、使いこなすには訓練された
それも大量に、である。
当初は自前の国民を教育して賄う積りであったが、その時間やコストを試算した所で目を回す事となる。
国家予算のン年分が簡単に吹き飛ぶのだ。
建国したての、国庫が空っぽ同然のシベリア共和国にとって、簡単に出来る話では無かった。
その苦境を日本が支えたのだ。
正確に言うならば、オホーツク共和国が困り果てたシベリア共和国に声を掛けたのだ。
簡単に解決できる手段がある、と。
それが日本連邦への加盟だ。
日本連邦へ加入すれば資金援助は思うが儘である、と。
無論、それは善意だけの言葉では無かった。
オホーツク共和国にとっての利益は同じ民族による日本人、ソ系日本人の大量の発生だ。
これは露系日本人となってまだ10年ばかりしか経過しておらず露国人としての意識が残っていたオホーツク共和国政府の人間が、邦国内で対立的であった米国人 ――
元より日本人と仲の良い
そういう危惧によるモノであった。
勿論、杞憂にはなったが。
だが露系日本人は、一時期、真剣に自国の未来を不安視していた。
紆余曲折を経て日本連邦へ加盟したシベリア共和国は、日本の都合100%によって圧倒的な支援を受ける事が出来た。
日本連邦の広大さに比べて小規模と言ってよい自衛隊を、シベリアに全面的に配置せずに済むというのは極めて大きなメリットであった。
とは言え日本政府は当初、乗り気では無かった。
シベリア共和国を日本連邦へと受け入れる事のメリットは十分に認識していたが、同時に国内外から
だが1920年代はまだまだ帝国主義の意識が強い時代であり、発展途上国などを先進国が
ソ連などの敵対的国家以外が反対する事は無かった。
実際、
尚、アメリカは自国も開発に参加できるよね? という確認だけはしていたが。
勿論、日本の反応は
そして国内。
一般国民サイドは、悪のソ連に虐げられた人々と言う事で、かつての自国の状況を重ね合わせ、
そして、一番に利益を得る防衛省と財務省が共同歩調で外務省を説得し、3省共同で日本政府を説得したのだ。
かくして日本連邦に参加する事となったシベリア共和国。
その支援の中には労働力としての日本人の斡旋も含まれていた。
生活環境は快適とは言い難いし、食事も当分は微妙であるが、働けば働く程に金が得られる。
大規模農家を起こす等の際には極めて利率の低い融資枠が用意されているし、或いはトラックの運転手や重機のオペレーターなどは特別手当も付く。
広い土地を利用した工場なども多く建設されるので、読み書き計算まで出来れば上級作業員として採用される云々。
実に売り手市場であった。
又、人不足な部分もあるので、真面目に頑張れば嫁や夫も得られやすい。
40代からでも人生を新しく切り開ける! と言った謳い文句が流れ、少なくない人が日本海を渡る事となったのだ。
この様な状況の為、日本連邦の邦国群で一番に