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クウェート国へ侵攻するべしと決断したのはイラク王国首脳陣では無かった。
イラク王国軍首脳陣でも無かった。
共に現状の、ブリテン連邦の宗主国としてブリテンとブリテン国王を皇帝として戴く事に対して薄っすらとした反感を抱いていたが、同時に、ブリテン連邦加盟国としての利益を得ていた為、国の置かれた状況を変える必要性を強く感じてはいなかったのだ。
国内の
問題が無い訳では無い。
だが、明確なアラビアの敵 ―― 公敵とも呼べる相手が存在しない為、地下資源の権利や国境線による問題によって紛争の類は多々発生していても、なんとなくと言う感じで平穏であった。
世界大戦時にブリテンがユダヤの民に約束した、
だが、だからこそ問題が発生していた。
大規模な国家間での戦争は発生していない。
その意味においては平穏であった。
だが同時に、多くの国家間での火種を抱えているのだった。
国境線が、かつて中東を植民地として支配していたブリテンとフランスの都合によって引かれたモノが踏襲されていた為、歴史的な問題その他から各国々の人々の感情として納得できないのが実情であったからだ。
特に資源、石油の問題があった。
現在の文明に於いて重要な資源であり、そうであるが故に莫大な金を産む石油が自分の支配下に無いのは我慢できない。
そういう話でもあった。
又、民族国家としての歴史が若いが為、軍の根幹部分に関わっている人間ですら年齢層が若く、そうであるが故に冒険的なモノを好む癖があったのだ。
中東地帯では、当人すらも理解出来ない理由を振りかざした
小規模なモノは10人単位で。
大規模なモノは1000人単位で。
だからこそ多くの人間は
いつもの事。
どこかの奴がやらかす日常。
政府関係者すらも
だから政府の下の人間、イラク王国軍佐官級将校も
――イラク王国軍
中東地域での治安維持活動 ―― 外交による政情安定化工作に精を出しているのはブリテンであった。
相方とも言える位置にフランスが居たが、アフリカとアジアの
ブリテン外交部門の苦労たるや相当なモノであった。
ソレを分かち合える可能性を持った国々、覇権国家共同体である
軽いお付き合い程度の経済的支援や関与はするが、それ以上は行わない。
正しく我関せずであった。
対して日本。
ブリテン連邦加盟国であるクウェート国に駐屯し、石油も大量に買い込んでいっている。
だが、やはり我関せずであった。
日本としては至極誠実な態度の積りであったが、ブリテンからすれば実に腹立たしい態度であった。
兎も角。
他所の国の誰もが積極的協力をしてくれない環境下でブリテンは、帝国の威信の為に東奔西走する羽目に陥っていた。
だが、中東の国々はそんなブリテンを後目に己の
特にイラク王国では概ね親
その過激派の1つ。
イラク王国軍の若手将校の一部がクウェート国への侵攻、支配を図ったのだ。
イラク王国から見てクウェート国は国土も人口も10分の1以下の小国であり、そもそもはイラク王国の
それが
ごく一部の冷静な人間は繁栄するクウェート国の富を収奪し、個人としての栄達を夢見ていた。
どちらにせよ、クウェート国からすれば迷惑な話であった。
そして、ソレは同時にイラク王国からしても同じであった。
イラク王国は政府にせよ軍にせよ、クウェート国は大事なお隣さんであったのだから。
ブリテン連邦加盟国と言う意味では仲間であり、又、クウェート国を経由して入ってくる
特に自動車は別格であり、冷暖房を完備して乗り心地の良い、そして故障しらずの大型車は
故に、
その意味でイラク王国も対処はしていたのだ。
問題は、イラク戦争後に本格化した中東の再編成であった。
ブリテンが中東安定化の一環として、国家なき民族であったパレスチナ人とクルド人の国家建設に向けて動いていたというのがあった。
共に国家建設にまい進できる程の団結力と妥協力は無いが、武力行使は躊躇しない血の気の多さによって地域の不安定要素となっていた事をブリテンが問題視した結果であった。
今、対処しておけば禍根を残さず、中東は平和裏に金を産む地方になるだろう。
そういう夢を見てしまったのだ。
或いは、世界が平穏になったが故に、帝国主義色の濃いブリテンでも顔を出した理想主義であった。
だがブリテンが本腰を入れて
世界に冠たる
ブリテンが一定以上の国家運営に関与する自治権付き信託統治領と言う形でのスタートは決まった。
だが領土はどこまでなのか? となった時に話が一切纏まらなかったのだ。
喧々諤々の大騒動。
その上で、
中東は、さながらブリテンの外交
否。
ブリテンだけではない。
関係する事となった2つの地域の近隣の国々、その全ての国力を飲み込んでいっていた。
イラク王国軍の若手将校団が専横を働き、イラク軍の南部地域の部隊を動かしてクウェート国へと侵攻できたのは。
政府と軍高官の目が逸れているチャンスを逃すなとばかりに、イラク王国軍
事前に篭絡していたイラク王国南部に駐屯していた2個師団約5万人を動員していた。
若手将校団は、この成果をもってイラク王国軍を自分たちが支配しようとまで考えていたのだ。
この時点でクウェート国の保有する陸軍部隊は3個旅団、後方部隊も含めて2万人に満たない規模であった。
又、駐屯する日本
総数で倍以上。
しかも、ブリテンの
イラク王国軍若手将校団が勝てると思ったのも当然であった。
更には、イラク王国とクウェート国との国境付近に住んでいた私兵を抱えていた部族にも参加の声を掛けていた。
兵を増やそうというのだ。
部族の私兵は、近代的な軍隊とはとても言えない装備の集団であったが、そうであるが故に若手将校団からの声掛けに即応する事ができたのだ。
欲に駆られた部族の私兵は、
結果、クウェート国侵攻は、総数8万人に達しようかという規模に膨れ上がる。
それは、
かくして、後にイラク事変と呼ばれる事件が始まる。
アラビア半島の付け根部分を中心とした広範な国を跨いだ領域に住む、国を持たぬ最大の民族とも言われているクルド族は、ブリテンにとって頭の痛い問題であった。
地域の治安安定こそが
そういう話であった。
かといって、単純にクルド族を弾圧すればよいかと言えば、そうではない。
クルド族と言っても暴動をする人も居れば暴動をしない人も居るからだ。
そして暴動をしない人々は、その地域における労働の担い手であり、同時に納税者でもあるのだ。
ひと纏めに出来る筈も無い。
そして、そもそも弾圧されて素直に従うような人間が、今の状況下で暴動の類を止める筈もないのだ。
では一切合切の
いかな人種差別意識も濃厚に残っている、帝国主義を国是としているブリテンであってもそれを行おうと思う事は無かった。
又、国際連盟の空気の問題があった。
国際連盟は独立した国家の集合体であり、そうであるが故に、相互の内政不干渉を基本としていたが、それでも政府が国民を弾圧 ―― さしたる理由の無い圧政はどうだろうかと言う空気があるのだ。
それは国際連盟での最
日本は、強く批判的に行動する訳では無い。
強い発言をする訳では無い。
厳しい制裁を科す事もない。
やんわりと、だが決して躊躇する事無く批判を口にし、非難決議を提案するのだ。
後、
明確にでは無く、1年乃至は2年程度遅れると言う辺りが実に悪質であり、公表される理由が事務手続きの問題であったと言って謝罪もしてくるのだ。
文句を付けるのも難しい、嫌がらせをしてくるのだ。
それらはもう、何とも言い難い
余程の理由、仕方のない事情でも無いのであれば、気軽に武力弾圧とかをしないでおこう。
面倒くさいから。
それが国際社会の空気であった。
尚、余談ではあるが日本。
弾圧に批判的であるのと同時に、暴動に対しても批判的態度を崩さぬ為に国際社会からの信用も得ていた。
如何なる理由があっても、
日本国内や
内政不干渉の原則と法秩序と言う言葉で、面倒事からは全力で逃げているというのが実情とも言えた。
兎も角。
今現在の、イラク王国を筆頭としたクルド族が国内に在住している国々は、如何にこの民族を安定して取り込むかと言う事を、ブリテンと協議していた。
ある程度の自治権を与える事が既定しているが、その領域の地下に眠る資源の権利を全て与える訳にはいかないのだ。
それは
地下資源輸出によって金を得たクルド族が将来、独立戦争をしかけないとは誰も言えないからだ。
勿論、クルド族側は、そこを見越して地下資源の権利を欲していた。
何とも面倒くさい状況であった。
更には、クルド族の一部に居る
誠に面倒くさい状況であった。
パレスチナ国 ―― ブリテン信託統治領パレスチナは本来、ブリテンの約束したユダヤ人国家樹立への母体となる予定であった。
だが、現地住人たるパレスチナ人は勿論、周辺諸国からも強い反発を受けていた為に建国は先延ばしにされていたのだ。
無論、ユダヤ人は強い調子でブリテンに契約の履行を迫っていた。
情勢は只々、混迷していた。
そこに日本と言う要素が国際社会に加わった。
最初は関係が無かった。
だが、そこでシベリア独立戦争が勃発した。
そしてその果てに、ユダヤ人国家であるパルデス国が誕生したのだ。
ブリテンは、この状況を千載一遇の好機であると捉え、全力で建国を支援した。
その上でユダヤ人に対して
ブリテンからの交渉に、ユダヤ人の反応は複雑であった。
宗教的な意味ではパレスチナの地への帰還が大事であり、その意味でブリテンの話は論外であった。
だが、そもそもとしてユダヤ人がユダヤ人として安全で安定した生活の送れる場所が欲しいと言う欲求があったのだ。
喧々諤々とした議論。
その果てに、ユダヤ人たちはブリテンやアメリカ、そして日本が国家安全への
ブリテンは約束を守ると笑った。
アメリカは国内のユダヤ系国民が納得するならと受け入れた。
議論に周辺国だからと
最終的には日本国内の猶系日本人の懇願と、アメリカなどのユダヤ系がパルデス国に必要な資源地帯としてシベリアに投資すると言う約束をした為、受け入れる事となる。
尚、この毎度毎度の
大アラブ主義は、緒に就いたばかりの
この点に関して、ブリテン本土に留学した人間も、結構な数で民族自決と大アラブ主義に傾倒しているのが頭の痛い話であった。
ブリテン人などが出来る事を、アラブ人が何故できないというのか。
そういう自負的な部分も大いにあった。
忘れられているのだ。
王家や政府高官の多くは、ある程度、その現実を認識し、受け入れていた。
だが、若い世代の少なからぬ人間は、そうでは無かった。
発展の著しいイスラムの同胞たるトルコ共和国や、嘗ては同じ
イラク王国上層部の人間からすれば愚かしい考えであった。
それは都合よく日本と言うユーラシア大陸の東の果ての超大国を忘れた話であったからだ。
トルコ共和国は、トルコ側が
だが、主義と言うモノに炙られ名誉欲に溺れた若い人間には、そこを理解する冷静さが望める筈も無かった。