+
ブチ切れている日本とブリテンが先導した国際連盟安全保障理事会の臨時会議は、
非難や制裁の所にまで話が行かない理由は、臨時会議に呼び出されたイラク王国の代表が本気の態度で慌てて事実確認を要求し、そしてイラク王国は国際連盟とブリテン連邦の定める不戦を破る事はないと叫んだからであった。
その様が余りにも迫真であり、真摯であったが為に謀略の類には見えなかったのだ。
更に言えばイラク王国の本音、本国の動向など一両日中には判明する。
であれば、結論を出すのはそれからでも問題はないという事であった。
その間、制裁内容を詰めておけば問題は無い。
と言う部分もあった。
尚、通常であれば文句の一つでも漏らすのが
更に言えば国際連盟加盟国は相互に、如何なる理由があろうとも国境侵犯を許さないというのがソ連の国家生存戦略にとって重大であるというのも大きい。
――ブリテン/クウェート国駐留将兵
国情の安定しているクウェート国に駐屯していたブリテン連邦の軍部隊は形式的なモノでしかなかった。
ブリテン/クウェート連隊。
政治的な問題から連隊を呼称しているものの100名に達しない小規模な部隊であり、その主任務はブリテン大使館の護衛とクウェート国軍との連絡役と言う所であった。
とは言え今回のイラク王国からの侵略に対して、クウェート連隊は政治的な要求から出撃を決断する事になる。
ブリテンはクウェート国を見捨てない。
そう言う話であった。
とは言え、確実な全滅を覚悟する様な悲壮な部分は無かった。
近海にはブリテン海軍の空母を擁する中東艦隊*1が存在しており、少し待てばインド洋艦隊も来ると考えられていた。
だが、イラク王国からの侵略の進行速度はブリテン側の想像を遥かに超えていた。
歩兵が主体である本隊は、まだクウェート領内に進出して5㎞も進んでは居なかったが、戦車部隊や自動車化部隊、果ては
クウェート国軍なりの迎撃が殆ど動いていないとは言え、驚異的な進軍であった。
慌てたブリテン軍は、クウェート軍と共にクウェート市西方のジャハラー市に進出し、防衛ラインの構築に取り掛かる。
同時に、強力な通信機を積んだ自動車による部隊を複数派遣し、偵察と艦載攻撃機への誘導に出るのであった。
――日本/中東方面隊
バカげた進出速度を発揮しているクウェート侵略軍に対応する為、クウェート湾北岸に設けられていたクウェート基地に残っていた部隊は3班に分けて対応する事となった。
1つは、ジャハラー市のブリテン/クウェート国軍部隊に協力する装軌自走榴弾砲を中心とした部隊。
1つは、戦車などの機甲打撃戦力をかき集めた、側面からクウェート侵略軍を殴り倒す為の部隊。
これは、判りやすい金床とトンカチ戦術であった。
主力となっている戦車や自動車、
そしてもう1つの部隊。
これは偵察専門の部隊であった。
尚、クウェート基地は
強力無比な砲兵 ―― 海上自衛隊のあそ型対地護衛艦たかちほとほだかが居たからであった。
やまと型防空護衛艦の様な戦艦はおらず、空母も不在ではあった。
だが完全自動化された連装8in.砲3基6門を備えた事実上の超巡洋艦が2隻居るのだ。
火力に不足などある筈も無かった。
更に言えば、あそ型には数が少ないものの
射程はクウェート国を完全に収めており、その弾頭は通常型 ―― 対地自己鍛造弾となっていた。
とは言え単価が高額である為、使うのは最終手段扱いであったが。
――クウェート
彼我の戦力数差だけで言えば圧倒的に不利であった。
国際連盟による
今のクウェート国は金満国家であり、何より日本が駐屯して以降の豊かさを味わっていたが故に、将兵は己の為にも家族の為にもコレを手放してなるモノかと言う覚悟を抱いていたのだ。
イラク王国との国境線に近い場所の住人を急いで首都へと避難させつつジャハラー市郊外西部に塹壕の構築と地雷の敷設を急いでいた。
否、クウェート軍だけではない。
状況を知った人々が
特に力を発揮したのは日本からの土木工事も請け負っている土木企業だ。
日本の工事を優先して受注するという
あっという間に対戦車壕を掘っていったのだ。
軍民を問わず誰もが、今の豊かな暮らしを維持する為に努力していた。
否。
クウェートの人間だけではない。
ブリテン軍部隊も汗水流して戦闘準備を進めていた。
そこに日本連邦統合軍第10機甲師団の
誰もが驚愕の声を上げたのは、その主力となる34式155mm自走榴弾砲*4 であった。
戦車にも似た外観をした、並みの戦車よりも大きな主砲を持ったソレは、見る者に凄まじい安心感を与えるのであった。
とは言え、ブリテン軍の将兵は、元は後方に配置されるべき自走化野砲を前に持ってこなければならないという状況に痛痒を感じてはいた。
だがそれも、34式155mm自走榴弾砲がある程度の相手であれば正面からの
そして実際の戦闘時、
ドイツ戦争終結後、もはや大きな敵は存在しないとして大型艦の保有に大鉈が振るわれていたブリテン海軍であったにも関わらず、中東に空母を有する艦隊が配置されている理由は政治であった。
クウェートに駐屯している日本連邦統合軍の存在である。
日本はクウェート国に駐屯する様になって以降、少なからぬ金額をかけて設備投資を行って来ており、それは港湾設備にも及んでいた。
大型の浮きドックまでも設置されており、インド-中東-大西洋に展開する艦艇の重整備拠点として日本本土に準じるレベルにまで艦艇整備能力を与えていたのだ。
要するに、日本は割とお手軽に空母や戦艦をクウェート基地に配置したりするのだ。
この事へ対抗する必要が、中東の盟主を自任しているブリテンにはあった。
日本に負けている訳にはいかない、と言う事である。
とは言え、流石に大型空母は配置されておらず、2万t級のジェット戦闘機を搭載出来ない老朽化した軽空母が主力であったが。
この呆れる程の進出速度をクウェート侵略軍が発揮したのは、それを主導したイラク王国軍若手将校らの実績であった。
だがそれは、決して指揮能力に帰するモノでは無かった。
即ち、扇動の結果であったのだから。
防備の弱く豊かなクウェート国を蹂躙すれば、金銀財宝は思うが儘。
今、襲えば勝てる。
勝って日本製の色々なモノを略奪出来る。
そう言われて乗った愚か者の集団であったのだ。
欲気が、特に燃料補給などを考慮するべき戦車部隊にさえ後先を考えぬ突進をさせていたのだった。
これは、中東の安全保障を主導するのがブリテンとフランスである為、日本が積極的に関与する必要性が乏しい事が理由であった。
又、比較的治安が良い事も、戦闘部隊を配置する必要性の低さに繋がっていたのだ。
故に、第4航空団の役割は対ロシアを睨んだ欧州方面隊の第666航空団の後詰として訓練や整備が主となっていた。
或いは日本本土から欧州への人員や物資の中継点としての役割を担っているのだ。
故に整備士などは相応以上の規模があったし、或いは人員増強に即応できるだけの余裕も持たされているのだった。
兎も角。
クウェート基地に配置されているのは各種輸送機やヘリ、哨戒機が主力であり、或いは
尚、クウェート侵略軍への偵察に
飛ばす手間 ―― 実用する高度まで上がるのに余りにも時間がかかり過ぎるのだ。
対してF-12は飛行させる手間が少ない為、偵察に哨戒機かヘリを飛ばそうと言う話になった際、試験飛行隊の隊長が志願したのだった。
流石に偵察ポッドの類は無かったが、複座であるが故の余裕 ―― 飛行操作をしない後部座席の戦術航空士が持ち込んでいた通信機材その他で偵察任務を遂行した。
余談ではあるが、この時の戦訓がF-12で
結果、F-12は低脅威環境下での簡便な多目的航空戦力として大規模採用に繋がる事となり、北崎重工業の本格的な航空産業分野への進出を助け、又、戦闘航空機メーカーとしてフォッケウルフ社の中興に繋がる。
34式155mm自走榴弾砲は、99式155mm自走榴弾砲の後継として32式
砲システム周りは99式/19式で採用され使用されている52口径155mm砲を、運用実績を元にして改設計されたモノが採用されていた。
52口径155mm砲4型である。
開発開始時には長射程化 ―― 長砲身化、或いは薬室容量の増加も検討されはしたのだが、開発の早い段階で放棄されている。
現用の52口径155mm砲が、同時代の野砲と比べて元より遥かに優越した性能を持っている為、性能向上に予算を投じるよりも砲や砲弾の製造ラインを流用できる方が重要であると判断された結果であった。
これはタイムスリップ前の世界大戦、大量の装甲車を溶かし合った
1928年の日本ソ連戦争によって、樺太や朝鮮半島でソ連軍と交戦する事になる事が現実的問題として陸上自衛隊に乗って来た結果とも言えた。
勿論、大口径化も含めた野砲の研究開発は行う積りではあったが。
かくして生まれる事となった34式155mm自走榴弾砲は、車体に大規模調達を開始している32式装甲輸送車を採用している事も含めて、ある意味で出来合いの技術の塊であった。
尚、99式155mm自走榴弾砲と比べての相違、或いは特徴と言えるのは砲塔正面に
RHA換算で100mm級の厚みを持ち、1920~30年代であれば戦車の主砲弾に耐える事が可能となっているのだ。
勿論、直射向けの照準装備も採用されている。
数の暴力によって前線を突破される緊急事態を想定しての事であった。
陸上自衛隊はそれ程に
陸上自衛隊や傍系関係者の脳内にあったのは、1980年代の
常であれば日本の
尚、余談ではあるが後のシベリア独立戦争での戦訓を得て、より強力 ―― 主砲はそのままであるが防御力と機動力の強化された34式155mm自走榴弾砲2型が開発される事になる。
車体は、31式戦車向けのソレをエンジンを前部に搭載する様に修正されたモノを採用し、砲塔も全周に装甲材を採用する形で設計しなおされていた。
勿論、車体と砲塔は共に正面に
装甲自走砲を好む人々が
只、値段は勿論ながら戦車、安価な38式戦車は勿論として陸上自衛隊主力戦車として絶賛生産継続中であった10式戦車後期型よりも跳ね上がってしまう事となった。
これでは、他の装備の調達に酷い影響が出る事が想定された。
特に焦ったのは、全部隊の軽装甲自動車化/装甲化を叫んでいた
冷静な人々が本格調達を制止する様に奔走した結果、34式155mm自走榴弾砲2型の調達速度はゆっくりとしたモノとなったのであった。
尚、クウェート国に駐屯していた第10機甲師団第10特科連隊の装備していた34式155mm自走榴弾砲は34式155mm自走榴弾砲2型の開発で得た知見を元に追加装甲を施した34式155mm自走榴弾砲1.3型と呼ばれるバージョンであった。