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上海市を巡る戦闘は決着した。
上海市防衛隊は軍閥を殲滅すると共に、軍閥の本拠地を保障占領する事に成功する。
上海市を狙った軍閥は文字通り消滅し脅威は消えた。
問題は、誰がこの事件の責任を取るかと言う事であった。
――南チャイナ
配下とは言え、半独立状態の軍閥が勝手に起こした戦争で虎の子の機甲部隊を失った南チャイナを更なる悲劇が襲う。
戦争責任である。
軍閥の消滅後、南チャイナに日本、アメリカ、ブリテン、フランス、イタリアの5か国連名による戦争賠償請求が突きつけられたのだ。
法外な金額に頭を抱えた南チャイナは、友好国であるドイツに泣きついたが、そのドイツも国際舞台の中心からは外れている為、大きな助けになる事は無かった。
半年に及ぶ賠償交渉。
最終的に南チャイナは、列強諸国が余りにも法外な要求を継続する様であれば最後の一兵まで戦い抜くと開き直って交渉するに至った。
戦争と言う不経済な状況を嫌った列強がこれに折れる。
最終的に南チャイナは、戦死者に対する慰問金としての戦費賠償を支払う事で合意する。
その他、10年間の特権的貿易権を5か国に認める。
これは事実上の関税権の喪失であった。
又、各国へ個別で様々なものを認める事となる。
日本に対しては、沖縄は日本固有の領土であり台湾は独立国として日本連邦へ参加している事を公式に認める事となった。
アメリカに対しては、満州での独占的地位の承認を99年に渡って認める事となった。
ブリテンに対しては、香港を租借ではなく割譲する事となった。
フランスに対しては、広州租借地が割譲される事となった。
イタリアに対しては、上海近郊の港町が99年間租借される事となった。
そして上海は、自由都市として南チャイナの支配下から独立する事となった。
踏んだり蹴ったりとなった。
そして、この敗北によって南チャイナの政治的権威は喪失の危機に陥る事となる。
これに慌てた南チャイナは、戦争に関する全ての責任をチャイナ共産党に押し付ける事にする。
曰く、チャイナ共産党による陰謀であると。
何かの証拠を見つけた訳では無かった。
責任を押し付ける都合のよい相手がチャイナ共産党しか居なかった(※1)というのが大きい。
証拠は捏造して対応した。
大々的にチャイナ共産党を批判した。
この為、もとより悪かった南チャイナとチャイナ共産党の関係は極端に悪化する事となる。
――チャイナ共産党
南チャイナの国力に被害を与える事には成功したが、その結果として南チャイナから目の敵にされる事となった。
この為、南チャイナの領域から北チャイナ側へと移動する。
南チャイナ軍に襲われながら行われた逃走は、チャイナ共産党軍の戦力を大きく削られる大敗北となったが、それを誤魔化す為にチャイナ共産党は新生の為の苦難、長征と謳う事とした。
――フロンティア共和国
北チャイナによる統制が失われて以降、軍閥、チャイナ共産党、馬賊、その他が入り混じった混沌の大地へと変貌した。
その事に危機感を抱いたのは満州に入植したユダヤでありアメリカであった。
治安が麻の如く乱れ、商売は困難になるどころか、襲撃から身を護る事で精一杯な有様となった。
アメリカの資産が危うい。
日本から権益を購入して既に5年以上が経過し、官民からの膨大な投資が行われてきた場所なのだ。
それが危ういと言うのは、アメリカにとって看過し得ない事態だった。
同時に、それはユダヤにとっても同じであった。
漸く得た安住の地、法的に差別される事も無く自由な職業に就く事の出来る場所を失う訳には行かなかった(※2)。
アメリカとユダヤは共謀し、満州の大地を独立させる事を決意する。
その為の手段はハワイ方式が採用された。
同時に、アメリカは在日米軍(グアム共和国)からの提言を受け、チャイナで共同歩調を取る事の多い3ヵ国に対して根回しを行った。
日本、ブリテン、フランスの3ヵ国は、満州に建国される新国家(フロンティア共和国)にて自国の国民と権益とが排除されないのであればと承認する事とする。
蜂起は、アメリカ人入植者が行った。
チャイナ人馬賊の農園への襲撃を撃退した時に、リンカーンのゲティスバーグの演説を元にした、満州に於ける諸国民の平等と安寧を叫んだのだ(※3)
これに関東州に駐屯していたアメリカ軍が呼応する。
正義を守るアメリカ軍は、人間の叫びを無視しないとアメリカ大統領が宣言。
このアメリカの行動を国際連盟の場で日本、ブリテン、フランスは支持する事を宣言した。
これに激高したのが南チャイナだ。
アメリカと列強による許されざる植民地帝国主義だと弾劾した。
だが、国際連盟の参加資格を停止している為、国際社会へ訴えるにしても、出来る事など殆ど無かった。
この事に、更に激発する。
G4による世界支配だと、宣伝戦を行った。
だが、北チャイナで猖獗を極めた混乱をアメリカが積極的に報道していた為に、アメリカの行為は混乱したチャイナの大地に秩序をもたらすものとして積極的に評価された。
アメリカ軍が満州に介入して約1月。
戦乱は終息し、満州の治安が回復した。
――ソ連
アメリカによる手際良い満州の切り取りに、ソ連は恐怖した。
既に沿海州を筆頭として、シベリアの各地で日本やアメリカの企業が経済活動を行っていたのだから。
5ヵ年計画に必要な財源の為に絞った寒村の農民が流出している現状、既に流出防止に秘密警察などを動員していたが、更なる防止策を講じていく事となる。
又、日本やアメリカの後背を突くという意味でチャイナ共産党への支援を強化していく事となる。
(※1)
南チャイナの主敵は北チャイナであるが、北チャイナは頭目が爆殺されて以降、国家 ―― 組織として完全に瓦解していた。
その様な相手が事件の黒幕であるなどと主張した場合、南チャイナは国家の体を成していない相手に良いようにされたとなる為、国家としての面子が消滅してしまうのだ。
故に、押し付ける相手としてはチャイナ共産党しか居なかった。
確たる証拠がある訳では無かったが、宣伝と情報工作でチャイナ共産党は悪であると必死に宣伝する事となる。
(※2)
この意識にはロシア系の難民も賛同していた。
法治された安住の大地を誰もが失いたくなかったのだ。
同時に、豊かになった満州へと他の場所から流入してくるチャイナが問題となっていたのもある。
経済問題で満州に流入したチャイナは、満州で経済的に成功する為の事実上の共通語 ―― アメリカ語も日本語も不慣れであった為、どうしても低所得となりやすかった。
この為、成り上がる為に不法行為や暴力行為に手を染める人間が多く、治安悪化の要因としてチャイナ人の拡大は問題視されていた。
言ってしまえば、満州はチャイナ人だけのものでは無くなっていた。
(※3)
この大地に居るアメリカ人、ユダヤ人、ロシア人、ジャパン人、チャイナ(マンチュリア)人。その他の民族が等しく繁栄できる様になるべきだと結んだ。
その結びから、宣言は6民族共栄宣言と言われた。
6番目の民族は上記の5族以外の全ての民族を入れるものとされている。
2020.01.28 文章修正
2022.10.18 構成修正