タイムスリップ令和ジャパン   作:QgkJwfXtqk

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27.1936-01 東京軍縮会議

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 1935年に発生したエチオピア危機とドイツの再軍備宣言、バーミンガム条約の制定は、G4諸国に戦争への危機を感じさせた。

 現体制で利益を得ている4カ国は全くと言ってよいほどに戦争を望んでは居なかった(※1)。

 格下の国家を相手に出来た戦争の様なものでは無く、本当の先進国同士の戦争だ。

 イタリアを相手にしたエチオピア危機ではブリテンがスエズ運河を封鎖し、日本が戦艦と大型空母を持ち出すと言う破格の対応をしていた為、実際の戦争になる可能性は極めて低かったが、ドイツに関しては話は別であった。

 100個を超える師団と戦車を持つフランスに対しドイツは10個師団、戦車も保有してはいない。

 だが実際の戦争となれば、徴兵し瞬く間に大規模な軍隊を作り上げるだろう。

 ドイツにそれだけの力がある事はフランスとて認めていた。

 認めていたからこそフランスは電撃的な先制攻撃でドイツから勝利を得ようとしていたのだ。

 だがバーミンガム条約でその条件は消えた。

 バーミンガム条約によってドイツは、合法的に新しく60個の師団を編制する自由を得た。

 戦車の調達も可能になった。

 フランスに比べれば規模は劣るが、近代的な軍隊を構築する権利を得たのだ。

 代償としてフランスは強力無比な未来の戦車であるType-31Fを200両調達する権利を得たが、ドイツの再軍備を認めた事と等価であるかと言えば疑問である ―― そうフランスの世論は判断していた。

 そして分裂していた。

 対ドイツ同盟をポーランドと締結しドイツを挟撃すべきとの意見が主流ではあったが、まだ世界大戦の記憶が遠くないが為、フランス国内でもドイツを懐柔し平和の道を模索すべきであるとの意見が一定の支持を集めていた。

 このフランスの穏健派にブリテンが乗った。

 日の沈まぬと豪語する世界帝国を経営するブリテンであったが、昨今ではその世界中の植民地で独立要求運動が活発化しつつあったのだ。

 武力蜂起する様であれば鎮圧すれば良いだけだが、どの植民地も判で押したかの様に非暴力不服従の運動であったのだ(※2)。

 ブリテンは正直、頭を抱えていた。

 世界帝国の内側で混乱している状況で外側で戦争などが起こされては迷惑千万なのだ。

 故にその政治力を存分に発揮する事となる。

 G4の残る2ヵ国に関しては簡単だった。

 日本もアメリカも戦争を欲しては居なかった。

 共に新しく得た領土の経営にのめり込んでおり、それを邪魔する存在 ―― 戦争を唾棄すべきと認識していたのだから。

 日本はソ連と、アメリカはチャイナと小さな紛争を繰り返しては居たが、大規模な戦争を、国家総力戦を行いたいとは露も思っていなかった。

 G4の他に召集されたのは3ヵ国であった。

 列強、国家総力戦が可能な国家。

 ドイツ、イタリア、ソ連だ。

 ブリテンの提案にそれぞれの国家は、それぞれの理由で参加を決断した。

 再軍備に掛かる時間を稼ぐために参加するドイツ。

 世界の頂点の一角であると言う政治的な宣伝効果を狙ったイタリア。

 国内をまとめ上げる為に行う粛清の口実を探していたソ連。

 7つの国家が、会議の場所である東京に集まった(※4)。

 

 

――東京軍縮会議

 その基本は現在保有する軍事力を元にして、これ以上の大規模な建艦競争を抑制する事が狙いであった。

 最初に提唱された主力艦(※3)の保有比率はブリテン:アメリカ:日本:フランス:イタリア:ドイツ:ソ連の7カ国で5:5:5:1.67:1.67:1:1となった。

 

      保有比率  保有総t数

ブリテン   5     63.5万t

アメリカ   5     63.5万t

日本     5     63.5万t

フランス   1.9     33.5万t

イタリア   1.9     33.5万t

ドイツ    1.5    19.0万t

ソ連     1.5    19.0万t

 

 1艦あたりの基準排水量は、戦艦は最大で35,000t。空母は最大で30,000tとされた。

 但しこれは日本の保有する空母型艦の排水量が余りにも超過している事から、既存の艦艇に関しては1艦あたりの基準排水量は問わないものとされた。

 基準排水量に関しては、艦齢20年を超えた主力艦の代艦規定に関するものとされた。

 余りにも日本に甘い方針であると、日本の脅威を常に感じていたソ連は激高する事となる。

 だが新興の海軍を持つソ連とドイツに対しては甘い飴も用意されていた。

 対ブリテン比率3割、19万tの主力艦保有である。

 ブリテンは会議に於いてドイツとソ連に対して19万tの合計排水量と、1艦あたりの基準排水量の代艦規定を守りさえすれば新規艦の建造を認める方針を示したのだ。

 これにはフランスが激高した。

 ドイツに新しい戦艦保有枠を与えるなど許しがたい暴挙であると声高に会議にて主張する事となる。

 慌てたのはブリテンである。

 まさかのG4の身内から反逆者が出るのは想定外であったからだ。

 又、ソ連も自国の保有枠の少なさに不満を表明する。

 ヨーロッパ方面とアジア方面の2つに艦隊を分ける必要性がある国情であるにも関わらず、日本やブリテンの半分以下の枠であっては自国を護り抜けないというのが彼らの主張であった。

 この2つの問題で東京軍縮会議は紛糾する事となる。

 

 

――個別交渉・フランス

 ドイツの再軍備を認めるバーミンガム条約を締結した際に、フランスはブリテンと日本との間で安全保障条約を締結しており、ドイツが戦争を決意した場合でも数的な不利が発生する余地など無かった。

 フランスのドイツの新規戦艦保有に対する反発は感情的なものであった。

 そして内政、フランス国内世論へのポーズであった。

 故にブリテンと日本とフランスで行われた個別交渉自体は比較的平穏であった。

 フランスが求めたのは保証であった。

 それを日本に求めた。

 日本のフランスに常時の艦隊派遣である。

 これには日本が猛烈に反発した。

 哨戒艦や多機能護衛艦の1隻程度であれば、外洋航海訓練の一環として派遣する事もやぶさかではないが、フランス国民を安堵させる規模となれば空母クラスの護衛艦を含めた任務部隊を派遣せざる得なくなる。

 それは流石に負担が大きすぎた。

 日本はバーミンガム条約締結の時点で人質同然に1個機甲旅団のフランス派遣を行う事に同意しているのだ、それ以上を求めるのは傲慢であると憤怒した。

 慌てたのはブリテンである。

 東京軍縮会議とは逆に、日本が本気で不満を表明したのだ。

 在日英国大使館から日本がキレた場合の危険性というものを切々と説明されていたブリテンは恐怖した。

 慌てて日本を全力で宥めた。

 最終的には、日本に対して長期航海訓練で定期的にヨーロッパを訪れて貰い、その際にフランスに寄港し、ブリテン海軍と併せて3ヵ国でフランス防衛海洋演習を行う事で決着がつく事となる(※5)。

 

 

――個別交渉・ソ連

 ソ連とブリテンの交渉は難航する事となる。

 ソ連が求めたのは単純に保有枠の拡大であり、拡大を求める理由はある意味で正統であったからだ。

 対ブリテン比率で5割の保有枠だ。

 それだけあればヨーロッパ方面でもアジア方面でも一定の抑止力になるという計算だった(※6)。

 だが主催国であるブリテンとしてそれを認める訳にはいかなかった。

 認めた場合、ドイツもイタリアも、フランスすらも保有枠の拡大を言い出し紛糾し、東京軍縮会議が流会するのは目に見えていたからだ。

 交渉は1ヶ月に及んだ。

 最終的に、ソ連が折れる形で決着する。

 但し、東京軍縮会議の保有枠を全面的に受け入れる対価も用意された。

 通商破壊艦バローン・エヴァルトだ。

 当初は20,000tという大型艦で主砲も28㎝砲を持つ事から主力艦の保有枠に入れる予定であったが、巡洋艦枠の例外規定として保有する事となったのだ。

 事実上の保有枠の積み増しであったが、各国から反対の声は上がらなかった。

 

 

――締結

 3ヶ月近い交渉の結果、成立する事となった東京軍縮会議。

 だが最後にドイツが想定外の発言をする。

 陸上戦力と航空戦力の制限の提案である。

 ドイツの安全の為、周辺諸国の軍備に枷をはめたかったのだ。

 だが提案したその場で残る6ヵ国全てが反対した為、議題とされる事は無かった(※7)。

 

 

 

 

 

(※1)

 フランスがドイツとの戦争を想定し準備しているのも、今の繁栄を失うまいとする行為であった。

 防御の為の攻撃であった。

 豊かになったG4諸国は、戦費も含めて、戦争で得るものよりも失うものの多い国家へとなっていた。

 

 

(※2)

 この裏にはそれぞれの植民地の未来 ―― 在日大使館が居た。

 背負うべき国家を無くした在日大使館であったが、彼らは折れては居なかった。

 その大多数が国家の選りすぐりのエリートであった彼らは、祖国が国家で無ければ自分たちの手で国家を起させれば良いと開き直っていたのだ。

 主導したのは在日印度大使館だった。

 21世紀の大国の一角であった矜持を胸に、彼らは在日大使館同士での連携を作り上げ、連帯した対ブリテン独立運動組織を築き上げていた。

 

 

(※3)

 日本の保有艦艇が戦艦よりも空母が多い為、主力艦とは戦艦と空母を併せて数えるものとされた。

 

 

(※4)

 会議開催を提唱したのがブリテンであったが開催の場所が日本とされたのは、参加を渋るであろうドイツやソ連に対する餌であった。

 G4やその周辺国と比べて日本の情報を殆ど持たない2カ国であれば、合法的に日本に入国して情報を得られる機会があれば、嬉々として参加してくるだろうとのブリテンの読みであった。

 実際、予備交渉の段階で渋っていたドイツとソ連であったが、両国とも本会議の開催地が日本と知って即答で参加を表明した。

 ブリテンにすれば、参加させさせれば後は交渉で枷をはめる事は可能と判断していた。

 

 

(※5)

 尚、演習の際に消費する燃料や食料に関してはブリテン持ちとされた。

 

 

(※6)

 ヨーロッパ方面で保有枠の半分、約16万tあればフランスやドイツなどと戦闘をする場合にも優位には立てなくとも絶望的なまでの劣勢にはならぬだろうとの計算であった。

 ブリテンとの戦争を考えても、ブリテン本土艦隊には限定的には対抗可能であった。

 アジア方面で主要な敵対国である日本は戦艦を2隻しか保有していない。

 その上でブリテンやアメリカのアジア艦隊を含めても、約16万tの艦隊があれば大丈夫だと計算していた。

 

 

(※7)

 各国はドイツの主張をジョークであると笑っていた。

 ブリテンが必死になってソ連と交渉している間、東京見物を行い物見遊山をしていた各国代表には精神的な余裕があった。

 無かったのはブリテンである。

 交渉に疲弊しながらまとめ上げた東京軍縮条約にケリを入れるが如きドイツの行為に本気でキレた。

 その怒りは、ドイツの提案に対するブリテン代表の最初の言葉に表れていた。

 

「ドイツは戦争を望むか? 容赦の無い戦争を望むのか? であれば我が国は全力で饗宴する用意がある」

 

 ブリテンらしからぬ直接的な表現に、ブリテンの怒りの深さが表れていた。

 この怒りと疲弊とを癒す為、ブリテンの代表団は東京軍縮条約締結後、会議の最終的な調整と称して2週間ほど日本の温泉観光地に逗留して帰国した。

 

 

 

 

 

 




2019.05.21 表現を修正
2019.06.12 表題のナンバリング修正

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