タイムスリップ令和ジャパン   作:QgkJwfXtqk

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37.1936-11 シベリア独立戦争-10

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 クラスノヤルスク以東を失ったソ連は、最終防衛ラインをノヴォシビルスクに定めて戦力の集中を行う事となった。

 市街地の要塞化を推し進め、陸軍は8個師団の歩兵師団と2個師団の戦車師団。ドイツとイタリアから来た義勇旅団が併せて2個居る。

 この他、オビ川北部に3個歩兵師団が広く展開しており、万が一の日本軍による迂回突破を警戒させるのだった。

 時間の掛かる事ではあったが、ソ連にとって幸いな事に日本/アメリカ連合軍も動きがクラスノヤルスクの攻略後、補給線の構築と物資の備蓄、そして部隊の休息と再編制を行う為に不活発化しており、問題は無かった。

 だが同時にソ連の指導者であるスターリンは、この戦争の趨勢からノヴォシビルスクが護りきれると思う程に楽観は出来なかった。

 師団数で言えば、ほぼ同数であり、これにノヴォシビルスクに籠って戦う事を加味すれば彼我の戦力差は倍以上になる。

 だがその計算は今までもしていたのだ。

 戦争の指導者として常に数的優位を得られる様に配慮してきていたのだ。

 にも関わらず、常に一方的に負け続けたのだ。

 であればノヴォシビルスク防衛戦でも、一方的に負けてしまうのではないかとスターリンが危惧するのも当然であった。

 かと言ってシベリアの中心であるノヴォシビルスクを、シベリア独立派を自称する叛徒に明け渡す事は断じて許容できる話では無かった。

 5ヵ年計画で少なくない予算を投じたクズネツク工業地帯が失われるなど、認められる話では無かった。

 故にスターリンは国際連盟を介して日本とアメリカへの停戦を呼びかける事とした。

 バイカル湖以東をシベリア自治州としてスラブ人の自治を認めるので、ソ連への復帰を呼びかけたのだ。

 シベリア独立派に対しては、本騒乱に於ける一切の責任は問わない事を宣言した。

 日本とアメリカに対しては、シベリア自治州内に限って自由な経済活動を認める事とした。

 スターリンとしては大きく譲歩した積りであったが、日本、アメリカ、シベリア共和国は話にならぬと一蹴した。

 既に戦争の大勢は日本とアメリカに傾いており、シベリア共和国の独立も宣言したのだ。

 その様な状況でスターリンの虫の良すぎる提案を受け入れる道理は無かった。

 とは言え、日本とアメリカとてソ連を屈服させる為にモスクワまで進軍するのは余りにも戦争経費が掛かり過ぎるとして、どこかで手打ちをする道を探っていた。

 シベリアの独立戦争は、開戦から3ヶ月目に入ると共に、政治的な色彩を強める事となった。

 

 

――日本(D-Day+65)

 日本にとって一番に憂慮するべき事は、ソ連との戦争にどこまでも引きずり込まれる事である。

 過去の日中戦争の様に何処までも逃げられてしまえば、泥沼の戦争となってしまう。

 まだ日本世論は横暴なソ連への反感で一杯であり、又戦争自体も優位である事 ―― 日本人の死傷者は500名にも届いておらず、そもそも連戦連勝である事が後押しし、戦争に対しては好意的であるが、それが何時までも続くと思う程、日本政府は呑気では無かった(※1)。

 それどころか、いつひっくり返ってしまうかと怯えてすらいた。

 その意味では、話にならぬ内容であってもスターリンが停戦と講和を呼びかけた事は好機であると認識していた。

 とは言え、オビ川以東をシベリア共和国として独立させるのは絶対条件であった。

 独立したシベリア共和国が独立国家としてソ連と対峙し国家を運営する為には、クズネツク工業地帯が絶対に必要であるという計算があったのだ。

 それは、内閣府の下に大学などと連携して作られたシベリアの独立後の国家運営に関する検討本部、通称シベ検による報告書を元にした判断であった。

 沿海州などの資源地帯だけでは、ソ連に抵抗出来ない。

 クズネツク工業/資源地帯を持たずバイカル湖以東でシベリア共和国が独立した場合、シベリアは国力の増進を図る事が困難であり、この場合、独立から10年でソ連の軍事的圧力に抗しかねてソ連との緩やかな連合化、最終的には自治州としての再併合となるだろうと言うのが、シベ検の報告書であった。

 そうなってしまえば、シベリア独立戦争に費やした戦費は全くの無駄になり、沿海州を中心に日本の持つ権益も奪われてしまうだろう。

 その様な事、日本としては断じて認める訳にはいかなかった。

 よって日本は、ソ連の継戦能力の背骨を折る事を検討する事となる。

 標的はスターリン。

 スターリンの心を狙う作戦を検討する事となる。

 

 

――チャイナ共産党(D-Day+66)

 スターリンから命令された、日本/アメリカ連合軍の補給線を叩くという作戦は、執拗なまでの日本の哨戒によって十分に成功出来ては居なかった。

 シベリア鉄道の線路を破壊しようと爆薬を持ち込もうとしても、センサーで把握され問答無用に攻撃を受けるという恐ろしさであった。

 失敗が2桁に達した頃、チャイナ共産党は主目的をシベリアでの破壊工作では無くより後方、フロンティア共和国やウラジオストクでのテロ活動に絞る事とした。

 経済的な混乱が発生すれば軍事活動にも大なる影響が出るという判断であった。

 実際、チャイナ人の少ないウラジオストクは兎も角、構成人口の過半数をチャイナ人が占めるフロンティア共和国での破壊工作は面白い様に成功した。

 この為、シベリア独立戦争に投入予定であったフロンティア共和国の3個歩兵師団が治安維持任務に投じられると言う大金星すら上げる事に成功した。

 だがその代償は大きかった。

 フロンティア共和国内でのチャイナ人の立場が一気に悪化したのだ。

 アメリカは、チャイナ共産党が隠れる人民の海 ―― フロンティア共和国内のチャイナ人社会を徹底的に破壊する事を選んだのだ。

 チャイナ共産党に懸賞を掛け、又、チャイナ共産党を支持した人間は悉く、フロンティア共和国から追放した。

 その上で、犯罪歴のある者も、軽微とは言い難い罪であれば家族もろともフロンティア共和国から追放する事を選んだ。

 空恐ろしい程の弾圧であった。

 アメリカ人入植者にチャイナ共産党員と間違われた無辜のチャイナ人が射殺されるという痛ましい事故もあった。

 だがそれでも弾圧は続けられた。

 労働人口としてロシア人やユダヤ人、果てはアメリカ本土で喰いつめたアフリカ系アメリカ人までもが流入して来ている為、労働集団としてのチャイナ人の価値が相対的に低下していた事が、この事態を後押しする事となった。

 この事が一般のチャイナ人にコーカソイド系を主とするフロンティア共和国構成民族への強い反発を生む事となり、フロンティア共和国は騒乱の大地へと変貌していく事となる。

 この燻っている状態に、チャイナ共産党は油を注ぎ続けるのであった。

 

 

――ソ連(D-Day+67)

 腰の定まらないスターリンであったが、ソ連と言う国家は先に定めた予定に従って、戦力の集中を行っていた。

 対ポーランド向け部隊を残して、第4赤旗戦線として20個師団がシベリアに向けて動員されて行く事となる。

 未だ日本の爆撃を受けていないエカテリンブルグに集結させ、移送を行っていた。

 都合30個師団規模の戦力。

 その報告を見た時、スターリンは恐れおののいた。

 気が付けばソ連の持つ軍事力の半数以上をシベリアに投入している。これが失われてしまえば動員を掛けるしか無くなる。

 その影響は確実にソ連経済を蝕むだろう。

 とは言え、1つの勝利も無く退いてしまえばスターリンの権威に手酷いダメージを与える事になり、ソ連の崩壊すら招きかねない。

 スターリンは決断した。

 G4でソ連に比較的融和なフランスを介して日本/アメリカとの非公式な停戦に向けた協議を行う事を。

 

 

 

 

 

 

(※1)

 実際問題として、野党が国会で連日の如く政府与党を批判し続けている。

 又、教条的憲法固守派にして反戦主義者がデモを行っており、この対応を誤れば、有権者が政府与党を傲慢であると認識する恐れがあり、そうなれば戦争への支持どころか政府与党への支持も吹き飛ぶ恐れがあった。

 この為、政府与党は慎重な対応を行っていた。

 

 

 

 

 

 




2019.06.12 表題のナンバリング修正

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