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ヒトラーは激怒していた。
日々激怒し、珈琲を暴飲し、サラダを平らげ、そして自らに禁じていた肉を食う程に怒り狂っていた。
かの悪逆非道な裏切り者、イタリアへの鉄槌を熱望していた。
そしてある日、閃きが与えられた。
現段階ではイタリア本土へ軍事的な懲罰を与える事は出来ない。
だが、その手足たる植民地はどうか。
リビアは日本やブリテンの資本が入る事もあってイタリアも治安維持に精を出しているが、イタリア領東アフリカは貿易拠点などの役割はあっても資源の産出なども殆ど無い為、イタリアの目は緩い。
しかも、中東のブリテン植民地に武器を売りつける足掛かりとして使っているので、ドイツは現地勢力に独自のコネクションを有している。
イタリア領東アフリカは、ドイツにとって火を点けやすい場所であった。
――ドイツ
ヒトラーの命令を受けた
乏しい国家予算の中から小銃や手榴弾などの武器弾薬を集め、そしてイタリアへの反発心を持った反イタリア運動派にも、アンダーグラウンドな住人にも分け隔てなく武器を安価で売りさばいたのだ。
その効果は覿面であった。
イタリア領東アフリカの各地で暴動が勃発する事態となった。
それぞれは小規模でありイタリア領東アフリカに駐屯するイタリアの治安維持部隊によって簡単に鎮圧されていったが、物資の略奪などが発生する事もあってイタリア領東アフリカの治安は極端に悪化していく事となる。
但しその暴動がドイツの中東への密貿易に利用するイタリア領東アフリカの南部域には広がらぬ様に、ドイツは細心の注意を払って行動していた。
そのお蔭で、イタリア領東アフリカの南部域で発生する暴動は少なかった。
――国際連盟
イタリア領東アフリカでの治安悪化は、イタリアとムッソリーニの権威を大きく傷つける事となった。
この為、イタリアは鎮圧する為に2個師団をイタリア本土から派遣し、鎮圧に力を入れた。
同時に暴動で使われる武器弾薬の入手経路を探す事となる。
世界大戦の終結によって過剰となった武器弾薬が
この為、国際連盟を介して、諸外国に大規模な武器弾薬の売却が無いかの確認を行う。
これに近隣の中東域で反乱の頻発しているブリテンが乗った。
第3世界に混乱を呼び込まない為の武器流通に関する協定が、国際連盟加盟国の間で締結される事となった。
同時に、国際連盟による治安維持活動の一環として中東-東アフリカに権益を持った国々 ―― イタリアとブリテン、フランスに日本の4カ国は、同地域に於ける武器の不法な売買や流通を監視する為、紅海からアラビア海、そしてペルシャ湾までの海域に於ける自由な臨検を行う権利が与えられた。
この国際連盟の決定に、ドイツは大きく反発する事となる。
軍艦にせよ民間船舶にせよ、それぞれの旗国に管理される存在であり、如何なる国家組織であれ平時に於いてその管理権を侵す事は許容し難いと、断固として主張したのだ。
その上でドイツ国際連盟大使は、もしドイツ軍艦及び民間船舶を臨検しようとするならば、実力を以って阻止する事も吝かでは無いと、強い調子で宣言する事となる。
この反応にドイツへの猜疑心を深めたイタリアとブリテンは、ドイツに対して強い調子で反論する事となる。
曰く、暴動頻発地帯近域に於ける治安維持活動への協力を断る事は、無害航行の権利を与える条件である沿岸国の平和・秩序・安全を害さないという条件に反する行為であると。
そして、無害航行権利の停止した国家の艦船は、即座に4ヵ国の領海から退去させるとも宣言した。
こうなるとドイツは頭を抱える事になる。
領海へと入れないと言う事は、ブリテンや日本といった島国とは貿易が事実上出来なくなる事を意味するからだ。
とは言え、ドイツ国際連盟大使も簡単に退く訳には行かなかった。
ドイツ本国より、交易を途絶させない為に臨検を受け入れるとしても最低でも1ヶ月は、臨検の開始を遅らせる様にとの指示が出ていたのだから(※1)。
この為、ドイツ国際連盟大使は交渉に出る。
時間稼ぎとしての、臨検行動のガイドライン作成である。
ドイツ国際連盟大使は、臨検を実行する人間が、臨検の名の下で軍艦にせよ民間船舶にせよ通信設備や暗号、艦船の機密情報に触れる ―― 諜報活動を行う事への疑念が隠しきれないと大々的に主張したのだ。
この反論に、誰しもがブリテンの名前を思い浮かべた。
そして全会一致で臨検の手順の策定自体には同意する事となる。
誰しもが臨検に際して
又、ブリテンも同意していた。
此方も、
この為、臨検の手順の策定作業は紛糾しつつも進行していく事となる。
――海洋示威行動
国際連盟による臨検の手順と規範の策定が終わっていない為、臨検は行わないものの哨戒を兼ねた
日本はP-1哨戒機をクウェートへ展開させ、周辺海域の哨戒を開始した。
この日本の活動に刺激を受け、ブリテンは日本を真似て開発した双発の対潜哨戒機を投入し、イタリアやフランスは哨戒用の水上機で洋上哨戒活動を実施していく事となる。
当初はバラバラに行われていた4ヵ国による哨戒活動であったが、日本が哨戒効率の向上を呼び掛け、3ヵ国が同意し連絡事務所 ―― 事実上の司令部が創設される事となった。
場所は、アデン湾に面した治安の安定しているフランス領ソマリのジブチに設けられた。
統制と連携の取れた空海の戦力による哨戒活動は、副次的に洋上の治安を向上させる効果があった。
この結果に気を良くしたブリテンは、航空機による哨戒活動の範囲を陸上に広げて暴動 ―― 反乱予備軍に対する示威活動を行っていく事となる。
――ドイツ
臨検の手順策定が定まっていない状況であれば臨検は無い。
そう思う程にドイツは油断してはいなかった。
中東イギリス領に売却予定の武器を満載した貨物船をそのままイタリア領東アフリカへと送り込む事をせず、南大西洋海域で待機させ、同じく北大西洋で長距離航海訓練中であった装甲艦ドイッチュラントを護衛に付けたのだ。
その事が逆にブリテンの目を引く事となった。
ドイツとイタリア領東アフリカとの間で行き来している貨物船は比較的多い。
にも関わらず、ドイツが護衛として装甲艦を付けた貨物船であり、しかも航路は態々喜望峰回りという遠回りをしているのだ。
不審であり、注目しない筈が無かった。
ブリテンは巡洋艦を1隻、張り付けさせた。
無論、臨検をする事は出来ないが、監視をする事は出来るのだから。
又、貨物船が港に着いて荷の陸揚げをするとなれば、荷の検疫をする事が出来る。
その時に貨物船の荷物を確認してしまえば良い ―― そう判断し、イタリアやフランス、日本に情報を流していた。
その流された情報の先には、ドイツに買収されたイタリア領東アフリカ南部の港町の検疫担当も居た。
今までは、このイタリア人がドイツの密輸を見て見ぬふりをする事で、中東への武器弾薬の中継密貿易を成り立たせていたのだ。
だが今度はそうはいかない。
イタリア本国から来ている査察官とブリテン人の調査員が一緒に検疫と調査をする予定となっているのだ。
ドイツ貨物船に積んでいる荷物は、書類上は農機具となっていたが数千人分もの武器弾薬である。
見られてしまえば申し開きなど出来る筈も無かった。
焦ったイタリア人は、ドイツに連絡をする。
連絡を受けたドイツも大いに焦る事になる。
何とかしてブリテン巡洋艦を振り切ろうと努力する事となる。
――西インド洋攻防戦
ブリテンからドイツの不審な貨物船と護衛の装甲艦ドイッチュラントの情報と協力要請を受けた日本は、アデン湾に展開していた艦艇から2隻、哨戒艦を分派する事となる。
派遣する哨戒艦は、外洋哨戒艦と分類されこそすれど基準2500tという、並の駆逐艦を遥かに凌駕する船体を持った艦であった。
外洋哨戒艦は、哨戒艦とは異なり日本がタイムスリップ後に新しく整備を進めた艦であり、上海その他、海外での
3in.砲を3門搭載し、この時代の人間に判りやすい威圧効果のある外観となっている。
又、フランスもブリテンからの連絡を受けて、駆逐艦2隻を派遣していた。
これにブリテンの増援、駆逐艦2隻を含めて都合7隻の軍艦に包囲網を形成されてしまっては、ドイツ側に出来る事は無かった。
1週間近い睨み合いの末、ドイツは2隻に対してドイツ国内への帰還を命じるのであった。
――ドイツ
ヒトラーは激怒した。
かの我が物顔で世界支配者の顔をするG4は許してはおけず、腰巾着の様に媚び諂うイタリアに至っては誅罰を与えるべしとすら思った。
だが現時点で出来る事は無い為、その怒りは長年の禁を破って煙草を吸う事で解消し、報復を誓う事となった。
尚、武器弾薬はスペインの革命派に高く売りつける事となったが、その事がブリテンに今回のドイツの行動 ―― 貨物船の荷物の正体を教える事になるのだが、ドイツは気付かなかった。
ドイツは
これが、ブリテンがフランスのドイツ包囲網に積極的に参加する切っ掛けでもあった。
(※1)
これは、既にドイツを出港済みの武器弾薬を満載した船舶が中東の港に入るまでの日数を計算しての指示であった。