タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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053 カレリア地峡紛争-2

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 ソ連にとってフィンランドの反応はまだしも、国際連盟と国際社会の激しい反発は想定外であった。

 中でもスターリンを激怒させたのは、シベリア共和国が行う義勇部隊の派遣であった。

 否、義勇部隊は兎も角としてシベリア共和国が義勇部隊の輸送船団護衛に、ソ連にとって許しがたい裏切り者である重巡洋艦アドミラル・エヴァルトを充てた事がスターリンの逆鱗に触れたのだ。

 万難を排してアドミラル・エヴァルトを撃沈する事を命じると共に、シベリア共和国へ圧力を掛ける事を命じた。

 スターリンの厳命に、ソ連軍はフィンランドとの戦争準備と並行してシベリア共和国に対する圧力作戦、西シベリア低地に展開している部隊を用いた大演習 ―― 1939西シベリア演習を急遽実施する事を宣言するに至った。

 

 

――シベリア共和国/日本

 1939西シベリア演習に対応する為、シベリア共和国は同様の大演習を実施する事を日本政府に要請した。

 日本政府は、この要請に対して日本連邦統合軍シベリア総軍及び連邦総軍(※1)を挙げた機動演習を実施する事を決定した。

 その他、完成したばかりのB-1爆撃機とB-2爆撃機(※2)による空爆演習も実施される事となった。

 義勇部隊や人道支援物資の輸送に関しては、日本総軍及び連邦総軍南洋方面隊から艦を集成し第391任務部隊(TF-391)を編制し、護衛に充てる事となった。

 TF-391は、70,000t級空母型護衛艦 ずいかくと35,000t級防空護衛艦 むさしを中心に大小21隻の戦闘艦が集まった堂々たる空母打撃群(CSG)であった。

 退役間際のタイコンデロガ級を筆頭とした7隻のイージスシステム艦による防空戦闘力、ヘリ搭載戦闘護衛艦(ひゅうが型護衛艦)を中心とした6隻の護衛艦による対潜戦闘力。

 その上で、外周を固める多機能護衛艦と、潜水艦が居るのだ。

 ソ連の不穏な動きを前提として、人道的な輸送支援なれども全面戦闘も想定する布陣であった。

 

 

――フィンランド

 1939年後半、いまだフィンランドとソ連の間での交渉は続いていた。

 だがそれは戦闘が起きていないと言う事を意味しない。

 国境線に於ける小規模散発的な部隊の衝突、偵察機による偵察、或は航空優勢を握る為の航空部隊の威嚇合戦。

 それは正しく見えざる戦争(ファニー・ウォー)であった。

 この時点でフィンランドが保有する航空機は戦闘機や爆撃機、練習機などを含めて100機に達していなかった。

 対してソ連側は500機を超える戦力をフィンランドとの国境線付近に展開させていた。

 いまだ銃弾の飛び交わぬ空の小競り合いであるが、フィンランド側は明らかな劣勢に立たされていた。

 その状況を一変させる機材が届く。

 日本製水冷戦闘機F-7である。

 ブリテンにて猛特訓を受けたパイロット達の操るF-7戦闘機は、たったの12機ではあったが、それまで圧倒的劣勢に追い込まれていた航空優勢を、少なくともやや劣勢と言う水準にまで挽回する事に成功したのだ。

 これは本格的な戦闘では無く、現状は小規模な偵察機や戦闘機による航空機の小競り合い ―― 威嚇合戦であると言うのも大きいだろう。

 だがそれでも、カレリアの空を征くF-7戦闘機の雄姿は、フィンランドの人々を大きく勇気づける事となった。

 

 

――ソ連

 シベリア独立戦争(シベリア・ディスグレィス)に於いてソ連空軍を壊滅寸前まで追い込んだ日本製戦闘機が西方に出現した。

 その一報はソ連空軍に予定された、だが尋常では無い衝撃を与えた。

 日本がフィンランドに新鋭レシプロ戦闘機を売却すると言う情報はソ連上層部も掴んではいたのだが、それが実際に眼前に現れれば現場は動揺すると言うものであった。

 特に最初にカレリアの空を舞ったF-7戦闘機はフィンランド本国へ到着して直ぐであった為に塗装が特徴的な白灰色の日本迷彩(ロービジビリティ)のままであった。

 かつてシベリアの空で日本軍機(F-5戦闘機)との絶望的な戦いを経験していたソ連空軍パイロット達は、その色を覚えていた。

 ソ連空軍を震撼させたF-7戦闘機。

 だが極々一部のベテランパイロット達は冷静に状況を判断し、かつての怨敵(F-5戦闘機)に比べてF-7戦闘機はソ連の新鋭Yak-9戦闘機で立ち向かうのであれば、それ程に(・・・・)怖い存在では無いと報告書を上げた(※3)。

 それがソ連空軍の士気が崩壊しなかった理由であった。

 同時に、ソ連は航空機用エンジンの開発に関してドイツに対して協力を要請する事となる。

 

 

――日本

 フィンランドでの、実戦さながらのF-7戦闘機の運用実績によって完成度の高まったF-7戦闘機は、正式にF-7B型戦闘機として輸出商品としてのラインナップに乗る事になる。

 とは言えF-6戦闘機に比べて高級機(ハイエンド・モデル)であった為、フィンランドからの追加売却の要請は入らなかった。

 如何に優れた戦闘機であっても、数的に余りにも劣勢であっては如何ともし難いというのがフィンランド空軍の冷静な判断であった。

 だが、フィンランドで活躍するF-7戦闘機の需要が消えたと言う訳では無い。

 ブリテンを筆頭に、ポーランドやイタリアからの受注を受ける事となる。

 只、その際にポーランドは自国でライセンス生産が可能なように改造(ディチューン)して欲しい旨を、日本に要求した。

 これを日本は拒否する事となる。

 低価格化への改造自体は可能であるが、F-7戦闘機はエンジンは兎も角として、電子機器(アビオニクス) ―― FCSや操縦系統(フライ・バイ・ライト)、或は複合素材製の機体構造や外皮などをポーランド国内の技術で製造するのは不可能というのが判断理由であった(※4)。

 それをおして改造/再設計するとなれば、それはほぼ新規開発と呼べるものであろう。

 日本は、ポーランドに対して、ポーランドの技術と予算とで新戦闘機の開発を提案する事となった。

 自国の技術水準を理解するポーランドは日本との共同開発に心を動かされた部分もあったのだが、議会がソ連とドイツに対抗する戦闘機を早期に揃えるべきと声高に主張した為、日本の提案を謝絶し、F-7戦闘機とF-6戦闘機の導入を優先する事となる。

 尚、この一連の交渉を見ていたアメリカやブリテンは、ポーランドの蛮勇ぶりに呆れていた。

 ライセンス生産による技術の提供を少しだけ期待していたイタリアは、黙ってF-7戦闘機を導入。

 空力やその他の技術で模倣できる所は模倣し、イタリア国産戦闘機の技術を向上させる事に努めた。

 

 

 

 

 

(※1)

 連邦総軍とは極東方面で、日本総軍が管轄する日本列島以外の防衛を担当する部隊である。

 4個の方面隊と5個師団5個旅団、約130,000名で編制されている。 

  オホーツク方面隊(豊原)

   1個自動化師団/第603師団

   2個自動化旅団/第101旅団 第102旅団

  台湾方面隊(タイペイ)

   2個機械化師団/第18師団 第301師団

   1個自動化旅団/第303旅団

   2個海兵旅団/第203旅団 第302旅団

  朝鮮方面隊(ソウル)

   1個自動化師団/第202師団

  南洋方面隊(グアム)

   1個機械化師団/第501師団

 戦略予備的な意味合いを持っている日本総軍と違い、シベリア総軍にとって後詰めの部隊であった。

 

 

(※2)

 B-1爆撃機はP-1哨戒機を基に、対潜設備を撤去し燃料を増設した簡易(・・)爆撃機であった。

 完全な新機軸として開発する事としたB-2爆撃機が失敗した場合に備えた機体であった。

 尚、B-2爆撃機の開発が成功した場合、B-1爆撃機は制圧攻撃機へと改造される事とされていた。

 この為、B-1爆撃機の構造はP-1哨戒機に比べて強化されたものとなっていた。

 B-2爆撃機は、B-52爆撃機を手本とした純然たる戦略爆撃機として開発された。

 日本国が初めて開発する機体と言う事で各部の設計は手堅くまとめられている。

 エンジンは16,000lb級のF7-IHI-10Cを6基搭載し、最大搭載量は50,000lbsとされている。

 開発に協力したグアム共和国軍(在日米軍)の一部将官からは物足りない ―― 目標が低すぎると言う指摘もあったが、日本としては開発の確実性を重視した格好であった。

 取りあえず、シベリアの基地より出撃し、モスクワまでの各地を焼けるのであれば問題ないと言う意識でった。

 とは言えB-2爆撃機の性能が低いと言う訳では無い。

 実用高度14,400m、巡航速度920km/hという数値は、諸外国の航空機にとって現用機は勿論、中長期的な開発計画の航空機でも撃墜はおろか到達と追随の不可能な数値であった。

 この上で日本は、諸外国が装備するであろうジェット戦闘機に対応する為、超音速爆撃機の開発にも着手する事となる。

 

 

(※3)

 この報告書自体は、Yak-9戦闘機であれば不利ではあるが絶望的では無い(・・・・・・・・・・・・・・)と言う主旨で書かれていた。

 だがソ連空軍の士気崩壊を恐れたソ連軍上層部はこれを改竄し、Yak-9戦闘機であれば対応可能である(・・・・・・・)であるとして各部隊に広める事となる。

 実際問題として1500馬力級のエンジンを搭載したF-7戦闘機に対し、1000馬力級のエンジンを搭載したYak-9戦闘機は性能的に極めて不利であったが、フィンランド空軍の数的な主力はF-6戦闘機を筆頭にした1000馬力級エンジン搭載機であった為、ソ連の誇る新鋭戦闘機というYak-9戦闘機の看板が恥辱にまみれる事は無かった。

 但し、それがソ連の航空優勢に繋がるかと言えば、それは否であった。

 ソ連側もYak-9戦闘機は量産が始まったばかりであり、数的主力は旧世代と言って良いYak-7戦闘機であった為、この戦争に於いてソ連が質の面でフィンランド空軍に優越する事は無かった。

 

 

(※4)

 内心としてポーランドが望んでいた製造技術の供与と言うのは、最初の段階で日本から拒否されていた。

 日本が提示するのは買うか買わないかという2択だけであった。

 

 

 

 

 

 




2019/10/01 文章修正
2019/11/15 題名変更

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