タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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059 フランスの回天とドイツの対応

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 フランスの政治的混乱と欧州に於ける主導権(イニシアティブ)の喪失によって誕生する事となったドイツ連邦帝国。

 その経済はオーストリアやチェコ、ハンガリーと言った国々を併呑した事でひと息つく事が出来た。

 否、それどころか各国の中央銀行を解体し、ドイツへ金を集め、不足していた労働者を得て、新しい市場を得た事でドイツの株価は上がり、景気は上昇した。

 この偉業をドイツ人の血を1滴も流す事無く成し遂げたヒトラーの権威は大いに高まる事となった。

 ベルリンで行われた軍事パレードの演説でヒトラーは千年帝国(ミレニアム)とすら誇った。

 その武威に、ユーゴスラビアやブルガリアと言った国々も親ドイツ外交を行う様になり、ヒトラーの名声は絶頂を迎える事となった。

 

 

――フランス

 ドイツの躍進を苦々しく思っていたフランスは、国内の統制に全力を挙げる事となった。

 “平穏の為の平和の否定(レッド・パージ)”に伴う平和派を主体とした反政府デモの続発とフランス政府による武力鎮圧は、フランス国内で少なからぬ血を流す事に繋がった。

 だがフランス政府は、それを断固とした形で遂行した。

 併せて、平和派 ―― 共産主義と国家社会主義の非合法化まで踏み込む事を決意していた。

 この状況に平和派でも過激な人間たちが、ソ連を介して流れ込んできていたドイツ製の武器を手に蜂起を行った。

 これに軍の一部まで加わる事となる。

 平和派は人民の人民による連帯と権利の獲得を宣言し、これに合わせて自らを人民戦線と命名。

 武力蜂起を、帝国主義と戦争を希求するフランスの支配層 ―― 第3共和制打破を目指す人民戦線革命であると宣言した。

 だが、この事態を想定し準備していたフランス政府は主張の近い民族派と連携を行い、親人民戦線路線を取っていた融和派には切り崩し工作を行って政治的勢力としての無力化を行った。

 フランスの政治勢力の中で平和派は孤立した。

 その上で、人民戦線に対して一切の躊躇なき弾圧と武力鎮圧を断行した。

 それは、どこか平和ボケしていた平和派支持者が粛清(・・)と慄く程の苛烈さであった。

 これによってフランス国内の混乱は驚くべき速さで終息に向かう事となる。

 

 

――ドイツ

 フランス国内の血腥い世論統一行動に、ドイツは恐怖した。

 暴力に酔ったフランス政府は国内を統一すると共にドイツに殴り掛かってくる事が容易に想像出来たからである。

 故にヒトラーはソ連を経由したフランス人民戦線への支援を行う様に命じたが、国家憲兵隊のみならず軍までも動員するフランス政府の行動の前では、大きな意味を成さなかった。

 この為、ヒトラーは親衛隊に対してフランスの政体もしくは国家を混乱せしめる手段の検討を命じた。

 親衛隊は、この難しい命令に対して植民地帝国であるフランスの養分 ―― 植民地の混乱化で対応する事を進言した。

 かつてブリテンに対して行った植民地独立運動の支援である。

 ドイツの行動の結果だけが原因ではないが、世界中の植民地から独立、乃至は自治権拡大を要求されたブリテンは、独立闘争こそ抑止する事には成功したものの、その外交力/政治的行動力を大きく割かれる状況に陥っていた。

 この再現を狙うのだ。

 特に独立運動の火が燻っているフランス領インドシナ(ベトナム)は、ドイツの影響圏であるチャイナに近い為支援が行いやすい点でも素早い成果が期待できた。

 ヒトラーはこの進言の実行を命じた。

 同時に、フランスの資源地帯と言って良いアフリカでの独立運動の支援活動も命令した。

 千年帝国であるドイツの、将来的な資源確保が狙いであった。

 とは言え、アフリカ東部と中東近海に於ける国際連盟の治安維持活動と言う前例があった為、ドイツから直接アフリカへ軍事物資を提供する事は行わないものとされた。

 仲介先として南米を利用する事を画策したのだ。

 狙ったのはアルゼンチンとベネズエラであった。

 アルゼンチンはブリテンの影響下にある国家であったが、嘗てはファシスト体制の樹立を図った事もあった為、ファシズムの連帯と連携が容易であろうと言うのが判断理由であった。

 同時に、伝統的な寡頭支配体制が敷かれている為、賄賂などによる買収の容易さも勘案されていた。

 ベネズエラに関しては、軍事独裁政治が行われている為、武器の売却などによってベネズエラ政府へと接近する事が容易であろうと言う判断であった。

 又、ベネズエラの石油への渇望もあった。

 ドイツはソ連との関係の良好さから石油をある程度輸入できていたが、それは湯水の如く使える程では無かった。

 この為、ドイツ経済界は新しい石油の輸入先を欲していたのだ。

 

 

――ベトナム

 ドイツは、フランスの平和派やチャイナを介する事で国際社会からの目を誤魔化したままベトナム独立派と接触する事に成功した。

 1900年代以前からずっとフランスからの独立を目指す人間が活動していたフランス領インドシナでは、支援が貰えるのであれば色は問わない ―― ドイツとの連帯を辞さない、実利的な人間が多かった。

 故に、ベトナム独立派はドイツからの支援を受けてフランス領インドシナに於ける武力闘争を即座に開始した。

 ドイツがベトナム独立派に提供した物資は、チャイナから買い戻した旧式の小銃や手榴弾、爆薬などが主であったが、フランス本土の政情不安の余波で余裕を失っていたフランス駐留軍に痛打を与える事は容易であった。

 フランス領インドシナの治安は一気に悪化する事となる。

 その上、ドイツに与したチャイナ政府は国内で余剰となっていた労働力(・・・)を義勇兵としてフランス領インドシナに送り込んだ。

 事実上の棄民であったが、数的に大規模とは言えなかったベトナム独立派は義勇兵として十分に活用した。

 フランス領インドシナの治安悪化は、全土に広がる事となる。

 既に国内で流した血に酔っていたフランス政府は、この独立運動を受けてフランス領インドシナ駐留軍に断固たる処置を厳命した。

 独立運動が血の気が多い人間揃いのフランス領インドシナだけでは治まらず、インドシナ連邦全域に広がる事を恐れた側面もあった。

 とは言えこの時点でフランス領インドシナに駐屯していたフランス軍部隊は、軽装備の歩兵部隊が主力であり、それも書類上は2個師団と為っていたが、フランス本土の騒乱に人員を奪われてしまっており1万に満たぬ数しか居なかった。

 これではフランス政府が要求する、断固とした処置を行える筈も無かった。

 この為、インドシナ連邦駐留フランス軍司令部は、フランス政府に対し人員の増員と共に重装備部隊の派遣を要請する事となる。

 それが不可能であるならば、ブリテンに倣ったベトナム独立派との交渉を行うべきであると上申した。

 フランス領インドシナの現実を見た上申であり、実質的には嘆願であった。

 だがフランス政府は国威が損なわれると、その上申を却下した。

 その上で要請に応じる形で、アフリカの植民地に展開させていた部隊を派遣する事を約束した。

 フランス領インドシナで上がった烽火は、火を点けたドイツの望む効果を生み出そうとしていた。

 

 

――日本

 アジアの地で発生した大規模な民族自決を願う独立運動に連動し、日本国内では一部政治勢力からその支援を行うべきであると言う意見が上がった。

 大アジア主義の焼き直しの様な民族自決を希求する理想主義者と、フランス領インドシナを独立させて日本の影響下に組み入れるべきだという、これまた戦前の日本(ビフォー・パシフィックウォー)が罹っていた膨張主義の鬼子の様な人間たちであった。

 当然ながらもマスコミなどで旗振りとなっているのは前者 ―― 理想主義に基づいた甘美な未来への希望であった。

 だが、この意見が日本の世論の中心になる事は無かった。

 G4と言う枠組みに於ける日本とフランスの関係性も理由にはあった。

 だがそれ以上に、タイムスリップから10年以上が経過し、この時代の空気に馴染んでいた日本の世論は冷静であり、マスコミや空疎な理想論に踊らされる事は無かったのだ。

 或は冷淡であった。

 漸く資源の輸入が日本国内の経済を回すに足る規模を満たすようになり、民需主導の活性を取り戻しつつある現在、現実的な日本の利益に直結しない近隣国家の内紛に関与し国力を消費するなど真っ平御免という感情であった。

 評論家や文芸家の一部からは、この世論を指して“人のぬくもりを失った日本”等と言う声が上がったが、日本の世論が動く事は無かった。

 良くも悪くも現実主義であり、現世利益主義であった。

 この日本の姿勢に、植民地を抱えるフランスとブリテンは安堵した。

 

 

――オランダ

 オランダは民族独立運動の勢いがオランダ領東インドに波及する事を恐れた。

 オランダ領東インドは、1930年代に入って始まった日本との資源貿易でオランダに莫大な富を与える打ち出の小づちであったからだ。

 日本企業の進出に伴い、日本からの円借款によるインフラ投資も行われており、その影響によってオランダの経済界も良好な影響を受けていた。

 口の悪い人間は、オランダ領東インドを指してオランダの本体(・・・・・・・)と言う程であった。

 オランダ領東インドの安定は、オランダ経済にとって生命線でもあった。

 その生命線に火が点こうかと言うのだ、オランダ政府が慌てるのも無理はなかった。

 オランダ政府はオランダ領東インドの治安維持組織を強化(※1)すると共に、フランスに対して可及的速やかなる事態の沈静化を要請する事となる。

 

 

 

 

 

(※1)

 人口規模の小さなオランダでは、オランダ領東インドの治安維持に必要な人員を賄いきる事が出来ず、傭兵を導入する事となった。

 フロンティア共和国で勇名を馳せていた、コリア系日本人の組織である。

 オランダ政府は、日本とアメリカに事前交渉を行った。

 日本は、建前として民間主体であり、朝鮮共和国の経済にとってプラスであるならばと了承した。

 アメリカは、現時点でフロンティア共和国での所要量を満たしている為、特に問題では無いと返答した。

 最後にオランダが交渉した朝鮮(コリア)共和国は、貴重な外貨獲得の機会であると認識し、二つ返事で派遣を了承した。

 鉱山資源の輸出程度しか外貨獲得の手段の無い朝鮮(コリア)共和国にとって、傭兵としての人員派遣は経済にとって無くてはならない柱に成長していた。

 これは朝鮮(コリア)共和国経済の歪さではあったが、同時に仕方のない面があった。

 日本連邦の一員として朝鮮(コリア)共和国が独立して以降、産業育成の為の日本からの大規模な投資が行われていない為であった。

 日本は生活水準の向上などの為であれば円借款 ―― 政府開発援助(ODA)による投資は惜しまなかったが、教育や民族資本の蓄積に関わりそうな部分は、朝鮮(コリア)共和国政府の専管事項であるとして、関与しようとしなかったのだ。

 この為、朝鮮(コリア)共和国はグアム共和国やオホーツク共和国は当然としても、同じ日本(ジャパン)帝國の末裔である樺太(ノース・ジャパン)邦国や台湾(タイペイ)民国に劣る発展具合であった。

 無論、その原因 ―― 日本に於いて我侭を尽くした在日朝鮮人の歴史を知れば、日本の対応(unfriendly attitude)も理解できる部分はあった。

 とはいえ自分たちがした事ではないのに理不尽であると言う感情もあり、それが朝鮮(コリア)共和国内に於ける在日朝鮮系住民に対する反感と冷遇に繋がってはいたが。

 

 ともかく。

 朝鮮(コリア)共和国政府は、国家の発展と日本連邦内での地位向上を目指す為の外貨は幾らあっても過剰と言う事は無い為にオランダ政府の要請を受けて幾らでも人員を派遣するのだった。

 オランダ領東インドは新しい火種を自ら作る事となる。

 

 

 

 

 

 

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