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這う這うの体でチャイナに到着したドイツ東征船団。
その入港を確認したアメリカ
そして世界は、武力衝突に発展しなかった事を見て、アメリカとドイツ両国の理性に安堵した。
――ドイツ
脱落した貨物船が1隻も無かった事から、ドイツ政府はドイツの海洋力の素晴らしさを世界に見せつけるものであると国内に向かって宣伝する事となる。
ドイツ海軍も今回の、船団あるいは艦隊による大規模航海で様々な知見が得られたとした。
とは言え問題も認識していた。
1つは、ドイツ海軍の航空機運用能力の乏しさである。
東征船団が洋上に出て以降、常にアメリカの航空機は接触し、その位置を無線で報告していた。
航空機と言う存在が、広大な外洋に於いて圧倒的な哨戒力を持つ事を見せつけていたのだ。
これはドイツ海軍にとって深刻な脅威と言えた。
別に遠征任務に関する問題では無い。
これ程の遠征任務がドイツ海軍に課される事はそう多くは無いだろう。
だが、将来のブリテンやフランスとの戦争の際に想定している任務 ―― 通商破壊戦の任務にも航空機の哨戒力は脅威になるだろう。
水中に隠れる事も出来る潜水艦はまだしも、目立ちやすい大型艦では、航空機に即座に狩り出される危険が高いと言う認識である。
ドイツ海軍は頭を抱える事になる。
ドイツ海軍とて洋上に於ける航空機運用能力が無い訳では無い。
既にドイツ初の空母グラーフ・ツェッペリンは公試の段階に入っており、2番艦であるペーター・シュトラッサーの建造も艤装段階に達している。
ドイツ海軍は空母を手に入れる寸前となっていた。
又、E艦隊計画に基づいて、グラーフ・ツェッペリン級よりも簡便な防空護衛空母(※1)としての20000t級空母4隻の建造も予定されていた。
艦載機の開発も順調ではあった。
だが、その艦載機が問題であった。
この時点で艦載機として予定している戦闘機はBf109の改良型である。
性能自体は、ブリテンやフランスの艦載機と比較して劣っている訳では無い。
だが大きな問題があった。
艦上機として軽量化する必要性と、艦隊直上での防空任務が遂行されれば良いとの割り切りによって、その航続距離は400㎞台と極めて短いものであった。
これでは空母を含んだ通商破壊戦部隊から前進配置し、部隊に接近する航空機を撃退する事で部隊の位置を隠匿する任務など期待できる筈も無かった。
この為、ドイツ海軍は航空機メーカーに対して、長距離飛行可能な艦上戦闘機の開発を要請する事と成る(※2)。
2つ目には、この遠征で消費した予算だ。
戦艦1隻が世界を半周したのだ。
その運用費は、平時体制のドイツ海軍の予算を大きく食い荒らす事となった。
また備蓄していた燃料も大きく目減りしており、艦艇を海に出して訓練をするのも容易では無いと言う状態に陥っていた。
来年度に於けるドイツ水上艦部隊の練度低下が恐れられるまでの事態となっていた。
今回の東征は、ドイツ政府からの命令である為、予算と燃料の補填自体は約束されてはいたのだが、如何せん燃料はドイツ国内全体で需要の逼迫が起きており、何時満足な量の充てんがなされるか判らないのが実状であった。
この為、ドイツ海軍高官の一部は“ドイツ海軍は名誉と引き換えに未来を失った”等と嘆く有様であった。
又、燃料の不足はチャイナでも深刻であった。
GDPで
ドイツ海軍は頭を抱えた。
――アメリカ
概ね成功と言って良いドイツの船団追跡劇であった。
長距離航海訓練としても、良い結果を残していた。
特に空母の運用に関しては、グアム共和国(在日米軍)経由で学習した先進的な空母運用方法を、実戦に近い環境で継続的に行えた事は、大きな成果となった。
数々の成功と失敗が、明日のアメリカ海軍空母運用に大きな成果を与えると認識されていた。
又、フランスの戦艦ダンケルクとの長距離航海も、近い将来にアメリカ海軍が習得する高速戦艦群の運用に関する知見を得る事に繋がった。
日本やグアム共和国(在日米軍)から得られる未来の知識や戦訓は、未来の技術を背景にして初めて意味のあるモノが少なくない為、それらの知識を血肉とし、今の技術で出来る事を行っていく為には地道な研究と訓練が大事であった。
フロンティア共和国へと入ったTF-21は、2週間の休息と補給、そして整備を行った後、黄海にて日本やブリテンとの
共同航行や救難訓練は広くマスコミにも公開され、盛況となった。
無論、その目的はドイツと共にチャイナへの威嚇であったが。
訓練後、改めて休養を行い英気を養ったTF-21は大西洋への帰路に就いた。
今度は太平洋を横断し、パナマ運河を越えて戻る積りであった。
途中、横須賀港やパールハーバーに寄港し、歓待を受けて行く事と成る。
寄港先でワインや日本酒、焼酎にバーボン、様々な酒類を飲み、兵たちも様々な美食を味わったこの航海を、戦艦ダンケルクのフランス人士官は“素晴らしき航海”と呼ぶ事となる。
TF-21は極東を離れたが、太平洋艦隊から分派されてきた戦艦ペンシルバニアを旗艦とする2隻の戦艦群は、そのままフロンティア共和国に駐留する事となった。
これは万が一にドイツが血迷った場合、一番に脅威となる戦艦シャルンホルストを実力で鎮圧する事が目的であった。
――チャイナ
東シナ海のみならずチャイナの前庭である筈の渤海や黄海を自由に遊弋する海の支配者 ――
東洋の守護者、竜たるチャイナにも戦艦が必要であると国民は声を大きくして訴える事となる。
だが、今のチャイナには戦艦を建造するだけの工業力が存在しなかった。
ドイツの協力によって、戦車や戦闘機などはそれなりに生産する事が可能となっていたが、戦艦と呼べる大口径砲を積んだ、鋼鉄の鎧をまとった戦闘艦を建造する能力など無かった。
であればと、輸入を検討するのがチャイナであったが、戦艦を建造可能な国家は限られていた。
チャイナと対立するアメリカを筆頭とするG4諸国は、建造を依頼するだけ無駄であった。
では友邦と呼べるドイツやソ連はどうであるかと言えば、此方は自国向けの戦艦の建造だけで精一杯であり、とてもではないがチャイナ向けの戦艦を建造する余力など無かった。
そもそも、チャイナの財政は近年の対アメリカ戦備計画で極めて逼迫して来ており、1等国の証であり戦略兵器でもある戦艦を整備する余力など、とてもではないが有してはいなかった。
この現状に切歯扼腕したチャイナは、戦艦では無く戦艦に準じたものの取得を目指す事となる。
それが装甲艦であり海防戦艦であった。
装甲艦と言えばドイツが著名であるが、ドイツは自国向けで造船能力が精一杯となっていた。
この為、白羽の矢が立ったのは、G4に積極的に与していない中立国家であるスウェーデンであった。
スウェーデンは、チャイナからの依頼に対して混乱しつつも中立の立場を維持する為にもG4、ブリテンに連絡を取った。
ブリテンの反応は、非好意的ながらも阻止はしないと言うものであった。
これは、チャイナが求めた海防戦艦が主砲こそ有力に成りえる28.3cm砲を搭載するが、船体規模はスウェーデンの造船能力の限界から10000tに満たないものとされており、外洋航海能力が限定的である ―― 海防戦艦である事が理由であった(※3)。
こうしてチャイナは大型艦を手に入れる事となる。
建造の契約を交わして直ぐに、チャイナは国内に対して大々的に戦艦の取得を宣言した。
名前は、チャイナの未来に向かって航海するフネとして、鄭和とされた。
――タイ
チャイナが海防戦艦を整備する事は、東南アジアで唯一の独立国であるタイの国民感情を刺激した。
又、隣国のフランス領インドシナで治安が悪化している事も、国威の象徴的な軍艦の建造をタイが行う事を国民が要求する事となった。
この為、タイは日本に対して20㎝砲を搭載する3000t級の海防戦艦の建造を依頼する事となる。
対して日本は、この要望に対して建造コストを理由に否定的な返答をする事となる。
この頃、日本では8in.砲を搭載する10000t級の対地支援護衛艦 ―― 事実上の重巡洋艦クラスの整備を進めており、8in.砲であれば新造できる余力を有していた。
問題は、この新開発された8in.砲が日本の大口径砲らしく完全自動化された砲である事だ。
当然ながらも建造費用は嵩む。
1基分の砲システム一式だけで、タイが建造費用として用意していた予算を上回るのだ。
この見積もりがタイの意欲を撃沈する事となる。
又、整備性の事も問題であった。
日本の水準で艦を建造した場合、とてもではないがタイで整備できない。
先進国と言って良いフランスですら、日本から導入した31式戦車の運用に四苦八苦しているのだ。
タイが対応出来る筈も無かった。
とは言えタイは引き下がらなかった。
この時点でタイは日本に海軍将校を派遣しており、海軍将校と言うまがりなりにも軍事の技術者達は日本の先進技術の一端を見て、それに惚れこんでいたのだ。
或は、日本製と言うネームバリューが持つ抑止力を幻視していた。
この為、タイは日本に対して必死に交渉を行った。
連日に渡った交渉は、意外な事に日本連邦内からも援護が出る事となる。
シベリア共和国や
この時点で日本が日本連邦参加各国に提供していたのは、海上保安庁の巡視艇をベースとしたフネであり、それは機能的ではあったが決して象徴的な力を感じるフネでは無かったのだ。
この結果、日本はタイ及び国内邦国向けの
(※1)
ドイツ海軍上層部は現在のZ艦隊やE艦隊の大型艦整備で、ドイツの軍需造船部門の能力を超過しかねない事を理解していた。
この為、E艦隊計画に基づいて整備を図る呼称C級空母に関しては建造効率を優先した簡易的な空母としての建造が行われるものとされていた。
この為、グラーフ・ツェッペリン級で求められた15㎝砲の
これは防空を主任務と割り切る事で艦載機数を戦闘機主体の、それも20機台に減らした事の効果が大きかった。
尚、海軍上層部の一部からは17000t型C級空母が早期に陳腐化せぬ様に、G4諸国の海軍が導入しつつある空母の新技術群 ―― アングルド・デッキや側舷エレベーターの導入の必要性を訴える声も上がって居た。
だがドイツには、それら新装備の基礎的な研究も技術も無く、
尚、後にフォン・リヒトホーフェン級と名付けられる事と成る17000t級空母の設計図は、ドイツ/ソ連の技術協力協定に基づきソ連に提供される事と成る。
(※2)
ドイツ航空機メーカー各社の反応は手酷いものであった。
メッサーシュミット社を筆頭に、ヒトラーの命令によってジェット戦闘機開発に総力を上げている状況なのだ。
にも関わらず、ごく少数しか生産しないであろう海軍専用機を新規に開発する余裕など、ドイツの航空機メーカーにある筈も無かった。
この為、ドイツ海軍は少しでも航続距離を延ばす工夫 ―― 増槽などを翼下に搭載するなどをメーカーに要求する事となる。
(※3)
尚、ブリテン政府は、スウェーデン政府に対して海防戦艦鄭和の図面の提供を秘密裏に要請した。
スウェーデンは、中立を維持する為、これを受け入れる事となった。
海防戦艦鄭和は生まれる前から、その詳細が知られる事となる。
2019/11/15 文章修正