タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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068 フランス植民地帝国の壊乱-02

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 ベトナム独立派が手に出来た武器はチャイナからの余剰兵器の横流しが主体で在る為、小銃の他は手榴弾やダイナマイトの様な爆発物が精々であった。

 チャイナとフランスの関係が悪化すると共に、旧式ながらも機関銃や大砲も入手できる様になる。

 又、戦闘をすれば練度の低いインドシナ連邦軍は簡単に壊乱する為、その装備 ―― 武器弾薬自動車を入手する事も出来た。

 とは言えフランスとて世界を牛耳るG4の一角であり、その正規軍は本国からはるか離れたフランス領インドシナであっても戦車や装甲化自動車(アーマー・トラック)(※1)を多数装備しており、ベトナム独立派にとって簡単な相手では無かった。

 只、武力鎮圧に際して過度の暴力を振るう悪癖のあるフランス軍やインドシナ連邦軍は、一般的なフランス領インドシナ住民から忌避されており、その活動を支える情報収集の面では圧倒的に劣勢であった。

 情報的な優位、すなわち一般のフランス領インドシナ住民の支持あればこそベトナム独立派は装備に劣るフランスと戦えているとも言えた。

 

 

――ベトナム

 ベトナム独立派-軍が軍としての体裁を整える事が出来たのはジャパン人、北日本(ジャパン)邦国からやってきた義士(・・)将校たちの力あればこそであった。

 義士将校たちはジャパン帝国陸軍、関東軍時代に培っていたチャイナとの(コネクション)を介してベトナム独立派に接触したのだった。

 当初は白い目で見られていた義士将校たちであったが、日本国陸上自衛隊で受けた教育によって培った作戦指揮能力で、小規模なチャイナ人部隊を率いてインドシナ連邦軍に痛打を与え続けた事で信頼を獲得し、軍の建設に携わる事となったのだ。

 だが義士将校たちが作り上げようとしたのは陸上自衛隊では無かった。

 彼らの心のふるさと、ジャパン帝国陸軍式の組織を指向していた。

 そんな義士将校に鍛えられたベトナム独立派-軍は急速に軍としての能力 ―― 規律と命令への服従という技能を獲得していった。

 この時点でベトナム独立派-軍はベトナム人とチャイナ人が、合わせて5万近い軍勢となっていた。

 その全てが戦闘要員(ライフルマン)という訳では無いが、それでもこの時点で3万人前後の総兵力しか持たないフランス軍/インドシナ連邦軍と数の上では互角以上となっていた。

 この数的優位は、特に訓練不十分なインドシナ連邦軍相手には大きな効果を上げた。

 倍以上の数で包囲し、猛攻撃を加えれば簡単に撃破出来たのだ。

 これによってベトナム独立派-軍は農村部から始まり、フランス領インドシナの北部でじりじりと支配領域を増やしていく事となる。

 

 

――フランス

 ベトナム北部での一時的(・・・)劣勢の原因を、練度及び装備良好な部隊の少なさにあると喝破したフランス政府は、フランス軍アフリカ駐留部隊のみならず、フランス本土からの戦力の抽出を決断した。

 その決断の背景には、駐日仏国(・・)大使館経由で日本から得た未来情報があった。

 越南戦争(第二次インドシナ戦争)である。

 燎原の火の如く広がった戦争は、莫大な人員と物資を注ぎ込んだ米国であっても勝ち切れなかったと言う史実(・・)である。

 米国が如何に戦争の自由を縛られているとは言え、列強が植民地に負けるなどという信じがたい事実を前に、フランスは恐怖した。

 フランスは100年の宿敵と言えるドイツと正面から対峙している。

 そのドイツは、中欧諸国を併合しドイツ連邦帝国(サード・ライヒ)等と言う明確なナチズムに基づく拡張主義を取っているのだ。

 そう遠くない未来で雌雄を決するだろうと言うのが、フランス政府の確信(・・)であった。

 であればこそ、この状況下で別の大きな戦線を抱える訳には行かないと言うのがフランス政府の判断であった。

 幸いにしてフランス国内の騒乱 ―― “平穏の為の平和の否定(レッド・パージ)”による平和派の殲滅は成功裏に終わりつつある為、戦力の抽出は可能であった。

 フランスは3個の歩兵師団に戦車旅団を付けて、フランス領インドシナへの派遣を決定する(※2)。

 

 

――ドイツ

 フランスの国力がフランス領インドシナに注がれていく状況に歓喜した。

 特に、ドイツにとって忌々しい事にドイツ国防軍よりも優良な装備を誇るフランス陸軍がフランス本土から減少する事は、福音ですらあった。

 J38(31式)戦車を保有する部隊まで派遣される事を期待した程であった。

 とは言え派遣された戦車部隊は1個旅団規模であり、欧州随一の大陸軍(グランダルメ)と謳うフランス陸軍にあっては小規模であった。

 この為、ドイツはアフリカ大陸に存在するフランス領での独立に向けた武力蜂起支援を加速させていく。

 だが、既にフランスはもとよりブリテンからもアフリカでのドイツの動きは不穏なものと判断されており、ドイツ人は常に監視されていた。

 この為、思う様な活動が出来ない状況にあった。

 ドイツは迂遠ながらも、自国の強い影響下にあるスペインを介して干渉を行う努力を開始した。

 

 

 

 

 

(※1)

 日本が装備する装軌装甲車や装輪装甲車の有用性を見て、フランスが独自に運用する装備。

 アメリカの様に半装軌車(ハーフ・トラック)を多数そろえる程の余力が無いが、治安維持活動に装甲車は必要であるとの観点から、トラックに耐小銃弾防御が可能な装甲を与えた車両。

 とは言え、日本の様な乗り心地と防弾性能を両立させた防弾タイヤを製造する技術が無い為、総ゴム塊タイヤとなっており乗り心地は最悪である。

 又、エンジンの非力さから、装甲に搭載力を奪われており、人員輸送力も高いとは言い難い。

 総じて、過渡期の装備であると言えるだろう。

 或は植民地警備用であった。

 中途半端と言って良い性能の装甲化自動車であっても、貧弱な火器しか持たぬ植民地の独立運動派が相手ならば猛威を振るう事が可能であった。

 尚、フランスがフランス領インドシナへと投入した車両は、アメリカから譲り受けた中古車を改造したものである為、タイヤは通常のものであった。

 

 

(※2)

 戦車部隊の派遣を決定すること自体は簡単であった。

 だが問題は重装備の輸送であった。

 軽量快速、30t級のAMX39戦車はまだしも、主力であるJ38戦車は44tもの重量級である。

 この時代のフランスの輸送力と、貧弱なフランス領インドシナの港湾設備 ―― 荷揚げ能力では簡単では無かった。

 この為、目を付けたのが日本である。

 日本はフィンランド支援の為に派遣していた第391任務部隊(TF-391)の全てを日本本土へと帰還させていた訳では無かった。

 フィンランドとソ連との間での和平交渉成立までの停戦監視業務を国際連盟から委託され、遂行していたからだ。

 この為、TF-391に護衛された人道物資輸送船団も、その大半が欧州に残っていた。

 その輸送力の借り受けをフランス政府は願い出たのだ。

 具体的には輸送力もさる事ながら、港湾機能に頼らぬ揚陸能力を持った8900t級のおおすみ型輸送艦くにさきと54000t級のさつま型多機能輸送艦つがるだ。

 この2隻の輸送力があれば、フランスがフランス領インドシナに送りたい戦車などの大半を輸送する事が出来る筈であった。

 この貸出(リース)要請に対して日本は国会、安保関連委員会で審議を行った。

 審議は紛糾した。

 植民地の独立運動は民族自決の観点からすれば正しい行為であり、それを否定する事に日本が手を貸す事は正しい行為であるのかと、野党のみならず与党議員の一部からも懐疑の念が出された。

 道義的な問題であると同時に、フランスが行っている苛烈な鎮圧行動は、それに日本が加担する事による政府批判 ―― 内閣支持率の低下を恐れると言う生臭い問題でもあった。

 とは言えフランス政府が提示した輸送の対価、アルジェリアでのガス採掘権とマダガスカルでのチタン鉱山の採掘権の貸し出しは実に魅力的であった為、フランスの要請を一蹴する事も出来なかった。

 最終的に日本は、フランスに対して適正なる対価と共に暴徒の鎮圧に際して過度(・・)な暴力の使用を自制する事を要請し、承諾する事となる。

 民族自決の問題に関しては、フランスとフランス領インドシナの問題であり、そこに関与する事はフランスに対する内政干渉に当たると言う理屈であった。

 その上で人道主義に基づいた暴力の抑止を要請する、要請をフランスに受け入れさせる為の対価としての輸送力の提供と言う形で落ち着く事となった。

 尚、フランスもこの要請には誠実に答える姿勢をとり、治安維持戦(平成のIRAQ派遣)に於いて実績を持つ日本から治安維持に於ける民心慰撫の研究者を招聘し、事に当たる事とした。

 フランスとて弾圧が目的では無く、治安維持の手段としての暴力である為、別の安価な手段で平和が維持できるなら柔軟な姿勢を取る事に異論は無かった。

 

 

 

 

 

 




2019/11/29 文言修正
2019/12/01 文章修正(きい型多機能輸送艦をさつま型へと改名)

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