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フランスのアフリカ植民地に対するドイツの干渉は、フランスとブリテンの反応を呼んだ。
熾烈な情報戦と工作員による死闘が繰り広げられる事になる。
通常、外交の表舞台から隠れた情報戦であっても
だがアフリカ沿岸域やスペイン国内に於いて、フランスはドイツに対して躊躇の無い攻撃を仕掛けていた。
これは1つに、フランスがそう遠くない未来でドイツと雌雄を決する事になるだろうと覚悟を決めていた事が大きかった。
そして戦争となればドイツを滅ぼすまで戦う積りであった。
それ程に、在日仏国大使館から齎された第2次世界大戦の記録 ―― 独国によって1度は滅亡した未来と言うものへ
更に言えば
非戦の為に
ドイツの風下には絶対立たぬ。
その為には、ドイツを再建できない様に徹底的に叩き潰す所存であった。
その覚悟たるや、日本の未来情報を共有するG4の連絡会で他3ヵ国が
――スペイン
フランスとドイツの
これに対してフランスは高圧的と言って良い態度で、ドイツが国際秩序への挑戦を行っている事が原因であると返答した。
その上で、スペインに対して国際秩序を乱すドイツを排する事への協力を要請する有様であった。
対してドイツも、フランスによる理不尽な暴力的行為への自衛であり、スペインはフランスを排するべきであると主張した。
スペイン政府は頭を抱える事となった。
政治体制的な面で言えばドイツ寄りのスペインであったが、フランスは国境線を接している国家であり、更には列強国 ―― 軍事大国でもあるのだ。
内戦の傷跡も生々しいスペインが、政治的なものであっても気軽に敵対的な態度を取れる相手では無かった。
ではドイツを切ってフランスに付けば良いかと言えば、それも難しかった。
ファシズムを標榜し国際的にドイツと親密であった為、フランスを筆頭として世界経済の潮流を握るG4諸国と距離があったのだ。
イタリアの様な
結局のところ、スペインの立場は強大国に挟まれた中堅国の悲哀とも言うべきものであった。
――イタリア
アフリカに於けるフランス/ブリテンとドイツの対立と暗闘でスペインと共に迷惑を被ったのはイタリアであった。
別にドイツがイタリアを介してフランスのアフリカ領にアクセスしようとしたと言う訳でもない。
だが、イタリアを豊かにする
難民だ。
その難民の口を介してリビアに、フランスの植民地での独立運動の話が入って来たのだ。
イタリア政府は頭を抱えた。
1930年代に入って漸くリビアでの独立運動を鎮圧する事に成功したばかりなのだ。
万が一にもリビア人の独立欲が再燃されてしまっては大変な事になるだろう。
今のリビアは、石油資源の開発に日本とブリテンを主とした企業による投資が活発に行われており、その影響で停滞しがちなイタリア経済も活性化していたのだ。
イタリア経済の活力源が止まるなど、イタリアにとって許せる話では無かった。
とは言え、現段階で弾圧を含めた取り締まりを行う事は反発を呼び、それが独立運動の火だねになりかねない為に、高圧的な選択肢を取れる筈も無かった。
故にイタリアは飴と鞭を選ぶ事となる。
示威行動として、戦車を含めた重装備を持ったイタリア正規軍をリビアに配置した。
同時に、リビア人の民族主義者の穏健派に接触し、イタリアの植民地では無い様々な権利と限定的ながらも自治権を持った自治州 ―― 或はイタリアに束ねられた同盟体、各リビア在住諸民族の自治国的な地位を目指す事を図る。
独立した
それは、ある意味でリビアに於けるイタリア人の特権的地位を抑制する政策であったが、可能としたのはイタリアに於けるムッソリーニのマフィアさえも抑えつけ、
ある意味でムッソリーニは、執政者としてヒトラーよりもスターリンよりも優れたる人物であった。
――ブリテン
ブリテン連邦とは、1930年代中盤に発生したブリテンの各植民地が連帯し非暴力を徹底させた独立運動の成果 ―― 1937年のブリテン帝国合同会議によって宣言された、ブリテンを頂点とする多国家連合体である。
この宣言に基づきブリテンは、各植民地に対して大幅な自治権を認めると共にブリテン人の植民地に於ける各種特権を抑制する事となる。
外交に関しても発効にこそブリテン連邦評議会による承認が必要であるが、独自の交渉は可能であった。
防衛、軍事に関しては戦時の指揮権はブリテンが一元管理はするものの、軍備に関しては連邦構成各国が独自に行える事も認めた。
この事実上の独立の対価として、ブリテン連邦の参加各国はブリテンへの忠誠とブリテン連邦への帰属を認める事となる。
在日英連邦大使館連合による対ブリテン独立運動組織の大いなる勝利であった。
同時にブリテンの勝利でもあった。
ブリテンが真に望んで止まなかったのは、黄金の大ブリテン時代の原動力でもある市場 ―― 植民地の非関税市場としての存続であったのだから。
ブリテン連邦宣言から既に2年以上が経過し、旧ブリテン植民地群は安定しつつあった。
だが同時に連邦各国の、一部の先鋭的な民族主義者たちは自国からのブリテンの追放を叫び続けていた。
特に中東は、元々が独立国家であった為にその傾向が強かった。
それを経済的な発展 ―― 生活の向上で宥め賺していた。
だが、中東地域は石油を生み出すが故に利益供与も出来るのだがアフリカの場合は鉱山開発と内陸国家が大半である為、
しかもアフリカの各国家が単一民族による自然発生国家では無く、アフリカを切り分けた先進国の都合によって生まれた多民族国家である為、国家内部での民族間の対立が多々発生しているのだ。
治安を安定させるのは簡単では無く、逆に、民族派に火を点ける事が簡単すぎる場所であった。
そんなブリテン連邦アフリカ諸国の隣国 ―― フランス領アフリカで、フランスの圧政を理由にした独立運動が、ドイツの支援によって多発しだしたのだ。
ブリテンがドイツへの殺意を溜めるには十分な理由であった。
同時に、フランスに対しても植民地へのガス抜きの必要性を提案した。
――フランス
植民地経営としては各国を独立させるという意味で先に足を洗ったブリテンに対し、そもそもフランスは海外県としてフランスの一部へと取り込む形をしていた為、同じような手が使えないという状況があった。
フランスにとってアフリカの植民地独立派は、言わばフランスからの分離独立派となるのだ。
簡単に認める訳にはいかなかった。
故にフランスはブリテン連邦の成立、
実際、フランス領アフリカ各地での独立運動は、ブリテン連邦の成立以降に数を増やしていた。
在日英連邦大使館連合の対ブリテン独立運動を真似ていた為、非暴力であり、ある意味で対話主体であったのが幸いであったが。
それ故にフランスは、フランス領アフリカの各地からフランス正規軍を抽出し、フランス領インドシナに派遣できたのだ。
そこに、
フランスが激怒したのも当然であった。
フランス政府内でのドイツへの敵愾心は燃え上がったが、フランス領インドシナで戦争が起きている今の段階で、ドイツと戦争を行う事は得策でないと自制していた。
この自制によるストレスが、ある意味でアフリカやスペインでのドイツ人工作官へ向けられ、後の小説家が“
――ドイツ
ドイツのフランスのアフリカ植民地に対する工作は、投入される予算や人員に対して成功しているとはとても言えぬ状況であった。
よく訓練されている工作官たちが捕殺されていく状況に、ドイツは頭を抱えていた。
ドイツの、海外でも活動できる
とは言え現状のドイツとフランスの関係であれば、フランスの植民地に着火し続けなければドイツは国家の存続が危ぶまれる ―― 鎮火と共にフランスが報復として戦争を仕掛けて来るのが明白である為、アフリカの民族派への支援を渋る訳には行かないのだ。
ある意味で因果応報のドイツの苦境であった。
何としてもフランスの手足を縛る、縛り続ける。
その目的の為、当初は着火後は手を出す予定の無かったベトナム独立運動への支援をドイツは決断していた。
チャイナのドイツ租借地である青島で武器を生産する事と成る。
この事が、アメリカの耳目を集める事となる。
(※1)
情報/諜報戦に於いて殺される人間は、基本的に自国民の内通者が主であった。
相手国の
2019/12/01 文章修正
2019/12/02 文章修正