タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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074 アメリカの帝国主義-2

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 国際連盟に正式加盟したアメリカが最初に行ったのは国際的武器取引に関する制限条約の提案であった。

 具体的には、国際連盟安全保障理事会にて紛争当事国(・・・・・)と言う認定を行い、その紛争当事国に対して国際連盟加盟国の武器売却は制限されると言うものであった。

 又、これを実効性のあるモノとする為、安全保障理事会の下に紛争抑止小委員会を作り、世界中の武器取引の調査を行わせると言う事を併せて提案していた。

 アメリカの狙いは、先ずチャイナであった。

 軍閥が横行し治安も悪いチャイナは、国際連盟が初めて紛争当事国として定めるに相応しい ―― 安全保障理事会の場でアメリカは堂々と主張した。

 当然ながらもチャイナは烈火の如く怒った。

 安全保障理事会の選出国(メンバー)でないチャイナは、マスコミを介してアメリカに対して謂れなき侮辱であると主張し、撤回と謝罪を要求する事と成る。

 だがアメリカはその要求を拒否する。

 昨今の満州事件の原因も、嘗ての上海事件の原因も、チャイナ国内が軍閥の割拠による不安定状態である事が原因であると断じたのだ。

 過去10年、チャイナの大地から砲火の絶えた日は無かったと言うアメリカの主張は事実であった。

 その上でフランスも、アメリカに加担した。

 フランス領インドシナで跳梁するチャイナ人(義勇兵)の存在に苛立ちを覚えているからであった。

 そして義勇兵が持ち込んで来る兵器たちも脅威であったのだ。

 フランスは安全保障理事会の場で、チャイナへの武器の輸出入管理はチャイナの平穏のみならず周辺国にも平和を齎すだろうと演説を行った。

 慌てたのはチャイナと並んでドイツである。

 チャイナへの武器売却はドイツの輸出に大きな割合を占めており、それが止められるとドイツの外貨入手手段はかなり限られたものとなってしまうのだ。

 その上で、チャイナが国際的武器取引に関する制限条約の前例(・・)となれば、後は国際連盟安全保障理事会常任理事国(G4)がそれをどんなに恣意的に運用するか判ったものでは無いというのがドイツの考えであった。

 人も国も、自分が行うのと同じように他の人や国が行うと思う。

 ドイツにとって条約とは、己の都合が良い様に恣意的に運用し、或は都合よく破る対象であった(※1)。

 

 

――国際連盟安全保障理事会

 アメリカとフランスの提案に対してチャイナは、紛争当事国との指定と武器の売却制限は内政干渉であり、道理にもとる許されざる帝国主義的精神の発露であると主張した。

 その主張に、国際連盟加盟国でも一定の国は同意を示した。

 内政干渉への抵抗と言う言葉は、それなりの合理性はある主張であったからだ。

 とは言え、実際問題としてチャイナの大地が安定していると言うのは難しいのが現実であった。

 一応は国家としてチャイナ政府の下で纏まってはいるが、中央の軍は兎も角として地方の軍は独自の権利を少なからず持つ、事実上の軍閥状態であった。

 更にはチャイナ共産党の跳梁、チャイナ政府や外国人などを対象とした、目的を選ばぬテロ行為(※2)が横行しているのだ。

 チャイナ国内の治安は安定してはおらず、政府要人や外国人は護衛を付けねば安心して出歩けぬというのが実状であった。

 このチャイナの実情をアメリカは余すことなく国際連盟安全保障理事会で開陳した。

 その上で、周辺諸国 ―― 北はフロンティア共和国、東は日本連邦、南はインドシナ連邦に難民が流出しており、深刻な問題となっていた(※3)。

 尚、西に関しては近年になってチャイナから独立したばかりの東トルキスタン共和国(※4)が存在していたが、此方は流入するチャイナ人難民を一切認めておらず、国家への侵略行為の尖兵であるとして武力行使を辞さぬ態度を見せていた為、チャイナ人側も難民として渡ろうとはしていなかった。

 

 

――チャイナ

 真綿で首を絞められる様なアメリカの対チャイナ政策に、チャイナはなりふり構わぬ形で宣伝戦に出る事となる。

 アメリカ国内の新聞社に大金をばら撒き、アメリカとチャイナの友好を記事にする様に依頼したのだ。

 著名な文化人へも懐柔を試み、アジアの偉大なる文化国であるチャイナを蛮族の様に扱ってはならないと言う世論を作ろうとした(・・)

 当然ながらも失敗した。

 既にアメリカ国内の世論は反チャイナ(イエロー・パージ)に染まっているのだ、この状況下で新聞社や文化人が親チャイナの声を上げられる筈も無かった。

 それどころか、新聞社の一部はチャイナからの接触を公表し、チャイナの不当なる世論干渉と批判したのだ。

 アメリカ国内の世論は更に沸騰する事となる。

 

 

――国際連盟安全保障理事会

 チャイナの強硬な反対とドイツの頑固な抵抗により国際連盟安全保障理事会は、紛争処理に向けた調査委員会を設置して先ず調査を行う事を定めた。

 チャイナ国内の状況調査である。

 紛争国指定は内政干渉であり、独立国家としては断固として抵抗せざるを得ないと言うチャイナの主張は、国際連盟加盟国の間で軽く扱われる事はなかったのだ。

 かくしてチャイナやアメリカ、アメリカの友好国(G4)では無い第3国の人間を中心とした調査団が編成され、チャイナに派遣される事となる。

 団長は、非G4で親チャイナでは無いという事が重視され、イタリアから抜擢される事となる。

 

 

 

 

 

(※1)

 条約(ルール)の枠内で、手段を問わず最大限の利益を稼ごうとするのが日本。

 条約(ルール)が定まっても、都合が悪く成れば破棄に走るのがアメリカ。

 条約(ルール)を最大限自分に都合よく定めるが、遵守はするのがブリテン。

 条約(ルール)によって束縛されるのは、自分では無いと信じているのがフランス。

 

 

(※2)

 チャイナ共産党の目的は、当然ながらもチャイナに共産国家を樹立させる事である。

 その為にチャイナ政府の要人や機関へ攻撃を行っていた。

 又、外国人に関してはロシア系以外は全てチャイナを侵略する帝国主義者の先兵であるので、隙を見ては殺害を図っていた。

 チャイナ共産党の目的に賛同せず、協力しないチャイナ人はチャイナ政府の手先か、帝国主義的な外国に阿る売国奴であるので、根絶やしにせんばかりの勢いで殺害していた。

 

 

(※3)

 アメリカは、フロンティア共和国へのチャイナ人の流入を認めておらず、国境線に鉄条網を用意し、国境警備部隊を巡回させていた。

 国境警備部隊にはフロンティア共和国構成民族で最大規模となっているチャイナ人を用いる訳には行かぬ為、日本政府の了解の下、コリア系日本人による民間軍事企業(PMSC)を増強し投入する事となった。

 とは言え、国境線の全てに張り付けられる程の部隊を揃える事は人的にも予算的にも不可能である為、国境線 ―― 非武装地帯に空中哨戒機を常駐させて発見に努め、その上で国境警備部隊の機動投入で対処する形である。

 尚、難民の排除に関しては、国境警備(コリア系日本人)部隊に対して武器使用に関する大幅な裁量を与えて対応していた。

 そこに人道主義(ナイーブ・シンキング)は存在しておらず、生々しい現実だけがあった。

 アメリカにも人道主義者は存在していたが、既にアメリカ国内でのチャイナ人排斥運動が発生している状況下でチャイナ人の人権問題に声を上げられる者など存在しなかった。

 

 日本連邦への難民は、日本領先島諸島や台湾民国領へと船で渡ってくる人々であった。

 日本政府は人道的処置として保護し、その全てをチャイナから独立している自由都市上海へと送り付けていた。

 この日本政府の断固とした方針に対して中国系日本人や人権派弁護士が、チャイナ政府に罪はあってもチャイナ人には無い、日本は新しい同胞として受けいれる器量を見せるべきだ等と批判の声を上げたが、日本人の反応は捗々しくなかった。

 タイムスリップ前の対中感情の悪さを引き摺っていた事もあるが、タイムスリップ後に見た上海事件や満州事件でチャイナ人が見せた横暴さと横柄さに愛想が尽きたと言うのが大きい。

 その上でタイムスリップの結果として日本人に成れた、中国系以外の所謂新日本人(・・・・)達が、己の既得権を侵すであろうチャイナ系日本人と言う新人(ニューカマー)の受け入れに断固とした反対の声を上げたのだ。

 建前として、チャイナ政府はチャイナは安定していると主張しているにも関わらずチャイナ人難民を受け入れる事はチャイナへの内政干渉であるとか、そもそも現状として日本は移住/移民を受け入れていないにも関わらずチャイナ人を難民として受け入れた場合には世界中から難民を自称する人間が大挙して押し寄せて来る危険性があるとか、様々な主張が行われた。

 結果、日本政府は初期の予定通りの上海市移送を継続する事となる。

 

 インドシナ連邦に関しては、フランス政府として取り締まりを行いたいのが本音であったが、既にフランス領インドシナとチャイナの国境地帯は独立派の活動地帯であり、難民の取り締まりやチャイナへの移送などが出来ない状況に陥っていた。

 とは言え、難民のチャイナ人が定着できるかと言えばそうでは無く、水資源や生活物資の面で先住のフランス領インドシナ(ベトナム)人と取り合い状態に陥っており、チャイナ人難民対先住民(ベトナム人)との間で武力衝突が起きる有様であった。

 この事は統治する側のフランスにとって大問題であったが、同時に、ベトナム独立派にとってもチャイナとの協力関係がある為に頭の痛い問題となっていた。

 このチャイナ人難民を大アジア主義によるベトナム独立への義勇兵と割り切り受け入れるには、避難民たちは老人や女子供が多すぎていた。

 

 

(※4)

 東トルキスタン共和国は、チャイナの国力を削ると言う意味でアメリカと日本の独立に関する支援を受けていた。

 とは言え、直接的な陸上の国境を接しない日本にとってチャイナの脅威は限定的である。

 にも関わらず、熱心に行われた日本の支援は、日本国内の新疆(ウイグル)系日本人による悲痛な嘆願が背景にあった。

 将来の民族浄化と言う悲劇の回避を願われれば、日本政府として動かない訳には行かなかったのだ。

 

 

 

 

 

 




2020/02/17 文章修正

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