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列強の間で出そろった第1世代型ジェット戦闘機。
その衝撃は、列強以外の国家にも大きな影響を与える事となる。
――チャイナ
アメリカは正式採用したばかりの新鋭ジェット戦闘機 ―― 空軍建軍後第1号にして命名則変更後初の機体である事からF-1戦闘機と命名された機体、先行量産型を主戦場と想定しているフロンティア共和国に持ち込んだ。
アメリカを守る剣、セイバーという
従来とは全く異なるデザイン、展示飛行で見せた俊敏さと速度は、従来のレシプロ戦闘機を時代遅れにするものであった。
更には度々にチャイナの領空、国境線から50㎞付近までの空にF-1戦闘機を国際連盟の監視機の
無論、チャイナとしても攻撃は出来ないにしても国家の威信を賭けて
稀に、低空を飛んでいる機体があっても、此方は速度差でどうにもできなかった。
この事がチャイナ人を打ちのめした。
何故なら、この時に使用されたのはFC-1戦闘機、チャイナが自国生産した最新鋭機であったからだ。
ドイツからライセンス生産権を得た機体を原型に、チャイナの手で新鋭ドイツ製1000馬力級水冷エンジンへの乗せ換えを行い、1940年後半から生産を始めたばかりの機体だったのだ。
だが、希望の星は堕ちた。
世代の差は残酷な現実をチャイナに突きつける事となった。
とは言え、手間暇金を掛け、量産にこぎつけたばかりの新鋭機が、即座に役立たずとなった等と言う話は、簡単には受け入れがたかった。
この為、
だがそれらは、尽く失敗していく事となる。
最終的に、失敗が2桁に達したころにチャイナはレシプロ戦闘機ではジェット戦闘機に対抗できないと言う現実を認めた。
認めると同時に、慌ててドイツに泣き付いた。
チャイナにもジェット戦闘機を売ってくれと、
泣き付かれたドイツだが、簡単に売れるタマが無かった。
実用化されたばかりのMe262戦闘機にせよ新規開発中の機体にせよ、ドイツとソ連が共同で開発しているものであり、各種権利は2カ国で平等に折半されていたのだ。
そしてソ連は、現チャイナ政府に見切りを付けていた為、技術漏えいの危険性を建前にして、チャイナへの売却を拒否したのだ。
この為、ドイツはチャイナにジェット戦闘機を売れなくなった。
だがチャイナは諦めなかった。
新鋭機も開発中の機体も2カ国共同開発であって売れないのであれば、チャイナが独自にドイツの航空機メーカーにすれば良いだろうと開き直ったのだ。
チャイナ外交代表はドイツ政府とドイツ空軍省を熱心に口説き、最終的に、チャイナ向けジェット戦闘機の開発が認められる事となる。
メーカーは、チャイナに齎されたFC-1戦闘機の原型機を開発した会社であった。
開発計画名は
要求されたのはジェット戦闘機である事、出来るだけ早く実用化出来る事、出来るだけ安価である事、チャイナでエンジン以外は製造ができる程に単純な設計である事とされた。
この過酷と言って良い要求に、メーカーは全力で応えた。
チャイナの金で生み出される機体は、エンジン以外はチャイナでライセンス生産する事が決まっていた。
だが機体の権利はドイツのメーカーが保有するので、ドイツや他の国で採用されればそのまま利益となるのだ。
メーカーも本気になると言うものであった。
ドイツとソ連によるジェット戦闘機の共同研究と開発計画への参加が認められていなかった同社であったが、幸運な事に社内計画として軽ジェット戦闘機の開発研究を行っていた為、計画の開始と共に開発はスムーズに進む事となる。
生産効率を最優先として、主翼も含めて直線主体となった無骨なデザインは、ドイツとソ連が開発した機体とは全く異なっていた。
だが最大の特徴はエンジンの配置にあった。
単発のエンジンを背負い式に配置したのだ。
これは、将来でのエンジン換装による高性能化を見越したデザインであった。
更には、開発着手から4ヶ月で試作機が空を飛んだ。
チャイナ政府は大喜びで、本戦闘機をFJ-2戦闘機と命名し採用する事となる。
又、FJ-2戦闘機の試作機を確認したドイツも、開発の難航しているソ連との共同開発中であった単発軽量戦闘機の補助戦力として、FJ-2戦闘機をHe500の名前で採用する事となった。
――ポーランド
ドイツとソ連によるジェット戦闘機実用化によって、航空戦力に於いて劣勢に陥る事が明確となった現状に、ポーランド政府は大きく慌てる事となった。
とは言え、ポーランド国内にはジェットエンジンの技術どころかイタリアの様に戦闘機開発を試みれる様なメーカーは無い為、ジェット戦闘機を生産する国家から導入する事となる。
この時点で輸出する余力のある列強は日本、アメリカ、ブリテンであった。
とは言え、技術的な意味で最有力候補の日本製F-9戦闘機は性能相応の値段もさる事ながら、日本自らの需要 ―― 邦国向けの生産が始まったばかりであり、ポーランドが運用出来る様に
次に購入が検討されたのは、アメリカ製F-1戦闘機かブリテン製ハンター戦闘機(※3)だった。
だがそこに思いがけない国家、スウェーデンからの提案が来た。
SAAB 29戦闘機だ。
イタリアと同じようにジェットエンジンは自国生産ではなくブリテンからの輸入に頼る戦闘機である。
全体としてアメリカ製F-1戦闘機に似た外観をしているが、太く、どことなくユーモラスなデザインをしていた。
とは言え、SAAB 29戦闘機はまだ完成してはいなかった。
エンジンの供給を国外に頼っていた関係上、どうしても列強クラスの国家には遅れてしまうのだ。
だが、だからこそスウェーデンはポーランドに提案をしたのだ。
一緒にSAAB 29戦闘機を開発しようと。
ポーランドの要求を入れた戦闘機に仕上げます、と。
それはポーランドの自尊心に響く、中々に魅力的な提案であった。
だが、開発に要求される予算が大きかった為、ポーランドは別の国にも声を掛ける事となる。
フィンランドだ。
ワルシャワ反共協定の同盟国であり、ポーランド同様に自国での戦闘機開発能力を持たないフィンランドに、一緒に戦闘機を開発しないかと提案したのだ。
その提案にフィンランドも乗った。
最終的に3ヵ国の要求を組み入れて開発される事となったSAAB 29戦闘機は、汎欧州戦闘機と言う計画名が付く事となった。
尚、3ヵ国の要求は、それぞれ方向性が異なる部分があり、それらを1つの機体にまとめ上げる事に時間が掛かる事となった。
だが破綻する事無く、スウェーデンは戦闘機開発経験の無い2国を巧みに説得し完成させた。
(※1)
日本が運用する先進的ジェット戦闘機群は、日本がチャイナと国境を接して居ない事もあって、余りチャイナ人の耳目を集めていなかった為、このアメリカ製F-1戦闘機がチャイナ人の知る初めてのジェット戦闘機となったのだ。
1932年の上海事件で日本もジェット戦闘機などを投入しては居たが、視認しにくい高度からの誘導爆弾攻撃が主体であった為に目立っていなかったのだ。
そして何より、日本戦車が発揮してみせた圧倒的な力に目がいっていたのだ。
(※2)
実際、駄目で元々とポーランドが日本にF-9の売却を要請した所、現時点ではポーランドが要求する期日に満足な数を供給する事は困難であるとの回答であった。
F-9戦闘機は、シベリア共和国やグアム共和国のみならず、経済力のある
日本国内での生産余力は限界に達しつつあった。
この為、日本はF-3戦闘機などの重要航空機以外の生産を、今後の輸出も睨んで人件費が安く、日本語教育がいきわたっている
これは主要産業の乏しい
(※3)
ブリテン製の3番目に開発されたジェット戦闘機。
オーソドックスなデザインで作られた本機は、単座の輸出用の機体でもあった。
これはフランスのミステールⅡ戦闘機を手本として、簡素なレーダーを選択する事によって全天候性の能力を削る代わりに、値段と運用コストを下げたのだ。
運用インフラの乏しいブリテン連邦の中進国での運用が念頭にあった為である。