タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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079 ジェット戦闘機時代の幕開け-3

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 国家の威信を賭けたジェット戦闘機開発。

 だがそこに、国家ならざるモノ ―― 企業が加わっていた。

 その名はエンタープライズ、グアム共和国の建国後、グアム共和国政府と民間出資者とで資本を用意した半官半民の企業である。

 その設立目的は観光以外の産業の少ないグアム島で産業を興し、10万を超える国民に仕事を与える事であった。

 エンタープライズ社がジェット戦闘機の開発に乗り出したのは、ベンチャー的な理由では無く、より切実な理由があった。

 ジェット戦闘機の開発に着手した時点でエンタープライズ社も既に設立から10年を経過し、それなりの成功を収めては居た。

 だがそれは漁業や農業などでしかなかった。

 その立地条件や歴史的背景その他から見て当然であるが、グアム共和国としては、それを簡単に受け入れて先端企業の存在を諦める訳には行かなかったのだ。

 例え、贅沢と言われても。

 何故なら、グアム共和国内には、少なからぬ日本とグアム共和国の大学などで教育された高等教育人材が居た。

 だがその使い道(・・・)が無い為、常に高度な教育を受けた若い人達は日本へと流出し続けていたのだ。

 グアム共和国は日本の邦国の中で一番、高齢化が進んでいたのだ。

 無論、今はまだそこまで問題になってはいないが、早晩問題化するのは明らかであった。

 だからこそ、ジェット戦闘機の開発と製造なのだ。

 エンタープライズ社は日本政府と日本防衛総省と折衝を重ね、細心の注意を払って日本の軍需産業と商品が重ならない様に配慮し、同時に日本の軍需企業と連携した開発に着手する事となる。

 軽ジェット戦闘攻撃機、開発計画である。

 日本政府としても、グアム共和国の人口と経済が健全さを保つ事は重大な関心事であった為、その支援は惜しみなく行われる事となった。

 軍需企業側としても積極的に協力しやすい状況であった。

 エンタープライズ社は資本規模や地場であるグアム島の敷地的な問題からも全てを内製化する事は不可能であり、設計と組み立てこそ出来ても日本の軍需企業の下請け(コンポーネントの製造)に頼らざるを得ないのだ。

 であればお得意先(Win-Winの関係)に成れる、そういう計算であった。

 実際、この最初の軽ジェット戦闘攻撃機(LJFA)計画に着手すると同時にエンタープライズ社が行ったのが、諸元計画値に基づいて各軍需企業から購入する技術の策定であったと言う辺り、お察しであった。

 とは言え、枯れた技術をかき集めて生み出される事と成るLJFA-01は軽量な攻撃機的な要素の強い戦闘機とされていたが、それは日本とグアム共和国(在日米軍)との間での認識でしかなかった。

 計画の時点で推力22kNを2発持ち、最大速力は第2世代戦闘機に準ずるマッハ0.9級と言う、第1世代戦闘機を配備し始めたばかりの国家にとっては、立派な重戦闘機であった。

 

 

――フランス

 輸出を前提とした新ジェット戦闘機、LJFA-01戦闘機の計画が公表された途端、何時もの病気(・・・・・・)を発症した。

 日本に対して売却を要請したのだ。

 日本は今回、フランスにグアム共和国(在日米軍)を介してエンタープライズ社を紹介し、自らは支援(ケツ持ち)に徹した。

 フランスとエンタープライズ社の交渉は、交渉の場に臨席していた日本政府関係者が後に同僚に「タヌキとキツネの化かし合いの如し」と感想を述べていた。

 ウーラガン戦闘機を実用化出来たとは言え対ドイツ戦争を睨んで使える戦闘機なら幾らでも欲しいフランスと、グアム共和国の為に何としても売りたいエンタープライズ社。

 ある意味で合意点は簡単に見えそうであるが、そうでは無かった。

 単純に買いたいと売りたいという話だけでは無く、技術を含めて欲しがるフランスに対し、技術の提供は絶対に許さない(許されない) ―― 日本の軍需企業の技術は勿論であるが、自社で独自に育てている設計その他の技術も提供する訳には行かないと言うのがエンタープライズ社の立場であったからだ。

 正しく、魑魅魍魎の綱引きであった。

 最終的にフランスはエンタープライズ社に折れ、技術提供は無し(※1)とし、同時に当初は予定して居なかった開発資金への協力を行い、その対価としての優先提供権を得る事となった。

 エンタープライズ社がCGで見せたLJFA-01戦闘機は、フランスの目にそれ程に魅力的に見えたのだ。

 

 

――ポーランド

 SAAB 29戦闘機の導入を決定しているとは言え、ポーランドの目にもLJFA-01戦闘機は魅力的に見えていた。

 エンタープライズ社が公開し、フランス経由でLJFA-01戦闘機の詳細を得たポーランドは、未来的な日本連邦製(・・・・・)を持つ夢を見た側面があった。

 だが現実的な必要性もあった。

 まだ完成していないSAAB 29戦闘機の保険として確保したいと言う事と、大多数の第1世代戦闘機よりも高い諸元を誇りつつ攻撃機としての側面 ―― 下手な爆撃機並みの3t近い爆弾搭載力を持つ事が、ポーランド陸軍に実に魅力的に見えていたのだ。

 ドイツとソ連に挟まれたポーランドは陸上戦力に於いて常に劣勢を強いられていた。

 この状況を打破し得るのが航空機 ―― 攻撃機であると言う認識があった。

 だが、攻撃機を運用するには戦闘機で航空優勢を握らねばならない。

 航空優勢を握る為の戦闘機を揃えた上で十分な数の爆撃機を揃える事は、ポーランドの予算では厳しい。

 だからこそ(・・・・・)、LJFA-01戦闘機なのだ。

 戦闘機として航空優勢確保に働き、確保後には地上部隊を溶かす為に使える戦闘機。

 SAAB 29戦闘機に比べて割高ではあったが、取得する価値はあると言うのが、ポーランド陸軍の計算であった。

 この為、ポーランドはワルシャワ反共協定の同盟国であるシベリア共和国を介して日本に話を持ちかけた。

 日本はフランスの時と同様の態度で交渉の場を用意する事となった。

 ポーランドは技術供与の要求を交えなかった為、特に波乱など起きる事無く、売買交渉は纏まる事となる。

 とは言え、フランスとの違いはそれだけでは無かった。

 LJFA-01戦闘機の売却と共に、ジェット戦闘機運用環境の整備支援が含まれる事になったからだ。

 今までジェット戦闘機を扱った事の無かったポーランドは、自分の航空機運用能力を過信する事は無かったのだ。

 この為、エンタープライズ社はグアム共和国(在日米軍)と日本政府に相談し、グアム共和国軍から軍事顧問団(※2)を派遣すると言う事で決着した。

 

 

 

――ドイツ

 ドイツは大きく慌てる事となる。

 G4の一角であるフランスはまだしも、科学的中進国と侮っていたポーランドまでジェット戦闘機の配備計画を進めるという状況は、ドイツにとって座視し得ない脅威であった。

 否、フランスにせよポーランドにせよ、それぞれが保有する、保有しようとしている第1世代戦闘機は脅威であっても、そこまで深刻という訳では無かった。

 ドイツとしても、最初のジェット戦闘機であるMe262に続いて、1からソ連と共同で開発を行っている迎撃戦闘機計画の進捗状況が良好であったからだ。

 エンジンの開発 ―― 推力の向上と寿命の延長こそやや(・・)遅延気味であったが、機体の方はモックアップが完成し審査が行われていた。

 F-1戦闘機を筆頭としたG4第1世代戦闘機群も取り入れたデザインとなっており、視察したヒトラーも大いに満足していた。

 そこに、降って湧いたような日本のLJFA-01戦闘機開発計画とフランスとポーランドが購入交渉を開始したとの一報は、ヒトラーの横っ面を全力で叩く様なものであった。

 一報に最初に接した晩はチョコレートをドカ食いし、ふて寝をしたのだった。

 翌日、空軍の高級将校を集めると、覇権主義国家(ジャパン・アングロ)との対決が近いのだと演説し、航空機開発メーカーに対して、至急、更なる高性能戦闘機の開発を厳命する様に命じた。

 このヒトラーの命令を受け、ドイツの航空機開発はカンブリア大爆発の如く、多種多様様々な戦闘機プランが立案され、思案され、廃案になり、或は製造が命じられる事となった。

 尚、この狂乱染みたジェット戦闘機開発に掛かる予算は、ドイツ海軍から接収して配分された。

 重要なチャイナとの海洋貿易路を保護するE艦隊計画の艦艇は建造ペースを落とされつつも続行が認められたが、Z艦隊計画の大型艦は軒並み停止 ―― 着工前の艦は廃止が命じられる事となった。

 ドイツ海軍は大いに荒れる事となる。

 

 

――アメリカ

 アメリカの準州であるグアム特別自治州(共和国)の企業が独自に戦闘機を開発すると聞き、アメリカは開発への参加を希望した。

 あわよくば、日本の航空機開発技術の一端でも得られればとの希望であったが、エンタープライズ社側は首を横に振った。

 現段階でアメリカが保有している技術では、LJFA-01戦闘機の開発に要求される水準に達していないというのが答えであった。

 グアム共和国(在日米軍)の協力を得て長足の進歩を遂げていたアメリカの航空機関連技術であったが、100年の差はその程度で埋められる程度に甘いものでは無かったのだ。

 半官とは言え営利性を大事にするエンタープライズ社は、冷徹な判断でアメリカとの共同開発を拒否した。

 この返答に恥辱を感じつつアメリカは次善の案として、開発現場に若手技術士官を勉強に送る事を提案した。

 この要求に対しては、日本政府に確認を取った上で受け入れた(※3)。

 又、LJFA-01戦闘機の小規模導入も決定する事となる。

 

 

――エンタープライズ社

 図らずも現時点で200機を超える発注を受けた事は、エンタープライズ社の社員の士気を大きく高める事となった。

 同時に、開発に失敗は許されないと緊張をもって仕事に当たる事ともなる。

 対地攻撃を前提としたオーソドックスな配置の双発エンジン、機体構造は炭素繊維複合材を多用し軽量化に努めた。

 軽量化した分の余力は被弾時への備えに使われた。

 コクピットの装甲化(アーマー・バスの採用)と、両エンジンの間に装甲材を入れて被弾時の被害限定などだ。

 尚、LJFA-01戦闘機の外観における最大の特徴は主翼にあった。

 前進翼である。

 主翼の構造材に炭素繊維複合材を導入し操作系にFBWを採用した事で可能となった前進翼の採用を、主設計者が強硬に主張したのだ。

 目的は、技術の誇示であり、同時に対地攻撃の際に運動性を高める事が大事であると言うのが理由であった。

 多分に趣味性の高い主張であったが、エンタープライズ社の社長がその名前通りに冒険心に不足の無い人物であった為、最終的に前進翼が採用される事となった。

 さて、ハード面での冒険によって割を喰う部門が出た。

 デジタル化戦闘機で無くてはならぬソフトウェア部門だ。

 全くの新規設計機のソースコードを作るのに短期間では不可能であると、ソフトウェア部門の部長が会議にて吠える事となる。

 顧客(カモ)は開発着手から1年程度と言う、エンタープライズ社の人間からすれば信じられない納期を口にしていたのだから。

 連日連夜、会議が行われた。

 最終的な結論として、LJFA-01戦闘機の初期ロットは能力を抑えたモデルとして世に出す事となった。

 限定的な機動と機銃射撃、無誘導のロケットや爆弾を運用できる程度だ。

 フランスやポーランドに行っていたプレゼンに於いて、LJFA-01戦闘機はデジタル化の恩恵によって大規模な機体改修を行わずとも段階的に性能向上が出来ると謳っており、であれば、問題は無いだろうと言う、ある種の開き直りであった(※4)。

 紆余曲折を経たLJFA-01戦闘機の試作機は、開発着手から1年半で完成する事となった。

 それに際し日本連邦統合軍で制式化する事と成り、YF-10の番号が与えられた。

 愛称は“大地を射抜く者”との意味を込めてアーチャーとされた。

 

 

 

 

 

(※1)

 但し、汎用技術であり、消耗品でもある増槽(ドロップタンク)に関わる設計などは提供される事となった。

 

 

(※2)

 グアム共和国空軍と航空自衛隊から人員を抽出して軍事顧問団は構成された。

 尚、この部隊を編成する会議の場で1つ、問題が発生した。

 部隊名である。

 当初は適当なナンバーを割り振り、通りの良さそうな名前を付ける予定であったのだが、グアム共和国の若手士官 ―― タイムスリップ後の任官した新世代士官(ニューエイジ)が爆弾発言を放った。

 曰く、部隊名はフライング・タイガース(・・・・・・・・・・・)が良いのではないか、と。

 日米に関わりのある軍事顧問団としてみれば相応しいのかもしれないが、余りにもナイーブな問題を内包する名前であった。

 会議室の空気が凍った。

 航空自衛隊側の出席者は表情を消し(あ”あ”? と目を細め)、グアム共和国空軍側の出席者は信じられないモノを見る目で(ファッキン・クレイジーと呟きながら)発言者を見た。

 会議室の空気が変わった事は理解した若手士官であったが、その理由が理解出来なかった。

 珈琲を飲んで喉を湿らせた会議の座長が、驚く程平坦な声で理由を尋ねた。

 その問い掛けに若手士官は、虎が如何に素晴らしい生き物かを熱烈に主張し、段々と興奮し、最後に日本に留学した時に覚えた虎の歌(六甲おろし)を歌いだした。

 重度の頭痛に耐える表情をした座長が若手士官(虎キチ)に歴史を知らないのかと尋ねた所、虎は必ず蘇ります。だから虎を飛ばす(胴上げする)のですと真顔(キメた目つき)で答えた。

 駄目だコイツ(アカン)、会議室の参加者の心は1つになった。

 こうして、一歩間違うと日(在日米軍)関係に重大な傷を入れかねなかった問題は、あっさりと水に流された。

 そして若手士官は、座長の秘書の手によって会議室から追放された。

 会議参加者はそれ以降、無駄口を叩く事も無く、粛々と会議を進めた。

 最終的に軍事顧問団は第108航空団(ウォードッグ)として編成される事になった。

 

 

(※3)

 日本がアメリカの要求を容認した背景には、G4による技術共同開発がスタートしていた事が大きかった。

 とは言え、この話を聞いたフランスは切歯扼腕して、優先提供権を梃に自分の国の人間も参加させるべきだと主張する事になる。

 当然、その様な契約内容で無い為、そして現場で日本語と(アメリカ)語が飛び交う上にフランス語まで混ぜては面倒であると言う理由で拒否される事となった。

 尚、その様を横で見ていたブリテンは、LJFA-01戦闘機の開発が終了した後の、次なる戦闘機開発で協力しないかと持ちかける事となる。

 

 

(※4)

 尚、フランスやポーランドは余り気にしていなかった。

 日本連邦製の先進的なジェット戦闘機である事が大事であり、爆撃機並みに爆弾を運用できると言う事が大事であったからだ。

 その先への進化も、そこまで費用を掛ける事なく可能であるならば、何の文句も無かった。

 

 

 

 

 

 


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