タイムスリップ令和ジャパン   作:QgkJwfXtqk

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08.1928-1 日本ソ連戦争-1

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 日本連邦の発足。

 だがその中に含まれている千島共和国の存在に面白からざるものを感じたのがソ連政府であった。

 日本帝国が日本になったと思えば、千島列島はロシア領になり、それから共和国として独立し日本連邦へと参加したのだから。

 未来の自分達のものが奪われた ―― そんな理不尽な感覚を抱いていた。

 その不満に火を点けたのがスターリンとトロツキーの対立である。

 既にレーニンの後継者としての立場を固めたスターリンであったが、トロツキー派を完全に下せた訳では無かった事が、現状に繋がっていた。

 そこに、未来のロシアの領土が日本に収奪されたという情報が来たのだ。

 スターリンは、ソ連の守護者として外敵から国土を護る義務がある ―― にも関わらず、それを成せないのであればレーニンの後継者では無い。

 そうトロツキー派が政治活動を行ったのだ。

 無理筋ではあるが、同時に一理はある主張に、まだ足場の固まり切っていなかったスターリンは抵抗しきれなかった。

 対日旧領回復行動に繋がる。

 初手は、日本時代 ―― 平成時代に準じた国土・国境線の策定を主張した。

 日本は拒否した。

 ソ連へと亡命してきた露国大使館員からの情報で、日本は平和主義であると聞いていたソ連は、軍事力を背景にした圧力を加える事を選択する(※3)。

 樺太北部に4個師団を集結させ、併せて2個師団をウラジオストクへ集めた。

 朝鮮共和国との国境線にも3個師団を終結させた。

 ブラフとしてだった。

 日本が保有する戦力の約半数もの大部隊を国境線に張り付けたのだ。

 その内実は装備も十分では無い軽歩兵であるとは言え、その数は力だった。

 その力を背景にする事で、日本が戦争を忌避するのであれば、折れるというのがソ連の読みだった。

 激しく読み違えた。

 読みでは無く、それは願望であったのだから。

 

 

――国際社会

 国際連盟ではソ連の行動を激しく非難した。

 だが、実行力のある戦争抑止の行動は行えなかった。

 場所が極東であると言うのが1つ。

 もう1つとして、日本の力を見たいと言うのが列強諸国の本音であったのだから。

 故にに誰もが、決定的な事を口にする事は無かった。

 議会は重ねつつも、無為に時間だけが過ぎていく事となる。

 最終的に決まった事は1つ。

 ソ連の軍隊が日本の国境線を超えた場合、領海へと侵入した場合にはこれを宣戦布告に準ずるものとして日本が行動する事への、国際的な同意だけであった。

 後の歴史は、この同意の議決が決した日こそ、日ソの戦争の口火であったとしている。

 アメリカ・ブリテン・フランス・イタリアの4カ国は日本へ観戦武官の派遣を決定。

 ソ連は、日本が一切の交渉に応じなかった事に立腹、何より、交渉の不成立はスターリンの権威を損なう事に繋がった為、対日懲戒戦争を決意する事となる。

 

 

――ソ連・対日戦争計画

 建国して時間の無いソ連は、とても世界大戦の様な大規模な戦争をする余力など無かった。

 故に朝鮮半島へと張り付けた部隊は囮とした。

 主力は樺太となる。

 樺太には既に3個のうち2個の師団が終結を完了していた。

 対する日本の戦力は3個の歩兵連隊と、日本本土から派遣されてきた1個連隊、そして樺太・千島問題が発生して以降に増強された連隊規模の部隊のみ(※1)。

 倍を超える戦力差に、先ず負ける事は無いとソ連政府は判断していた。

 それどころか師団規模での増派をしない時点で、日本政府は建前として樺太共和国の防衛を主張してはいるが実は樺太南部を放棄するつもりだと認識していた。

 

 

――日本・対ソ戦争計画

 樺太は国境線を保持 ―― 最終的な奪回を前提とした戦略的後退は認められる ―― し、千島列島を狙うソ連の船団は洋上にて捕捉、撃滅が決定していた(※2)。

 大事な事は、この時代に於いて舐められぬと言う事。

 その為に自衛隊に要求されたのは勝利では無く、圧倒的な勝利であった。

 この時点で燃料問題は大分緩和されていた為、制限の掛けられていた哨戒機による広域哨戒が再開され、又、大型無人哨戒機によるウラジオストクの偵察が随時実施されるようになった。

 その他、千島共和国のスラブ系日本人から有志を募ってユーラシア大陸への偵察隊の投入も検討されたが、そちらは時期尚早と断念される事となる。

 

 

――観戦武官の所感

 日本へと派遣された観戦武官たちがまず驚いたのは、日本の道路事情だった。

 そして車だ。

 欧米列強が製造している自動車とは比較にならない乗り心地の車、バス、そしてトラック。

 そしてその数だ。

 アメリカ以外の全ての国家の常識を遥かに超えた数の車が、東京から北海道まで動いていた。

 そして飛行機。

 船舶。

 その全てが100年の時代を理解させるものであった。

 そして、観戦武官たちは樺太に入る。

 それは日ソの紛争が始まる2週間ほど前の事であった。

 

 

 

 

 

(※1)

 樺太に駐屯していたのは第11師団から派遣された第10即応機動連隊であった。

 増強された部隊は自衛隊第2師団から抽出された第3普通科連隊を中心に構成されていた。

 第2戦車連隊からは10式戦車を完全充足している2個中隊と、第2特科連隊から99式自走榴を完全充足の特科大隊が1個組み込まれているという重編制の機械化連隊戦闘団であった。

 当初は第2師団を丸ごと派遣する事も想定されていたのだが、弾薬の補給などのインフラの問題があり断念されていた。

 その代わり、増強された第1対戦車ヘリコプター隊の派遣が、海上自衛隊のDDHを母艦とする形で行われていた。

 この派遣規模を聞いた樺太共和国が、ソ連同様に日本は樺太南部を放棄する積りではないかと訝しんだのも当然であった。

 対地ミサイル連隊や航空部隊に関する情報が抜けて居た為、この危惧も当然ではあった。

 そして、日ソ開戦から2日で、その疑念は払底される事になる。

 

 

(※2)

 当初は樺太北部まで侵攻制圧を検討されたが、制圧後の治安維持活動の手間もあり、早々に放棄された。

 但し、樺太北部とユーラシア大陸の連絡を途絶させ、降伏を促す方向での干渉は行う予定とされた。

 

 

(※3)

 ソ連軍(約150,000名)

  極東第1軍(樺太鎮定軍)

   歩兵師団(充足)

   歩兵師団(充足)

   歩兵師団(未充足 1個連隊のみ。残りはシベリア鉄道にて輸送中)

   戦車師団(未充足 2個戦車連隊)

   砲兵旅団(充足)

  極東第2軍(千島鎮定軍)

   歩兵師団(充足 渡洋作戦の為、軽装備主体)

   歩兵師団(充足 渡洋作戦の為、軽装備主体)

  極東第3軍(朝鮮鎮定軍)

   歩兵師団(未充足 人員不足により1個連隊欠)

   歩兵師団(未充足 人員不足により2個連隊欠)

   歩兵師団(充足 新兵主体であり、重装備は甚だ乏し)

 

 日本連邦軍(約15,000名)

  日本陸上自衛隊

   北部方面隊樺太派遣団

    第10即応機動連隊

    第1独立装甲連隊(第3普通科連隊を中核に、2個戦車中隊、1個特科大体で編成)

   北部方面隊千島派遣群

    第1空挺団(第1普通科大隊のみ展開)

朝鮮半島派遣団

    第8師団

    第14旅団

    西部方面戦車団

  樺太共和国

   第1歩兵連隊(充足)

   第2歩兵連隊(未充足 1個大隊欠)

   第3歩兵連隊(未充足 1個大隊欠)

  千島共和国

   第1歩兵連隊(充足 装甲化)

   第2歩兵連隊(未充足 装甲化)

  朝鮮共和国

   第1歩兵師団(自動車化 充足)

   第2歩兵師団(自動車化 未充足)

 

 

 

 

 




2019.04.28 修正実施 表現の乱れの修正、朝鮮共和国軍の追記

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