タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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081 ユーゴスラビア紛争-2

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 ドイツによるバルカン半島の掌握は、フランスとイタリアにとって座視出来るものでは無かった。

 フランスにとっては、自らがフランス領インドシナのちょっとした紛争(・・・・・・・・)にかまけている隙を狙って怨敵ドイツが勢力拡大を図ろうとしているのだ。

 決して許せるものでは無かった。

 イタリアにとっては、対立国となったドイツが自国周辺で勢力を拡大する事を認められる筈が無かった。

 その上で、未回収のイタリア問題が存在した。

 旧オーストリアの地方のみならず、アドリア海をまたぐ旧ヴェネツィア共和国領までもがドイツが掌握しようと言うのだ。

 未回収のイタリア問題解決を政策として掲げていたムッソリーニは、ドイツの行為を見過ごす訳にはいかないのだ。

 両国は、バルカン半島の3ヵ国がドイツとの連帯 ―― 大欧州連合帝国(サード・ライヒ)への参加交渉が始まると共に、国際連盟安全保障理事会や総会の場で度々、ドイツの侵略的政策を問題として取り上げていた。

 とは言え、フランスがフランス領インドシナに外交リソースを奪われている為、主に主導していたのはイタリアであった。

 だが、安全保障理事会も総会も両国程に積極的では無かった。

 イタリアの外交力に問題がある訳では無い。

 単純に、国際連盟の主役たるG4、フランス以外の3ヵ国が積極的でないと言う事が理由であった。

 安全保障理事会にせよ総会にせよ、戦争の可能性がありそうな事に関して参加各国は常にG4の顔色を窺うのが常であったから仕方のない話であった。

 故に、反ドイツと言う点でフランスに次ぐポーランド(中欧の狂犬国家)ですら、強硬論を口に出しかねていた。

 G4が消極的な理由は、日本にせよアメリカにせよ、金の掛かる対ドイツ戦争は先送り出来るものなら先送りしたいと言う本音があった為である。

 日本とアメリカは、国際連盟がユーゴスラビア問題に積極的に関与しようとする事は、ドイツとの戦争の引き金を引きかねないと認識していたのだ。*1

 その最中で犠牲になるのはユーゴスラビアやルーマニアであったが、それらの国々も曲がりなりにも独立した国家であり、独立した国家の政府が自らの選択として国際連盟を脱退しドイツに与したのだ。

 であれば苦労も犠牲も自己責任の範疇であると言うのが、G4の共通した認識であった。

 

 

――ユーゴスラビアの混乱

 政府の親ドイツ政策を許容し得ない亡国への道であると判断した軍高官はクーデターによる政権打倒を決意した。

 全国に広がる軍を掌握し、政府庁舎その他を一挙に制圧せんと考えたのだ。

 だが、軍高官が軍全体をおさえると言う事を選択した事が政府へ対応する時間を与える事となった。

 政府側に居た軍部隊や、政府が全権を握っていた警察が、軍高官たちの動きを察知し、報告したのだ。

 謀は速さこそ尊ぶべきであったのだ。

 この時点で反政府軍高官が掌握していたのは軍の4割、政府は残る6割と警察とでクーデター派を襲撃し一挙に鎮圧する事を試みた。

 果たして、クーデター派は一網打尽の憂き目にあう事となった。

 ただ問題は、この鎮圧作戦に対してクーデター派の若手士官たちが身を捨ててでも国を守らんと全力で抵抗した為、鎮圧に来た軍と警察の部隊に尋常では無い被害を与える事となる。

 軍は壊乱し、警察も機能不全に陥ったユーゴスラビア。

 この惨状にドイツは善意の手(・・・・)を差し伸べた。

 軍事部隊と警察部隊の派遣である。

 警察部隊は保安警察 ―― 中でも政治的な任務を負う秘密警察局(ゲシュタポ)だ。

 無論その目的はユーゴスラビアの治安維持では無く、ユーゴスラビアの反ドイツ分子の取り締まりであった。

 そして軍事部隊は、ドイツ軍では無かった。

 武装親衛隊である。

 ヒトラーは国際連盟に於ける対ドイツ感情を読み取り、軍を派遣しない事でフランスなどへ配慮(・・)したのだ。

 とは言え派遣された武装親衛隊は戦車や装甲車も有した、立派な装甲部隊であったが。

 ドイツの差し伸べた手をユーゴスラビア政府が有難く思っていたのは、武装親衛隊と秘密警察局の部隊が本格的に活動を開始するまでの短い時間であった。

 

 

――イタリア

 バルカン半島でのドイツの行動に対し、国際連盟が一丸となった攻撃的対応が出来ない事に切歯扼腕したイタリアは、次善の策としてユーゴスラビアへの積極的な情報収集活動に精を出す事とした。

 幸い、アドリア海を挟んでの対岸である為、高速水上艇による潜入が容易であった。

 故にユーゴスラビアで活動している武装親衛隊と秘密警察局の暴力をつぶさに見る事となる。

 両組織がユーゴスラビアに入って1ヶ月。

 そのたった1ヶ月でユーゴスラビア政府は機能を喪失し、ドイツ人の大欧州連合帝国(サード・ライヒ)移行期間臨時総督が全権を握る様になっていた。

 ドイツの恐るべき手際の良さに、イタリアは衝撃を受ける事となる。

 ユーゴスラビア各地で翻る大欧州連合帝国旗(ハーケン・クロイツ)

 その旗の下で良識あるユーゴスラビア人たちは必死になって抗議活動を行い、そして弾圧されていた。

 ドイツへの抵抗活動は日々、大規模化し、そして流血沙汰が増えていた。

 イタリアは歓喜した。

 これは着火し易い(・・・・・・・・)、と。

 元より多民族の寄り合い国家であったユーゴスラビアは、ドイツ人が統治し易い様に各民族の反目を煽る様な政策を行った結果、憎悪の煮え滾る坩堝と化しつつあったのだから。*2

 イタリアは保管していた旧式装備 ―― 第1次世界大戦時代の武器弾薬を盛大にユーゴスラビアにばら撒く事とした。

 治安維持コストの増大によってドイツが混乱するユーゴスラビアを放棄し、その隙を狙って未回収のイタリア(旧ヴェネツィア共和国領)の奪還を図る積りであった。

 

 

 

 

 

 

*1

 日本やアメリカがドイツとの早期の戦争を回避しようとする理由は、別に人道主義や平和主義に基づくものではない。

 単純に、戦争の効率を考えての事であった。

 G4が共同で行っていたドイツの国情分析によって、ドイツの財政と経済活動が苦境にある事が判っていた。

 表向きはアウトバーンなどのインフラ整備や軍備の刷新による需要によって活況ではあったのだが、所詮は官需であり、民需による自律的な発展を行えていなかった。

 既に国内市場は頭打ちの状態であり、であれば世界の市場へ挑むのが通例であるのだが、世界の市場の大部分を占めるG4諸国と対立している為、ドイツはチャイナ以外の大規模な市場と交易が出来ずにいたのだ。

 しかも国際連盟を脱退した事によってG4以外の国際連盟加盟国との交易も低調になっており、そこに軍事に関わる物資の売買を全面的に禁止する経済制裁が加わっていた。

 武器弾薬は勿論、高品位の鉄なども軍事転用が可能と言う理由で国連加盟国には売買の禁止が国際連盟安全保障理事会から通達されている有様なのだ。

 残された大口の商売相手であるチャイナは軍備の交易こそ旺盛であったが、民需に関しては戦乱の影響で購買力は低下の一途を辿っており、ドイツ企業の生産力の吐きだし先として不十分であったのだ。

 又、国内需要に関しては、熟練労働者でもあったユダヤ人が追放され、代わりに言葉も通じないチャイナ人労働者が来た事も問題であった。

 労働力としての問題 ―― 単純労働で使い潰すのであれば問題は無いだろうが、高度な作業はとてもではないが任せられない労働力の劣化(・・)と言う問題もあった。

 だがそれ以上に問題だったのがユダヤ人労働者は消費者でもあったが、チャイナ人労働者は消費者では無いと言う事であった。

 身分的な意味ではドイツ政府の管理する物資扱いであり、又、給与が支払われていない為に自ら消費活動を行う事はない(・・・・・・・・・・・・・)のだ。

 これが、この時点で10万人に達するレベルで存在しているのだ。

 ドイツの武器輸出の対価としてドイツに売られたチャイナ人は、武器を持ってきたフネに乗せられて欧州に運び込まれ続けていた。

 ドイツ人自身はチャイナ人労働者を安価な労働力(スレイブ)を得られたと無邪気に喜んでいたが、その実としてドイツ経済を蝕む毒となっていた。

 消費活動 ―― 経済活動の低下は、ドイツの税制を直撃していた。

 いわば、労働力の不足(ユダヤ人追放)がドイツ経済から活性を奪っていたのだ。

 その事にドイツは気付いていなかった。

 ヒトラーを筆頭にドイツの首脳陣は、G4との対立がドイツの苦境の原因であるとしか認識出来ずにいた。

 この様にドイツは、戦争を先送りすればするほどに困窮していくのが見えているのだ。

 であれば、早々にドイツへ戦争を仕掛ける必要性は無いのだ。

 日本やアメリカなどの冷静な人間は、ドイツは自重で地獄に転がり落ちていく国家なのだから、性急にドイツと戦争をする必要は無く、落ち切った所で止めを刺してやれば労せずに滅ぼせるだろうと言う分析情報(レポート)を上げる程だった。

 ドイツの新装備(ドイツ脅威のメカニズム) ―― 新型戦車、ジェット戦闘機、大型戦艦等々を華々しく宣伝されてはいたが、その性能は日本は当然にしても他のG4にも劣っている上、数も少なかった。

 最新の重戦車であるⅣ号戦車の生産は遅々としており、又、チャイナに輸出している事もあって充足状態にあるのはいまだ4個連隊しかなかった。

 最初のジェット戦闘機であるMe262は、1個飛行隊も編成出来ずにいた。

 戦艦に至ってはZ艦隊計画は凍結され、E艦隊計画のみが続行されているが、それも新規着工は禁止されていた。

 対するG4の戦備と言うものに隙は無かった。

 例えば経済的な意味で末席側のフランスであるが、フランス領インドシナでの戦乱によって予算が奪われている状況であるにも関わらず、フランス本土の軍備近代化は怠りなく実施していたのだ。

 陸上戦力で言えば、J36(31式)戦車の運用実績を基に開発した50t級の新型重戦車ARL40の生産を始めていた。

 ARL40戦車は、現時点でドイツが装備する全ての戦車を撃破可能であり、そして配備数は500両を超えていた。

 この数はドイツが保有する重戦車Ⅳ号戦車の倍を優に超えていた。

 空は、フランス国産のジェット戦闘機を開発配備を行うのと並行して、アメリカやブリテンから輸入まで行って、一線級戦闘部隊の全てをジェット戦闘機で編成していた。

 流石に海洋戦力に関しては低調であったが、ドイツは陸上で国境を接する相手であり、同盟相手である日本やアメリカ、ブリテンが世界に冠たる海軍国である以上、特に問題にはならなかった。

 海外県(植民地)紛争に予算を奪われつつもこれを成し得るフランスは流石は列強であり、世界を支配する者達(ヘゲモニー・シスターズ)の一角であった。

 時間が経過する程に、自陣営(G4)は有利になり、ドイツは不利になるのだ。

 であれば、感情論以外でドイツと素早く戦争をせねばならぬ理由は無い。

 冷静に冷徹に、G4はドイツを見ていた。

 

 

*2

 ドイツのユーゴスラビア統治の方法は、ブリテンによるインド支配政策を真似た部分があった。

 分断し、反目させ、統治すると言う。

 それは、多民族国家であるユーゴスラビアの弱点を突いた政策であった。

 比較的人口の多い、だが絶対的多数では無いセルビア人を支配階層として扱い(懐柔し)、その下で各民族が反目する様に差し向ける事で、統治者(ドイツ人)へ団結して対応できない様に仕向けたのだ。

 暴動などが起きる可能性は高いし、実際、ドイツ人が入って以降、抵抗運動が頻発してはいたが、個々の小さな抵抗であれば鎮圧も容易いとドイツ人は判断していた。

 その甘い判断 ―― 認識は、後にユーゴスラビア人とドイツ人が共有(・・)する地獄を生み出す事となる。

 

 




2020.02.08 文章修正
2020.02.11 文章修正
2020.06.11 文章修正
2020.06.11 脚注修正

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