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その結果、
過去の、日中戦争の経緯と経過に基づいた分析に因るものであった。
アメリカは
戦争は国力だけでするものではなく、ましてや相手と行う行為であるのだ。
日中戦争時が良い前例と言えた。
日本が如何に攻め込もうとも、逃げると決めた中国国民党政権は逃げに逃げ続け、日本が望んだ戦争の終結が果たされる事は無かったのだから。
その情報を日本はアメリカに提供し、チャイナとの戦争の困難さを伝えていた。
にも関わらず、アメリカの戦争に対する所見は
これには日本政府も、グアム共和国(在日米軍)と一緒に頭を抱える事になる。
ソ連と対峙する
この為、日本は戦争の際にはアメリカが早期に勝利できる様に支援をする事を決定し、これをグアム共和国(在日米軍)を経由してアメリカに申し出ていた。*1
申し出を受けたアメリカは、
協力に関する詳細は最終的に[1942年 日本・アメリカ ユーラシア大陸に於ける協力協定]として纏められる事となる。*2
――アメリカ
部隊と戦争物資の集積を開始する。
1940年に実施した満州大演習並の正面兵力だけで
本気で動員を掛ければ100万の軍勢を用意する事も簡単なのがアメリカと言う国家であるのだが、それは国家総力戦体制になればこそであった。
そして今回、アメリカ政府はそこまでする積りは無かった。*3
アメリカ陸軍からはフロンティア共和国に駐屯している完全充足状態の第11機械化師団だけを投入し、数的な主力はフロンティア共和国軍に任せる事としていた。
逆に言えば、それだけの戦力がフロンティア共和国には存在していたのだ。
優良歩兵部隊であり常設部隊でもある3個の機械化師団は4個の歩兵連隊を基幹とする20,000人規模の4単位師団 ―― 重
対戦車部隊も抜かりは無く、M2戦車乃至はM3対戦車自走砲部隊が1個連隊ほど付けられていた。
列強クラスの国家の正規師団に劣る所の無い、堂々たる部隊だ。
この他にも常設師団は2個、フロンティア共和国は保有していた。
1個は機甲化師団。
M2戦車とM3戦車を装備する3つの戦車連隊と、ハーフトラックで機械化された1個歩兵連隊で編制されている。
1個は自動化師団。
此方は師団と言う名前であるが実態は国境警備部隊であり、その主力はトラックやジープが機動展開する軽歩兵部隊であった。*4
アメリカは自動化師団を除くフロンティア共和国の4個師団と第11機械化師団の約100,000の兵で機械化など
フロンティア共和国には動員を前提とした予備歩兵師団が7個存在していたが、アメリカはこれを行わない積りであった。
この方針に対してアメリカ陸軍参謀組織は異を唱えた。
占領地の治安維持活動には多くの人手が必要とされる為、フロンティア共和国軍予備歩兵師団を動員する必要性があると言う主張だった。
だがそれをアメリカ政府は却下した。
理由は、軍事では無く政治であった。
或は
フロンティア共和国はアメリカの経済、或は産業界にとって金を生むガチョウ ―― 市場であると同時に東アジア領域に向けた生産拠点でもある為、投資家たちにとってフロンティア共和国の経済状況と云うものは重要な関心事であった。
この様な背景がある為、フロンティア共和国の経済に悪影響を与える事が確実な兵の動員と言うものをアメリカ政府が選択できる筈が無かった。
ある意味で慢心であり、その点に危惧を感じて上申する気骨のあるアメリカ陸軍将官も居たが、アメリカ政府は意に介する事無く反論した。
実際に戦争を担当するアメリカ陸軍フロンティア共和国駐留軍司令部より、
アメリカ陸軍内部の不一致を問われる様な返答に、気骨ある将官も黙らざるを得なかった。
この様にアメリカの軍と政府では戦争への楽観論がまん延していた。
口さがないアメリカ政府高官は、
とは言え、兵の数として不足している事自体はアメリカ政府もアメリカ陸軍も等しく認める事であった。*5
それ故に対策も採られていた。
不断の努力を以って作り上げられた、ジェット戦闘機や大型爆撃機、対地攻撃機などを装備するアメリカ陸軍航空隊が、様々な名目でフロンティア共和国の地へと展開していた。
アメリカ海軍も、日本との合同軍事演習と言う名目で空母に戦艦まで派遣していた。
又、そもそもの兵力の不足自体に関しても
友邦国である。
常日頃から支援を行っている
バルデス国の経済事情もあり、自動車などの装備は殆ど持たない軽歩兵の2個旅団であったが、支援の先渡しとしてフロンティア共和国で作られたトラックとジープが大量に融通され、促成の自動車化旅団へと変貌していた。
そして本命と言えるのは
日本政府の了解の下、自動化師団が3個、フロンティア共和国に派遣される約束となっていた。*7
3個師団2個旅団、フロンティア共和国軍が持つ7個の予備歩兵師団に比べれば規模は劣るが、それでも50,000を超える兵である為、アメリカ陸軍フロンティア共和国駐留軍司令部は戦争に自信を持っていた。
――チャイナ
自由上海市対話の失敗と、その後のアメリカを代表とした国際世論 ―― テロの実行犯はチャイナである。その証拠にチャイナ政府代表に被害は無いが、南モンゴル代表団は死傷者が大量に出た! との声に、チャイナは恐怖した。
弁解の声を上げようとするが、どの国もまともに取り合う事は無かった。
国内のチャイナ排除を進めているアメリカや、そもそも対話する意思を見せない日本。
関心を全く見せないブリテンやフランスは、まだ良い方であった。
警備担当として面子を潰されたイタリアは取り付く島もない。
同様に、自らの仕切りをぶち壊された国際連盟は怒り心頭で接触する事すら許されない有様であり、加盟各国も塩対応であった。
国際連盟加盟国で唯一、接触し交渉の場を設ける事が出来たのはソ連だけであったが、成果は
しかもその事を伝えるマスコミは、チャイナが公開した写真に対して「テロに遭う事は無さそうな会談」等との
余りの四面楚歌の状況に、チャイナは戦争を覚悟した。
南モンゴル独立派による武力蜂起と、アメリカの加勢は確実であると。
だが同時に、チャイナはそこに光明も感じた。
100万と号するチャイナ政府軍に対して、同規模の兵力を南モンゴル独立派にせよアメリカにせよ揃える事は不可能。
正面装備で劣れども、規模で戦う事は出来る筈。
蒋介石は老酒を飲みながら、熱く叫んでいた。
チャイナ政府軍は戦争準備に取り掛かる。
冷静なチャイナ政府軍参謀団は、自らが作り出した
だがそれ故に、
奇しくも、その
支援内容の主なものは非戦闘部門であり、特に戦争で重要となる情報の提供 ―― 偵察衛星と気象衛星が収集した情報の提供であった。
この時点で日本の偵察衛星は、ユーラシア大陸東部であればどの場所であってもレーダー衛星と光学衛星がそれぞれ1日1回は撮影出来る体制となっていた。
気象衛星も、広大な
後に、ブリテンとフランスも加わった
4ヵ国の情報機関による情報と分析の共有が定められている。
又、情報漏洩対策として各国に機密保護とスパイ対策への
尚、命名の由来は[1942年 日本・アメリカ ユーラシア大陸に於ける協力協定]が衛星情報の
当初は
日本陸上自衛隊の体制や在日米軍からの情報を得ていたアメリカは、将来的な陸軍の常備軍化を検討していた。
だが現段階では実施されていない為、陸軍の各部隊を大規模に動員しようとすればアメリカの産業界から人を徴発する事に繋がる。
それはアメリカ経済に対して好ましくない影響を過分に与えると、アメリカ政府は判断していた。
又、アメリカの有権者はそれを望まないであろう事も理解していた。
それ故にチャイナとの戦争は、南モンゴルの民へ義侠心から手を差し伸べていたアメリカに、
フロンティア共和国の国境線警備業務の多くは、建国時からの人手不足 ―― チャイナからの移民拒否が主な原因となった労働力の不足により、
とは言え建国して10年の月日が経過した現在では、欧州からのユダヤ人を筆頭にある程度の人々が移民して来ていた為、
その象徴が、この自動化師団であった。
アメリカ陸軍は、
これに、南チャイナやチャイナ共産党と電撃的な妥協が行う事が出来れば、徴兵なども含めて倍近い戦力にする事も可能であると考えられていた。
この時点で2個の歩兵旅団は動員を行い、フロンティア共和国へ共同演習の名目で展開し、アメリカ陸軍の手ほどきによって自動車化の訓練を受けていた。
尚、バルデス国は戦車や野砲の融通も望んで居た。
だがアメリカはフロンティア共和国軍の充足が先であるとして、バルデス国軍に提供するのは戦争終結後であると突っ撥ねていた。
日本は、日本連邦の代表であり外交と防衛に関わる全権を統括するが、同時に、日本連邦に参加する各国の主権と独自性を全否定する事は無いという事が常々明言されており、今回の派兵に関してはそれが実証された形であった。
アメリカの要請と
とは言え、日本製装備を持ったまま
尚、その装備に関しては、派兵の対価とは別にアメリカが提供すると言う事で話がついていた。
コリア系日本人将兵は、日本連邦統合軍で支給されている日本製とは比べ物にならない ―― 新品ながらも
当初は、前例に倣って新しく
派遣される将兵の側からしても政府の管理下で派遣されると言う事で、身元や給与待遇が保障されるとして、歓迎される事となる。
尚、日本が今回の派兵を認めたのは、
2020/03/13 文章修正
2020/03/13 脚注改修
2020/03/14 文章修正
2020/03/24 脚注修正