タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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089 チャイナ動乱-08

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 アメリカとチャイナは共に戦争を決定していた。

 アメリカは、南モンゴルの領域の掌握と黄河以北の制圧に向けた作戦準備に余念が無かった。

 チャイナは、チャイナ共産党軍との戦いから戦力を抽出するなどして戦力をかき集める事に全力であった。 *1

 後は、両国とも如何に相手から手を出させるかと言う段階へと至っていた。

 正義の御旗(大義名分)を得るためには、決して自分の側から手出しはさせぬと、両国の軍司令部とも強く軍勢の手綱を握っていた。

 緊張感漂う前線。

 そんな最中、南モンゴルの空で()()()な事件が発生する事と成る。

 

 

――豊鎮市事件

 緊張が高まると同時に、チャイナ軍は航空機による南モンゴル領域の偵察に力を入れだした。

 これは地上 ―― 南モンゴル独立派の影響力が強い場所が、チャイナ政府関係者にとってもはや安全では無いと言う認識からであった。 *2

 南モンゴル独立派の軍勢や、アメリカ/フロンティア共和国が侵入して来ていないかを空から警戒していたのだ。

 長距離を長時間に亘って飛びながら地上を監視する必要がある為、チャイナ政府軍は大型の爆撃機をこの任務に宛てていた。

 その中の1機、ソ連から購入していた爆撃機が事件の発端となる。

 爆撃機はチャイナ政府軍の保有する機材では旧式の部類に入り、そうであるが故に選ばれた機材であった。

 開戦劈頭で失われても惜しく無い機材、そして乗組員であった。

 ある意味で、この乗組員の質の悪さが事件を引き起こす事に繋がる。

 ()()()、何時もの監視業務に飛んだ爆撃機の機影をアメリカの空中哨戒機(E-24)*3が搭載していたレーダーが把握した。

 レーダーの情報で、爆撃機の飛行コースが南モンゴル独立派の拠点へと向かっている事を把握したE-24のクルーは、アメリカ陸軍フロンティア共和国駐留軍司令部の航空指揮所へと報告する。

 報告を受けた航空指揮所は、この爆撃機の任務を、南モンゴル独立派の拠点への爆撃任務である可能性が高いと判断し、即座にフロンティア共和国の国境線付近に仮設された航空基地に対して緊急発進(スクランブル)を命令した。

 出撃したのは、速度に優れたF-1(セイバー)戦闘機だ。

 命令は、爆撃機の任務を阻止する事であった。

 この時点でのアメリカは、最新鋭のF-1戦闘機が立ちふさがればチャイナの爆撃機は簡単に任務を諦めるものと考えていた。

 だが、チャイナの爆撃機クルーは、F-1戦闘機が現れた場所を重要視した。

 接触した場所は叛徒(南モンゴル独立派)が領土と主張する場所でこそあったが、アメリカ空軍機が自在に飛ぶ事を許されているチャイナの領空 ―― フロンティア共和国の国境線から50㎞よりも遥かにチャイナの内側に入った場所であったのだ。

 レーダーによって遠距離から航空機の所在を把握できるE-24の存在を知らなかった爆撃機クルーは、F-1戦闘機が現れた理由を戦闘空中哨戒(CAP)任務の最中、爆撃機を発見したのだと認識した。

 即ち、アメリカ軍による侵略的軍事作戦が行われている最中だと認識したのだ。

 無線で緊急事態を宣言する。

 だがその後、後退する事は無かった。

 低空へと退避しつつも、進路はそのままであった。

 死ぬ危険性をおして(撃墜されたとしても)アメリカの侵略作戦の一端でも掴んでやると、愛国精神を発揮したのだ。

 称賛されるに相応しい爆撃機(チャイナ人)クルーの行動であったが、F-1戦闘機(アメリカ人)パイロットから見れば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に見えた。

 上海事件の頃から度重なった経験によってアメリカ軍人は、チャイナ人に良識と人道と言うものは期待できないという認識を持っていたが故、と言えた。

 無線にて状況を報告したF-1戦闘機パイロットは、併せて威嚇射撃の許可を求めた。

 危険を伴う要求であったが、航空指揮所はパイロットの判断の正しさを認め、実弾による威嚇射撃を許可した。

 ()()()()

 当然、良く狙って()()()()射撃だ。

 問題は狙われた側、爆撃機パイロットの質であった。

 射撃が警告として意図的に外されたのではなく、たまたま外れたのだと認識したのだ。

 爆撃機のコクピット脇を走った火線 ―― 曳光弾が大量に含まれて居た20㎜弾は、そうであるが故に、迫力を持っていた。

 パニックの様な心理に陥った爆撃機パイロットは回避行動、急旋回を試みた。

 低空で乱暴な勢いで姿勢を変えようと言う事は、旧式であった爆撃機にとって許容できる操作では無かった。

 爆撃機は何かの冗談の様な動きで大地へと吸い込まれていった。 *4

 

 

――チャイナ

 チャイナの領空で、アメリカの戦闘機に、チャイナの爆撃機が撃墜された。

 この情報が流れると共に、チャイナ政府軍は事前の想定(対アメリカ戦争計画 ブルー6)通りに行動を起こした。

 アメリカが爆撃機を撃墜した事での宣伝*5を行ってはいたが、それこそがアメリカの侵略的行動を糊塗する為の謀略であると断じ、戦争計画を稼働させた。

 その第一歩が、()()()()()()()()()であった。

 浅ましくも南モンゴルなどと自称した叛徒の領域へ20,000を超える騎馬兵を解き放ち、村々に蓄えられている貴重品を筆頭に食料や燃料、家畜に飼葉などの様々なものを略奪し、奪えないものは焼き尽くす様に命令していた。

 南モンゴル独立派への嫌がらせであると同時に、アメリカ軍が南進してきた際の行動を鈍らそうと判断しての事であった。

 一般的な軍隊にとって武器弾薬は兎も角として食料の類は現地で賄うのが大半であり、チャイナ政府軍にとっても常識であった。

 併せて、燃料なども焼き尽くさせる事で、アメリカ軍の進軍を遅らせようと言う狙いがあった。

 ドイツ製の重戦車(Ⅳ号戦車)を筆頭とした各種機械化された重装備を揃えたチャイナ政府軍は、満州事件の頃とは比較にならない程に強化されてはいたのだが、それでもアメリカ軍と正面から戦えると()()する事は無かった。

 それ程に、ドイツ軍軍事顧問団に鍛えられていたチャイナ政府軍の参謀団は冷静であった。

 この南モンゴルと称する領域への焼き討ち作戦に並行して、黄河以北のチャイナ政府管理下にある市や村の全域に対して、避難指示を出した。

 此方も狙いは同じであった。

 この命令に老人や子供、そして女性が応じて避難を開始する。

 チャイナ政府軍は少なくないトラックを動員し、これを助けた。

 そして壮年の男性を中心とした外夷(ジャパン・アングロ)への敵意と血気に不足の無い人々は、チャイナ政府軍が配給する武器を持って山野に籠る事となる。

 ゲリラ戦の準備であった。

 チャイナ政府軍は国家の総力を挙げてアメリカと戦う積りであった。

 

 

――アメリカ

 チャイナが唐突に行った暴挙 ―― チャイナ北辺での焦土作戦は、その詳細が判ってくると共にアメリカへ大きな衝撃を与えた。

 アメリカにとってチャイナの行動は、人道に反するどころでは無い()()であった。

 だが呆然としている余裕は無かった。

 既にチャイナ政府軍の騎馬部隊に対して、南モンゴル独立派に与した軍閥が反撃を行ってはいたが、その成果は芳しく無かった。

 自由気ままに攻撃対象を選べるチャイナ政府軍騎馬部隊に対して、南モンゴル独立派の軍閥は装備の劣悪さ*6と守るべき領域の広さから、十分に対抗しきれずに居た。

 この為、南モンゴル独立派からアメリカに対して大至急の支援要請が出された。

 その悲鳴染みた要請に、アメリカは()()()()の名に於いてチャイナの領土へと部隊を進める事となる。

 アメリカ軍先遣部隊が国境線を越えた日、アメリカ-チャイナ戦争は宣戦布告が交わされる事無く勃発したのだった。

 

 

 

 

 

 

*1

 チャイナ政府は自由上海市対話の失敗を機に、チャイナ共産党への攻撃を控えさせた。

 アメリカとの戦争を睨んでの事であった。

 その動きを見たチャイナ共産党は、チャイナ政府へと密書を送った。

 チャイナに生きる人々の不倶戴天の敵である外夷(ジャパン・アングロ)、これを打ち払う為であればチャイナ共産党はチャイナ政府に協力する用意があるとの呼びかけであった。

 チャイナ政府はその呼びかけに応じた。

 数度の交渉の末、黄河以北の地で侵略者と戦う際の協力を定めた[河北防衛協定]が結ばれる事となった。

 この協定を締結するに当たり、チャイナ政府内部ではひと悶着があった。

 陰日向に戦乱を起こして跳梁していたチャイナ共産党 ―― 証拠の少ない邪推の類ではあったが、チャイナ政府関係者にとっては事実であった為、その言葉を信じるなどあり得ないし、協力するなど狂気の沙汰であると言う声が上がっていたのだ。

 だがそれを蒋介石は押し切った。

 ()()()とは言えチャイナ共産党と和睦するのは癪であり不快であったが、先ずは難敵アメリカとの戦いに全力を投じれるようにするのが肝要であるとの判断であった。

 実際、この蒋介石の決断あればこそ、チャイナ政府軍は総力をもってアメリカとの戦争に専念する事が可能となった。

 

*2

 実際問題として、南モンゴル独立派による組織的な襲撃こそ発生はしていないものの、モンゴル系の一般住人からチャイナ政府機関関係者が路上にて襲われる等の事件が頻発していた。

 

*3

 E-24とは日本が運用していたAWACS及びAEW機を手本として開発された機体である。

 積載力と航続能力に優れた爆撃機を基として、各種レーダーを搭載している。

 新鋭の機材であるが、()()()()()()()()()()を再度行わせない為にフロンティア共和国へと持ち込まれていた。

 又、爆撃機では無く、日本から輸入した民間航空機(TAI CC200シリーズ機)をベースに開発した、限定的ながらも航空管制能力も付与したXE-1(試験型航空哨戒管制機)も持ち込んでいた。

 CC200シリーズとはTAIが世界に売る為に開発した最初のモデルだった。

 アビオニクスなどこそデジタル化してはいたがエンジンにはアメリカ製の2000馬力級空冷エンジンを採用するなど、諸外国で運用と整備が出来るようにかなり配慮されていた。

 各国の航空機メーカーの旅客機と比較して隔絶した性能を誇っているが、値段も性能に比例している為、一般層を相手とした航空路線向けの機材としては売れなかった。

 売れたのは、富裕層を相手とした高価格高級(ファースト・クラス)路線だ。

 その性能の高さ ―― 騒音対策や振動対策、飛行速度や航続能力が高く評価され、富裕層を相手とした航空路線を持つ企業が採用する事となった。

 高級路線が売るべき先であると理解したTAIは、CC200シリーズに室温管理や座席の質感などで入念に選び抜いた設備を搭載したプレミアム・グレード(富裕層向け特別仕様機)を設定する。

 機体後部にバーの設備までオプションで取り付ける事の出来るCC200-PGモデルは、その狙い通り、空を旅する人間の憧れとなった。

 尚、XE-1となった機体はアメリカ空軍が技術研究用に購入した機体の1つであり、アメリカの航空会社がPGモデルの追加購入を行い、余剰となっていた標準モデル機を購入したものであった。

 尚、そのXE-1への改造に際してはエンタープライズ社が協力している。

 

*4

 後年、アメリカとチャイナの資料を突き合わせた結果、豊鎮市事件が全くの偶発的な出来事であり、不幸な事件であったと言う調査結果が国際連盟安全保障理事会に提出された。

 とは言えチャイナは、面子の問題もあって2000年代に入るまで本調査報告書をアメリカの陰謀と呼び続けた。

 

*5

 事件後から、アメリカは南モンゴル独立派へ非人道的な爆撃を再度行おうとしたチャイナ政府軍爆撃が、迎撃に出たアメリカ軍戦闘機の警告射撃に驚いて墜落したと言う事実を公表してはいた。

 だがチャイナは、その余りにも情けない(警告射撃にビビって墜落したという)理由であった事もあり、頑として受け入れる態度を見せる事は無かった。

 

*6

 南モンゴル独立軍の主力を成す軍閥は、辺境の弱小組織であり、車どころが馬さえ十分に持っていなかった。

 そして、()()()()()()()()、アメリカからの援助を期待して南モンゴル独立派へと参加したのだった。

 アメリカは、その要請に応えて武器弾薬や自動車の提供を約束していたが、今はまだ十分な量が供給されてはいなかった。

 戦争に必要な分 ―― コリア系日本人の自動化師団が優先された事が理由であった。

 




2020/03/18 文章修正
2020/03/24 脚注修正

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