タイムスリップ令和ジャパン   作:QgkJwfXtqk

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09.1928-2 日本ソ連戦争-2

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 日本政府と自衛隊の戦備は十分であった。

 問題は、野党と世論であった。

 政府の方針に対して批判はしたいが、批判すれば、それは北方4島が日本の領土では無いと宣言する事になるからだ。

 独立と日本連邦への編入も、公平な民主主義によって下された判断である以上、その過程にも文句を付ける事は出来ない。

 よって、野党とマスコミの主要な主張は非戦、戦争回避にのみ集中する事となっているが、これに慌てたのが千島共和国の外交部であった(※1)。

 千島共和国に連絡し、その後、日本政府との交渉に入った。

 第1回目は深夜、午前1時に行われた。

 既にウラジオストクには大型の輸送船とその護衛と思しき戦闘艦が集結しており、悠長に事を運んでいる余裕は無かったのだ。

 その会議にて千島共和国外交官は、日本政府に千島共和国防衛に関する確認を行った。

 日本に帰属してまだ間もないロシア系日本人としては、マスコミが煽り、加熱させている反戦運動に対して大いに警戒していたのだ。

 これに日本政府は、心配の要らぬ事を告げた。

 ソ連が千島共和国向けに用意している部隊は洋上にて撃滅する予定である事を。

 実は、この洋上迎撃計画自体は既に千島共和国へは伝達されていた。

 スパイ活動 ―― ソ連側に寝返った(表替えった)人間を警戒し、詳細こそ伝えては居なかったが。

 だが、日本政府は今回の千島共和国側の不安を理解し、迎撃作戦と参加部隊の詳細を伝達した。

 その内容に、参加していた千島共和国軍(邦軍)より派遣されていた武官が安堵し、その内容を千島共和国外交団に伝達した事で、一応の安堵をした。

 その上で、会議では2つの事が決定した。

 1つは、陸上自衛隊からの部隊を千島列島に展開させると言う事。

 これは、人質という訳ではなく、どちらかと言えば千島共和国住民への民心慰撫の面が強かった(※2)。

 同時に、日本国民への宣伝も行った。

 所謂 クウェート式、まだあどけないロシア系日本人少女を使い、千島へと迫るソ連の脅威を訴えさせたのだ。

 露骨にして単純な手法ではありそれを批判する声 ―― マスコミ関係者も居たが、今回は単純にも日本側は守備側であり、戦争への経緯に欠片とも問題が無かった為、その声が大きな影響力を持つ事は無かった。

 又、この報道に動かされる形で在日米軍が海兵1個大隊を千島に派遣する事となった(※3)。

 奇しくも日米露の連合軍が千島に誕生するのだった。

 

 

――1928.5 ソ連・開戦決断

 戦力の集結が終わっては居なかったが、日本側が千島への空挺部隊の展開を行った事をスターリンが重視し、開戦を決断した。

 又、本来は威嚇用として想定されていた朝鮮半島付近の3個師団にも懲罰としての南進を命じた(※4)

 輸送船への乗り込みを開始した時、日本側から通告があった。

 ソ連籍船舶複数の領海侵入は非友好的意図の恐れがある為、船団が領海に接近した場合、これを撃滅するとの通告であった。

 日本側外交官が断言した事は、ソ連上層部に少なからぬ衝撃を与えたが、同時に、それはスターリンの面子へも多大な衝撃を与えた。

 スターリンは激怒した。

 かの暴虐な資本主義帝国主義の国家へと、礼儀知らずの振る舞いに痛打をもって返答をせねばならぬと決意した。

 千島攻略船団には十分な護衛を付け、船団が日本の領海に接近するのと時間を併せて樺太、朝鮮への侵攻を下命した。

 

 

――日本側・戦争準備宜し

 戦争準備は完了していた。

 常時、偵察機による高高度からの偵察と、打ち上げられた偵察衛星によってソ連軍の行動は丸裸にしていたのだから。

 戦闘攻撃機と哨戒機への爆装準備は完了していた。

 在日米軍から爆撃機も派遣されていた。

 法的な準備も完結していた。

 国民の了解も得ていた(※5)。

 1928年5月。

 日本政府はソ連の千島侵攻船団の出港を確認後、TVにて国民に布告する。

 気の早い新聞社が日ソ開戦として出した号外は奪い合いとなった。

 だが、開戦は号外の1週間後であった。

 

 

――戦争・開戦

 ソ連千島攻略船団に約10kmの距離を取って随伴していた日本海上自衛隊の哨戒艦が、日本領海に接近した事を警告する。

 返礼は発砲であった。

 とは言え、ソ連駆逐艦からの発砲が哨戒艦を傷つける事は無かったが。

 だが、この発砲を持って日本はソ連との戦争状態に突入した事を世界に対して宣言した。

 同時刻、ソ連樺太鎮定軍と朝鮮鎮定軍が南下を開始した。

 

 

 

 

 

(※1)

 旧露国大使館員である。

 目端の効いた旧ロシア大使館員はソ連に帰順したとして良い扱いを受けるとは思っていなかった為、ほぼ全員が千島共和国についていた。

 

 

(※2)

 タイムスリップ当時の露国極東軍千島駐留部隊は、日露関係の安定と露国の経済的困窮から小規模 ―― 未充足の2個歩兵大隊を基幹とする混成連隊規模であった。

 この組織を前身とする千島共和国軍(邦軍)は、看板として2個連隊編制と成ってはいたが、その内情は未充足の6個歩兵中隊と1個対戦車中隊からなる軽歩兵部隊でしかなかった。

 そこにソ連の2個師団からの揚陸部隊が来るのだ。

 千島共和国の住人が萎縮し、母国(日本)から防衛の担保を欲するのも当然であった。

 この為、展開力から第1空挺団第1大隊が選抜、派遣されたのだ。

 しかも1個中隊は空挺降下を行い、千島列島防衛に対して日本は本気であるとのアピールまで行った。

 空挺降下する様を千島の地場放送局によるTV中継なども実施。

 日本は千島の民心慰撫に極めて心を砕いていた。

 

 

(※3)

 在日米軍の派遣は、単純なる義侠心などでは無かった。

 日本とアメリカの間での日米安全保障条約の締結が決まらない(安全保障での協力はする事自体は決定しているものの、アメリカのモンロー主義の影響で、どこまでの協力関係を行うのかで議論が止まっている)為、不確かな地位にある在日米軍が、内部の士気低下を抑止する為もあり行ったものであった。

 現時点で、在日米軍の生活費は日本政府からの特別措置の予算で賄われている。

 故に、食客としての分を果たすべきではないのかとの議論があった。

 又、在日米軍の中には祖国への帰属意識とは別に、白人国家として有色人種に対し人種差別的な政策を行っているアメリカへの忌避感も少なからずある事も、在日米軍の難しさでもあった。

 

 

(※4)

 途中の経緯を抜きにして、開戦直前のスターリンにとっては奪われた旧領の奪回のみが目的であり、であるが故に日本が道理を弁えた行動を取れば、血は流れないという思いがあった。

 であるが故に、日本が千島へと戦力を増強していく事に憤怒した。

 100年の歴史とやらで増長していると思ったのだ。

 有り体にいえば舐められたと判断したのだ。

 この為、スターリンは朝鮮半島への懲罰を決定。

 更なる3個師団の派遣を決定するほどであった。

 

 

(※5)

 コリア内戦から日本国民は、事、国家の防衛に於ける軍事力の行使というものに忌避感を抱いて居なかった。

 戦争は良くない。

 だが、相手の善意を妄信する事は、それ以上に良くない。

 又、スターリンと言う人間の人物像が知られているのも大きかった。

 国民の誰もが、共産主義者ですらも、スターリンという人間の持つ暴力性を認識していた。

 故に、国民が一丸となっていたのだ。

 国民の一部は、義勇隊の創設を国に要求する程であった。

 

 

 

 

 

 




2019.04.27 微修正実施
2019.05.13 表現の修正実施

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