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チャイナはアメリカとの戦争状態に突入する少し前に、ドイツに対して強い調子で1つの事を要請していた。
要請された内容は契約していた武器売却で、既に
チャイナとしては当然の要請であり、ドイツとしては実に困った要請であった。
この時点でチャイナとドイツの間で結ばれていた武器売却に関する契約で未履行分はⅣ号戦車36両を筆頭にして防空車両や半装軌装甲車など併せて200余両。
そして新鋭のジェット戦闘機、FJ-2に搭載されるジェットエンジンの部品200セットであった、
チャイナとして優先順位が高いのはジェットエンジンの供給であった。
Ⅳ号戦車などの陸上装備は既にある程度まとまった数がチャイナ政府軍へと配備されており、チャイナとしても陸軍精鋭部隊の質に於いてはアメリカ陸軍にそう劣っていないと言う自負があった。
だが空は違う。
アメリカが持ち込んでいる
それ程の差が、ジェット戦闘機とレシプロ戦闘機の間には存在していたのだ。
チャイナが、万難を排し最優先で、1セットでも多くのジェットエンジンを届ける様に要請するのも当然であった。
対するドイツ。
ジェットエンジンを揃える事自体は、自国向けに月産で二桁を超える勢いで量産 ―― 生産が本格化している事もあり、そう難しい話では無い。
問題は、ドイツからチャイナへと送り届ける事であった。
この数年で繰り返された物資と人員の輸送によってドイツの海洋力はかなり疲弊しており、早期に護衛を付けた船団を組む事は困難であったのだ。
ドイツ政府が民間需要に影響を与えない範囲で借り上げ出来る大型優速の貨客船は払底状態にあり、護衛戦力に関しても同様であった。*1
幾度かの折衝の末、ドイツとチャイナは1つの合意に達した。
或は妥協。
エンジンの輸送を行うと言うチャイナの要請は通り、だが同時にドイツの海洋力では輸送を行えないと言うドイツの要求も通る事となった。
一般の物資に紛れさせ、
様々な難題を抱えた合意であった。
――ソ連
ソ連人としての正直な感想として外交官は、チャイナとアメリカの戦争は心底どうでも良かった。
その国力差からアメリカが勝つのは見えており、その経緯にソ連が絡んで利益を得る事は不可能である事は明白であったからだ。*2
高みの見物といった態で居た所に持ち込まれた話にソ連外交官は自らの空耳を疑い、並んで座っていたドイツとチャイナの外交官の顔をまじまじと見ながらもう一度、言って欲しいと返した。
だが現実は非情であった。
報告、その第一報を受けたソ連政府は慌てた。
小規模ながらもソ連が断続的に行っていたチャイナ共産党への
国際社会と国際連盟に知られる訳にはいかない非常事態であった。
密輸ルートの場である東トルキスタン共和国、そこに駐屯する日本への警戒心からであった。
ソ連は己の行いが
秘密を知るソ連首脳陣は
その中心は、秘密を知るチャイナ共産党首脳部の暗殺計画だ。
だが計画が実行される前に第二報で詳細が届き、チャイナ共産党首脳部が歴史の闇に葬られる事は免れたのだった。
尚、ドイツとチャイナの要請に関してソ連は、輸送を請け負う事は認めた。
だがその条件として、輸送はあくまでもソ連の海運民業部門が請け負うと言う事と、輸送時にアメリカや国際連盟加盟国による臨検を受けて
ドイツとチャイナはそれを受け入れる事となる。
――チャイナ
陸上戦力と航空戦力に隠れているが、チャイナは水上戦力の整備に関して手を抜いていると言う訳では無かった。
とは言え重工業が発達しているとは言い難いチャイナである為、花形の水上戦力と呼べる戦艦や空母を自ら建造する事は出来ない。
代わりに重視されたのは、魚雷艇に代表される沿岸域での戦闘艇であった。
我が物顔でチャイナ近海を遊弋する
その方針の下で黄海のチャイナ海軍部隊には30隻を超える魚雷艇や、機雷母艦などが整備されていた。
戦争と成れば、黄海に面したアメリカ海軍拠点に対して積極的機雷散布を行ってその行動を抑制し、それでも出撃して来るのであれば、魚雷艇による夜間雷撃を敢行する。
それがチャイナ海軍の戦争計画であった。
又、チャイナ海軍の象徴、チャイナの矜持としての公称10,000t級海防戦艦の整備計画も進んでいた。
既にスウェーデンの地では進水を果たし、正式に鄭和の艦名が付けられた海防戦艦は、スウェーデンにて艤装工事が進められていた。
問題は、この鄭和であった。
チャイナ本土から遠く離れた欧州の地に在る為、アメリカとの戦争が勃発した場合に無事にチャイナへと来る事が出来るかが危惧されたのだ。
幸い、兵装以外の艤装工事は完了しており、航行自体は可能な状態にあった。
ここでチャイナは賭けに出る事を選択した。
艤装未了ではあっても航行が可能であるなら、鄭和はチャイナへと回航させようと決めたのだ。
当然、スウェーデンの造船関係者は大反対した。
機関などの設置こそ完了してはいるが、艤装の終わっていない、海上公試もしていない艦をぶっつけ本番でチャイナまで遠征させようと言うのは、常識を持ったスウェーデン造船関係者にとって正気の沙汰では無かった。
しかも、乗組員はチャイナ人だ。
スウェーデンで一応の訓練を受けてはいたが、外洋航海の経験など殆ど無い、チャイナ人だ。
早期回航を聞いたスウェーデン人は、発言したチャイナ人の正気を疑う程であった。
とは言え、鄭和の建造に少なくない金を積まれていたスウェーデンは、チャイナに対して同情的ではあった。
その情に従い、忠告をした。
現状の鄭和をチャイナへと回航させるのは、冒険的決断を通り越した自殺的決断であると。
だが、チャイナの決意は固かった。
一週間近く及んだ交渉の結果、チャイナの要求通りに鄭和はチャイナへと回航される事が決定した。
それが、後に“鄭和の大遠征”とも呼ばれる、苦難に満ちた大航海の始まりであった*5。
チャイナへの護衛任務に重油を大量に消費し続けていた結果、ドイツ海軍は外洋での訓練を満足に行う事も出来なくなっており、艦艇乗組員の練度は1930年代に比べ明らかに低下していた。
ドイツ政府は海軍に対して重油の補償を約束し、実際に追加で配分されてはいたのだが、その量は護衛任務で消費した量に比べて余りにも少なかった。
これは陸軍の機械化率の上昇と、空軍のジェット戦闘機の配備によって、ドイツ軍全体での燃料の消費量が上昇している事が原因であった。
この為、ドイツ海軍は練度も士気も下降傾向にあり、とてもではないがチャイナへの航海など出来る状態に無かった。
ソ連の駐ドイツ外交官は、ソ連が極秘裏に行っていたチャイナ共産党への支援と言う情報を持っていなかった。
この為、アメリカとチャイナの衝突を純然たる対岸の火事として見ていた。
後は、戦後にドイツの観戦武官が纏めるであろう
ソ連は、日本と言う国家がチャイナとチャイナ共産党に対して警戒心を持っている事を理解していた。
日本から極秘裏に亡命してきた露国人から、未来のチャイナ ―― 中国の情報を得て居ればこそであった。
ある意味で、日本の対チャイナ感情を一番よく把握しているのはソ連と言えるだろう。
そして、未来の情報を得たソ連にとってもチャイナ共産党と言う存在は
尚、
現在を乗り越えねば未来は無い。
ソ連にとって日本とはそれ程の難敵であった。
隠滅される証拠の中には、チャイナ共産党幹部の謀殺も含まれて居た。
それ程にソ連は、日本が
そして、日本の支援を受けて発展するシベリア共和国をソ連は恐れたのだ。
独立の経緯ゆえにソ連に対する敵意を隠そうともしないシベリア共和国は、日本の支援によって国力を大幅に増やしていた。
人口、経済、軍事、あらゆる分野で
尚、その5年に及ぶ苦難の航海 ―― 日々は、現代のアルゴノーツとして歌劇や映画の題材となる。
2020/03/25 文章修正