タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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098 チャイナ動乱-17

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 日本から出された3つの要求 ―― 納得できる理由、責任者の首、見合った賠償は、どれもこれもチャイナが簡単に呑めるものでは無かった。

 責任者の首と言えば、実際に立案した者は魚雷艇と共に海の藻屑となっていた。

 とは言え、誰かを適当に責任者に仕立て上げる事は簡単であるが、そんな事をしてしまえば、海上部隊の、ひいては軍全体の士気が地に堕ちる事となるだろう。

 戦争中に出来る事では無かった。

 一番簡単に見える賠償は、その額ゆえに不可能だった。

 日本が出してきた請求額は、チャイナの年間の軍事費と同額であったのだから。

 流石に吹っ掛け過ぎだと憤慨し減額を要求するチャイナであったが、日本は拒否した。*1

 そして、理由である。

 戦闘を優位に進める為であるとしか説明しようがなく、その事を日本に対して伝達しているのだが、その様なモノは理由では無いと突っ撥ねられていた。

 ではそれ以上の理由を用意するとなれば、責任者の首と同じ話となる。

 チャイナの対アメリカ政策と戦争を自ら否定せねばならなくなるのだ。

 戦時中である事を抜きにしてもチャイナは10年来と評するレベルで反アメリカ、反外夷(ジャパン・アングロ)で民意を煽って来ていたのだ。

 それを今更否定しては、チャイナの政府高官たちは軒並み、民衆の手で吊るされる事になるだろう。

 とてもではないが、出来る事では無かった。

 八方塞となったチャイナは、必死になって国際連盟加盟の国々へ外交交渉を持ちかける事となる。

 日本の報復権を、国際連盟の総会で認める事が無い様にしたいが為であった。

 様々な手管(賄賂等)を用いて、国と国との外交の場を作り出す事までは成功するのだが、その先の反応は捗々しいものでは無かった。

 1人1国とて、チャイナの要求を聞いて国際連盟総会の場で活動する事を約束するモノは居なかった。

 比較的友好関係を築けていたとチャイナが自認していたソ連ですら、チャイナの主張を傾聴するだけであった。

 チャイナの主張を記録せずに聞くだけと言う態度の外交官はまだマシで、挨拶を交わした途端に要件は終ったとばかりに退出する外交官すら居た。*2

 これ程の扱いをチャイナが受ける理由は、外交先として選んだ国々が日本に阿ったからでは無かった。

 そもそもとして、チャイナが国際連盟を軽視した態度と外交とを繰り返してきた結果であった。

 国際連盟総会での非難決議を鼻で笑い、国際社会と諸外国とはチャイナにとって都合のよい様に使うだけの存在であると認識し、行動してきた結果であった。

 正しく因果応報。

 その現実を、チャイナは突きつけられたのだ。

 アメリカとの戦争が起きる前、アメリカで行った宣伝(情報工作)が失敗した時に自覚するべきだったのだ。

 宣伝が失敗したのは、宣伝内容が杜撰だった訳でも、宣伝に掛けた予算が足りなかった訳でも無く、純粋にチャイナへの憎悪が存在していたためであると言う事実を。

 自らを世界随一の歴史を持った大国、中原(世界の中心)の大国と自認していたチャイナは、この段になって漸く、自らが世界から憎まれている事を理解した。

 チャイナの駐スイス大使は、個人的に親しかったスイス人から忠告を貰った。

 自らの国力も弁えず、強大な列強に議決権の数を持って抵抗する(寡は衆に敵せずの論に基づく)組織である国際連盟を脱退し、列強(ジャパン・アングロ)に独りで歯向かうチャイナは、愚か者(未開人)であると嗤われているのだと。

 この忠言を含めて、スイスでの外交成果を余すことなく報告された蒋介石は、その夜、黙って老酒を呷っていた。

 

 

――チャイナ

 自らの置かれた絶望的な状況を理解したチャイナであったが、とは言え日本との交渉を諦める訳には行かなかった。

 既にアメリカと戦争をしている状況で、日本と戦争をするなど狂気の沙汰であるからだ。

 その程度の計算をするだけの判断力はチャイナにも残っていた。

 ジャパンへの留学経験のある者や、日本人の政府関係者と接触した事のある者をかき集めて、対案を練る事とした。

 目的は日本との戦争回避である。

 それだけを目的とした行動方針、行動計画だけが求められた。

 時間は無かった。

 スイスでの外交で時間を浪費した結果、日本の回答期限まで残された時間は殆ど無かったのだから。

 対策班は1昼夜、考え抜いた行動計画を上申する。

 時間の無さゆえに粗削りな内容となっていたが、それを読んだ蒋介石は顔をしかめた後、受け入れる旨を口にした。

 上申内容を要約するならば、日本への全面的な屈服であった。

 責任者は適当(適切)な者を人身御供として処罰し、渤海での類似の案件が再発しない様に、チャイナ軍は渤海沿岸域から全面撤退を行う。

 賠償金に関しては予算、税収の不足を正面から口にして、資源の売却と共に、長期間での償却を願い出る事とされた。

 幸いな事に、日本はアメリカとの戦争に関しては言及していなかった為、 国民に対する言い訳は用意する目処があった。

 予定されている第二次河北攻勢、秘匿作戦名(カイル)の勝利である。

 この勝利と共に、何時もの宣伝 ―― 暴虐なる外夷(ジャパン・アングロ)に対する臥薪嘗胆の合言葉を連呼する事で誤魔化せると見ていた。

 ここまではある意味で蒋介石も想像していた通りの内容であった。

 想定外であったのは、渤海に進出してくる予定の日本海軍部隊を自由にさせるという事であった。

 軍事的報復を行ったと言う事実を持って、日本の世論のガス抜きを行う事が目的であった。

 その被害がどれ程になるのか、想定出来るものでは無かった。

 日本の新聞で収集した情報ではやまと型対空護衛艦(戦艦)、竣工したばかりのあそ型対地護衛艦(重巡洋艦)*3まで投入されるのではと伝えられていた。

 渤海沿岸域がどれ程酷い事になるのか、想像するだに恐ろしかった。

 だが日本対策班(アストロミー・オブザーバー)は、その新聞内容に光明を見た。

 集められる限りの記事、日本の新聞社のみならずアメリカやブリテンの特派員(特別駐留認可記者)による記事を見ても、日本が作戦海域としているのは渤海に限定されていたのだから。

 東シナ海沿岸域、特にチャイナ政府にとって重要な経済基盤である長江流域が含まれて居ない事は救いであった。

 懲罰を行う積りはあっても滅ぼす積りはない。

 そんな日本の外交メッセージを正確に受け取ったのだった。

 日本対策班は()()()()()を避ける為、蒋介石の了解の下でスイスの大使館を通じて日本にメッセージを送った。

 対話に心残れど(事後の対談を望む)渤海に残心無し(好きにやれ)、と。

 

 

――日本/懲罰行動

 スイス大使館を通じたチャイナからのメッセージを受け取った日本は、防空護衛艦やまとを旗艦とした渤海派遣戦隊群(TF-42.1)を渤海へと侵入させた。

 ある意味で手打ちの為の武力発揮を望まれる当水上艦戦隊は、大小合わせて5隻の護衛艦から成っていた。

 マスコミが報道(リーク)していた通り、やまととあそが含まれて居る。

 だがそれ以上に象徴的であったのは、日本連邦統合軍としての派遣を象徴する様に朝鮮(コリア)共和国の軍艦、新鋭の5,000t型護衛艦(海防駆逐艦)*4白頭が参加していた。

 5隻の艦艇は、朝鮮(コリア)共和国に駐屯していた第8航空団に所属するF-3戦闘機の群れに見守られながら、渤海に面したチャイナの港を焼き尽くした。

 大は軍港から小は漁港まで、存在した船舶の尽くと一切合切の造船設備を消滅せしめたのだ。

 日本の大義名分は、渤海で二度と国際法に反した漁船(民間船舶)への偽装を不可能にすると言うものであった。

 その姿は正しく暴君(グレートゲーム・プレイヤー)であった。

 暴力であった。

 但し、一般人の居住区域への被害は一切無かった。

 海兵部隊が上陸して略奪が行われる事も無かった。

 その事が、益々以って日本対策班に恐怖を与えた。

 日本が、怒りに任せた無思慮な暴力を振るうだけの粗暴者(ゴロツキ)ではなく、冷静に利益を計算して暴力を振るう組織暴力者(ヤクザ)である事を示しているのだから。

 日本対策班は蒋介石に対して、日本との交渉は心して行うように上申するのであった。

 

 

 

 

 

 

*1

 請求された修理費用は、タイムスリップ前に建造されていた中型タンカー(15万t級スエズMAX)の建造費とほぼ同額と算出されていた。

 被雷と言う設計時には想定されていない被害を受けたフネである為、何処に負荷が掛かっているか判らぬ為、徹底した船体の調査を行った上で修理せねばならないと言うのが論拠であった。

 その上で運行が出来ない期間の、タンカー所有会社に対する利益補償。

 負傷した乗組員の医療費と見舞金が乗るのだ。

 それを()()()()()()()()で、しかも減額無しで叩きつけられたのだ。

 チャイナが頭を抱えるのも当然であった。

 

 

*2

 これ程に外交的態度を投げ捨てた様な酷い対応を行ったのは、チャイナが無理矢理に元チャイナであるからと呼びつけた東トルキスタン共和国位であった。

 賄賂(積み上げられた札束)に負けた下級の外交スタッフと違い、国連代表になれる程の見識を持ち、日本へも留学した事のあった外交官は、外交的と言うよりも、国家存続に寄与する為の行動として面会を行ったのだった。

 チャイナが、チャイナから独立した東トルキスタン共和国を国として認めたと言う記録を残す為である。

 そして、対面したと言う記録が出来れば、それ以降は言質を与えない為、一言も発する事無く退席したのだった。

 

 

*3

 あそ型対地護衛艦は、1939年次対ドイツ戦備計画に基づいて計画建造された、事実上の砲戦型重巡洋艦である。

 1939年に策定されたにも関わらず、1942年早々に竣工出来た理由は、以前よりやまと型の補完戦力として10,000t程度の着上陸作戦支援用護衛艦の建造が検討されていたと言うのが大きい。

 尚、主砲に関してのみ、原案とは大きく異なる事となる。

 当初の10,000t型案であれば、余剰兵器として保管状態にあった203mm自走りゅう弾砲の砲身(M201榴弾砲)を流用し自動化単装砲塔6基6門と成っていたのだが、そこにアメリカが横やりを入れたのだ。

 きい型護衛艦に関わるブリテンとの技術共同開発事業を知ったアメリカが、艦砲の共同開発を要求(泣き付いて)して来たのだ。

 グアム共和国(在日米軍)の口利きもあり、又、G4内に於いてブリテンを偏重すると言う形になるのも問題であるとの政治的判断から、自動化8in.連装砲の共同開発が行われたのだった。

 この8in.連装砲を搭載する為、当初の10,000t型対地護衛艦から船体設計の変更が行われ、最終的には13,000t型甲種護衛艦として建造された。

 

 艦名 あそ(あそ型対地護衛艦)

 建造数   6隻(あそ いこま 以下艦名未定)

 基準排水量 14,650t

 主砲    55口径8in.連装砲 3基6門

 VLS     Mk41 32セル(前部32セル)

 他     CIWS 2基  SeaRAM 2基  3連装短魚雷 2基

 航空    UAV専用格納庫(観測用UAV 3機)

 

 

*4

 タイの要請を受けて開発された戦闘艦である。

 タイ向け1番艦の名前を採ってトンブリ級とも言われるが、タイの知名度が低い為、もっぱら5,000t型丁種警備艦(Type-T 5,000t)を略す形で、T3級と言う名前で認識されている。

 此れは、本級が有償軍事援助(FMS)形式で売却される為、日本での予算を付ける上での名前が必要とされての措置であった。

 現在、売却契約が締結されているのは3ヵ国。

 タイ、朝鮮(コリア)共和国、台湾(タイワン)民国に、それぞれ2隻が引き渡される予定となっていた。

 

 艦名 5.000t型丁種警備艦(韓国(コリア)共和国仕様)

 建造数   2隻(白頭 艦名未定)

 基準排水量 4,750t

 主砲    37口径8in.連装砲 3基6門

 副砲    51口径105㎜速射砲 4基4門

 他     35㎜連装砲 2基  3連装短魚雷 2基

 

 




2020/04/24 誤字修正

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