『ナイショの話』 やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「納得いかない。なんであいつなんだ」
「ちょっと滝野。落ち着こう。とりあえず座る」
同じ二年の加部に言われて、思わず立ち上がった俺は椅子に座った。
だがさっきのことを思い出すと、興奮のあまりまた立ち上がりそうだ。足がぷるぷると震えている。
『比企谷君。今日一緒に帰ろうよ?』
それは吹奏楽部の、いやあながち冗談ではなく北宇治高校のマドンナと言われる香織先輩が発した言葉だった。
それを聞いた瞬間、俺は思わず比企谷を睨み付ける。
香織先輩に一緒に帰ろう、だなんて誘われたこと自体許せない。しかも、最近では昼も吉川と香織先輩の三人で食べることも多いし。
だがもっと許せないのはその後。あいつ、一瞬嬉しそうにした後何かに気が付いたようで嫌そうな顔をしていやがった…!
「くっそ…。俺も問題児になればいいのか…。そしたら俺も香織先輩と…」
俺は入学して吹部の勧誘演奏の時に、香織先輩を見たときから人知れず香織先輩の事が好きだ。香織先輩がいたからトランペットパートに入ったし、同学年の奴らが辞めていったときも残ろうと思った。……本当は入部したのは吹部って女子が多いから、モテるんじゃないかと思ったっていうのも理由の半分くらいではあるんだけど。
香織先輩のファンは多い。ファンクラブと親衛隊。この二つの組織が同じ学校内で結成されているのは、この広い京都の中で香織先輩だけではなかろうか。
片方の勢力であるファンクラブの方は、部外の男子が主な構成員だ。香織先輩の可愛さを共有して楽しんでいる連中。それに対して親衛隊は同じくトランペットパートの同級生である吉川優子がリーダーを務めている。今俺をたしなめた加部も入っていて吹部や所謂レズっぽい女子が多い。香織先輩を守り、讃え、愛する組織である。
二つのグループは互いに仲が険悪で、何でも香織先輩を『好き』か『愛するか』。その違いで争っているからだとか。そこら辺のことは置いておいて、とにかくファンの多い香織先輩と距離を縮めることなんて一年間、俺には出来なかった。それこそ吉川なんて、大したことない男が香織先輩に告白したら蹴り殺すんじゃなかろうか。
それなのに、それなのに!あの男は!
「くっそぉ…」
「滝野ー。顔がすごいことになってるよ。って言うか問題児って」
「だって比企谷が問題児なのは事実だろ?」
「うーん。まあ確かにそうだけど」
「つーか、やっぱりおかしい。こないだなんて、合奏練で集められたとき全員の前で香織先輩の事めっちゃ悪く言ってたぜ。上手い人が吹くべきだ、とか言って実質香織先輩が高坂より下手って言ったようなもんだっただろ?」
あの再オーディションの要因となった音楽室での一件ははっきり言って比企谷八幡という人間は本当にクズ野郎だという印象を部員全員に与えたと思う。パートに関係なく数日間あいつへの陰口は止まらずに、音楽室の話題は高坂の父親や滝先生の贔屓についての話題から、比企谷の悪口や香織先輩が居たたまれないという話題に移り変わっていった。
だがもっとパートのことも考えて欲しかった。香織先輩もオーディションを再び受けることにしたためしばらく練習で外すことが多くなり、同じ二年なのに俺と加部の二人に比べて影響力が圧倒的にある吉川も機嫌の悪さマックス。いや。あれは機嫌が悪いとは違っていたのかも入れないけれど。とにかく再オーディションまでのパートの雰囲気の悪さは入部当初よりも、そして去年よりもずっと悪かった。
あいつはソロの再オーディションを公開処刑だと言ったが違うと思う。あれは比企谷八幡の処刑だった。
比企谷の問題児エピソードはまだ続く。
例えば俺たちとパート練習しているときだって、高坂と比企谷は一人で練習することが多い。入部当初から変わらず、窓際の席に座りトランペットを吹いている。少しくらい先輩や同級生の吉沢と話をしろ。あいつや高坂のお陰でまだ四月の頃はトランペットパートの雰囲気は悪かった。高坂は別に周りの空気も読まず一人で練習しようが許すけどな。美人だから。
低音のコンバスの小さい子と話すときはにやにやしててキモいし、合奏練の時は一人で何を考えているのかたまににやっと笑うし。たまに香織先輩の方をこの世の不幸を背負っているみたいな目で見つめているし。しかもたまに気が付いた香織先輩が微笑み返すし。
男子が少ない吹部で同じパートなのに、俺がしばらく比企谷の名前覚えられなかったのもあいつの影が妙に薄いせいだ。決して男子だから覚えなくて良いかななんて思っていたからではない……はず!
俺の愚痴を加部は笑って聞いているだけだったが、近くにいた沙菜先輩が反応した。
「駄目よ。滝野君言い過ぎ」
「うっ…」
「折角最近、ソロの問題が片付いたから香織も元気になってきて、パートも何とか落ち着いてきたのに」
沙菜先輩に言われて話すのを辞めた。
沙菜先輩はトランペットパートの三年生の二人のうち、そのうちの一人が香織先輩のため気付かれにくいかもしれないが、中々の美人である。黒髪を二つ結びにしているのが幼そうに見せるが、性格はかなりしっかりとしており、いつもキャラの強いパート内を上手く纏める役を買って出てくれている。あと、おっぱいが大きい。
植物を育てるのが好きとか、おっとりとした雰囲気にどこか先輩らしさや大人の魅力を感じ、去年一度、遊びに誘ったが断られたのは余談である。
「笠野先輩は比企谷のことどう思いますか?」
加部の質問にツインテールを弄りながら沙菜先輩は少し悩んだ。
「んー。やっぱり未だにどう接していいのか分からないかな。比企谷君と高坂さんは」
「ですよねですよね!」
沙菜先輩の同意に更新した俺は思わず立ち上がる。そうだそうだ。もっと言ってやれ!
「吉沢は!?吉沢は同じ一年として比企谷のことどう思う!?」
「え、私ですか?」
吉沢は今年入部した一年のトランペットパートのメンバーの中で唯一話しやすい。とは言え、吉沢は吉沢で高坂や比企谷とはまた違ったベクトルのマイペースなやつで、今も俺の勢いを置いてけぼりにして、譜面からゆっくりと顔を上げて空返事で答えた。
「うーん。比企谷君。うーん」
考えている様子で首を曲げると、サイドテールの髪が一緒に垂れる。
「…頭いいですよね」
「……だけかよ!?」
「あはは。確かにー!比企谷は頭いいなって思うとき良くある!」
同調した加部に、笑いながら頷く沙菜先輩。確かにあいつの頭がいいというのは、俺も否定できない。
「比企谷君も高坂さんも進学クラスじゃないですか。なんか別のパートの進学クラスの友達に聞いたんですけど、比企谷君、教室ではよく小説読んでるみたいですよ」
「へえ。そうなんだ」
「はい。あと、どっかのクラスの先生が言ってたらしいんですけど、一年生で一番国語の成績良かったんですって」
「マジかよ、すげえな」
「高坂さんもすっごい成績いいんだよね?部活忙しいのに、総合成績が一年の中で三番以内に入ってるって香織に聞いたよ」
「マジかよ、すげえな」
「でも、私低音の夏紀に聞いたんだけど、比企谷は数学は赤点なんだって。低音の一年の二人が言ってたらしい」
「マジかよ、すげえな」
「滝野君、さっきからそれしか言ってないよ」
だって、本当に色々凄いよ。成績がいいのは勿論純粋に凄いけど、よくマンガとかで見る赤点って、現実じゃ中々見なくないか?
「さ、沙菜先輩。なんですか?」
「ふふ。ううん。秋子ちゃんも勉強頑張ってね」
「は、はい…」
「友恵もね?」
「はい……」
沙菜先輩の笑顔の前でがっしりと肩を組む二人。俺はと言うとそんなに成績は悪くないのだ。特別いい訳でもないけど。
勉強は頑張って損はない。たまに女子に宿題でわからなかったところとか聞かれると教えてあげられる。その女の子が可愛ければ、恩を売りまくった結果、遊ぶ約束をこぎつけて付き合うきっかけになるかもしれない。ちなみに、そうなったことは一度もないし、こないだクラスで女子が『宿題忘れちゃったぁ。誰かやってきてないかな…』と言ってたときに、『滝野なら見せてくれるよ。あいつ使えるから』と言っていた気がするがきっと勘違いだ!
「でも話は戻るけど、比企谷君と接しにくいとは言ったけど、あの子ずっと入部した時から一人で練習頑張ってたよね」
「あ、それは思ってました。高坂さんも比企谷君も凄いなあって」
「そんなことない。練習すんの、普通のことだから」
「そういう滝野は、その間も他のパートの男子と遊んでたけどね」
それは先輩に呼ばれたら行くしかないだろ。それに話してる内容が同じパートに彼女がいる現三年、トロンボーンパトリの千円先輩の『千円でできるモテ秘講座』だったら尚のことだ。
「ほら、入部してからずっとあの窓際のところで吹いててさ。その姿見てると、一年生の頃の香織を思い出しちゃうんだ」
「ああ。香織先輩、一年生の時から上の代が練習してなくても吹いてたって言ってましたもんね」
「うん。比企谷君と違って、先輩に話し掛けられたら笑って話してたし、もっと上手くやってたところはあったけど。なんかそういうちょっと香織に似てるところがある気がするんだ。だから香織も比企谷君の事が気になっちゃうんじゃないかな?」
「そういうところあるんですかね?」
「きっとね。だからかなんだろうけど、私は香織だって強豪校に負けないくらい上手いって思ってるけど、比企谷君もそのくらい吹けるよね」
「香織先輩ほどは大げさな気もしますけど」
「そうですよ。香織先輩の方が絶対上です」
沙菜先輩に俺と加部が反対意見を出す。その間も吉沢はぽーっと何もない三人の真ん中を眺めている。
「秋子ちゃんはどう思う?」
「え、難しい。うーん」
また長い吉沢のうーんが始まった。待つこと数十秒。吉沢の出した答えは。
「優子先輩くらいじゃないですかね?」
「じゃあ私たち派だね」
「よっしゃ!流石吉沢!」
ハイタッチのつもりで吉沢の方に掌を出す。吉沢は俺の手を見て、そっと目線を下げた。それに合わせて俺もそっと腕を降ろす。何もなかった。いいね?
「でも優子ちゃんくらい吹けるって十分に凄いよね?」
「優子は南中出身ですしね。二年の中では間違いなく一番上手いよね?」
「まあ、正直な」
否定はしない。吉川は二年では一番上手い。だが考えて見れば、吉川と同じくらいと言うことは比企谷は俺より上手いと言うことだ。悔しい。もっと練習しよう。
「…って俺今気が付いたわ」
「はいはい。今度は何?」
「比企谷、加部のことは加部って呼ぶけど吉川のことは優子先輩って呼ぶよな?なんで?」
「そりゃ、優子はみんなから優子って呼ばれてるし」
「でも同じパートの一つ上の俺が吉川って呼んでるんだぜ?そこは空気読むだろー?」
「私、前から思ってたんですけど、逆にどうして滝野先輩って優子先輩の事吉川って呼んでるんですか?」
「そ、それは…」
ぱっと顔を伏せる。そんな俺とは対照的にニヤニヤしている加部と沙菜先輩。当事者の加部はともかく沙菜先輩もやっぱり知ってるのか。まあそりゃそうか。噂の広まりが早いのが吹部だし。
「教えてあげようか?」
「はい。教えて下さい、友恵先輩」
「あのね、私達が一年の時の夏くらいまでは私も優子も滝野に下の名前で呼ばれてたの。でもある日ね、滝野が同じ代の女子だけで話してるときに急に入ってきて、その時に優子が『なんか滝野って、下心が見え見えっていうか…キモいんだけど。私と友恵のこと下の名前で呼ぶのやめてくれない?』って。あの時の滝野の顔……あはは」
「優子ちゃんらしいよね。はっきりしてて。その話聞いたとき、すっごい香織と笑っちゃった」
「やめて…。傷口抉らないで…」
「あー。私もそれ分かります」
「おい」
「あははは。秋子ちゃんは滝野に下の名前で呼ばれてなくて良かったね?」
「はい」
はい、じゃねえよ。はっきり言うな。
「そう考えると比企谷君は下心がないからいいのかな?」
「うーん。下心は男子だし、ありそうじゃないですか?」
「そうだそうだ。吉沢の言う通りですよ。あいつめっちゃエロい目してますもん。あれは昔、やったことがある目ですよ…」
「どんな目なのよ…」
加部は呆れた様な顔をしてるけど、俺はわかるぞ。ドン・キ○ーテの十八禁コーナーに恒常的にいる人と同じ目だ、あれは。
「さっきまでずっと香織先輩が比企谷お気に入りって話でしたけど、普段優子と良く一緒にいる私的には、優子も結構、というかめちゃくちゃ比企谷と仲いいと思うんですよ」
「パート練の時も優子ちゃんが絡みに言って比企谷君がなだめてるみたいな光景よくあるよね」
「そうですそうです。比企谷は優子の扱いが上手いと思うんですよ。ほら、優子って結構熱くなりやすいところがあるけど、比企谷が冷めてるというか冷静だから上手く対処できるというか」
「適材適所みたいな感じですかね?」
「そそ。秋子ちゃんの言う通りそんな感じ」
じゃあ香織先輩じゃなくて、吉川の方行ってくれよなあ。吉川は同学年の吹部以外の奴からは人気も高くてルックス凄い良いのは認めるんだけど、同じパートの俺的には同い年なのにずけずけ色々言ってきて怖いから…。うまく手なずけられているならそのまま手なずけて欲しい。
ほんと、黙ってたら人形みたいで可愛いんだけどなあ。あんなに香織先輩が絡むと暴走し出したり、自分と意見が食い違うと戦おうとする戦闘民族みたいなところがあるのに、それでも尚男子から告られたりしてモテるんだからもったいないと思わざるを得ない。
「最近じゃ帰りも私とかオーボエのみぞれと一緒じゃなくて、二人で帰ることもあるし」
「え、そうなんだ」
「はい。優子が校門で待ってるみたいですよ。気になって何回か隠れて見てたんですけど、比企谷の方も満更ではなさそうに、部活終わった後、なんか自転車を取りに行くのがゆっくりなんですよね。私は優子に合わせてるんじゃないかなって」
「ほ、本当ですか?」
「うん。それにね。優子が校門で待ってるのが見えると、自転車の籠に入れてた鞄をずらしてもう一つ鞄を入れられるように空けるんだよ。それで優子と合流すると、鞄受け取って入れてあげるの」
「う、嘘!もしかしてもしかしてあるんじゃない!?」
沙菜先輩と吉沢の目がキラキラと輝き出す。これは女子あるあるのあれだ。あれが始まる。比企谷もご愁傷様だな。女子のこれに捕まると面倒だぞ。多分自分の知らないところで話が進むやつだ。
だけどこういう話、意外と男子も好きなもんなんだよな。喜んで盗み聞く。
「うーん、どうなんだろう。潜在的には恋愛感情ありそうだから、可能性はゼロじゃないですよね」
「きゃー!!確かに二人とも、パート練の教室で話してるとき凄い楽しそうだし。友恵ちゃん的には、優子ちゃんが比企谷君好き度どのくらいだと思う?」
「二人、なんだかんだ私が知らないところで色々ありそうなんですよね。優子に鎌をかけてみると反応が昔と違うし、何か最近満更でもなさそうだから……五十八くらい!」
何だそのピンポイントな数字!どうやって算定してるんだ!
「五十八ですか。比企谷君にはもっと頑張って欲しいですね」
「ああ。そうだな」
「あれ?滝野君。優子ちゃんだったら別に比企谷君がそういう感じでもいいの?」
「香織先輩だからあいつの憎さが八万ウザポイントなんですよ。吉川だったら五百ウザポイント位に下がります」
「それ、八万と八幡かけたんですよね?滝野先輩、そういうところですよ?」
「ごめ……吉沢、そういう冷静なだめ出しはやめてくれ。とにかく比企谷が吉川の手綱を握っていてくれるなら俺は何となく助かる。それで少しでも吉川が、俺に優しくなってくれたらもはや感謝」
「別に滝野にそんな当たり厳しくないと思うけど…」
「いやー、比企谷君も隅に置けないね」
俺、あいつより一年多く高校生活送ってるけど、まだ一回も校門で女子と待ち合わせとかしたことないし。
「納得いかない。なんであいつなんだ」
「あ。最初に戻った。……でもさ滝野も覚えてると思うけど、比企谷、オーディションの時二年生に声かけてくれたよね。頑張って下さいって」
「あー、忘れてたわ」
「忘れんなよ。そういうところじゃない?」
「……」
…別に本当は忘れてなんていないけど。
少し恥ずかしそうにそっぽを向きながら、普段あまり話さない俺を含めて、二年全員に頑張れと声をかけた比企谷。頑張れって言うけどこれでもかってくらい頑張ってるよ、なんて内心では思わなくもなかったが、それでも本番前の緊張しているときに後輩に声をかけてもらえたのは少し、いや正直めちゃくちゃ嬉しかった。吉川も加部も、本当に嬉しそうにしていたし。
だから高坂が吹いている間、もしかしたら別格の実力を耳にして駄目かもしれないと弱気になりそうなところで踏ん張れたのは、きっと少しはあいつのお陰でもあるのだ。
「くっそ…。もうちょっと練習して帰ろう」
「偉いね、滝野君。私ももうちょっと練習しようかな」
「あ、じゃあ私も」
返事をしなかった吉沢も、私は最初から残るつもりだったみたいな感じで譜面をめくっている。
それぞれが何となく定位置になっている椅子に座ってトランペットを構えたのを見て、俺は一度息を吐く。
負けてたまるか。後輩の比企谷に。香織先輩だって、トランペットだって絶対に。どちらも俺の方が一年早かったのだから。先輩としても男としてもプライドってもんがある。
譜面をめくりながら、何となく思った。あ、そう言えば高坂の話はあんまり今しなかったな。
高坂については俺、実はかなり思うところがある。でもこれは今日のここにいるメンバーでは話せなかったか。
どこかミステリアスでかっこいい。クールで無表情で冷たげな印象。だが、そんなことは全て置いといて何よりも目がいくのは。
三人が吹くトランペットの音の下に隠すように、俺は静かに呟いた。
「やっぱりあの一年とは思えないバストとヒップだよなあ」