スパイダーマン Stay Night 作:紅乃 晴@小説アカ
「よし、じゃあ今日も元気に行ってみようか」
士郎のスパイダーマン活動は夜9時以降から開始されることが多い。切嗣の親戚と紹介したセイバーと、遠坂の相手を突撃してきた大河に任せた士郎は、蔵でスパイダーマンスーツに身を通して軽く柔軟をしながら庭先に出る。
椅子の人である慎二も準備万端。まだ穏やかな冬木の夜であるが、こういった夜は何か嫌な予感がしてならない。
ウェブでひらりと民家の屋根へと飛び上がったと同時。
バーサーカー陣営こと、アインツベルンもまた情報戦や魔術による催眠誘導なども仕掛けてきたが、魔術の素人ではあっても危機察知能力に関してはサーヴァントとタメを張れる士郎にとって、催眠など全て不発。
「で?アンタはそこで何をやってるんだい?赤タイツのお兄さん?おっと、出待ちならダメだよ?事務所通してもらわないと」
士郎の視線の先には、遠坂のサーヴァントであるはずのアーチャーが赤い外套を冬の風に踊らせながら静かに佇んでいた。
「ひとつだ」
そう呟いたアーチャーの手にはすでに干将・莫耶が握られている。士郎のスパイダーセンスが囁く。明らかに穏やかな気配ではない。まさに一触即発というやつだ。
「貴様に聞くことはたったひとつ。それ以外に聞く言葉など何もない」
「おいおいアンタ、遠坂との同盟はどうしたんだよ。これって契約違反じゃないの?違約金っていくら?」
「冗談はその格好だけにしろ、衛宮士郎。俺の質問にただ答えるだけでいい」
「ちょっと、マスクで素顔を隠してる相手の本名言うとかタブー中のタブーだよ。タイガーマスクでも読み返してきたら?」
やれやれと言うふうに軽口を叩く士郎の足元に突如として投擲された白い刃が突き刺さった。感覚的に当たらないと分かっていたのか、それに動じる様子のない〝かつての自分であるはずの姿〟をアーチャーは睨みつける。
「貴様は、正義の味方だと言ったな?そのマスクの下に隠れている素顔が偽善と仮初の夢で出来たものであったとしても」
棘と悪態の悪さは覚えがあったが、アーチャーの言葉に流石の士郎も怒りを覚えた。少なくともまだ数度しか顔を合わせていない相手にスパイダーマンとしての活動を偽善だとか仮初だと言われる筋合いはない。
「何を言いたいんだ?アーチャー。事によっては聞き捨てならないぞ」
「真実を言ったまでだ。貴様の夢は仮初の夢。衛宮切嗣から託された正義の味方という呪いに過ぎないと言ってる」
かつての自分がそうであったように。
アーチャーは苛立ちを握る武器に込める。特異な存在だとは分かっている。今の時代を生きる人間がサーヴァントと同等に戦う能力を身につけているとは。ましてやそれが〝かつての未熟な自分自身〟だとは。糸を吐き、摩天楼を舞う姿を見ても苛立ちが募る。
「万人の幸せを願うためにマスクを被っているのか?それとも億か?それとも…」
誰かを救わなければならないと言う脅迫概念に押されて走り続けているだけの狂った信念。そんなものに何の価値がある。何ができる。いや、きっと何も成せない。
奴が言った大いなる責任とは、自分が生き残ってしまった故に壊れてしまった部分を覆い隠すための詭弁だ。アーチャーにはそうとしか思えなかった。
「万人を幸せにすることなどできない。正義の味方である以上、誰かを助けるということは誰かを殺すという結論に他ならない」
その事実からも目を背けて正義の味方を名乗るなど、片腹痛い。理想を抱いて溺死するべきだと嫌悪する。その先に待っていた地獄を味わったからこそ、その綺麗な理想を嫌悪する。無意味だと、無駄だと何億という〝守護〟の中で味わったのだから。
「衛宮士郎、その事実から目を背けてでも貴様は、正義の味方などという虚構に満ちた姿を語るのか?」
スパイダーマンという言葉を歌って、壊れた部分を見て見ぬふりをして生きていくというのか?この世界が自分の知る過去とは異るということは承知している。だが、それでも〝衛宮切嗣から受け継いだ衛宮士郎の本質が変わらない〟のならば、アーチャーが願った目的には何の変更もないのだから。
アーチャーの鷹のような目つきを前に、しばらく沈黙していた士郎は静かに声を紡ぐ。
「…アンタのいう通りだよ、アーチャー。正義の味方は万人を救える超人なんかじゃない」
その言葉に、アーチャーは目を見開いた。自分が、世界と契約してから。世界の守護者という末路をたどって、そこでようやく気がついたことを、目の前にいる衛宮士郎は知っていると言い切ったのだ。
「ああ、そうさ。この仕事をしてると気付かされる。たとえそれが夢であっても。〝全員を助けることはできない〟ということを」
付いてきてくれ。それだけ言った士郎はウェブで閑静な住宅街を飛び出す。言葉通り、普段は気に食わないはずなのに、アーチャーは霊体化して、ウェブスイングする士郎の後を追ったのだった。
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冬木の住宅街と新都をつなぐ橋を越えて、まだ灯りが灯る繁華街のビルの屋上へと登ってきた士郎は、そこでビルから出てくる人々を見下ろす。アーチャーも士郎と同じ方を見つめると、そこには車椅子で歩道を移動する一人の少女がいた。
「あそこにいる車椅子の少女が見えるか?」
その子を見下ろしたまま言った士郎に小さく答えると、彼は拳を握り締めながら静かに言葉を続けた。
「あの子は、俺のせいでああなった」
あれは忘れもしない、冬木の大橋の上で起こったヴィランとの戦い。危険な薬品とトカゲの遺伝子のせいで化け物となった魔術師との戦いを繰り広げてる最中だった。
彼女の両親を救えないばかりか、横転した車の中に取り残された彼女に気付くことすら士郎にはできなかった。
結果、彼女は親を失い、下半身の自由も奪われてしまったのだ。そのことを、士郎は今でもずっと悔やんでいる。
「スパイダーマンになって、誰かを助けて守り続けれたら、それがどれだけ良かったかと思うことはあるさ。助けられなかった命と、助けを求める声に手が届かなかった時なんて、もういっそ俺のような存在は必要ないんじゃないかって思える」
落ちてゆく人を助けられらなかった瞬間。ヴィランとの戦いに巻き込まれてしまった人々。狂気によって悲劇的な結果になってしまった時。多くの出来事があった。この手に収まらないほどの悲劇が目の前で起きて、それを止めることができなかった。
〝全員を助けることなんて出来ない〟
いつか、懇意にしてくれている刑事から言われた言葉が身に染みた。そして同時に絶望感も味わった。けれど…。それでも。
「アーチャー。ひとつだけ確かなことはあるんだ」
世界の平和を守るためと言って、何千、何万と殺し続けてきた守護者。その赤い外套を翻すアーチャーを見据えながら、それでもと言って、士郎は断言した。
「俺がやってること。正しい事に向き合って立ち向かうことは、決して間違いなんかじゃないんだ」
その言葉に、アーチャーは息を呑む。掠れていたはずの…あの満月の夜の中で、自分を救ってくれた〝魔法使い〟と同じ匂いを感じ取った。
「俺が立ち止まれば、立ち止まってしまったら、その先で俺の助けを待つ人を見殺しにすることになる。倒れたまま、起き上がらなかったら誰かが傷ついてしまう。それだけは確かなんだよ、アーチャー」
たとえ無力でも。たとえ打ちのめされても。たとえ恨まれても。蔑まれても。怖がられても。軽蔑されても。唾を吐きかけられ罵声を浴びせられて、お前がやっていることは偽善だと言われても。
〝それでも、その行いで助かる人がいるのだから〟
「だから俺は何度でも立ち上がる。心が折れそうな地獄に落ちても。立ち上がれないような深傷を負っても。たとえそれが道のない荒野だったとしても。大切な人を守れない無力さに苛まれても。この行いに目を背けてはダメなんだ」
誰もが諦める道だとは思う。けれど、そこで諦めたら何もかもが無意味になる。自分に与えられた力も。その宿命も。運命も。何の価値も意味もない。
大いなる力には大いなる責任が伴う。
その責任を果たす意味を見失ってはならない。それこそが大いなる力を使う上で忘れてはならないことなのだから。
「俺は立ち上がる。何度も。何度でも。傷つけられても痛め付けられても。必ず立って、どうにかする。それが、親愛なる隣人、スパイダーマンなんだ」
そう断言した士郎をしばらく見て、アーチャーは小さく笑った。
「あぁ、そうか。やはり、俺とお前は違うのだな」
もうお前は〝答えを得ている〟のだから。俺はその答えを得るために随分と遠回りをしてしまった。恨みもしたし、後悔もした。けれど、ああ、そうだった。歩んできたこの道は、決して間違いではなかったのだと。アーチャーは久しく忘れていた何かを思い出せたような気がした。
「さてと、赤タイツくん?君の質問に答えたのだから、その対価を払ってもらうかな」
そう言って軽口調に声のトーンを変えた士郎。呆気に取られたアーチャーだが、すぐに声色を切り替えて問い返す。
「何をさせるつもりだね?」
「おっと、ここに都合よく初期型のワイヤーウェブシューターがあるぞぅ!これは俺のカートリッジ式とは違って、一定距離に強力なピアノ線からなるアンカーを放ってビルを飛び交うのには打って付けなんだ。君に貸すよ、おっとレンタル料金はいらないからね?延長料金は要相談」
「こんなものを私に渡して何をさせるんだ?」
腕に巻くタイプの初期型のシューターを投げ渡されたアーチャーが言うと。士郎ことスパイダーマンは、ビルの淵に飛び上がってから当たり前のことを言うように返した。
「決まってるだろ?悪党退治さ。ところで手持ちのマスクが今かぶってるのしかないんだけど何か用意できる?」
スパイダーマンの在り方に変わりはない。その言葉を身をもって実行する士郎を見てから、アーチャーは自慢げに投影魔術の稲妻を走らせてから答えた。
「ああ、造作もないさ。スパイダーマン」
今朝の朝刊にこんな記事が載る事になる。スパイダーマンの相棒か?暴漢たち親愛なる隣人と共に戦う赤い服の男が目撃される。
助け出された彼女の証言だと、そのニューヒーローはこう名乗ったそうだ。
サンタム、と。
「もっと他にいい口上なかったの?」
「咄嗟に沸いたのだ。これでも私は結構気に入ってるのだがね?」
「アーチャー!?アンタこれどういうことよ!?」
その後、大河からの言及と遠坂からの言及をのらりくらりと躱しながら、士郎は学校に通う学生という時間に戻ってゆくのだった。