スパイダーマン Stay Night 作:紅乃 晴@小説アカ
「奢りだ」
たっぷりとソースが乗ったオムライスを完食したセイバーの目の前に、温かなミルクコーヒーがマスターの手によって差し出された。
冬木の県立図書館からほど近い喫茶店。裏口から出てすぐの店の料理は、司書から聞いた通り美味なオムライスであった。
「いい食いっぷりだ。若いなりにして気取りがなくておじさんは好きだね」
そう言って微笑むマスターに、セイバーは少し恥ずかしげな顔をする。
ここらでは見ない顔だね。海外から来たのかい?と、ほどよく年齢を重ねたマスターが問いかける。幸いにもランチ時間より前で、客はセイバー1人しか居ない。答えに困りながらも、セイバーは海外…〝イギリス〟からやってきたのだと答えた。
「冬木には観光に?こんな街に見るものもなかろうに」
「いえ、私が住んでいた場所とはまるっきり違う土地です。見るものにも多くの感覚があります」
景観というよりも住んでいた時代そのものも違うのだが、と心の中で思う。そう、まるっきり違う。まるで御伽噺のように。自分の生きた時代とは何もかもが違ってしまっていた。そう思えていた、けれど、それもまた変わってしまった。
士郎に言われて書物を読んでから、この時代に生きる人々が空想や神話の存在ではないように思える。ブリテンの滅びは確かにあって、ローマブリテンが生まれ、ブリテンよりも遥かに発展した国が跡形もなく滅び、さまざまな歴史と歩みを続けて、今の世界の〝イギリス〟が確に存在している。
その歩みを見てしまった。そしてその愚かさも。
「ここも随分と立派にはなったがね。10年前に焼けた大地は今も更地のままだ」
喫茶店の窓から見えるのは、10年前に起こった原因不明の大火事の跡地だった。芝は生えてはいるが、木は葉もつけず、その場は汚染されたまま。人が住むにも気配でわかるほどにその跡地は汚れているように思えた。
言葉を聞いてセイバーの表情がかげる。マスターは優しく声をかけた。
「そんなに気にやむことはない。この店を継ぐ前にも、爺さんや婆さんからいろいろな話を聞かされて育ってきたからね。そりゃあ、酷いものだったらしい」
日本という国はそういう国さ、とマスターはタバコの有無をセイバーに問いかける。喫煙を特に気にしないセイバーが頷くと、マスターはタバコに火をつけて煙をくぐもらせた。
「何度も焼け野原になって、それを何とかしたくて復興して、立ち上げて、また崩して…その繰り返しさ」
「戦争も…ですか…」
日本の立て直し(スクラップ アンド ビルド)を聞いたセイバーが咄嗟にそう返した。それを聞いたマスターが不思議そうな顔をしている。
「あ、いえ…さっきまで書物で調べ物をしていたので…」
セイバーの胸に深く残ったのは、自分が想像していた以上に凄惨であった戦争の記録だった。ブリテンと他国…そんな基準では治らない世界を巻き込んだ戦い。夥しい数の犠牲者と、弾圧や宗教差別、人種差別、さては私利私欲を得るためだけに何の罪もない民が無惨にも殺されている。そんな出来事が信じられないことに何度も何度も繰り返されているという事実。
まるで悪鬼だ。暴君よりも邪悪で度し難い。そんな歴史がすでにこの世に刻まれていることがセイバーの気持ちを暗くかげらせていた。
「それもまた、仕方のないことなのかもしれんな。人の生きていく上の業さ」
その有様を、今の時代を生きるマスターはそう表現した。生きていく上での人の業。自然の摂理が肥大化して、巨大化して、摂理というよりも一つの在り方として姿を表したのが戦争だとも言う。だが、その有り様は複雑であるが、根源は単純なものだ。
「より豊かであれ、より繁栄あれ、そういって、その未来に幸あれなんて…より良い世界にしようという〝善意〟から始まっているものだ。今の生活を良くしたい。家族や大切な人を守りたいという気持ちと同じ」
善意?その言葉が心に響く。セイバーは咄嗟に問い返した。
「善意…しかし、それは…欲望や野望、略奪や迫害…理想とは程遠い覇道や…独りよがりな考えにも思えます」
「しかし、その善意を否定してしまったら、この世に光なんてないのさ。お嬢さん」
たしかに悪意なき善意のせいで傷つくことはあるだろう。だが、その前提は〝大切な人のため〟という考えからだ。大切な人のために尽くす善意がなければ、人からは何も生じない。それが結果的に歪んでも、根源は変わらないはずだ。
「自分を殺して誰かのため、国のため、全体のために働ける者もいるだろうがそれもそれで胡散臭い。すべて人のためだと言いながら、人としての絆や道理を求めない生き方なんてできるわけがない」
理想や殉教なんて高説を謳っても、最終的に人の意思が全てを決めるのだから。そして人は変わってゆく存在だ。一つの理想で全てを賄おうとすること自体が烏滸がましいことだと思える、とマスターは続けた。
「そんな真似ができるやつは、本気で人を好きになったことがないのだろうな」
「人を…好きに…」
その言葉が、セイバーの胸に深く、深く突き刺さる。振り返ってみれば、セイバー…いや、アルトリアという個人が〝誰かを好きになったことなんてなかった〟。誰かを好きになるなんて考えたことがなかった。誰かを愛するなんて想像すらしたことがなかった。
王は人の心がわからない。そう言い捨てて城を後にした騎士を思い返す。
その言葉が突き刺さって、気がつけば、刺さったところから何かが溢れ出した。
「そんな当たり前のところから始めるのが人ってものさ。誰かを好きになって、初めて守りたいものがわかる。当たり前のところから始めて、それが上手くいくか、または失敗するのか」
「では、どうすれば…全てがうまくいくのですか?」
「そうだね。皆んながそう言って考えて、手を取り合えれば世の中はもっと優しくなれたのかもしれん。しかし、そうもいかない。誰もが答えを持ってるし、誰もが道を見失ってる。まだまだ人というものは発展途上なのさ」
人を好きになる在り方が人それぞれあるように。けれど、彼女が救われた物語のほとんどが〝人を好きになる〟ことを知った結末にあるのだから。
「そうか…私は…」
セイバーは小さく呟き、出されたコーヒーを飲み干す。
「ありがとうございます、店主殿。美味しいコーヒーでした」
礼を言ってから、セイバーはお金を置いて出て行った…不思議な少女ではあったが、店に入ってきたときに見せた途方もない暗い表情は無くなっていたように思える。
残ったマグカップを片付けていると、店の入り口が開く呼び鈴が鳴り響く。
「これはこれは、珍しい客が来たものだ」
店内に現れたのは黄金の髪を持つあどけない少年だった。彼自身は大人の〝少年〟のほうが付き合いやすい。目の前に現れた少年はあまりにも〝掴みどころ〟がないのだから。
「そろそろですよ、キングスリー。計画は順調です。ポータルの準備も〝フィスク〟が進めてくれています」
「では、今宵もまたパーティの時間ですかね?」
そう言ってマスターは食器が飾られてある棚に備わる隠しボタンを押す。棚が窪み、スライドすると、そこには穏やかな店主の顔とは程遠い〝鬼〟のマスクが隠されていた。
「頼みにしてますよ、〝ボブゴブリン〟」
個人的な意見だけど、正史でも二次創作でも、恋愛でも家族愛でも、アルトリアは〝愛〟知ったからこそ救われたヒロインだと思う。