人類種の天敵、そう呼ばれた少女の話。

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I'm thinker, I'm sinker.

 私はこの世界が嫌い。

 家族を殺した兵器が嫌い。格差のある社会が嫌い。規定された性別が嫌い。私を売った商人が嫌い。人を価値でしか見ない金持ちが嫌い。

 戦争が嫌い。武器が嫌い。ネクストが嫌い。リンクスが嫌い。兵士が嫌い。クレイドルが嫌い。コロニーが嫌い。男が嫌い。女が嫌い。他人が嫌い。自分が嫌い。雨が嫌い。晴れが嫌い。曇りが嫌い。空が嫌い。海が嫌い。草原が嫌い。荒野が嫌い。生き物が嫌い。何もかもが、嫌い。

 でも結局、私は私にしかなれないのだと頭を押さえつけるこの感覚が、これ以上なく嫌いだ。

 

 

 

「初見となる、こちらマクシミリアン・テルミドールだ」

 多くはない依頼の中の一つに見慣れない名前を見たアデーレ・ヘイズがデータを開いてみると、それまた聞きなれない名前が名乗られた。

 彼女はリンクス。戦闘兵器アーマードコア・ネクストを操縦して軍事作戦を実行することを生業とする傭兵だ。カラードと呼ばれる管理組織から仕事を斡旋されて、その報酬で生計を立てる兵士。

 その彼女に運び込まれてくる依頼――それもカラードからのものではない――ともなれば、その内容は推して知るところがあるものだった。事実、彼女が先日引き受けたラインアークを防衛するという独立組織の依頼でも敵として同業であるリンクスが現れたし、ある程度の苦労を強いられた。

「今回も個人の依頼、なのかな…」

 マクシミリアン・テルミドール。どちらも前世紀の中世――いや近世か――の名称だった。その中身が何だったのかを思い出そうとするが思い出せず、アデーレは諦めた。

 彼女は色素を失いかけているグレーの横髪を耳にかけて、輸送機内の揺れに対応するために壁に固定されたデスクトップの前へと腰掛ける。

「ORCA……」

 シャチの学名を名前に掲げるその黒旗を見て、アデーレは止めていた動画をまた再生しようと手を伸ばした。

「勝手に私のパソコンを使うなと言っているだろう」

 後方からの呼びかけに思わずアデーレが肩をすくませる。後ろを振り向くと、やや赤みがかった黒髪をなびかせながら彼女のオペレーターが呆れた顔を向けていた。

「…ごめんなさい、セレンさん」

 アデーレが怯えたように眉根をひそめながらそう謝ると、セレン・ヘイズは困った顔をして肩を落とし、アデーレの開いていた画面に視線を向ける。

「まあいいさ、お前は別に変なことには使わないしな。で、どうしたんだ?」

「依頼、見てたの」

 小さくつぶやくアデーレの肩越しに画面を覗いたセレンは、近づくと彼女の手からマウスを借りて、画面へと顔を近づけた。無遠慮に近づくセレンの髪が顔にかかり、アデーレは鼻を包む桜の匂いにピクリと身体が反応するのを感じた。

「セレンさん、相変わらずいい匂いです」

「お前と洗髪剤は一緒だけどな」

「私、こんなにいい匂いしないよ」

「お前はリンス使ってないだろう。せっかく綺麗な髪なのだから――と、再生できたな」

 電波状況の悪さを示すように画面中央で回転していたローディング表示が消え、動画が流れ出した。荘厳な音ともに揺らめく旗が映し出される。

「……ん、なんだこれは」

 黒い旗の真ん中に映し出されたマークを見て、セレンが動画を止めた。黒旗に描かれた、四つの白星。アデーレにもその見当がつかないので、小さく首を振る。

「ORCAとあったな…これはなんだ?依頼か?」

「私もそこから先は見てないから、分からない。依頼だと思うけど」

「……全部見るまでは、分からんか」

 セレンが動画を再生する。四つの白星が配われた漆黒の旗がゆらりゆらりと揺れる。この白黒のコントラストがシャチを表しているということだろうか。顔の見えない男の声が続いた。

「――GAのアルテリア施設、ウルナに侵入し、すべてのアルテリアを破壊してほしい」

「――――何だと?」

 セレンが画面を睨んだ。理解できないといった風に寄せられた眉根が彼女の困惑をよく示している。

 アルテリア施設。選ばれた人類のみが暮らしている巨大航空機――クレイドルが、汚れた地上にその清廉な巨体を曝すことなく飛翔し続けられる所以。膨大な量のコジマ粒子を、その反応がどれほどの汚染をばら撒くかも考慮することなくエネルギーに変換し、アルテリアと呼ばれる巨大レーザーがそれを照射する。正確な方法はその製造元である企業が明かしていないため不明だが、そのエネルギーを受信することでクレイドルはその活動リソースを獲得する仕組みだ。

 アルテリア施設自体は、アデーレが見たことはなかった。せいぜいが任務地の郊外、おそらくはできるだけ人のいない地点に設置されている巨大建造物群を見たことがあるくらいで、その白い巨壁の内側に何があるのかは、未だ知らない。

 クレイドルは見たことがある。21と題されたとあるクレイドルをテロリストが制圧したときに、その掃討に向かったことがあったからだ。

 企業と呼ばれる軍事機構。ネクストを含めた兵器開発を行い、世界征服を成し遂げたこの世界の統治機構。それが彼女にその依頼を、嘱託を受けているカラードを経由して送ってきた。

 クレイドルの外周を飛び回る権限を与えられたのはあの時くらいのものだが、それでも記憶には十分残っている。

「この作戦は、クレイドルの前提を覆す、明確な反逆行為だ。それを理解した上で、私の言葉を聞いてくれ」

 人の心を動かせるとするならこんな風だろう。絶句したまま画面をにらみ続けるセレンの横で、その抑揚のはっきりとした声にアデーレはそう感じた。人は心のこもった言葉に弱い。彼女が聞いた言葉の中で、彼が最もそういった面での強さがある。

 GAのように豪胆でも、インテリオルのように優しげでも、オーメルのようにシニックでも、ラインアークのように卑屈でもない。

 ――これは単純な一リンクスへの仕事の依頼じゃない。この人は確かに、同志を探してる。

 一部のものは清浄な空に逃れ、一部のものは汚染された大地に取り残された。

 アデーレにはテルミドールの言葉が理解できる。なぜなら彼女がその取り残された側だったからだ。

 汚染された大地に住んで、清浄な空で日々安寧を貪り食うだけの連中に虐げられた彼女に、理解できないはずもない。

「これは扇動だが、同時に事実だ」

 彼が自らの選択の意味を自覚していることを、アデーレは声を聴きながら悟る。

 ――リリアナ。クレイドルを占拠して考えなしに暴力をふるうだけの彼らとは、明確に一線が引かれている。

「…アルテリア施設の破壊だと? 馬鹿げてる」

 しかしそんなアデーレの共感とは相反して、セレンは嫌悪の感情を隠そうともせずにつぶやいた。アデーレを横目で見た彼女は、動画をまた最初から流し始める。

「クレイドルの根幹を覆す、破壊するとヤツは言っているんだ。クレイドルが人類にとって救済措置であることを知りながら。延命装置に過ぎない。それは事実だろうな。だが人々の生きる場所であることもまた確かだ。それを破壊して、結局のところ人類をどうすると言うんだ」

「でもセレンさん、私はあの人の言ってること、分かるよ。少なくとも、コロニー出身の私には」

 金属粒子であるコジマ粒子は、精製はできても安全に分解することはできない。ならばそれが地上を覆い人々の命を食らい尽くした後に空を蝕むことは、容易に想像できる。

 別にアデーレにはどうだっていいことだった。企業のお偉いさんたちが自分の首を絞めることになると分かっていても動き出さないことだ。テルミドールと名乗る扇動家が動いたからどうなるという訳ではないだろう。

「私は世界が嫌い。だからこそ私は変化に携わりたい。私は、そのためにリンクスになった」

 アデーレが小さく吐いた言葉に、セレンは黙り込んでしまった。彼女の言葉に説得されたわけではない。ただセレンは、本当の子供のように育てた教え子に茨の道を歩ませるわけにはいかなかったからだ。

 セレン・ヘイズ。インテリオル管轄下のコロニーで売られていたアデーレを拾った女性リンクス。その親としての年月は自身の養娘の決意を引き留めたいと思うくらいには、十分だった。

セレンは悩む。ネクストを駆る操縦者――リンクス――である彼女が、戦闘時よりもいっそう長く。

 アデーレはいま生きている。カラードのトップランカーも所属不明のリンクスも、巨大AFもそのすべてを屠った。その事実は間違いなく彼女の戦闘能力を肯定している。だが、本当にそれは彼女の実力だけによるものだろうか。

 敵が失敗したのではないだろうか。友軍が強かったのではないだろうか。対象の構造の致命的な不備を突いただけではないのだろうか。

 ――――文字通りに格の違う企業のリンクスを相手に、彼女は生き残れるのだろうか。

「お前には世界の広さを見せてきたつもりだったがな。クレイドル体制を破壊するとなれば企業もお遊びでは済まなくなるぞ。文字通り、私たちは人類の敵になる」

「でも、敵になったからって、今までと何が違うの。求められるだけ殺すのが、私たちリンクスの仕事。そこに大義があるならそれこそを喜ぶべきだと、私は思う。クレイドル体制なんて馬鹿げてる。確かにそれで空にいる人たちは幸せなんだと思う。だけど地上にいる私たちはどうなの?私はそれが人類の平等に寄与するなら、人類の敵でいいよ」

「……本気か?」

「私は今の世界なんていらない。どうだっていい。セレンさんがいてくれるなら、それで他には何もいらない。だけど世界は間違っていると思う。私みたいなのが生まれてきてしまったこの世界だけは、正しいとは思えない」

 セレンは、自分の目を珍しく真っ直ぐと見つめるその視線に、思わず彼女の身体を抱き寄せた。むぐ、と小さく唸るその声さえも愛おしく感じられて、より力を込めた。

「セレンさん、苦しい」

「私が悪かったよ、アデーレ。お前が決めたことだ、サポートはしてやる。だから、生まれてきてしまっただなんて言うんじゃない」

「……ごめんなさい」

 呟きながら、アデーレはセレンの心臓の音を聴いた。本当の母親よりも何度も多く聴いたこの音。彼女と同様に病弱だった母親は、アデーレが生まれたときにコジマ汚染と併発した病で死んだ。

 ――セレンさんは、私のことをどう思っているのだろう。

愛してくれているのか。それともこれは天涯孤独の身になった少女への慈悲なんだろうか。そんなことすらアデーレには分からない。

 だけど、今だけは確かだ。

 その温かさにうずもれるように、アデーレの意識はゆっくりと深淵へと落ちていった。

 

 

 

「ネクストが来るまでの間だ!どうにかして持ちこたえろ!」

 死の粒子をまき散らしながら上空を飛行する桜色の機体に、通信がざわめくのを彼女は聞いた。

 だがその機体を駆る彼女自身は、別段何の感慨も抱かない。

 いつも通りの光景だ。命令されたとおりに殺せばいい。それが初潮を迎えたころからやっている、自分の責務。

 馬鹿馬鹿しい。こんな小規模コロニーに、ネクストなど来るはずもない。インテリオル社が改造した巨大兵器AF、ランドクラブと名付けられた全高六十メートル近いそれがコロニーを蹂躙する間、付近の移動物体を破壊するのが彼女の仕事だった。

 MT、ノーマル、彼女に攻撃するものしないものを問わず、当該コロニーから出てきた機体を破壊する。

「カモフラージュのためにわざわざネクストまでお呼び立てとは、インテリオルもずいぶんと体裁に難儀していると見える」

 大戦からずっとこの仕事をやっていれば分かることがある。その中の一つが、仕組まれた経済戦争だ。

 この蹂躙と虐殺に、GAから援軍が出てくることはない。

 インテリオルは新兵器の実験を行う一方で、GAも不要になったコロニーの解体という目的があるからだ。それがタダで行えるというのなら、地上にいる価値なき命がいくらか消えたところで、問題などない。

「住民の退避まで時間を稼げ!ノーマル部隊はAF迎撃へ!少しでも足止めしろ!」

 だから彼らの抵抗が無駄になることもよくわかっていた。MTやノーマルといった通常兵器では、ネクストやAFといった文字通り格上の兵器には敵わない。彼らの行為は防衛戦などではなく、いたずらにコロニーの人々の恐怖を長引かせているだけに過ぎないのだ。

「ノーマル部隊、応答を!応答してくれ!誰か――」

 悲痛な叫びすら気にかけず、少女は目前のMTを鉄くずにした。レーザーライフルでコクピットを焼いたから痛みはないはずだ。

「こちらインテリオルAF部隊。シリエジオ、まだ動体反応が確認される。周囲にノーマル部隊がいないか確認せよ」

 コロニーの壁面を打ち崩しにかかったランドクラブから、通信が飛んできた。神経質で傲慢そうな男の声を聴きながら、少女は周囲を見渡す。

「コジマ粒子をばら撒きすぎだ。レーダーが乱れる」

「それは申し訳ない。まだエネルギーの調整が完ぺきではなくてね。非戦闘員も巻き込んでしまうから、苦労していたところだ」

 ――巻き込むとは、笑わせる。皆殺しだろうに。

「霞スミカ、その活躍が噂通りでうれしいよ」

 少女――スミカは最後のお世辞を無視して、言われたとおりにその目を細めた。レーダーの反応が悪い以上、最も頼りになるのはそれだ。

「動体反応……あぁ、なるほど」

 そこでスミカは自らの作戦内容を理解した。敵勢力の排除だけではない。コロニーから出てきた人間の殺害。それが彼女の任務だった。

 視界の端に砂上を走るトラックが見えた。護衛用のMTの一台すらついていない。丸腰もいいところだ。蹴って横転させるだけで乗員は間違いなく死ぬだろう。

「二十年近く乗っていても、この瞬間だけは嫌なものだな」

 ライフルの照準を合わせて、引き金を引く。それだけの行為に、少しだけ胸が締め付けられる。

 トリガーに指をかける。その時だった。トラックの後方から何かが飛び出し、砂に埋もれた。思わずピントを合わせるシリエジオの頭部に向かって何かが飛んできた。コジマ粒子が対流して発生するPAに削られて消えたそれは、おそらく銃弾だ。

 軍属だろう一人の少年が彼の背丈の五倍以上もあるシリエジオに向かって、銃口を向けていた。ガスマスクはつけていない。この近距離でそれが自殺行為であることは、多分彼も承知の上なのだろう。

 少年に目を取られたスミカの隙を突くように、トラックは針路を変えて逃げていく。AFのいる方向なので、まず結末は変わらないだろう。

「だが、後で何かを言われるのも腹立たしいな」

 スミカはトラックに向けてライフルを発射した。エネルギーを用いて攻撃するEN兵装は、射程と威力の距離による減衰が激しい。だがこの距離では十分だった。

 レーザーは荷台の乗員ごと車体を直線に貫通し、その大穴は生存者の確認などどう考えても不要だった。

「……分からないな」

 スミカはレーザーの照準を目の前の青年に変更し、もう一度引き金を引いた。ジュッという音がしたかと思うと、砂上には最初からそうだったというように虚空だけが広がる。

「よくやった、リンクス。残骸は我々が地上部隊を下ろして処理する。もう用済みだ」

「……あまり図に乗るなよ」

「分かっているとも。同じインテリオルだ。仲良くやろう」

「……リンクスにそんなものを求めても、どうにもな――――」

 撤収のために上昇したスミカは、視界に異変を感じて言葉を遮った。ランドクラブの乗員は疑問を持たずにさっさと通信を切る。

 ――スミカが見つめた先、そこには人が倒れ伏していた。

 ガスマスクを装着して厚着をしているが、その足先は先ほどのトラックの脱出ルートの向きとは違う。GA管理下の別のコロニーがあるはずのところだ。

「まさかさっきのトラックはこれを逃すために…?」

 スミカはその少女が生きている、と直感した。何年もネクストに乗って戦闘をしていれば自分の攻撃した地点も覚えているが、少なくともあんなところに銃口を向けた覚えはない。

「インテリオルは地上部隊を下ろして残骸を回収すると言ったか」

 セレンは北でその足を止めたランドクラブを見ながら、その倒れ伏した少女にわずかばかりの祈りを込めた。

 

 

 

 アルテリア・ウルナ。大型車両が出入りできるように広く作られた大型道路を覆うように縦に建造物が重ねられたその施設の入り口に、アデーレは立っていた。許可なき野良猫の訪問にすでにGA側はサイレンを鳴らし、何通もの立ち退き勧告を送っているが、彼女はそれを気にもかけず、コジマ粒子を用いたブースターに点火した。

 暴徒鎮圧用だろうか、巨大な拡声器と対人用の小型チェーンガンに換装した狙撃型ノーマルが目の前をふさぐように出てくる。

「警告。カラード所属、アデーレ・ヘイズ。貴女は企業連管轄下かつGAの運営化にあるアルテリア施設への立ち入りを許可されていません。直ちに立ち去りなさい。繰り返します。警こ――――」

 バギン、と鈍い金属音を響かせてノーマルの胸部が砕かれた。右手の突撃ライフルが自動で次弾を装填するのを確認しながら、アデーレはふわりと宙に浮く。

「ミッション開始。目標ははるか上だ。上っていくぞ」

「はい」

 セレンの宣言に応えるのと、狙撃型ノーマルの発砲を確認したのはほぼ同時だった。アデーレはサイドブースターを強く蒸かしてそれを回避する。一般的なノーマルとは格別の一撃がPAをかすって後方へと着弾した。

 アデーレは頭を切り替える。――難しいことは後で考えよう。少なくとも今は、ここにいる敵を全員殺せば、それでいいんだ。

メインブースターを噴射して前方へと加速した。瞬時にマッハへ到達する加速度が、彼女の身体を圧迫して吐き気を覚えさせる。だがそんなものは、もう慣れていた。

 敵機との距離が瞬く間に縮まっていく。ノーマルの射撃間隔もこれまでの経験でほとんど掴めていた。

「――今!」

 アデーレは彼女の乗機――ピリオドの機体を小刻みに揺らしてわざとぶらすと、右前胸部と左背部のブースタだけを展開してロールをかけた。通常のリンクスではありえないその動きにノーマル風情の弾丸が当たるはずもなく、虚空を割いて飛んでいく。距離を見てスナイパーライフルの不利を判断したノーマルに、しかしアデーレは一瞬で取りついた。

「判断が遅いよ」

 アデーレは左手に構えたパイルをノーマルの腹部に叩きつけた。射突装置の後方にある雷管が衝撃によって作動し、火薬を燃焼させる。その瞬間的なエネルギーによって爆発的な加速力を得た鉄杭が相手を貫く。それがパイルという兵器だ。

 コードを引きちぎられて漏れ出るオイルと、中身のものの赤が混ざった液体が左腕を伝っていくのを感じたあと、アデーレはそれを振り払った。壁面に飛び散ったその液体を少し見つめてから、アデーレは上昇を再開する。

「分かっているな?自分がやろうとしていることの意味が」

セレンがそう通信に問う。アデーレはうん、と小さくうなずいた。

「大丈夫。私ならできる」

 頭上から浴びせかけられる無数の弾丸をすべて回避しながら、アデーレはつぶやく。

「私は、セレンさんに育てられたリンクスだから」

 

 

 

「君の答えは見せてもらった。ようこそORCA旅団へ」

 この前よりも少しだけ楽しげな声が、そう言った。戦闘を終えて輸送機内のベッドで眠っている弟子に、セレンはゆっくりと毛布を掛ける。

 ピクリと動く彼女の目蓋が、彼女がまだ戦闘の余韻に浸っていることを示している。小さな、自分の半分ほども生きていない少女は、確かに育て上げたリンクスとしては最高傑作だった。

「お兄、ちゃん……私、元気だよ…」

 苦し気にそう呻くアデーレの頭をゆっくりとなでる。彼女はどれほど生きていられるのだろうか。戦闘で死ぬことは想像できないが、その身体は違う。セレンが見ただけでも、長時間の操縦の後には必ず嘔吐や吐血を繰り返していた。

 彼女は問題ないというが、どうみてもそれは常人の身体ではない。AMS適性とコジマ汚染には全くの関係がない。前者に恵まれた彼女でも、後者によって傷つけられているということだろうか。それともコロニーで身売りをしているときに――。

 セレンはくだらない妄想を捨てた。それに自分が買ったのはそういう系統の店ではない。少なくともあの時は労働力として売られていたはずだ。自分が救えなかった他の奴隷はともかくとして。

「私は別に、お前をリンクスとして育て上げるつもりはなかったのだがな…」

 自分の娘に力を与えただけのつもりだった。あるいは遊び道具を。だけど彼女はそこに天賦の才能を、自己を認めるための何かを見出してしまった。

 そしてそれは、もう自分にも、下手をしたらだれにも止められないものとなっているかもしれなかった。彼女が自らの道を決めたのは師としては喜ぶことなのだろう。

だが人としての道を外れんとする彼女を止めたいと思うのは、どうしてだろうか。

「私は、もうすでに師ではないのかもしれないな」

 セレンはデスクトップをスリープモードにすると椅子の上で目を閉じた。機体は自動操縦で目的地まで向かう予定だ。

この先の未来を想像するのをやめて、セレンは眠りについた。

 

 

 

「私、クレイドルにこの身体で乗るのは初めてです」

「私も久しいな。建設時は時々任務で呼び出されたものだが」

 シャトルの貨物室の奥、小さな隙間に二人で寄り添いながらセレンとアデーレは小窓から外をのぞく。いつもと同じ空と地上のはずなのに、ガタガタと揺れる機体が不安をあおるようで、アデーレはセレンの袖を引っ張った。

「なんでわざわざ空で会合なんだろう…別に私のことなんか放っておいてくれてもいいのに」

「連中はお前のことをちゃんとした戦力として数えているんだろう。革命の徒としてな」

「ほかの人たちも、リンクスなんだよね」

「だろうな。――そんなに気負うことでもないだろう。奴らも元々クレイドルで会合を開く予定だったのだろうし」

 シャトルがドッグ接続のための最終コース調整に入ったことを告げる。小窓からクレイドルの全体が二人の視界に入る。

 巨大な黒い翼、と形容するのが最も適当であろう巨大な機械建造物。板状の居住区をエンジンとエレベーターシャフトが繋ぎ、複数階構造の全身翼機を構成している。全長四キロにも及ぶ機体は半永久的に空を浮かび続け、その繁栄を示すように、悠々と空を漂っていた。

「これにエネルギーを送ってたのがアルテリアなんだよね…」

 アデーレの見つめる先、子供たちが目を輝かせながら訪問者たちを見つめていた。クレイドルが空に上がってから十年以上が経過している現在、その巨大なゆりかごの中で新たな生命が誕生するのも普通のこととなっている。

 シャトルがクレイドルと並走するように速度を調整しながら中心部のドッグへと接近していく。機体後部に設置されたドッグでは誘導用の電子ワイヤーが宙に浮かび、機械制御のシャトルに最後の誘導を行っていた。

「私がこれを、墜とすかもしれないんだ」

「……何度も言わせるな、アデーレ。そんなに気負う必要はない。企業の連中が選択を誤らなければ、そして誤ってもなお、お前がそんなことをする必要に駆られるわけじゃない」

 ドック上で並行飛行を続けるシャトルを認識して、飛行甲板がゆっくりと開いていく。それに合わせるようにシャトルは徐々にその高度を下げてドッグ内へと入り、機体下部からアームを展開することでその足をドッグの床面へと静かにつけた。セレンが少しだけ強くアデーレを抱きしめると、慣性の法則に従った機体が一度大きく揺れる。

 停止したシャトルにタラップ車が近づいて、接続した。それまで友人たちと会話をしていた企業の社員たちが続々と昇降口に向かって歩き出した。

「私たちも行くぞ」

「うん」

 手荷物を抱えたセレンに手を引っ張られて立ち上がったアデーレは小窓から一人の男がシャトルへ近づいてくるのを見つける。青年は行き交う人々を見渡してから、近くの柱へと背中を持たれかけさせる。

「どうした?アデーレ」

「いや。別に。ちょっと、立ち眩みがしただけ」

「座りっぱなしだった上に気圧が違うからな。慣れるしかない」

「うん、大丈夫」

 アデーレがセレンに手を取られながらタラップを降りる。軽量化とスペースの確保目的なのか、極端に簡素化された階段はずいぶんと心細く、手すりを握っている自分の手の感覚ですらアデーレは疑ってしまう。

 自分が人間の、それもちっぽけではかない少女の身体であることがつくづく嫌になる。

 ――死の恐怖なんていうと軽率だけど、恐怖は嫌いだ。死ぬのは、怖い。

 ネクストに乗っているときは死なないという自信がある。命を失うかもしれないという不安はあるが、それはむしろ自分の技術に磨きをかけてくれる。

 だがここでは、そんなことは関係ない。

「安心しろ。手を離したりはせんさ」

 その不安を感じ取ったのかセレンが少女の手を握り締める。出会ったばかりの頃の彼女とは全く違うその気遣いに、自分が枷になっているかのような息苦しさを覚えて、アデーレはもう大丈夫と告げた。

 二人がタラップを降り切ると同時に、先ほどアデーレが見かけた青年が壁から身体を離し、ゆっくりと近づいてきた。セレンも気づいたのだろう、視線をそちらへとむけるとアデーレとつないでいた右手を離して、彼女の隣に並ぶ。

「わざわざ迎えに来てくれるとはな。革命は人手不足なのか?」

 青年はセレンの言葉に片眉を上げて小さく笑った。しかしセレンの質問には答えることなく、アデーレへと手を向けた。

「君がアデーレ・ヘイズで間違いないかな。ようこそ、私たちのお茶会へ」

「お茶会…?」

 問うアデーレに青年は黒髪をかきあげながら「大した意味はない」と短く返答した。彼は周囲にいた社員たちがドックから完全に消えたのを見て、シャトル入庫後から開いたままの空を見上げた。

「自己紹介は必要かな。マクシミリアン・テルミドールだ。テルミドールで構わない」

「…よろしく、お願いします」

「君でリンクスとしての同志は最後だ。歓迎しよう。ともに人類を救おうじゃないか」

 差し出された手を取りながら、アデーレはその声に違和感を覚える。

 ――この人の声、誰かに似ている。

「わざわざこんな所まで来させてしまってすまないな。シャトルでの移動は慣れなかっただろう」

「いえ、大丈夫です。それよりも、クレイドルへの定期便なんて出ているものなんですね…」

「食料を運ぶためにイチイチ地上に降りていたのでは、クレイドルの下層構造板が保つまいよ。それにコロニーからクレイドルへ移住する人間を運ぶ時にも必要だ」

 コロニーからクレイドルへ。選ばれた一部の人間たち。それはたとえ企業の社員であろうが、クレイドルの打ち上げ時のメンバーに選ばれない限りは手にすることの難しい特権。

「特奨者、でしたか。彼らが」

 アデーレはシャトルを見上げて、自分と一緒に降りてきた人々を思い出して指をさす。彼らは同乗者であるなら仲間でないはずがないとばかりにアデーレたちに関心を示さず、仲間内での歓談にいそしんでいた。

 内容はいかにも成功者たちというか、自分の成果やこれからの展望についてばかりで、清潔感をひねり出そうとする消臭剤のにおいも相まって、アデーレは少しばかり気分が悪くなったのを覚えている。

「そんなところによく私たちを紛れ込ませることが出来ましたね。内通者が?」

「詳しくは言えないが、このオーメル・サイエンス社管轄のクレイドルに我々が集まっているというのは揺るぎのない事実だ」

 アデーレはそれ以上の質問をしない。テルミドールの機体は旧レイレナード社のものであることを映像で見たからだった。先の大戦で壊滅した当時最優のネクスト開発技術を持った企業、それを接収したのはオーメルだけだ。

 十五年も前のネクストがオーバーホールなしで現在まで稼働を続けられるはずがない。つまりは、そういうことだった。

「まあ場所を移そう。さて、そこで先ほどから見ているだけのオペレーター殿はいかがする?」

「……アデーレ、私がいなくても大丈夫か?」

「多分、ですけど」

「なら、私は帰らせてもらうとする。機体の番も必要だろうしな。元のコロニーまでシャトルは戻るのか?」

「無論だとも。シャトルの打ち上げ場は少ないのでな。もう後続が打ち上げられた頃合いだろう」

 セレンは踵を返すと二時間後の発進を予告して積み込み作業を始めたシャトルへと戻っていくが、数歩歩いてからテルミドールへと振り向いた。

「だがテルミドール、私の可愛いリンクスに傷でもつけてみろ。宇宙への道など私が閉ざしてやる」

「それは心配には及ばない、セレン・ヘイズ。──いや、リンクス戦争の経験者、と呼ぶべきかな。我々は人類を憂う同志だ」

「お前のことじゃない、テルミドール。団員に首輪をかけておけと言ったんだ」

「……なるほど、善処しよう。では行こうか、アデーレ・ヘイズ」

「えぇ。セレンさんも、気をつけて」

「あぁ、心配するな」

 ひらひらと手を振って歩いていく自らの師を、アデーレは姿が見えなくなるまで見つめ続ける。

「午後にまた食糧輸送便が来る。地上で弔うために遺体が詰め込まれるこの便とは違って貸し切りだ。楽しむといい」

 ――それはつまり、セレンさんは死体と一緒に地上に帰るってことだよね…。それは。

 それはなんだか、いやな気分になりそうだ。

 

 

 

「というわけで、新しい我々の同志だ。諸君、拍手を」

 落ち着いた調子の拍手とは裏腹に落ち着かないアデーレは、視線を目の前の机に落としながら小さく礼をした。

「食事の前に紹介しておきたくてな。もう会うことはないだろうが、各員一言ずつ何か述べたまえ」

 テルミドールの言葉に無作法に近寄ってきたのは、老人といってもおかしくないほどの男だった。体格はいいが、白けている頭髪が年季をうかがわせる。一体いつからリンクスなのだろうか、と思わずにはいられないが、当の本人は気にもかけていないようだった。

「ほう、こんなお嬢ちゃんが単身アルテリア施設を破壊したのか。凄まじいな。私は銀扇。よろしくな」

 差し出された手をおずおずと握る。男はにこりと笑うと一歩下がる。

「私はジュリアス・エメリー、手合わせしてみたいものだが、それは革命の後だな。噂通りの実力だと期待している」

 次に声をかけたのは綺麗なブロンドの髪を短く切りそろえた女性だった。しかしその目は銀翁のように優しくはない。この先自分の仲間として見込みがあるかを、明らかに見定めていた。

 確かな強さと冷静さを持ち合わせた瞳。彼女がリンクスとして完成されているという感覚が、同じくリンクスであるアデーレを襲った。

「よろしくお願いします…」

 アデーレはその視線を避けると、隣の男の前に立った。小綺麗なこの館の装飾には似合わない、どこか流浪者のような恰好をした男だった。室内でもかぶっているフードの下から、粗暴そうな顔がアデーレを睨む。

「オールドキングだ。よろしくなぁ」

 その眼光に、アデーレはコロニーにいた野良犬たちを思い出した。だが何かが違う。生き死にだけが彼らの考えていることだったはずだった。この瞳には、もっと深い――。

「いい眼だ」

「……どうも」

 いつの間にかにらみ合うようになっていたことに気づき、思わずアデーレは視線を逸らす。

「真改……」

 陰気で、そしてなぜそうも不似合いなスーツを着ているのか問いたくなるような男が呟いた。数秒後にそれがあいさつの言葉だと理解したアデーレは慌てて返事を返す。

「俺はヴァオーってんだ。一緒にカラードのクソどもをぶっ潰してやろうぜ!」

「そう急くなヴァオー。失礼、私はメルツェル。このORCAの参謀だ。テルミドールの無茶を具体化している」

 筋肉だけで構成された身体、と表現できるほどの大男と、それとは対照的に知的だが病弱そうな細身の男だった。メルツェルの言葉にテルミドールが苦笑する。

「そう言うなよメルツェル。完遂はしているだろう?」

「無茶を押してな。まあ戦力の増強は嬉しい話だ。あのオッツダルヴァを倒せたならこの旅団でも埋もれはしまい。楽しみにしているよ」

「まったく、手厳しいな」

 テルミドールの言葉にメルツェルは「当然だ」と答えた。その意味を悟れないまま、アデーレは次の男性へと顔を向ける。

「私はトーティエント。なるほど、全盛期ならぜひとも戦いぶりを見てみたかったところだ。まあ戦場で組むことがあれば、よろしく頼むよ」

 自信にあふれた男の挨拶は、少しだけアデーレの興味を引いた。先ほどのジュリアス・エメリーを見た時のように自分が品定めされている気がしたからだ。このリンクスも相当に強いのだろう。

「PQ、ヨロイモグラは持ってきていないだろうな?」

 テルミドールが団員の一人に向かって声をかけた。ヨロイモグラ――巨大なゴキブリだったか。不気味さだけなら小型のものが大量にいる方が嫌だとアデーレは思うが、それを食事の場に持ち込んでいないかを聞かれる男の存在が、それを上書きする。

「もちろんです団長。私とて場は弁えているつもりです」

「……まあ、私は大丈夫ですよ。ずっと地上にいましたから。さすがに食べたことはありませんが」

「おぉ、なら地上に戻ったらいかがです?触られると喜ぶんですよ」

「いえ、それはいいです」

 一瞬興奮気味に饒舌になったPQだったが、「ふむぅ」と心ばかり残念な顔をした。その隣で同志に引き気味の視線を送っている青年を見て、アデーレは疑問を抱いた。視線に気づいた青年は微笑すると握手を求める。

「僕はハリ。よろしくお願いします、アデーレさん」

「あの…、貴方ってもしかして……」

「あぁ、僕はカラードに籍を置いていますよ。よく気付きましたね」

「いえ、カラードに登録されているリンクスは、一通りですけど目を通してあるので…」

「そうでしたか。…ともに宇宙を目指しましょう」

 ハリはそう言ってから少し遠い目をした。彼がこのメンバーの中で最も純粋に、宇宙に興味があるのかもしれない。アデーレがハリの手を離すと、テルミドールが小さく咳払いをした。

「そして私が団長のマクシミリアン・テルミドールだ。君の活躍は見せてもらった。アデーレ・ヘイズ、君は今日からORCAだ。よろしく頼む」

 テルミドールに団員の視線が集まる。この場にいるたった十一名のリンクス。それが世界の変革を担うことの厳しさを、そこにいる誰もが理解しているようだった。

「では諸君、待たせたな。食事にしよう」

 

 

 

 会食が始まった。クロスシートの引かれた長机の両側に団員が座し、給仕が料理を次々と運び込む。ORCA旅団に協力するメンバーは何もリンクスだけではない。オーメルのクレイドルに旅団メンバーを招き入れる人間がいるように、整備員や連絡員など、決して有力企業にも負けない人員が、彼らの活動をサポートしていた。

「まあほとんどはオーメルに逃れた元レイレナードの社員だがな。だが他企業の連中も熱心に、それでいて何事もないように協力しているよ」

 テルミドールが給仕から受け取ったスープに一口つけて、そう言った。

「結局のところ、地球の閉塞というのは人類の行き場所に限ったことではない。企業の市場というのもまた同様という訳だ。だから多くの企業で我々に協力する者がいる。オーメルの正規ルートを使えば大概のものは入手できるがな」

 テルミドールがアデーレの隣に座ったのは新団員の労いと、いつでも話せることを考えてのものなのだとアデーレは感じた。彼女は政治面には疎い――というよりもそういったものに関わっている人間はすべて悪だと思っている――ので、団長の話す言葉を話半分に聞いていた。

 視線を横に流して団員を観察する。饒舌なもの、寡黙なもの、何かを考えているもの、何を考えているのかわからないもの、社会人らしい人間も、貴族の出をうかがわせる人間も、社会に居場所のなさそうな人間も全員がいた。

「食事はどうかな。君の口に合うといいんだが」

「…私は美食家ではないのでお気遣いなく。このケーキ、とてもおいしいです」

 アデーレはケーキというものをほとんど食べたことがない。コロニーに住んでいた時期は言わずもがな、リンクスになってからもそんな嗜好品を口にする機会は少なかった。心優しい兄がいつか作ってくれると言っていたが、その夢は叶うことなく自分以外の家族は殺された。

「ほう、それはよかった。よかったら私の分も食べたまえ」

「…いいんですか?」

 テルミドールの言葉に思わず自分の語尾が上がったアデーレは、それを隠すために小さく咳払いをする。テルミドールがそれに吹き出しながら皿をアデーレの前に差し出した。

「無論だとも。私はそういうものを食べる機会がままあってな。それに我々は未来をつなぐためにこの現状を打破するんだ。ならば少女の笑顔を最優先にするには当然だろう?」

「……ありがとう、ございます」

 そう礼を述べたアデーレに、わずかばかり団員の視線が集まった。

 その気持ちは、おそらく一緒だったのだろう。

 だがそれは、どちらかと言えば好意的なものではなかった。

 

 

 

 会食終了後、次の便まで時間が空いたアデーレは館の中を探索して回っていた。企業というのがアデーレは嫌いだ。彼女の家族も、コロニーも企業によって蹂躙された。GA管轄下の小さなコロニーだった。

 兄はコロニーを出ても最後まで自分と一緒にいてくれた。GAのリンクスが必ず助けに来てくれると、そう言っていた。

だが最後まで、増援は来なかった。兄と家族は襲撃者が私に目を向けないように、囮になった。

 そこからは彼女自身もよく覚えていない。朦朧とする意識の中で病弱な身体が砂漠を渡り歩くことができなかったことだけは覚えている。彼女が次に目覚めたとき、彼女は労働力としてインテリオル所属のコロニーで売買されることになっていた。

 ――結局は何をするでもなく、現在の師匠に買われてしまったが。

「なあメルツェル、本当にあんな少女を採用するつもりか?」

 ふと、耳に声が入った。ジュリアスのものだと察知した彼女は自然と足音を消して廊下の角の先の会話に聞き耳を立てた。

「不服か?ジュリアス」

 参謀役はいなすようにそう問うた。

「少しはな。ラスター18を倒し、テルミドールは見る目があると言っていた。しかし会食の様子を見ていてもただの純朴な少女だとしか思えん。本当にあんな子供がアルテリアを、ひいてはクレイドルを破壊する気概があると思うのか」

「確かに見た目は幼いな。だがあの目は戦士のそれだ。それは私よりも君の方が気付いているだろう?PQはどうにか生還したが、キタサキジャンクション、リッチランドに二人の同志を失っている現状もある。彼女はその戦力充当に十分だ」

「…………だが」

「案ずるな。少なくとも、彼女はあのオッツダルヴァを撃墜したリンクスだ。それが何を指し示すか、知っているだろう?」

「…それはそうだが、ラインアークの番犬も一緒だったのだろう?奴はそのカラードランクに比例しない実力の持ち主だ。もう一機もアスピナ所属だと聞いている。目さえよければ、捉えられないことは──」

「では、その目にお見せしたほうがいいでしょうか」

 アデーレは自分でも知れないうちに声が出ていた。不安そうに斜め下を見つめるアデーレの視線がいっそ憎々しげにも見えたジュリアスは、その敵意に小さく鼻を鳴らす。

「なんだ、聞いていたのか。なら話は早いな」

「ジュリアス」

「わかっている。明日作戦実行だ。ここでやり合いはしない。彼女が私の代わりとあれば、尚更な」

 『代わり』。その言い方にアデーレの眉がピクリと動いた。

「私は、貴女の代わりじゃない。団長に命じられて、私としてカーパルスを制圧する」

「新参の言葉を信用すると思っているのか?」

「どちらでもいいです、面倒ですから。私は団長と、その志に惹かれたに過ぎません。私はネクストを使って人類を解放する。この閉塞した世界を、私の手で破壊する。それだけです」

 覚悟があるのか、は正直アデーレにはどうでもいいことだった。世界を救う。その言葉が自分を証明してくれる気がする。この世界に翻弄された自分なら、それを成しえてもいい気がする。

そうすれば、セレンは自分をこれまで以上に認めるだろう。

「フッ、救済か。――確かにこれは信頼できそうだな。ならいい。メルツェル、あとは頼むぞ」

「ああ。ジュリアス、健闘を祈る」

 アデーレの言葉に噛みつくことなく、ジュリアスは館を出ていった。メルツェルはその後ろ姿を見送ってから、アデーレの目を見つめてため息をついた。

「君はなんというか、怖いもの知らずだな。ジュリアス・エメリーはアスピナの白い閃光、その再来とも言われるような敏腕リンクスだ。そんな化け物に突っかかるとは」

「私にとっては、関係ないことです。化け物だって殺すことができる。私はただ自分が彼女の代替物ではないということを、言いたかっただけです」

 アデーレはそう言うと約束の時間になるまで本を読もうと考えて、書斎へ続く階段を上がった。一人残されたメルツェルは、壁に描かれたオーメルの絵画を見て、黙考する。

 ――これは、思ったよりも狂犬かもしれんな。

 

 

 帰りのシャトル内で、アデーレは空を眼下に収めながら一人壁にもたれかかっていた。誰もいないシャトルの中は気楽だ。人の視線を感じなくていい。他人と比較しなくていい。

自分と比較して誰かを恨む必要も、ない。

 隅に座り込んで膝を抱えていればそれだけでいいから、楽だった。

「セレンさんは、どうしてるかな…」

 先に戻った自分の師匠は何をやっているだろう、と考える。あの人は私とは違う。どこか世間を冷ややかに見ているけど、人のことは嫌いではない。空も好きだと思う。希望はしていないが期待はしている、そんな関わり方をしている気がする。

 ――私に寄り添ってくれているのは、どうしてだろうか。

 そこまで考えてアデーレは視界を覆う海を睨む。この海も元々は泳ぐことができたのだと聞いた。水によって反応が収縮し、粒子自体の水溶性が高いコジマ粒子に汚染された今ではそんなことは望むべくもない。

 人類の咎。団長の言うとおり、人類は地球のすべてを汚染し尽くしてしまうのだろう。この海も、空も。それだけは止めなければいけない。

「マクシミリアン、テルミドール……」

 団長はきっといい人だ。私のことを女の子と呼ばないし、なにより会食の時にデザートをくれた。カラードの大人たちは絶対にそんなことをしない。

 いい人は、好きだ。

 ――セレンさんも、あの時は同じ行動をとってくれるような気がする。

 片隅で描いたその光景に胸が熱くなるのを感じて、アデーレは窓へ首を預けた。

 

 

 

「クローズ・プランを開始。主要アルテリア施設に対し、ネクストによる同時攻撃をかける」

 敵ネクストと、防衛部隊の排除。後続の技術部隊や歩兵部隊のためにも、防衛設備も破壊して回るほうがいいというテルミドールの指示に、ネクストに搭乗した状態でアデーレはうなずく。セレンが周辺状況を確認し終わったのか、神経が接続されて機体と半一体化している視界の端、浮かび上がっているレーダーに敵機の位置が表示された。

「最悪の反動勢力、ORCA旅団のお披露目だ。諸君、派手に行こう」

 機体が大きく揺れる。輸送ヘリ下部のネクスト格納庫の扉が開き、自分の身体が宙にぶらりと浮くのを感じた。アデーレが目をゆっくりと開く。機体を冷凍していた氷点下の冷気が海上の空気と混ざり合って白く濁るのが見える。

「アデーレ、作戦区域に突入した。投下するぞ!」

「うん、よろしく」

「投下!」

 ガクン、とアデーレの身体を重力が襲う。投下されたピリオドは一度オートモードでホバーを展開するが、すぐにアデーレの操作が介入し、権限が譲渡される。

 サイドとバックのブースターが正常に稼働することを確認してアデーレは武装を確認した。両側腕部には月光と称される威力型のブレードが二振り取り付けられている。背部には中型チェーンガンを二挺装備。肩部にはサイドブースターをつける場合もあるが、今回はそんなに素早い相手ではないから何もつけてはいなかった。

「ミッション開始。カーパルスを制圧する」

 セレンのいつも通りの宣言に背中を押されるように、アデーレは加速した。カーパルスの砲塔はすでに侵入者に向けられている。数機のノーマルが出入り口から現れ、練習通りのパターンでアデーレを囲もうと散開していく。

「ノブリス・オブリージュが戻る前に、可能な限り防衛設備を破壊しておけ。それだけ、楽になるのだからな」

 洋上に浮かぶ城砦を前に、アデーレはオーバードブースト――OBに点火した。OBはコジマ粒子を凝縮した際の反応をブースターに用いたもので、機体の操縦性を犠牲に爆発的な加速を引き出すことができる。

 その速度は、実にマッハ三近い。

 海上で点だったはずの敵勢力が目前に出現し、目に見えてノーマル部隊が引き下がる。レーザーライフルを牽制するかのように数発撃つが、エネルギー出力はネクストのそれとは比べ物にならないほど小さい。アデーレは最低限直撃を避けるようにブースターを小刻みに噴射して接近すると、噴射を一度止めて慣性に放り投げられるように一団の中へと飛び込んだ。

「遅いっ!」

 両腕を左右に開く。エネルギーを最大限まで入力されたブレードはその刀身を大きく伸ばし、周囲のノーマルを焼き切って鉄くずに変えた。

 アデーレは第一撃を撃ち込むと、FCSをオフにする。火器管制装置が働いていると、機械がそちらに引っ張られて目標に向かって突進してしまうからだ。機体を自分の身体のように扱えるアデーレにとって、それは邪魔な機能でしかなかった。

 鈍い動きで振り返ろうとする残りを串刺しにして、アデーレはノーマルの掃除を終える。

「まずはノーマル排除。――っと」

 砲撃を察知したアデーレは咄嗟に機体をバックさせる。見上げると壁一面の砲台がすべてアデーレをとらえていた。

「いやだなぁ…」

 アデーレは垂直に上昇するとFCSを再度起動し、武器を背部武装に切り替えた。砲身と湾曲したマガジンだけという独特な形状のチェーンガンを展開して姿勢を安定させると、銃撃を開始した。お互いの弾丸が交差するが、片や虚空をすっ飛んで、片や一撃で砲台の砲身をつぶし続ける。

 アデーレにとって連射武器はバラ撒くものではない。連射するのは牽制・弾幕・火力攻勢のときだけであって、基本は弾数の多い武器程度にしか捉えていなかった。

 背部武器は腕部武器に比べて命中精度もいい。十分に精密射撃として機能する。アデーレは無駄弾を撃たない。一発一発丁寧に砲身をつぶした。砲塔そのものを破壊するよりも、その方が安上がりだからだ。

 そのただただ一方的なまでの破壊は、すべての砲台が機能しなくなってから終了した。背部武装をパージする。まだ残弾を残したままのそれが海中に没していく。それをボーっと見つめてから、彼女はゆっくりその視線を上げて都市部へと続く大道路を見た。

「……来たかな」

「敵ネクスト反応、急接近。来るぞ!」

 はるか遠くに、OBの光が見えた。

「――空き巣とは、なんとも情けない。匪族には、誇りもないのか?」

 新たにノイズ混じりの通信が入ったのは、セレンが警告するのとほぼ同時だった。

 アデーレはエネルギー照射砲の破壊へ移行するようなそぶりを見せて、カーパルスの中心部へと移動する。コロニーからカーパルスへと続く一本の通路を、純白の天使が駆け抜けているのが目に入った。

 天使。鋼鉄製ではあるが、確かにそれはそう呼べる代物だった。背部に設置された砲身が、まるで翼のように見える。片翼に三本ずつ砲身がまとめられたそれは、砲身の細さから察するにEN兵装だろう。

「生き易いものだな。羨ましいよ」

 鼻にかけた声で青年が嘲笑した。

「本番だ。敵ネクスト、ノブリス・オブリージュを排除する」

 アデーレは天使と対峙するように、否、その道をふさぐように通路へと降り立った。真正面から見ると、ピリオドよりも幾分か機体は重厚なようだった。バランス重視のローゼンタールのネクストらしい装甲だ。

「企業所属のネクスト、か…」

 アデーレは呟いて、純白の機体を見つめる。

 空き巣、匪賊、生き易いって。そうやって鼻で笑って上から人を見ているから、人類が終わりを迎えようとするんじゃないの?貴方たちが停滞を求めたから、人類は緩やかに破滅へと進んでいっているんじゃないの?

 ――そしてそんな自分たちに自覚がないから、貴方たちは変わらないんじゃないか。

「ジェラルド・ジェンドリン、ローゼンタールの最精鋭リンクスだ。気を抜くな」

 セレンの注意が飛ぶ。アデーレは通路を一度離れると、水面へと浮かび上がった。

「……セレンさん、あの人のカラードランク、なに?」

「5だが…。どうかしたのか」

「ううん……」

 なんだ、たったそれだけか。

 アデーレはバックしながら一度高度を下げると、彼女を無視してカーパルスへと直進するノブリス・オブリージュへ向かって再加速した。OBを使用して突っ込んできた天使はその動きにピクリと反応する。

 アデーレはFCSよりも速く照準を定めて、ブレードを展開した。

 ――腐った貴族でいるくらいなら、私はごみ溜めのなかを這いずり回るよ。

 真正面から突っ込んでくるテロリストを前に、ジェラルドはその天使の翼と見まがうばかりの背部武装を展開し、照準を定めた。彼には彼で、クレイドルの民が平和に暮らせるようにするという大義がある。その誇りを示すために、侵入者であるアデーレは排除しなければならなかった。

「私にはそれができる。カーパルスとは、選択を誤ったな」

「あはは、…そう来るよね!」

 ENが充填され武装からほとばしる青い光を見たアデーレは、咄嗟に体を捻り海へ飛び込むようにその射線から逸れる。人魚のように水面すれすれを薙ぐその動きに翻弄され、エネルギーの塊はアスファルトを砕いただけで終わった。

「なっ――――」

「こっこ、か、らぁ!」

 すでに想定外の機動で軋む身体を押さえ込んで、アデーレは機体を起こした。胸部のバックブースターを最大で出力しブレーキを掛けた彼女は、遠心力で放りなげられる下半身を進行方向へ向けると、やや遅れてからバックブースターを閉鎖。ため込んだメインブースターのエネルギーを利用して、空中で跳躍する。

 腕部に展開しているブレードの照準を、目標を見失い速度を落としたノブリス・オブリージュの胸へと定め、突撃した。

「────あれ?」

 横切るように彼を一閃したアデーレは、しかし違和感を覚えてすぐに距離をとった。ふらりふらりと後ろ向きに数度ブースターを噴射して距離をとる彼女を、銃撃が追う。

 確かに両腕で斬撃を叩き込んだ気がしたが、手の感覚がそれを認めなかったことにアデーレは首を傾げる。

「PAを切り裂いた感触はある……ってことは、さすがは五本の指に入るリンクスってことか。すんでのところでかわされちゃった」

 アデーレが笑いながら目を凝らした先、カーパルスへその身を移したノブリス・オブリージュの胸には傷が二本ついていた。非常に深く、内側から配線やオイルがだらだらと漏れ出ているが、コクピットへ到達するほどではない。

「……話には聞いていたが、君ほどのリンクスがいるとはな…。恐ろしいものだ」

 ジェラルドが苦笑交じりにそう呟いた。余裕をすべて失ったその声音にアデーレは片眉を上げる。

「…さっきとずいぶん違う声ですね。驚かせることができたなら嬉しいんですけど」

「ふっ、君が言えた義理ではないだろう。攻撃的なのは演技なのか?」

「……別に」

 アデーレは嘘をついた。彼女はネクスト搭乗時、AMS汚染の影響で好戦的になるきらいがあった。冷静沈着な判断をするが、心臓に誰かが殺せと圧迫をかけるように、鼓動が促進される。

 しかしその破壊衝動と、それを確実に実行するためのクレバーな思考能力が彼女の持ち合わせるそれだった。どちらも彼女自身であり、違和感もない。スポーツの時にだけ交感神経が刺激されるような、その程度の感覚と変わりない。

「……それに、私は強くなんてありませんよ。ただネクストの操縦が、人より少し上手いだけ」

 アデーレはノブリス・オブリージュの背部武装の有効射程を目測で測るとそこに入らないように距離をとりながら、自身もカーパルスの内側へと入る。アルテリアのすぐ隣へと降り立って動きを止めると、アリーヤタイプの自機のマニピュレータを何度か握っては開いた。

「私が操縦をしていたら、相手のネクストが墜ちただけ。私には何もありません」

「その言行も全くだが、悲観的だな。これほどの力を持つ者が、自らの力もわきまえることなく、人類の脅威として悪名を得ていることに」

「悪名…ですか。私は、正義ですよ。数世紀後の教科書には人類の救世主として名前が載っているくらいの。…私は人類を救う。私のような、哀れな人類を」

「それが無謀だと、なぜ気づかない?君たちのやっていることはただのテロリズムに過ぎない。アルテリアを破壊して、クレイドルが地面に落ちてどうなる?何が救われるんだ?」

 ジェラルドの声に怒気が混じった。それは大義のない殺人なのだと、彼の声音がアデーレを非難していた。アデーレはそれに短くため息をついて、返答とした。

「私にはそれを貴方に伝える権利も、義務もない。疑問のまま死んでください」

「……っ!」

 アデーレは直線を描いてジェラルドへと突進した。

 ENキャノンで迎撃しようとするジェラルドの一撃を軽々とかわすと、さらにクイックブーストで加速した。ジェラルドの前で右に機体を振った後、内臓がつぶれそうになるのを堪えながら、左へともう一度機体を振りなおす。

「くっ、速い…!」

 ジェラルドが振りぬいたブレードを見切ると、そのまま彼をすり抜けるように後ろ側へ回り、左側のブースターを短く噴射して急旋回をかけた。

「まずは一本」

 そして天使の右翼を、その腕ごとブレードで切り捨てた。

「……っぐ、あ、あああああぁぁっ!」

 AMSの影響で痛みが信号となって押し寄せ、叫ぶジェラルドは左側の翼を鈍器のように振り回して、距離をとろうとする。アデーレはそれをブレードの刃で受けることでもう片翼をも溶断した。

 一瞬で左腕のブレードだけとなった天使は、オイルが血のように噴き出しもはや見る影もなくなった体を、それでもなおアデーレへと向けた。

「馬鹿な…、信じられん…。ノブリス・オブリージュがこうまで抑えられんとは…」

 驚愕と自嘲の混ざった口調でジェラルドが呟く。名を挙げたリンクスだからこそ、彼は自分が信じられなかった。相手は高々数年の、それもテロリズムに加担するような少女だ。自分とはそれこそ経験も、覚悟も違うはずなのに。

「一体、どうなっている…」

 ――カラードの情報では男性となっていたが、声を聴いてみればどうだ。自分が守るべきである、少女だ。

 こんな少女が――いや、こんな少女に。

「まだ、やるんですか?逃すつもりはありませんが、私がアルテリアを破壊するまでの間だけなら放っておいてあげますから。ここで可能性がゼロのまま死ぬ必要は、ないと思いますけど…」

 アデーレはなんとなく提案をしてみた。別に慈悲でも何でもない。どちらにせよ彼は殺すつもりだ。だが彼の信念の行きつく先に、少しだけ興味が引かれた。

 ジェラルドはその提案に、一度空を仰いだ。くぐもった空を見て、少しだけ目をつぶる。

「あぁ、多分…そうするのが正解なんだろうな。増援を待って、君を追い出す。それが正しい選択なんだろう…。だけど」

 ――そんな選択ができないことを、彼自身がよくわかっていた。

 ノブリス・オブリージュ。高貴さは義務を伴い、力あるものは弱きを救う。

 本社を防衛するため傭兵や仲間と共に戦い、命を散らした先代のリンクス。たとえ歪んだ貴族階級に属するこの身でも、その誇りだけは捨てることなど出来はしない。

「あぁ、そうだ……」

 そうだ。剣を向けなければいけない。恐怖にさらされる無辜の人々を、放っておけなどしない。

「……ここはクレイドルの要だ、簡単には譲れないよ」

 左腕を向ける。勝負が一瞬で決まることは明らかだった。ジェラルドは精神も機体もすでにボロボロだ。対するアデーレは傷一つついていない。

 ――だが一撃。一撃でいいから、自分は報いなければならないのだ。

 ジェラルドは加速する。もうブースターすら使えない身体で。

 剣を携えた左腕を、力の限り振り上げた。

「さよなら、ローゼンタールの貴族さま」

 その左腕が振り下ろされるよりも前に、アデーレの右腕がノブリス・オブリージュのコクピットを真ん中から切り裂いていた。

今度は紙一重すら残さない、深い一撃だった。

 純白だったはずの装甲は黒く薄汚れ、真ん中から崩れ落ちていく。

 力なくだらりと垂れた左腕が、操縦者の死亡をアデーレに伝える。

「じゃあね」

 彼女は跪くように動かなくなったノブリス・オブリージュを小突いて倒すと、アルテリアへと向き合う。

 空にエネルギーを放射するための装置は、自らを守ろうとした騎士に何の感慨も持ち合わせてはいない。

「…………まぁ、そうだよ、ね」

「ノブリス・オブリージュの撃破を確認。よくやった」

「……うん」

 自分の心に些細な違和感を抱いたアデーレは、しかしセレンの声を聴いて思考を止めた。その違和感が何かは分からないが、なんとなく考えたくはなかった。

「クローズ・プランの始まりか。後悔するなよ。お前の選択なのだか――――」

「やはり敗れたな…ジェラルド・ジェンドリン。貴族の務めなど、大層な御託のわりに…ククク」

 通信に入った声にアデーレは眉をひそめた。野太い、粗暴そうな声。施設を防衛するために先行した味方を嘲笑っているようだった。

「……増援か、なるほどな。二機でかかればよいものを――敵ネクスト、トラセンド。これも排除する。きついが、やるしかないぞ。別行動を後悔させてやれ」

「…………」

 セレンがぼやく声すら、アデーレの耳には入ってこなかった。ただ静かにブレードにエネルギーを回し、また通路へと歩いていく。感傷も感情もない。ただその声に自分の中の何かがかき乱されたのは確かだった。

「まあ、俺が尻拭いをしてやるとするか」

「――――うるさいなぁ」

 その言葉が口をついて出た。何を煩ったのかは、自分でもわからない。ただその言葉に突き動かされるようにして武器を構えた。そのはけ口を相手に求めることが、自分のやるべきことであるような気がした。

 

 

 

 最近の自分の行動と感情がぐちゃぐちゃに混ざりあっていることには、アデーレ自身が気づいていた。

 自らの人類救済という大義、それが自分の行動指針であることは間違いない。だが本当にそう考えているのだろうか?

 自分が生まれた元凶となった企業を破壊する。自分のような人間を増やさないために。

 そんなことが、自分に何の関係がある?

 確かに自分の身は憐れだろう。この世界の不条理も許せるものではないのだろう。だが、それは私が気に掛けることなのだろうか。

 いつから世界に干渉しようなどと思うようになったのか。

 団長の言葉を聞いた時からだろうか、それとも自らの師に拾われたときに、自分はもう――。

 クレイドルと、それを守ろうとするローゼンタールの騎士を見てから、どうにも思考が不安定になっていた。

 ――セレンはいつも、好きなようにしろと言う。だから私は彼女の言うように、後悔のない選択をしているつもりだ。自分がしたいと思った選択に、進んでいるはずだ。

 なら何故この違和感が離れない?どうして何かが思考を邪魔するときがある?

 本当に、どうしてだろう。

 多分、その疑問に対する答えは出ているのだ。

 おかしいのは、私が行動に意味を見出したからだ。団長の演説を聞いたあの日、大義なんてものを見出してしまったから。

 それまで私は、命じられた仕事を衝動のやり場として扱う、ただの野良猫だったのに。

 頭が痛い。おなかも痛い。咳が出る。口の中が血の味がする。

 自分の身体は長くはない。だからできるだけ早く、正しい選択をしなければいけない。

 ――私は世界が好きなんだろうか。

 いや、嫌いだ。

 私はこの世界が嫌い。

 家族を殺した兵器が嫌い。格差のある社会が嫌い。規定された性別が嫌い。私を売った商人が嫌い。人を価値でしか見ない金持ちが嫌い。

 戦争が嫌い。武器が嫌い。ネクストが嫌い。リンクスが嫌い。兵士が嫌い。クレイドルが嫌い。コロニーが嫌い。男が嫌い。女が嫌い。他人が嫌い。自分が嫌い。雨が嫌い。晴れが嫌い。曇りが嫌い。空が嫌い。海が嫌い。草原が嫌い。荒野が嫌い。何もかもが、嫌い。

 ――あぁそうだ。大義なんて、救済だなんて、私には意味がないものなのだ。何を思いあがっていたのだろう。この憂患も心苦しさも、すべてまやかしだ。

 私はすべてが嫌いなんだ。だから、その通りに行動するべきだろう。

 そうでなければ、自分すら自分を認められなくなってしまう。

 

 

 

「こんなんじゃ、だめだ」

 アデーレはデスクトップの依頼を確認するためにベッドから起き上がった。自分は言われたとおりに、この嫌いで仕方のない世界を破壊するだけだ。巨大なAFを破壊しろと言われれば破壊する。企業のリンクスと戦えと言われればそれもいいだろう。それでどうなるのかは知らない、知ることでもない。あとは団長やメルツェルさんがやってくれるだろう。

 アデーレはセレンがシャワーを浴びていることを確認して、依頼を確認した。そこにはORCA旅団からの、衛星軌道掃射砲の防衛依頼が出ていた。アルテリア施設を襲撃しているのはこの掃射砲のためだった。

 宇宙空間への人類の進出を阻む、無数の自律型攻撃衛星。アデーレもクレイドル21奪還作戦時に、その姿を見た。

「あの時は珍しく、セレンさんが慌ててた…」

 ネクストですら対象として攻撃を行うそれらこそが企業の隠匿してきた罪なのだと、テルミドールは言った。そしてその覆いを剥がすために必要なのが衛星軌道掃射砲だと。

「……企業の、罪」

 依頼の詳細を確認しようとアデーレがマウスを動かしたその時だった。

 ピロリ、と軽快な電子音とともに新たなメールが届いた。

 差出人は、オールドキング。ORCA旅団のメンバーである、怪しげな男だった。

「……個人、依頼?」

 アデーレは疑問とともにメールを開いた。

 そこに書かれた依頼内容、それは。

「……なに、これ」

 ――――クレイドル03の破壊だった。

「よう、首輪つき。オールドキングだ」

 低く落ち着いた声が、そう名乗った。

 企業やORCAのように装飾華美でない、画像だけの依頼。ただ破壊する対象の写真だけがそこに映し出されている。

「クレイドル03を襲撃する。付き合わないか?」

 その言い方はまるで、ただ声をかけてみたというような気軽さだった。――否、これはアデーレが乗るか乗らないかにかかわらず、自分は実行するという信念だ。

「ORCAの連中、温すぎる。革命など、結局は殺すしかないのさ」

 アデーレはオールドキングが冗談で言っているわけではないことを理解する。アルテリア施設を襲撃し、多数のネクスト、AF、それらの乗員を殺してクレイドルの人々を地に還す。その行いですら温いのだと、そう言っている。

 彼が異端者であることは、アデーレに容易に理解できた。あのORCA旅団のメンバーの中で、それ以上に色を放つ怪物。

 アデーレは自分の思考がクリアになるのを感じる。生き死にを懸けているときのように静かに、ただ五感を研ぎ澄まして思考する。

「だろう?」

 痛みこそが革命の友人であると告げるように、含み笑いのような声音でオールドキングがそうつぶやいて、映像が終了した。

 アデーレはしばらく茫然として真っ暗になったデスクトップを眺めていた。

 ――人類を殺す。無辜の民を何万人と。許されるだろうか。そんなはずはない。

 だが。それは、その行いをすれば、自分は嫌いなものを壊すことができる。

 企業に己の罪を恥じさせ、清浄な空を独占する人々にそれが失敗だったのだと気づかせることができる。

 彼らはそのために、死ぬのだ。

 人の死に意味を持たせることができる。この世界も清く美しい、平等な世界になる。そうすれば、セレンさんは喜ぶだろうか。

 私の師。私の親。私の姉。私の大事な人。

 この世界を壊せば、私は世界を好きになれるだろうか。私も世界を好きになりたい。彼女のように。

 そうだ。嫌いな世界を破壊してどうしたいか、やっと見つけることができた。

 私は世界を好きになって、セレンさんと一緒にその光景を見たいんだ。

 でも世界はあまりにも根底から腐っていて歯車みたいにぎちぎちに固まってしまっていて、一つずつ一つずつって修正するのが不可能だから、一から作り直そうと破壊を望む。

 ――私はセレンさんと、同じ光景を見たい。

 シャワーの音がやんだ。アデーレは脱衣所の戸に移る影を見ると急いでメールを消去してピリオドの格納庫まで走り出す。

 セレンがアデーレにクレイドルの破壊など認めるわけがないと分かっての行動だった。自分のためを思ってやることだと伝えても、彼女がそれを認めないことはよく知っていた。

 アデーレはピリオドに飛び込むと、出撃シークエンスに移る。本来なら輸送ヘリの格納庫の開閉や冷却解凍はセレンが行うが、今回は任せられない。

 輸送ヘリのコクピットが破壊された時などに備えてリンクスが単独でプロセスを実行できるようになっている。首筋に刺さる針から冷たい液体が体内に注入され、視界が暗転する。電子音が鼓膜の震えではなく脳内で直接鳴っているのを感じて、アデーレは目を開けた。

 視界が機体とリンクする。マニピュレータもブースターの開閉も、能動制御でできる。

 アデーレがほとんどの操作を終えて格納庫を開くと、セレンからの通信が視界に表示された。

「何をやってるこの馬鹿!ここは戦闘区域じゃないんだ、コジマ粒子を意味なく撒くなど――」

「ごめんなさい、セレンさん」

 アデーレは師の言葉にかぶせるように謝罪する。戸惑ったセレンが次の言葉を待つ中、彼女は機体を投下して、ブースターに点火した。

「でも私、やりたいことを、やらなければいけないことを、見つけたんです」

 アデーレはOBを全開にして加速した。大気中にコジマ粒子を撒き散らしながら、ゆっくりと高度を上げていく。地球を一周するころにはクレイドル空域にたどり着くだろうか。

 先日目にした子供たちの羨望のまなざしが目に浮かぶ。彼らが足をつけているその航空機が、いったいどれほどの犠牲を強いて飛んでいるのか、彼らは知らない。彼らもとっくに狂気の内側に飲まれている。

 そして何の罪もない彼らも、またそこに生まれたことによって、自身の目的のために行動する自分に殺されるのだ。

 アデーレは小さく息をついた。

「やっぱり世界って、好きになれないや」

 

 

 

「来たか、首輪つき」

 友人を遊びに誘ったような気軽さで、オールドキングの声がアデーレの通信に入ってきた。

「私はアデーレ・ヘイズです。オールドキングさん」

「さん付けはいらねぇ。まぁとりあえずは、来てくれたことを喜ぼうじゃねぇか」

 オールドキングによるクレイドルの襲撃はすでに始まっていた。試験運転中のクレイドル21を除いて、クレイドルはユニット単位で行動している。巨大な黒い翼が空を埋め尽くしているのを見て、改めて人類の繁栄を認識する。

「…………みんな、死ぬんだな」

 だが、五基のクレイドルが並ぶ光景は壮観でも、それ自体に別段感慨が湧くわけでもない。アデーレは他人事のように呟いて、オールドキングが破壊している方向とは逆側から攻めるために移動する。

「クレイドルってのは、よくできた考えだ。まとめて殺るには最適だ。このクレイドルを、すべて落とす。所詮大量殺人だ。刺激的にやろうぜ」

 オールドキングが楽しそうにつぶやく。革命のための大量殺人を、彼は肯定していた。世界を変革するためには既存の秩序体制を破壊しなければいけないのだ、と彼はそう思っているのかもしれない。それが自分の考えを他人に映し出そうとしているだけであることに気づいて、アデーレは苦笑した。

 クレイドル。

 遠心力を利用しながら飛行する性質から航空機より多少早い巡航速度を持ったそれが、今は生存のためにエンジンに火を入れて飛んでいた。無論、ネクストの速度から逃れられようはずもないが、逃げ回るような軌道をすれば自壊しかねない巨大な翼では、そうするより外になかったのだろう。

 全翼機でありながら複翼機のような構造をしているクレイドルは、上盤のエンジンシャフトをすべて破壊すれば落ちる。わざわざ下の居住区を一つずつ丁寧につぶして回る必要はない。

「一基墜とした。これで二千万ほど死んだ」

 オールドキングが楽しげにつぶやいた。アデーレが顔を向けると、一つの翼が黒煙を吐きながらその高度を落としていく。質量も相まってその速度はかなり速い。七千メートルという高度とそれまでの気圧差で、どこに落ちてもまず生き残る者はいないだろう。

「私も、やろう」

 アデーレは目の前の一基へとその矛先を向けた。武装はいつも通り、ブレードとスラッグガン、プラズマキャノンだった。大した戦力のいないこの空域ではブレードだけでも良かったかもしれないが、なにせアデーレには換装する時間がなかった。気にしても仕方がない。

「出てきたな……」

 アデーレが見下ろす先、クレイドルの格納ハッチからノーマル部隊が出てきた。暴動でも鎮圧する程度の想定なのか、その数は少ない。

「まあ攻められることなんて想定していないもんね…」

 彼女は彼らが背負っている機体と重圧を想像して、少しだけ憐れに感じた。おそらくノブリス・オブリージュは彼らほどの期待を得られたことはなかっただろう。クレイドルの住人にとって、コジマ粒子をまき散らしながら戦う地上の賤民など、考慮するべき価値はないのだから。

 逆にこのノーマルのパイロットたちは溜まったものではないだろう。ネクストですら止められなかった化け物に、実戦経験のほとんどないノーマルがあてがわれるのだ。

 実際、ノーマル部隊のパイロットは完全に取り乱していた。

「ここはクレイドル空域だ!ネクストの立ち入りは許可していない!直ちに退去せよ!」

 すでに一基落ちているという現実にも目を向けられず、彼らはアデーレへの警告を行う。居住区へと被害を及ぼさないように足元を見ながら移動する彼らは、どう見ても戦場での覚悟ができていない。

 ――犠牲を厭わずして、守れるものなんてないのに。

「繰り返す!貴機はクレイドルの生命と安全を脅かしている!速やかに退去せよ!どこのリンクスかは知らんが、これは企業連への宣戦布告である!ただちに――」

「とっくに戦争は、始まってるよ」

 アデーレは右側のエンジンシャフトへと加速して、巨大な黒い壁に刃を立てた。ブレードの熱が鋼板も、中の導線も切り溶かして、エネルギー系統に引火したのかシャフトが盛大に爆発する。

PAに沿って爆炎が流れていくなか、アデーレはそのエンジンが黒煙を吐き出すのを見てから上昇した。

「き、貴様!何をやっているのか、本気で理解できているのか!」

 飛行型ノーマルが動揺と怒気をまき散らしながら、彼女を取り囲む。

「何が目的なのかは知らんが、クレイドルにまで手を出す必要はないだろう!これはただの虐殺行為に過ぎない!分かっているのか!」

「――――虐殺、か」

 フッ、とアデーレはブースターを消して真っ逆さまに落ちる。流れていく空気の音が心地いい。この空は、いつもこうだったのだろうか。自分がその快さに大きく息を吸うことなど、今までなかったというのに。

「これは革命だから。多くの人命が奪われても、仕方のないことだと思うよ。少なくともクレイドルの、企業の人間なんて、私にとっては、尊くもなければ大切でもない命だよ」

 アデーレは空中で体を後ろ向きに半回転させると姿勢を戻し、再度ブースターに点火する。上方からノーマルの射撃が追うが、居住区への誤射を恐れてか、その数は少ない。

 そもそも当たるものではないが。

 今度は躊躇しなかった。次のエンジンシャフトを、上をなぞるように飛行して切り裂くと、そのまま次へと向かう。一つ、また一つと黒煙が上がり、クレイドルの高度が徐々に下がっていく。

「四千万」

 オールドキングがそうつぶやいて、そのカウントがアデーレの襲撃したクレイドルのことを指していると気づいた。眼下には黒煙を吐いて落ちていくクレイドルが見え、そのノーマル部隊の通信からは人々の阿鼻叫喚の泣き声が聞こえる。

「クソ、こっちはダメみたいだ。シャトルもいかれちまってる。あとは任せたぞ、航空部隊!これ以上墜とさせるな!」

「……分かった。任務ご苦労」

 通信が途絶える。二基目へと移ろうとしたアデーレを追うように、飛行型ノーマルが上昇する。

「殺人者め、お前らはここで終わりだと思え!」

 アデーレは声を無視する。コジマ粒子を用いているネクストとノーマルでは、その機体性能は雲泥の差だ。わざわざ低高度のノーマルを迎え撃つ必要もない。

「――あと三基」

 アデーレは次のクレイドルへとその刃をふるう。真っ二つになったエレベーターから、人が零れ落ちていく。勢いあまって踏み抜いた居住区で人々が逃げ惑う。汚染された外気を遮断するために閉鎖していくシャッターが、それらの人々を置き去りにした。足元で吐血する人間を眺めていると、追撃してきたノーマル部隊がアデーレを取り囲んで射撃を始めた。

「吹っ切れたのかな…」

 アデーレはふわりと浮いてそれを避ける。目標を見失ったプラズマ弾はそのまま居住区へと着弾し、隔離された人々を蒸発させた。

 アデーレはノーマルを相手にする時間を惜しんで、次のエンジンへと向かった。飛び回る虫を破壊するのは簡単だったが、武装を変更するのが面倒だった。

 ブレードを振るい、切り裂き、貫いて、破壊の限りを尽くす。

「このクレイドルも、もう終わりかな」

 下層と上層をつなぐエレベーターにまで手を出したせいか、今回のクレイドルは真ん中から千切れるように裂けようとしていた。直接的な攻撃を受けて見る影もなくなった上層を眼下に収めていると、アデーレはあることに気づく。

 クレイドルの本体後方、その格納扉が開き、シャトルが発進しようとしていた。

「すぐに出せ!敵が向かってきたら終わりだぞ!」

「投下しろ!あとはシャトルが自動でやってくれる!」

「ノーマル部隊は全機シャトルの防衛へ!」

 通信で叫ぶその声は誰のものかはわからないが、必死だった。ノーマル部隊は先ほどから全力だ。動き出せば捉えられないネクストをそれでも必死に追いかけている。

 ――別に放っておいてもいいけど。

 アデーレはついに半分に裂けきったクレイドルを見ながら、その考えを却下した。

「どうせならみんな一緒がいいに決まってるよね」

 OBに点火し、ノーマル部隊の真ん中をぶち抜いてシャトルへと接近する。直衛だろうか、シャトルを両脇から庇うように二機の狙撃型ノーマルが姿を現す。手に持ったマシンガンを文字通りばらまいてアデーレを少しでも牽制していた。

「PA、知らないの?」

 アデーレは雨粒のような弾丸を躱すことなく突進して一機に取りつくと、その胸部をブレードでこじ開けた。

「バイバイ」

 エネルギーを回してレーザーを出力すると、中のパイロットごと機体が溶断される。

「くそがあああぁぁっ!」

 もう一機が横からマシンガンを乱射する。近距離からの連射で弾丸がPAを抜くようになるが、それでもかすり傷と言っていいレベルのものだ。

「ノーマル部隊、発砲を控えろ!薬莢がシャトルを直撃している!」

「無理に決まってるだろうが!」

 無茶な要求に激高するパイロットに苦笑しながら、アデーレは突き立てた刃を引き抜いた。

「早くシャトルを落っことせ!」

「ロック解除、離脱する!」

 シャトルがバーナーを焚いてその高度を上げようとする。その下をくぐるようにノーマルが突進し、アデーレへ抱き着いた。

「今だ!行け!」

「あはは。――もう無理でしょ」

 アデーレは両脇に力を込める。それだけでノーマルの拘束が外れた。自由になった右腕でノーマルの頭部を切り裂くと上昇するシャトルの船体をつかみ、引きずりおろす。床に叩きつけられたシャトルが大きくへこみ、緊急用のパラシュートが展開した。

「見づらいなぁ」

 アデーレはそれをどけるとシャトルを覗き込む。そこに子供の姿はなかった。白衣と眼鏡を着用した研究者たちと、恰幅のいい老人だけがそこにいた。

「…まあ、そう、だよね」

 アデーレは驚きもしなかった。この世界では普通のことだ。その腐敗の象徴こそ、このクレイドルだろう。よくわかっていたはずだった。

 彼女は剣を突き立てる。これまでよりもじっくりと、念入りに。

 ジュウッ、という音が鉄を焼き切る音なのか肉を焼いている音なのかは、この際どちらでもよかった。どちらかといえば後者を望んではいたが、結果は変わらない。彼女からすればどうでもいい事柄だった。

「あいむしんかーとぅーとぅーとぅとぅとぅー」

 シャトルを破壊し離脱するアデーレの耳に、オールドキングが鼻歌を口ずさむのが聞こえた。

 ――しんかー。彼が軽快に歌うその言葉は、ThinkerとSinker、どちらなのだろう。

 私は考えるもの。私は沈みゆくもの。あるいは、どちらでもいいのかもしれない。

 私は憂える者であると同時に、二度と浮かび上がることのできない血の海に、その身を投げ出したのだから。

「六千万」

 オールドキングの声に、恍惚ともいえる色が混ざる。六千万人、今や生きている数よりも、死んだ数の方が多いということだ。

 もっとだ。もっと殺そう。流れゆくどす黒い血だけが、この世界の変革を伝えてくれる。落ちてゆく翼こそが、人類の未来だ。

そう、この逆さこそが、人類の行きついた未来。

 ――もっと、もっと多くの死を――――。

「――――アデーレ」

 ピッと、アデーレの動きが止まった。新たなクレイドルに伸ばそうとしたその手を止める。ほんの少しの間だけの別れだったのに、その声がやけに懐かしく感じられる。

「聞こえているのか、アデーレ」

「セレン、さん…」

 レーダー上、遥か下方に映っていたのは輸送ヘリだった。友軍機を示す緑色の光点がぽつんと浮かんでいる。

 セレンは機体をホバリングさせながら、上空にいる二人のリンクスを睨んだ。黒煙たなびく空に見える黒点は、その小ささに収まりきらない狂気を抱えている。

「オールドキング、だったか。よくも私の弟子を誑かしてくれたな。ORCAにすら目的を見出せないような狂信者が、何の目的でこんなことをしている」

「戦士が人を殺すのに、理由など必要ないだろう。革命が成就するためには、まず血が流れなければならない。そういうものだろう?」

「瀉血など、回顧主義もほどもほどにしろ、時代遅れが。罪なき人々を殺すのに、革命の成就なんて大義があるものか」

 セレンは冷静に、それでいて激烈な怒りを込めた。当然彼女とてリンクスだ。汚れ仕事は数多くこなしてきたし、それには民間人も大勢巻き込まれていただろう。

 だがこのクレイドルの破壊だけは違った。セレンが行ってきた作戦は誰かの意図と利益に基づくものではあった。だがこの虐殺にはそれらが一切ない。

 ただ殺すために殺すだけ。

 その行為が許されるはずもない。

 しかしオールドキングは迎撃に上がってくるノーマルを破壊しながら、それを笑い飛ばした。彼は師の登場に動揺しながらもクレイドルへと刃を向ける同胞を顎で指し示す。

「だが現実、こうして同志がいる。俺は気づいた。あの時、あの娘と初めて目が合った時、こいつは別格だとな。ORCAにもそこそこの奴がいたが、アイツは全くの別物だ。俺を見据えるその瞳に、他のものでは濁らない――いや、とっくに濁り切っちまって濁るはずもない色が見えた。あれは狂気だ」

 オールドキングはその時アデーレと対峙した正にその時、狂喜したのだった。リンクスという職業は人殺しと大差ないが、彼が会ったリンクスはどこかに正気があった。少年も母親も、機械で人を殺すということに疑問を抱かず、それどころか大義を振りかざす人間までいた。

 それが正常なリンクスで、仕事なのだと割り切っている人間ばかりを見てきた彼が、初めて純粋に混沌とした少女を見た。

 彼はその時、とっさに少女の手を掴みそうになった。確かに少女も人を殺すことに疑問を覚えてはいない。だがそこには仕事としての殺人も、大義としての流血もなかった。テルミドールは彼女を同志だと語っていたし、実際彼女もそのように思っているようだが、それは彼女自身が気付いていないだけだとオールドキングは感じていた。

 彼女の異常さ、例外ともいえる狂気がどこから産み育まれているのか、その真相――深層を掬い取ってみたくなった。もっとその奥底に沈んでいるものを。

「だから俺はこいつを誘った。カラードに属する傭兵として育て上げたお前とORCA、その両方によって首輪をはめられている無垢を象った狂気――首輪つきをな。こいつの正体はお前らには分かるまい」

「それで、ただ殺すことだけを覚えさせたか…。なんてザマだ。なあ、アデーレ」

 セレンは狂気に魅入られた少女へと呼びかける。囁いた悪魔の倍以上の速度でクレイドルを落としていく彼女は、その声音に反応して動きが鈍る。手は休めていない、が、その獣のようなどう猛さが薄れ、本来の彼女であれば逃すはずのない好機を見逃す。

「セレン、さん」

「そこでやめろ、アデーレ。まだ、今なら引き返せる」

 セレンの言葉に、さらにアデーレの動きは遅くなった。クレイドルから一度距離をとると空中で停止し、もがきながら必死に逃げようとする憐れな人々を見下ろす。

「お前はよく兄の話をするな。病弱なお前を守ってくれる心優しい兄だったと。そいつが今のお前を見て、喜ぶと思うのか」

「……わかんない。けど、私は、これが正しいと思えるの」

「本当にか?ならそれは誰のためにやっている。私か。お前の兄か。それとも、お前を唆す連中か。答えられるのだろうな」

「私、は……」

 アデーレの頭の中で、いろんなものがぐるぐるとこんがらがる。師匠の声を聞くとなぜだか思考がまとまらない。気持ちと思いと感情が、同じ色をしているのに同一のものではなくてごちゃごちゃと混ざり合ってしまう。

「違う。違うの。私は、私の、私自身のために……」

「お前が自分のために人を殺すのか?笑わせるな。私はお前を、そんな弱い人間には育てていない」

 母親の言葉が、アデーレの思考をかき乱す。自らと彼女、他人の存在が光となって、ちかりと浮かび上がってはアデーレの伸ばす手の先で漂う。

「う、うあ、ぁあああぁ…」

 伸ばした手から、するりと抜ける。だが暖かな光だけはゆっくりと手の中に収まるようだった。

「命令だ、アデーレ。さっさと戻って来い、この大馬鹿野郎…。作っておいたスープはとっくに冷めてしまったぞ」

「ぁあ、セレン、さ――――」

「――――今だ、ネクストの動きが止まった!畳みかけろ!」

 葛藤する彼女の思考を破壊するように、クレイドルのノーマル部隊がアデーレを撃ち抜いた。直撃弾はPAを貫通し、ピリオドの装甲を薄く削ぎとる。

「全機でかかれ!汚染をまき散らす害虫を、なんとしてでも追い出すんだ!――地上の薄汚れたリンクスごときが…臭いんだよ!」

 同心円状を描きながら飛行するノーマル部隊。空というフィールドと誤射を恐れない射線が彼らの勇気を奮わせた。リンクスといえど空での戦いは慣れの問題だ。クレイドルの警護を任せられている、選ばれた自分たちなら。その思いが彼らにはあった。

 そして一瞬で部隊の半分がかき消えたところで、彼らのそれは静まった。目で追えぬ速度で何かが飛来する。羽をもがれ、首を落とされ、胸を射抜かれたパイロットたちは、事態を把握できないまま、それこそ虫のように死んでいく。

 セレンはレーダー上で光点が次々消えていくのを悲痛な面持ちで見つめた。通信先の幼い少女は、今にも消えそうな言葉でつぶやいた。

「…ごめんなさいセレンさん、私は、これは私がやらなきゃいけないことだと思うの。私が、私が後悔のしないように、選択したつもりだから…」

「――――っ!」

 本心なのか、状況がそう彼女に言わせたのかは分からない。だが確かに彼女は、最悪の方向で決意が固まったようだった。ノーマルをすべてスクラップにして彼女はまたクレイドルへと手をかける。その動きにはもう迷いなどない。クレイドルは次々と黒煙を上げて落ちていく。

「八千万」

 楽し気なオールドキングの声が、通信に混ざる。アデーレは引き返せないことを完全に理解した。彼女の行動に大義を認める人間などいない。彼女の殺戮は非難されるべきもの。

しかし、それは彼女には関係ない。

「私はやり遂げなくちゃいけない。私が世界を好きになるには、そうするしかないの」

 最後のクレイドルが、救いを求めることもできないこの空で、自らの高度を下げていた。増援と合流するためか、あるいは墜落を演じて見逃されようという算段か。どちらともかもしれないし、どちらでもいい。アデーレにとっては、破壊する対象であることに変わりはないのだから。

「そうか。お前はそこまで考えていたんだな」

 セレンの暗い声が、アデーレの鼓膜を揺さぶる。彼女がアデーレの行動を褒めることができないのはよくわかっていた。それでいい。たとえ褒められなくても、彼女が理解してくれていればそれで。

「セレンさん、心配しないで。私はちゃんと――――」

「――――残念だ」

 ――――え?

 アデーレは自分でも自然と、その疑問符を口に出していた。

「……お前とは、もう一緒にやれんよ」

「…セレン、さん……?」

 セレンの言葉がアデーレの頭の中を駆け巡って、どこにもひっかからずに抜けていく。レーダー上の光点はその向きを翻すと、交信範囲外へと動いていく。

「……待って、待ってよ、セレン!」

 アデーレはクレイドルの人々を踏みにじりながら、振り返る。低高度を飛行するヘリに追いつくのは可能だ。OBですっ飛ばせばすぐに捉えられるだろう。

 だが、彼女の足は動かなかった。

「一億」

 呆然とするアデーレを無視して、最後のエンジンをオールドキングが破壊する。翼をもがれたクレイドルはその推力を失い、悲鳴と恐怖をまき散らしながら海面へと落ちていく。

「終ったか。まだまだ腐るほどいるがな。面倒だが、先は長いぜ、相棒」

 弾薬をほとんど使いきったのか、軽快な動きでオールドキングがアデーレのもとへと寄ってくる。ノーマルの反撃を受けてすすけたその機体とは相反して、アデーレのピリオドはほとんど傷がついてない。

「残りのクレイドルは二十ユニット。総計で百基程度か。面倒だな。あとはお前次第だが――」

「セレンさん、どうして……」

 オールドキングの展望を無視して、アデーレは茫然と呟く。彼は空にたなびく黒煙を見つめながら、セレンが去った方向を見た。

「無駄だ。あの女はこういうのが嫌いなのさ。お前だって分かっていたんだろう?」

「でも、セレンさんは、最後には分かってくれるって、きっと理解して一緒にいてくれるって、そう、思ってた」

 少女の弱さ、という言葉が一番適しているのだろう。アデーレは寂しそうにつぶやく。

「…お前が革命を成し遂げればこれが正解だと理解ってくれるさ」

 無論そんなわけがない、とオールドキングは確信していた。リンクスは飼い猫であって、放し飼いにされているからと言って家人に牙を剥いていいわけではない。ましてや相手はゆりかごの中の赤ん坊たちだ。何も知らない、知れない、無垢で邪悪な人々。

それをただ殺すことは、国家解体戦争からの企業間戦争を受け止めながら過ごしてきた彼らには、難しいことだろう。

 オリジナルのリンクス、ね――。

 自分のかつての友を思い出したオールドキングは、小さく鼻を鳴らした。

「どうにだってなるさ。お前が正しいんだからな。あの女だって、今は動揺しているだけだ。英雄となる獣の誕生にな」

 笑ってごまかす。オールドキングは彼女の心の基盤がそこにあることを既に察していた。だから彼女を、彼女のままで保とうとした。

「……オールドキング」

「あぁ、なんだ?」

「――それ、ほんと?」

 だが冗談交じりに提案した彼の目には、振り向くアリーヤタイプの頭部に、顔の見えないはずの少女のひどく不気味で悲壮な顔が映った気がした。

 

 

 

 コロニー・アナトリア。その昔プロトタイプネクストの投入によって深刻な汚染が発生し、住人の四割が死亡したとされる重大汚染警戒区域にその基地はあった。

 リリアナ。その野蛮な姿勢からクレイドルの体制に反対するラインアークすら追われた過激派集団。その基地だった。

「企業は汚染区域なんかには興味ないからか……」

 質素なコロニーの格納庫を見まわしながらアデーレは呟く。空から見たコロニーにはほとんど建造物が見られなかった。数年前まではいろいろと建物があったようだが、最後まで残った研究者の一人が死亡し、リリアナが占拠するころにはほとんど建物は老朽化が進んでいたという。それでも地下にある格納庫は無事だった。ここのネクストはリンクス戦争後から一機もいなかったはずだが、誰か傭兵リンクスでも雇用するつもりだったのか、いつでも使用できるように整備されていたという。

「使えるものは利用する。整備機能は三機まで増設したからな。整備に問題ないはないはずだ。どうだ?」

「いえ、大丈夫ですけど…」

 隣のデッキから降りてきたオールドキングに救いの視線を向ける。ピリオドから降りたアデーレの周囲には人の集まりができていた。好奇の目にさらされ慣れていないアデーレはその視線を地面に落とす。

「で、これが新しい俺の仲間だ。アデーレ、こいつらの顔は覚える必要はねぇぜ。お前、人の顔覚えるの苦手だろ」

「そうですけど…。いいんですか?」

「別に気にしにゃしねぇよ。聞いてみろ」

 アデーレが整備員の顔をうかがう。リリアナのメンバーが頷く。当惑する彼女を置いておいて男性整備員たちが盛り上がった。

「おいオールドキング、どこからこんな別嬪さん引っ張ってきたんだよ!」

「小さくてかわいいなぁ!」

「どうだい嬢ちゃん、このあと俺と一杯飲まないかい?」

 手を差し伸べてくる壮年の男性の頭を後ろから他の整備員がはたいた。

「いえ、私はあの」

「まだ未成年だぞテメェら。仕事に戻りな。勝手に手を出すんじゃねぇぞ。俺は少し寝る」

 ため息をつきながら格納庫を出ようとするオールドキングの後をアデーレはついていく。話し相手が彼以外にいないというのもあったが何よりリリアナのメンバーたちから向けられる目線が嫌だった。

 ――ああいう視線は、好きじゃない。

「気分を悪くしたらすまねぇな。ああ見ても根はいい奴らだ。作業の腕も確かだしな。国家解体戦争時から従軍してたやつもいるからアリーヤタイプでも問題なく修理できる」

「それは、分かってますけど…」

 アデーレは通路を見渡す。いつも見かけるような、企業管轄下のコロニーとは少し趣が違う。GAのものに設計や設備は似ているようだが、ところどころに小銃や消火器などの設備が置いてあるかと思えば、子供が描いたらしき落書きまである。

 セレンはアデーレの性格を汲んで企業に彼女を連れていくことはなく、彼女を男性としてカラードに登録していたが、コロニーにだけは社会勉強の一環という名目で連れて行っていた。

「……セレンさんは、どうしたんだろう」

「は、まだ巣立ちできないか。それだけ強力なネクストと、狂気にも近い戦闘適性を備えておいてか。カラードの連中が聞いたら卒倒しそうな話だな」

「私は、セレンさんだけがいればよかった。テルミドール団長の志も、オールドキングのやり方も共感するし、協力しようって思える。でも私にはやっぱりセレンさんが必要なんだって、そう思える」

「だから、お前が正しいって理解させるためにも、この革命を成し遂げなきゃならんのだろう。血を伴わない革命など、本質的に不可能だ。お前だって元は地上のコロニーから買われたんだろう?ならこの階差構造を破壊しなけりゃいけないことぐらい、理解できてるんじゃないのか」

 オールドキングがまじめな顔でアデーレを睨む。その目には獣のような狂気とは別に、生きるためにという強い意志が込められている。

「…そう、だよね。大丈夫、私ならできる」

 アデーレはうなずきながらも自分の頭から離れない恩人のシルエットに息を漏らした。オールドキングはアデーレに彼女の使用する部屋を指し示すと、一人で別の部屋へと向かった。おいていかれたアデーレは部屋のベッドに小さくうずくまると、目頭を押さえる。

 ――セレンさん。いや、セレン・ヘイズ。セレン。

 私は貴女に私の正しさを証明するよ。私のやり方でもって、私が努力しているということを見せつける。

 だからその時にはちゃんと、認めてほしいな。

 

 

 

 夜中。自室で月を見ながら読書をしていたオールドキングのもとに一人の老人がやってきた。午後の格納庫でアデーレをとりまく一団から少し距離をとっていた彼は、このリリアナの整備を指揮している整備長だった。

「なんだおっさん、リザの整備でも終ったか」

「オールドキング、まさかこの時期に後継者を連れてくるとはな。それにあんな小さな娘を。正直驚いたが、求心のためのマスコットという訳ではないんだろうな」

 質問に答えることなくオールドキングへ向けられたその視線に、不満や悪意はない。ただ疑問を抱えているだけだった。

「無論だ。ヤツは俺以上にヤバい女だぜ」

 それをオールドキングは明確に否定する。彼はグループ内の疑問や不安を取り除くことには配意していた。強力なリーダーシップと、不安要素の除去。それがクレイドルの破壊をもくろむなどという危険思想の人々を集めた組織、リリアナをここまで瓦解させることなくやってきた秘訣だと彼は言える。

「あの小娘を純真無垢、なんて評価を下す連中は正気じゃねぇ。肉欲まき散らしてる整備員連中に徹底しておきな。アイツは嫌いなものはすべて排除する」

「あんな小さな身体でか?」

「サイズは関係ねぇ。化け物なんだよ、あれはな。アイツの元オペレーターはそれを理解して、抑えこもうとしていたようだったが」

 整備長は少しばかり首をひねってから、白髪だらけのその頭をかいて、オールドキングを見つめた。

「とりあえず、見込みはあるってことだな?」

「ああ。俺に何かあったときはヤツのサポートを全力でしろ。革命は、必ず成し遂げられるはずだ」

「お前が死ぬところなんか想像できんがな。まあ、そうか、邪魔して悪かったな。明日には整備は終わるよ。インテリオルから依頼が来ていた。よく読んでおきな」

 整備長が部屋を後にする。その後ろ姿を見送ってから、オールドキングは嫌味なくらいに明るい月を見上げた。

「アデーレ・ヘイズね」

 オールドキングは考える。彼女の狂気の源泉を。オールドキングや企業が見たのは、その湧き出た一部だろう。その奥底には、いったい何が沈んでいるのか。

 ――大義も世界の嫌悪も、実際アイツにはねぇ。そんなものとは比べ物にならないくらい、他者への愛で溢れていやがる。だがこの世界はその愛をゆがめて葬り去ってしまうくらいには、歪んでいたって訳だ。

 ならそれがどうしてあそこまで濁り切ったものとして晶出しているのか――。

 ふ、とらしくもないことを考えた自分自身をあざ笑うようにオールドキングは鼻を鳴らす。

 雲一つない夜空で輝く月が、澱んだ鏡に反射して虹色に見えた。

 

 

 

 クレイドル破壊から四時間後。空が暗くなりつつある北大西洋、その海上に浮かぶBFFの艦艇には、一機の輸送ヘリが着艦していた。ネクスト運搬用の特別仕様機だが、今はネクストを搭載していない。

 その持ち主は艦の重要区画にある、BFFの重役の書斎を訪れていた。ネクスト運用用の特別仕様とはいえ、戦闘艦には似合わない豪華な本棚を彼女が見上げていると、奥の机で書類にサインを書いていた老人が立ち上がった。

 彼は付添人に退出するように指示をすると、掛けていた老眼鏡を机上に置く。

「戦闘艦の中に社長席とは。さすがにリンクス戦争で反省したか」

「私は社長などではない。あくまで重役の一人だ。それに、今やクイーンズ・ランスは存在しない」

 王小龍。企業連の中では精密兵器の開発を得意とするBFF社、その重役であり、数少ないオリジナルの一人。実際には彼が企業を管理している頭脳であるので、社長という概念が廃止されているのは当然でもある。

 暗殺と策略を数度経験し、自らもリンクスであるその顔は白髪を伴ってなお厳しさを失っておらず、訪問者を厳しく見据える。

「セレン・ヘイズ――いや霞スミカ。今さらお前が私に何の用だ?お前のリンクスが何をしたか、分かっていないわけではあるまい。インテリオル・ユニオンは居住区を落とされて怒髪天を衝くような状態だぞ」

「分かっているさ。ただやはり子供のことなら、子育ての時に世話になった連中を頼るほうが気楽でな」

「リリウムと同じ育て方をしてあれが生まれるわけがないだろうに。まあいい、要件を言え」

 いくつか冗談を流してから、セレンは姿勢を正した。

「私を、カラードにつないでほしい」

「……何のために?」

「アデーレ・ヘイズと、彼女をそそのかした狂気のリンクスを殺害するためだ」

 セレンのその宣言に、王小龍の眉毛がピクリと持ち上がる。

「……なるほど、確かに私のところに来たのは正解だったかもしれんな。インテリオルと、あとはローゼンタールくらいか。彼女の脅威を認識しているのは。新参のリンクスや噂しか知らぬ企業連の者では、あの恐ろしさを理解はできまい。幼少から才があったとはいえ、あのリンクスはもはや首輪に繋いでおけるような状況ではない」

 長々と語る彼を見て、セレンは小さく笑う。自分が少女だった頃の彼の雄姿を思い出しながら小さくため息をついた。

「年を食ったな、王小龍。可能かどうかを聞いているんだよ、私は」

「…不可能ではない、と答えておこう。ウィン・D・ファンションを初めとして危機感と苛立ちを募らせている者はカラードにもいる。が、未だこちらはこちらでORCAとの戦闘を続けているのでな。戦局こそ企業連に傾いているが、たかが一匹の獣に割ける戦力はそうないと思え」

「あぁ、それでいいさ」

「――――しかしお前は、あの娘を殺せるのか?」

 王小龍はそれが本題だというようにセレンの目を睨んだ。それは彼なりによく理解していることだった。

 彼にとってリリウム・ウォルコットというのは孫娘でありこそすれ、駒である。無論愛情は注いできたし、今もおざなりにはしていない。だがBFF内の求心力を高めるためのマスコットとしても扱うし、戦場に送ることには何の抵抗もない。死んでしまえば、次の戦力を探すだけだ。

 だがそれは人の情ではない。その昔、同輩であり特別な存在として扱っていたメアリー・シェリーを失った自分だからできることだ。あの時点で王小龍はリンクスを大事な存在として扱うことをやめた。

「カラードに男性として登録するような徹底ぶりで、普通の人生を選べるようにまでしたお前が、土壇場で刃を引っ込めるようなこともないとは言えん。それでも、殺せると言うか?」

「……あぁ、殺すさ。弟子の過ちは師が償うものだ。もし彼女が私を殺すなら、それはそれで師としても鼻が高い」

 セレンは自身のネクタイを掴み、握りしめながらつぶやいた。その小声が、彼女の決意の大きさを示していると王小龍は感じる。

 元より彼女は、優しい人間なのだ。たまたま適性があり、インテリオルの社員である父親が喜ぶというだけで初期の劣悪なネクストを受け入れてしまうほどに。

「……あの馬鹿は、私のためだと言ったんだ。私と同じ世界を見たいとな。子供らしい願いだ。企業の老人どもには分からんだろう。だがそれの何が悪い?あいつはまだ子供なんだ。それで道を誤ったのなら、私が命を懸けることに何の躊躇いがある?」

「お前こそ年を食ったんじゃないか、霞スミカ。そこまで情に影響されるとはな。あの頃の鋭利な天才少女の面影はどこへ行ったものか。……怪物を葬ったのちに死ぬんじゃないぞ」

「は、それは私が決めるさ。成長期にコジマ粒子とともにあった身体だ。どうせ長生きはできん」

「……では、カラードのほうに掛け合ってみるとしよう。機体は整備しておくから船内で適当に休んで――」

 王小龍が手を伸ばした先の電話が突如として鳴りだした。緊急事態と個人的な要件以外は決して鳴ることのないその電話に、王小龍は訝しみながらも応える。

「来客が来ている。手短に済ま――――――それは本当か。どうやって生き延びていた、――いやそんな事はどうでもいい。あぁ、お茶会に出るように伝えろ。すぐに開こうと思う」

 珍しい彼の慌てぶりにセレンは覗くように首を傾げる。王小龍は電話を置くと、視線を机の上へと向けた。

「どうした?」

「――死人が水揚げされたようだ」

 

 

 

 アルテリア・カーパルス。アデーレが破壊したのちにORCA旅団の工兵部隊が来る手筈だったその場所は、静かなままだった。アデーレがノブリス・オブリージュを打ち破った時から、何も変化はない。船着き場や通路を見ても企業が修復した様子もないし、遠く映るローゼンタール管轄下のコロニーに作業車両があるようにも見えない。

 青い海だけが静かに波打ち、白波がしぶきを上げる。夕暮れに照らされた白い巨壁はしかし最初に見た時よりも薄汚れて、企業の荒れた現状を表しているようだった。

 外周を一巡して残党がいないことを確認したアデーレは南側からオールドキングが近づいてくるのを見つける。彼は減速しつつ着水すると、首でアデーレに内部へ侵入するように促す。

「よう、首輪つき。調子はどうだ?」

「いつも通りですよ。敵はいないようですけど。オールドキング、この依頼」

「――あぁ、明らかに罠だろうな。AFか、下手したらリンクスが出てくるだろう」

 オールドキングが唾を吐くようにそう言った。

「ローゼンタールのリンクスは二機とも破壊したんだったか?」

「天使みたいなほうはコクピットを潰したから、多分死んでると思う。増援の方はバラバラにして海中に捨てたから、絶対死んでる」

「なるほど、最悪の状況だな」

 アデーレの返答にオールドキングが苦笑した。彼女も彼が何を言いたいのかはよく分かっていた。

 ローゼンタールはその二機以外に有力なリンクスも、AFも保持していない。つまり現状最も危険な自分たちにあてがわれるのは他企業のリンクスであり、それはつまり、企業が自分たちの縄張りを譲ってまで事態に対処するつもりだということなのだ。

「元々ローゼンタールに所属していたのがオーメルだ。だが俺たちに依頼してきたのはインテリオル。つまりこれはオーメルとインテリオルっつー二大企業の協力戦ってことだ。飛行型AFが山ほど来るかもな」

「別にその程度ならいいけど、もし来たらどうするの?」

「撤退、か。あそこのコロニーを巻き込むのもいいかもしれねぇな」

 オールドキングが笑いながら遠くに見えるコロニーを指さした。中規模程度の都市なのだろうか。高層建築物が見えるそれは、確かに常識で考えれば人質としては機能する。

「けど意味ないと思う。企業にとってコロニーの人々は数でしかないですから。それで私たちを獲れるなら躊躇すらしないでしょうね」

「だな」

 アデーレの予想をオールドキングは否定しない。企業という存在の非情さは、リンクス戦争の二人の英雄の末路を知っている彼にとっては、アデーレよりもよく知っている事柄だからだ。

 企業間戦争の引き金として利用され、終結させるために奮闘した結果、企業からその存在を疎まれた英雄。親友を手にかけた彼は、アデーレとともにラインアークを守るために散ったという。

後ほど救命に成功したという情報がラインアークから流れていたが、オールドキングは信じていない。死んでいるはずだ。

「死んでなきゃ困るよな、サーダナ」

「なに?昔話?」

「別に、関係ねぇ――――」

「――――偽りの依頼、失礼しました」

 突如通信に割って入った声に、アデーレとオールドキングの視線が前方へ向けられる。アデーレは減速しながら北方の空を睨みつけた。白い壁。その向こうから何かの気配を感じた。

 ――間違えるはずもないその気配は、ネクストのものだ。ただしその圧は常時の比ではない。アデーレは思わず側腕部のブレードにENを流し込み、臨戦態勢をとる。

「あなた方にはここで果てていただきます。理由はお分かりですね」

「王小龍の教育の賜物か、リリウム嬢は優しいな。どうせ確信犯なんだろう?話しても仕方がない」

 アデーレはレーダーに視線を飛ばして、思わず口の端がゆがんだ。ネクスト反応を示す光点がいくつも表示されている。故障ではないということは彼女がよく理解している。

「レーダーに反応。敵ネクスト、――五機。すごい、VOBまで持ってきて。本当に、私たちを殺しに来てるよ」

 身体がヒヤリと冷たくなる。分かっている。恐怖ではない。自分の身体が敵対者を亡き者にせんとするため、準備をしているのだ。

 視界がクリアになる。耳に聞こえる波の音が小さくなり、機体の動作音が抽出されて耳に届く。

「所詮は獣だ、人の言葉も解さんだろう」

「あれ、この声……なんでだろ」

 ――獣。そう告げた声は死人のものだった。それも自分が殺したはず。確かに海中へと没したはずの。

 一瞬困惑するアデーレだが、自分が人間扱いされていないと随分気が楽になった様な気がして、微笑みを浮かべた。

「まあいいか。もう一回殺せばいいだけだし。今度はちゃんと破壊してあげる」

 レーダー上での光点が接近してくる。アデーレが上昇してカーパルスの壁上に立ち、目を凝らすと、奥に黒点が小さく浮かび上がる。

「リンクスとしての矜持すら忘れた貴様らに、革命など過ぎた代物だろう。狂気だけを原動力とする革命など、何の価値もない」

「説明してやる必要はないさ、オッツダルヴァ。奴らに理解など必要ない。ゆりかごを荒らすような野良猫は、ここで駆除するだけだ」

「……選んで殺すのが、そんなに上等かね?」

 オールドキングが苛立ちを伴った声で問う。

「殺しすぎる…お前らは」

 それに応じたのは気の強そうな女性の声だ。その間には決して埋まることのないリンクスという存在の捉え方があった。

 オールドキングはその返答が面白いものではなかったのか、あざけるように鼻を一度鳴らす。VOBの加速力では減速できないことを判断したのか、後方から仕掛けるために壁面へと背中を寄せた。

 アデーレはオールドキングが配置についたのを確認して目を凝らす。最後の一機を確認してから降下。迎撃態勢をどう取るかの計画を立てようとする。

「あと一機…」

 もう見えるくらいに近かった。VOBを分離しながら最後の加速をかけるその姿を見て、――アデーレは小さく嗚咽を漏らした。

「…………セレン」

「私の蒔いた種だ…刈らせてもらうぞ…!」

 その声。その機体。すべてが自分の知っている師匠の姿だった。アデーレを育てるにあたって彼女が幾度となくシミュレーターで使用していたネクスト。

 なんてことだ。セレンが、自らの師が殺しに来るなんて。

 ――――最高すぎて、失神してしまいそう。

「種、か。そうだね、セレン」

 アデーレはよく理解していた。彼女の言葉も、そこに込められた意味や意思も。

 ――セレンの蒔いた種。それは私の狂気。それを刈り取るというのなら、私にできることはおとなしく死んであげることだろう。

「だけど」

 だけど、それは出来ない。多分、これは思いこみかも知れないけど、彼女も私に、そんなことは望んでいないだろう。

――何より師を超えてこその弟子だ。

「来るぞ!」

 オールドキングが叫んだ。その声に合わせてアデーレは壁を降りて、水上に立つ。背部武装の残弾とレーダーが表示される視界に、敵リンクスの名前が追加される。

 オッツダルヴァ。機体はステイシス。カラードランク1。

 リリウム・ウォルコット。アンビエント。ランク2。

 ウィン・D・ファンション。レイテル・パラッシュ。ランク3。

 ローディー。フィードバック。ランク4。

 セレン・ヘイズ。シリエジオ。

 その所属企業はオーメル・サイエンス、BFF、インテリオル・ユニオン、GA。三大有力企業のトップランカーが集結していた。

「動きの速い逆関節は私とBFFのお嬢様でやる。ウィン、そちらは任せたぞ」

「無論だ。お前こそ、取りこぼすなよ」

「この男には慣れているからな。問題ないさ」

 敵が二つに分散した。予想とは反してオッツダルヴァとリリウムはVOBを切り離した後、間髪入れずに機体を旋回させる。中のリンクスがどうなっているのかは分からないが、少なくともオールドキングの奇襲は避けた形になった。

「お互いに的をひきつけるように動く。君は君のやり方で動きたまえ。私がサポートしよう」

「了解。アンビエント、作戦を開始します」

「どうにかしてみやがれ、企業の犬どもが!」

 戦闘が始まった。オールドキングの三次元機動は上位ランカーと比較しても遜色ない。アデーレはひとまず意識を自らの敵へと戻した。

 さすがは熟練揃いというだけあって分散の動きは綺麗だった。アデーレへと向かってきた三機は、重量機であるフィードバックを盾にインテリオルの二機が接近しているため動きの鈍い機体から狩るにも、リスクを取らねばならない。

「何故こんなことになったかわからないか?だが、当然の報いだ。貴様らはORCAの名を貶めた」

 回線で送られたその声に、静めていたアデーレの心拍が上がった。ORCA。死んだはずの亡霊。革命の妨害。

 ――ああ、そういうことか。

 自分にケーキを差し出してくれた青年の顔を浮かべて、目の前に現れた亡霊へと目を移す。

 団長もそうやって、私を裏切るんだ。

「よかった。こっち側に来れて」

 アデーレはブレードにENを回す。薄紫の光を帯びるそれを数度小刻みに振って、アデーレは小さく息を吸った。

 ――おかげで、こんなにも楽しいんだから。

 放たれたプラズマ弾を軽やかに回避して、アデーレは一度距離をとる。カーパルス内を反時計回りに周回する軌道で、追ってくる三機に囲まれないように後ろ向きに飛行する。多対一は何度か経験しているが、さすがにこの人数を同時に相手にしたことはないし、相手は精鋭だ。用心しすぎることはない。

 ――あぁ、最高だ。これほどまでに思考したことが、自分の人生にあっただろうか。ジェラルド・ジェンドリン。その貴族の務めを掲げた彼ですらアデーレを満たすほどの相手ではなかった。

「ローディー、ウィン。ヤツのブレードは極めて威力が高い。油断するな。私がオペレートしていた限りだが、実弾、ENのどちらに装甲が特化していようとも斬り溶かされるぞ。近距離戦には持ち込まれるな」

 あぁセレン。なんでそうやって私に意地悪するの?楽しくなっちゃうよ。

 いや、違うのか。もっと、もっとハードにしてくれているんだ。

 本当に、厳しいなぁ。

「背部武装はENキャノンにスラッグガンか。本当に張り付くことしか考えていないんだな」

 ウィン・Dが壁面を這うように移動するアデーレの行き先に回り込むように迂回する。アデーレは左肩を下げながら下方に減速することでその射程から外れようとするが、青白く光るレイテル・パラッシュの背部武装を見て即座に足で壁を蹴り、カーパルスの内側へと移動方向を変えた。

 直後、巨大な双発レーザーキャノンから放たれた熱線が壁面を照らし、その表面を蒸発させた。

 応戦しようと旋回したアデーレの腕にウィン・Dがブレードを叩きつける。

「っつ……!」

 EN節約重視のインテリオルのブレードが、しかしレイテル・パラッシュの加速によってその重さを増し、アデーレの身体が後方へと弾き飛ばされる。

「…まあ、これくらいは予想できて――――」

「だろうな」

 弾き飛ばされた勢いを利用しようとバックブースターを展開したアデーレの機動を、右側から飛んできたミサイルが無理やり止めた。衝撃力重視のその一撃に、思わず機体が硬直する。

「なっ……」

 視線をそちらへ移すと、削がれたPAの隙間から武器一体型となっている腕部の砲口が煌めいているのがアデーレの目に入った。

「終わりだよ、お嬢ちゃん」

 咄嗟に衝撃を残したままの左足を軸に左胸部のバックブースターだけで旋回する。歯を噛みしめながら息をする彼女の横を、バズーカ弾と巨大な光線がすり抜けていく。

「……っ」

「衝撃ミサイル受けながら、なお動くとは…、霞、これは思った以上に面倒だな」

「噂通り、ということだな」

「あぁ、私の弟子だからな。いくらお前たちでも、一筋縄ではいかんさ」

 三機がまた陣形を組みなおす。回避機動の勢いを殺せず接地したアデーレを追うように、三人のリンクスが銃口を向ける。

「まあ、どうでもいい。貴様が殺した無辜の民のため、できるだけ苦しんでから死ぬようにしてやる。手向けにもならんがな」

「なんとも惜しいな…若すぎる」

言葉とともに放たれた弾丸が、地面をえぐり取った。

 

 

 

「あちらはずいぶんと苦労しているようだが、気分はどうだ?オールドキング」

「…………ちっ」

 放たれるレーザーライフルがPAを貫通する音を聞きながら、オールドキングは機体を旋回させる。その背中にオッツダルヴァのものとは違う一撃が突き刺さり、彼は腰にスタンガンを押し当てられたような痺れを感じた。

「直撃弾です。PA貫通」

 オールドキングは逃げるように上昇する。レーダーの光点を頼りに敵の射界の隙間を探しつつ後ろについていたアンビエントに照準を合わせるが、横切ったステイシスにFCSがかき乱される。

「クソが!」

「貴様の動きは単調だな。もとより空戦での三次元機動を得意としたコンセプト。挟み撃ちにされ制限のかかった戦場では、大した脅威ではない」

「…ORCA旅団の団長様が、まさかカラードでエリートごっことはな。ふざけてやがる」

「クローズ・プランはまだ続いている。異端者が後先を考えずクレイドルを破壊したことによって、もはや先の見えないものになったがな」

 オッツダルヴァの声は静かなものだった。テルミドールの言葉から熱が消え去ったようなその冷たさに、オールドキングは驚愕にも似た苛立ちを募らせた。

「てめえは、それでいいのか?」

「身体を脅かしつつある病原体よりも目の前の殺人鬼を排除することの方がよほど重要だろう。数十年先か、また人類を憂える者が立ち上がるさ」

「その前に人類は死に絶えるぜ」

「その進行を緩慢にするための、クレイドルだ」

「なんだと?」

 疑問を呈したオールドキングに、さらに二本のビームが叩き込まれた。上盤の装甲が完全に蒸発し、フレームにまで熱による変形が生じた。メインブースターが搭載されている背部はネクストの中では比較的装甲が薄い。被弾による出力の低下が、オールドキングにさらなる被弾を浴びせかけた。AMSによって伝達された刺激を痛みとして彼は知覚する。

 もう長くはもたない。それを理解するには十分だった。

「人類は宇宙へと上がらなければならない。貴様らの無法はその危機感を抱く一助にはなっただろう。それだけは認めてやる。だが、それだけだ」

 オッツダルヴァの一撃が、オールドキングのメインブースターを貫通した。揚力を失った鋼鉄の機体がきりもみ状になって落下する。整波装置が破壊されたことによってとめどなく漏れ出すコジマ粒子のベールから、オールドキングはふと彼のパートナーを見た。

 答えを見つけた結果、致命的な過ちを犯した少女。苦戦しているように見える。三人の精鋭に囲まれているのだから当然だ。常人なら攻撃を躱すことすらままならないだろう。

 自分に惹かれてきただけの少女に、世界がその牙をむく。ただ純粋に夢を見ただけの少女を、現実が叩き起こす。

「すまねえな、相棒」

 その言葉に遠くの少女が振り向いたような気がした。かっこ悪いところを見せている、とは分かっている。先輩風を吹かしただけで一機も落とせずに死ぬ。実に哀れだ。

「このあたりが俺の器らしい。よかったぜ、お前とは」

 今もこうして、後輩にすべてを託して死を待つことしかできない。落ちていくオールドキングにリリウムが接近する。そのレーザーライフルの銃口を向けた。

 まばゆい光に包まれて、彼は眠りにつくような心地になった。

「――――うん、おやすみ」

 その声が、彼の意識を妨害した。少女のささやくような甘い声。その少女が今の状況で出せるはずもない、その悲鳴。

 ――あぁ、まだだ。まだ死ねねぇ。カッコいいところの一つも見せることなく、男の子が死ねるか?

 最後まで牙を立てないんじゃ、獣にすらなれやしない。そうだ。俺は獣なのだから――。

「リィザアァァァアッ!」

 叫ぶ。破壊されたメインブースターの代わりにすべてのブースターに点火して、今まさに引き金を引こうとしていたアンビエントの銃身を掴んで手繰り寄せる。

「なっ」

「…殺してるんだ、殺されもするさ」

 白い少女への手向けか、自戒の言葉かはわからない。銃口を自身の胸に突き付けた彼は、無理やりAA――アサルトアーマーを起動した。整波装置が破壊されている今、まともな調整はできない。ましてや周囲はメインジェネレーターから漏れ出したコジマ粒子が高濃度に散布されている状況だ。確実に自機も衝撃に巻き込まれるだろう。

 だがそれでいい。それでよかった。

 緑色の光が巨大な光球となって、二人を包んだ。

 

 

 

「オールドキング……」

 落ちていく二つの鉄の塊。緑色のカーテンの向こうで二機のリンクスが散ったことを、アデーレは直感的に理解する。自分をここまで導いたパートナーは、敵ネクストを一機道連れにして、その命を散らしたようだった。

「ちょっと、早いよ」

 呟いたアデーレは空中で後方に一回転するとハイレーザーを回避した。ジェネレーターから瞬間的に許容量以上のエネルギーをブレードに回して刀身を伸ばすことで、飛来するミサイルの弾頭を焼きつぶす。さらに散弾のようにまき散らされるプラズマライフルを最小限の機動でかわすと、一度地面に足をつけた。

 仕切り直しだと理解したのか、上方の三機は一度距離をとり、そこにオッツダルヴァが加わる。

「ふん、異端者の方は死んだか。オッツダルヴァ、お前は無事だろうな」

 ウィン・Dが首だけでオッツダルヴァの方を向くと、彼は空になった右腕の突撃ライフルをパージしながら、馬鹿にするな、といった風に短く笑った。

「制御下にない状態でのコジマ爆発だからな。さすがに無傷とは言えんが、はぐれた獣一匹をしとめるのには何の支障もないさ」

「また沈むかと思ったぞ坊や。王小龍の愛娘の方はどうだ?」

「死んだかどうかはともかく戦闘不能だ。考慮しても仕方ない」

 オッツダルヴァは振り向いて地面に落ちたアンビエントの姿を見てから、すでに水底へと沈んだリザの方へと視線を移す。その視線に含まれているのは、同情か軽蔑か。

「気をつけろよ、オッツダルヴァ。たとえ四対一だろうが、私の弟子には関係ないぞ」

「ふん、この場で最も足手まといなのは貴様だと思うがな。心配されるまでもなく裏切り者は私が殺す」

「――裏切り者は貴方でしょ」

 怒気を含んだ口調でそう言ったアデーレにオッツダルヴァは小さく鼻を鳴らす。それに関して何も言うことはない、とでも言いたいかのようだ。

「貴方がORCA旅団の団長であること。そしてそれをこの場にいるリンクスたちが黙認していること。それ自体は驚かない。だけど貴方が団員たちの志を放り出し、企業連と手を組んでいることだけは、私は認められない」

「そうしなければならない現状を生んだ女が、随分と言うな。貴様がこれほどの才覚を持っていると知っていれば私たちの悲願はとっくに成就していただろうに。裏切り者は貴様の方だろうが」

 AAの反応に吸収されていたコジマ粒子が集まり、ステイシスのPAを再形成する。

「じゃあ、もう諦めたの?」

「…やがて同じ志を持った同志が現れる。その時を待つだけだ」

「……そっか」

 四機のリンクスたちが動き出したのを見て、アデーレも機体各部のブースターを展開する。彼女は自身のオペレーターにも見せたことのない虎の子のことを考えながら、機体を宙に浮かべた。

「――――じゃあ、貴方はもう団長じゃないわけだ」

 パッ、と緑色の光が収縮して爆発した。それがAAだと気づいたころにはネクストのPAは対消滅し、衝撃が彼らの機体を襲った。

「なっ」

 視界が光に包まれたランカーたちはすぐにFCSを確認して、その閃光を放った獣の位置を探り出す。金属粒子がその反応をかく乱する中、アデーレは目をつけていた一機へと飛び掛かる。

「まずは、一機!」

 目の前に現れた黒い獣に、咄嗟にローディーは一歩後ずさる。

「逃がさない」

「ぬうっ!」

 拡散バズーカを発射したローディーは、すぐに手ごたえがないことを理解する。それどころか彼の両腕はブレードによって真ん中から切り裂かれて、引火した弾薬が肩から彼の腕を吹き飛ばした。

「……っぐあぁあ!」

 彼は自分が粗製であることに、この時だけは感謝した。他のリンクスであれば、間違いなく押し寄せる痛覚情報で失神している。

「武装を潰されたか…。フィードバック、撤た――」

「――だめだよ、ここで死ぬんだから」

 少女の声と同時にあばら骨がへし折れるような衝撃が彼を襲った。カメラがやっと状況を映し出すと、そこには銃口から白煙を吐き出すスラッグガンが映っていた。それだけではない。左肩のプラズマキャノンが展開されると、鋭い一撃をさらに彼へと叩き込んだ。

 息ができなくなるほどの衝撃と鋭い痛みを知覚するフィードバックの視界を覆うように、ピリオドの頭部が迫った。

 その姿に思わずローディーの口が開いた。

「化け物め……」

「じゃあね、おじさん」

 肩部武装を引っ込めるよりも早く構えなおされたブレードがローディーの胸を貫いた。重厚な実弾装甲を設けたGA機ですら膨大な熱量には耐えきれず、熱によって膨張した孔の縁が小さくはじける。

 搭乗者を焼き切られた機体はそれ以上の動きを示すこともなく、頭部のカメラの光を消した。

「さて、と」

 アデーレは両腕を機体にうずめたままブースターをふかしてフィードバックの背部へと回り込むと、背後からのレーザーライフルの盾にする。厚い装甲の上でライフルが熱反応を起こしている音を一通り聞くと、腕を引き抜いて鉄塊となり果てた機体を放り捨てる。

「あはは。だめだよ、お仲間さんでしょ?」

 ハイレーザーを撃ち込んだウィン・Dはその煽りに大きく舌打ちを返す。それを見かねたのか庇うように前に出てきたオッツダルヴァとセレンがそれぞれの武器を構えて牽制する。

「ウィン、冷静になれ。戦闘時のこいつを常識でとらえるな。こいつこそが、山猫だ」

「ふん、所詮は動きの悪いGA機だ。愚鈍なものが死ぬ。いつもの戦場と変わらん。貴様も、そう感じているだろう?」

 アデーレはその問いに心底興味なさそうに空を仰ぐと、腕をフィードバックの胸部に引っ掛けるために切断していたエネルギーの供給を再度開始する。

「知らないですよ、亡霊。貴方は私の中では二度死んでいるんですから。話を聞く意味も、意義も見当たらないです」

「調子づくなよ野良猫。ORCAのテルミドールはすでに死んだ。ここにいるのはオッツダルヴァだ」

「どっちも変わりませんよ。貴方は貴方じゃないですか」

「まさかラインアークの一戦、貴様が沈めたなどとは思っていないだろうな。あれは私が私の目的のために自沈しただけにすぎん」

「はあ、そうですか」

 アデーレは適当に返答すると、回復したPAの潮流を目で追いながら、薄く笑った。

「じゃあこれで一回目ですね」

 前方に強く蒸かしたアデーレは放たれたレーザーライフルを見切ると、機体にロールをかけることで回避する。胸のあたりにほんのりと熱を感じながらブレードを振ると、オッツダルヴァはバックブースターを全開にして点火することでそれを回避した。

「オッツダルヴァ、分かっているな!そいつのブレードをマトモに受けるなよ!」

「黙ってそこで見ていろ、私は私でやる!ウィン、さっさと手伝え!」

「…あぁ、すまない。加勢する」

 唐突に身体を逸らしたオッツダルヴァの動きに、咄嗟にバックブースターを蒸かしてアデーレは上方へと飛びのく。巨大なエネルギーの塊が自分の突っ込んだ道のりを上書きするように通っていく。

「やはりレーザー系はほとんど当たらんな…私がブレードで切り込もう。オッツダルヴァ、お前は隙を見て一撃でいいから突き刺せ」

「いいだろう。深追いはするなよ、ウィン」

 即座に姿勢を戻したアデーレにウィン・Dが真正面からぶつかる。エネルギー出力で押し負けることを理解してのことだろう、振り切った左腕を流しながら右腕でプラズマライフルをばら撒いた彼女はそれ以上の追撃をすることなく後退する。

 アデーレは打ち込みを受けた状態から姿勢を戻しながら、オッツダルヴァの位置を確認する。位置の把握と同時に視界内で灯った光が何かを瞬時に理解して機体を宙返りさせると、直線となった熱エネルギーがPAを貫通するのを感じた。

「腕が落ちたか、オッツダルヴァ。今の距離を外すとは」

「もう少しとどめておけ。確実に当てる」

 視界の外へと姿を消すオッツダルヴァから視線を外すと、アデーレはレーダーを確認して、動かないままのセレンを見つめる。見ていろと言われたから見ている、というようなタマには思えずアデーレは少しだけ意図を推量するが、二機のリンクスによる猛攻がそれを中断させる。

「首輪つき、言いえて妙だな。その首輪から外されてなおその名で呼ばれるとは」

「…私は別にその名前、好きじゃないんですけどね。私はアデーレ・ヘイズ。それ以外の何物でもないですから」

 オッツダルヴァを牽制しつつウィン・Dの攻撃を流したアデーレは、自分に殺気を隠そうともしない彼女を見つめ返す。

「何と呼ばれようとも、そこは変わりませんよ。首輪がついているか、野生に戻ったのか。人間か、はたまた別のナニカなのか。そんなことは私には関係ありません」

「ふん、貴様は何者になる必要もないだろう。一度得た革命への志すら放棄し、殺戮者へとなり果てた貴様には、人の名ですら不要だ」

 オッツダルヴァはアデーレを揶揄する。それは単純な煽りなどではなく、彼にも彼で矜持があるからだ。

 人類を空へと上げなければならない。リンクス戦争初期からある企業によって掲げられたその悲願は、今もなおその宗主となった企業によって静かに引き継がれ、その代表となった一人の男が、自らのアイデンティティすら捧げて成就させようとした。

 それをごく個人的な理由のためにご破算にされた以上、そのために生み出された『オッツダルヴァ』というカラードのトップは、アデーレ・ヘイズという存在を全否定しなければならなかった。

「人類はあとどれ程持つかわからん。貴様の行いはいたずらにその寿命を縮めただけに過ぎない。原初の獣と成り果てた貴様に、名前などあってたまるものか」

 そう、そのために自分は存在している。マクシミリアン・テルミドールという人格を一つの身体に内包してまで、すべてを与えられた希望として、衛星軌道掃射砲の発射を、ただ待ち続けたのだ。

「貴様の存在だけは、認めるわけにはいかんのだ…!」

「…私はアデーレ・ヘイズ。そこを否定することだけは認めません。貴方がいくら名前を、そしてそれに伴う人間性を複数持つからと言って、その感性を他人に押し付けることだけは、決して許されることではありません」

「貴様が善悪を語るなと言っている。……アデーレ・ヘイズ、獣にしては大層な名前だな。――――恩人の名前で家族ごっことは、人間のふりをするのも大概にしろ」

「――――――――」

 その一言で、戦闘が再開された。

 オッツダルヴァはレーザーライフルを撃ち込んだ。――否、撃ち込まされた。被食者が捕食者に遭った時、咄嗟に威嚇をするように――つまり至極自然的に、彼は攻撃をしていた。

 それが目の前のリンクスのナニカが機体から漏れ出たことに対する反応だと気づくのと、そのリンクスが目前まで迫っていると知覚したのは、ほぼ同時だった。

「私はアデーレ・ヘイズ。そこが変わることだけは、ない!」

 叫ぶような声が鼓膜を震わせた。相手の振り上げた右腕を塞ぐようにレーザーライフルを向けるが、一刀のもとに溶断される。

「その名前だけは、否定させはしない!」

「オッツダルヴァ!」

 左腕を突き立てんとしたアデーレを後ろからウィン・Dが狙う。アデーレはそれに即座に反応して飛びのくと、宙返り。バックブースターを蒸かして地面へと降下した。

「いいよ、私は獣で。あなたたちからすれば、私はそう見えるんだよね。それなら、私は否定しないよ。――けど」

 アデーレは感覚を研ぎ澄ます。AMS適性の限界を行使しようと、首筋に刺さった感覚器へ全神経を集中させた。

 彼女の奥の手。

 それは彼女が戦闘で知覚した、一種の違和感だった。

 成功するという確証はない。ただ自分がそれに限りなく近い行為を毎度の戦闘でやっていることに気づいたから、それなら引き出せるのではないかと試しただけだ。

 ――できなかったとしても、私はここで死ぬのだから。

 胸が苦しい。口が血の味がする。指先が痺れて、まるで腕から先がなくなってしまったかのような気持ちになる。臓器が圧迫されて胃の中のものがすべて出てしまいそうだ。

 ――だが瞬間、彼女は頬を撫でる風を感じた。少し乾燥した潮風が、優しく頬の上を伝って、するりと抜けていく。宙に浮かんでいるコジマ粒子が実体を伴ってそこにあると感じる。人体には存在しないありとあらゆる機構が、自分の身体にあることを実感する。

 彼女は、ネクストと一体になったのだ。

 だが、無論、人間が耐えられる情報の容量ではない。身体中が内側から破裂するような痛みを訴え、アデーレの脳内にはとめどなく何らかの情報が流れ込んだ。

 過去。恐怖。痛み。悲しみ。吐き気。そして、愛。

 だがそれでも、否、それを超えて思考できるからこそ、彼女はここに立っていたのだった。

 アデーレ・ヘイズ。人類史上最も先へと到達したリンクスは、声を上げて叫んだ。

「私は!セレンからもらった私まで!捨てるつもりはない!」

 飛翔する。吐き気のするようなOBも、今は本当に飛んでいるかのように爽快な気分だった。オッツダルヴァが振り上げたレーザーライフルだった鉄塊を右腕のブレードで受けると、左側から切りかかるウィン・Dにもう一方の腕で対処する。

「オッツダルヴァ、一回引け!」

「さ、せ、る、かぁっ!」

 両腕のブレードに出力しながらアデーレは背部武装を展開する。通常は不可能だ。ネクストはそんな風には作られていない。だが、ネクストであり人間である彼女には、できた。

 FCSが処理の過負荷を彼女の脳に求め、結果彼女はその蒼白な顔を鼻血で深紅に染めながら照準を定める。両目が血に覆われようとも、彼女には関係ない。

 彼女は今、その目でものを見ているわけではないのだから。

 スラッグガンとプラズマキャノンが至近距離でステイシスの首筋へと撃ち込まれた。

「ぶぐっ……」

 喉元をついた一撃にオッツダルヴァの力が抜けた刹那、アデーレは自由になった右腕を彼に突き立てた。整波装置の防護をミチミチと引き裂きながら、やがてブレードは完全に胴を貫いた。

「貴様、化け物か…!」

 ウィン・Dは打ち合っていたブレードをパージするとそのままアデーレの腕へと組みついた。徐々にブレードがレイテル・パラッシュの装甲を溶かしていくその状況で、ハイレーザーを展開する。ピリオドの頭部にゼロ距離で砲口が据えられた。迸る青白い光と、PAが接触して起こる奇妙な金属音が、アデーレを覆う。

 だがそれでも彼女は、終わらなかった。

「貴方たちが、私をそう呼んだんだよ!」

 整波装置を意図的に狂わせて彼女は頭部前面にコジマ粒子を集結させた。瞬間、放たれたレーザーライフルによって起爆剤を得たそれらは、疑似的なアサルトアーマーを引き起こす。

「私はただ、世界を好きになろうとしただけなのに!」

 その嘆き声は、もはや悲鳴だった。

 

 

 

 自分がリンクスとして選ばれたのは偶然に過ぎない、とセレン・ヘイズ――霞スミカは自覚している。

 企業が衰退していくだけの国家を相手に起こした戦争――国家解体戦争と呼ばれるその戦争――で、たった二十六機で世界に勝利したネクストという兵器。その操縦者であったということは、すべてが偶然でしかないのだと、彼女は誰に対しても述べることができる。

 無論、その戦争の中で彼女がどれほど努力して、どれほど凄惨な光景と出遭ったかは、別問題だ。それでも彼女は時折、自分がリンクスでよいのかと自問している。

 彼女はインテリオル・ユニオンのとある社員の娘だった。ネクストによる世界への侵攻を行うにあたって、可能な限りAMS適性の高い操縦者を選ぶことは必然で、その素質を備える者が身内にいるのなら、それを利用するのはごく自然なことだった。

 彼女はリンクスになった後の自分の使命を理解した。まともな調整さえされていないネクストに乗るというリスク。人を殺すという大罪。それを理解して、彼女はその道を選んだ。

 理由は簡単だ。それを父親が喜んでくれたから。

 父親は兵器の開発者にしては心配になるほどやさしい人物だった。娘に世界の美しさを教えてくれた。それが破滅の道を突き進んでいること。そして自分たちの活動によって、それが正しい道へと戻ること。彼の言葉は当時齢二桁になったばかりの彼女に、自分の道が正しいと理解させてくれた。

 だが、リンクスになった彼女が見たものは、一向に晴れることのない緑色の空、呼吸すらできず死んでいく人々、そして企業によって亡き者にされた父の骸だった。

 結局、世界は彼女を裏切った。

 何度も嘔吐を繰り返し、自らの行った虐殺にさいなまれて眠れない夜を過ごし、幼児期から酷使したばかりに子供を産めない身体になってしまった彼女を、世界は放棄した。

 だが、それでも彼女は世界を裏切らなかった。父親が美しいと言ったそれを、自分が否定したくはなかったから。

 ある少女を拾ってからは、リンクスとしての活動は控えた。その少女がリンクスを目指すと言った時も、何かの縁だと思って好きにさせた。

 彼女なら世界を自分以上に好きになれるかもしれないと思った。たとえ不可能なのだとしても、彼女が自分の道を切り開ける一助となりたいと思った。子供を育てられない自分でも、それくらいは認めてもらえるだろうと。

 いつの間にか、霞スミカの愛は世界ではなく、その少女へと向かっていった。

 他の誰でもない、彼女が無事ならそれでよかった。彼女が道を選ぶのなら、それを応援してあげようと思った。

 母性愛なのか、姉妹愛なのか、性愛か、分からない。だがそれでも彼女を愛そうと思った。

 そして彼女が致命的に道を踏み外した今も、その気持ちは変わらない。彼女に人類の死の償いをさせたいわけではないのだ。

 ――そんなもの、彼女に比べれば取るに足りないのだから。

 霞スミカは、セレン・ヘイズは彼女に答えを教えたかった。人類を殺すというほどの過ちがどんな結果をもたらすのか、その答えを教えてあげたかった。

 だからこそ、ここで彼女は愛弟子を殺さなければならない。

 少女が求めた答えの先に何があるのか、それを教えるために。

 

 

 

 閃光が晴れると、そこにはレイテル・パラッシュの胸を貫いたピリオドの姿があった。

 その頭部は、半壊している。それが何を指し示しているか、セレンは少しだけ考え込んで、喉まで出かかった声を飲み込んだ。

「……セレン、痛い、怖いよ」

 レイテル・パラッシュを投げ捨てた漆黒のネクストからノイズ交じりの声が漏れた。その声すら、何らかの液体で溺れているかのようにくぐもっている。

 ピリオドの、ライトを多数携えたアリーヤタイプの複眼レンズはほとんどバリバリに砕け散っている。人間でいえば目に無数の針が突き立てられているような状況だろうか、と想像してセレンはやめた。

「我慢しろ。お前が選んだ結果だ」

「でも、痛い」

「分かってるよ。泣くな」

「…泣いてなんてないよ」

「お前の嘘は私には通用しないこと、知っているだろ?」

 セレンは微笑む。

 ――――やっぱり、なんてことはない、ただの少女だ。

 かわいい、かわいい、小さな少女。

 だから――。

「すまない、アデーレ。私はお前を、殺さなければいけないんだ」

「うん、わかってるよ、セレン。ごめんね」

「…お互い様だ」

 セレンは言い終わるが早いか、プラズマライフルを連射した。アデーレはそれを左側に避けて躱すと、背部武装を展開して応射する。FCSが背部の情報処理のみ行っていることもあって、照準は精確だ。だがセレンのPAが削れていく一方で、AAを発生させたことで剥き出しとなったアデーレの機体もまた、エネルギー弾を受けて損傷していく。

 元より一撃必殺型の攻撃を避けるのは得意なアデーレだが、弾幕そのものを回避できるわけではない。加えてその矮小な一撃ですら今のアデーレには肌を焼くような痛みとなった。

「それなら……っ!」

 アデーレはくるりと機体を翻すと、OBを展開してセレンへと突っ込む。頬をちりちりと焼く痛みが一層増して、なぜだか初めて料理をした時のことを思い出した。油を大量に注いで爆ぜさせた時のような。

 だがそれすらも、今は些末事だった。

「証明するんだ!私は、貴女を超えたんだって!」

「はっ、それでいい。やはりお前は、私の最高傑作だ!」

 アデーレのブレードをセレンは腕で受ける。じゅあ、と熱が鋼鉄を切り裂く音が響き渡る。そのまま焼き切ろうと力を込めたアデーレはあることに気づいて距離を取ろうとするが、すかさずセレンがその距離を詰めた。

「あぁ、気づいたな。ラトーナじゃないんだ、私の装甲を断ち切るには、少し手間がかかるぞ!」

「っく、うぁぁあっ!」

 上体を後方にそらしたままアデーレはスラッグガンを発射する。PAを吹き飛ばしたその一撃に、しかしセレンは怯まない。プラズマキャノンをその身で受けながら、さらに一歩距離を詰めた。

 アデーレは咄嗟に、ブースターをすべて閉じることによる自由落下でその場を逃れようとした。

「それを待っていた!」

 だがセレンはそれに合わせてメインブースターを出力し、力を籠められなくなったアデーレを地面へと叩きつける。後頭部を強く打ち付けたアデーレは一瞬意識が飛びかけた。

「うぁっ」

「これは、同じオリジナルがやってたんだがな…!」

 セレンがプラズマライフルを振りかぶる。アデーレは瞬時に劣勢を理解した。上に乗られたこの状態では、たとえネクストといえど簡単には逃れられない。

 セレンはライフルの銃口を引き絞るとアデーレの胸へと突き立てるため、振り下ろした。本来の持ち主はそれを突撃ライフルでやっていたが、重力が味方する今なら、プラズマライフルでもネクストの装甲は砕くことができる。

 アデーレは即座に叩きつけられたまま伸び切った腕を曲げ、セレンの一撃がコクピットを押しつぶす前に胸を貫こうと振り上げた。

 だが間に合わない。アデーレの胸へとライフルの先端が押し付けられる。セレンがあと一息力を籠めれば、ライフルはピリオドの胸を貫通し、操縦者を食いつぶす。

「お前の動きを一生分、誰がそばで見てたと思ってる!」

「う、うあ、うああぁぁぁああっ!」

 アデーレは全神経を腕へと集中させた。少しでも刃先を伸ばそうと、ジェネレーターの全出力を腕へと回す。だがそれでも、セレンが力を籠めることの方がどう考えても速かった。

 ――間に合わない。死ぬの。私。嫌だ。まだ世界を見ていない。この世界が嫌いなまま、私は死ぬの。いやだ。嫌だ嫌だ嫌だ。私は、もっと――――。

「――――そうだな、私には、やはり無理だ」

 優しい呟きが、耳に入った。そしてそれは、アデーレが自分の腕の動きを止めるには、あまりにも短くて、遅すぎた。先行した殺意は彼女の急ブレーキにも反応しない。

 ゆっくりと、アデーレの眼前でブレードがシリエジオの胸へと埋まっていく。母親のお腹はこんな風だろうかと、埋まっていく両手に感じる温かさに、そんな感想を抱いた。

「――――――――嘘」

 手の中で、命のぬくもりが消えていく。そこにあったはずの何かが、まるで最初から何もなかったかのように融けきって、無くなっていく。

「あ、あぁ、ああああぁぁぁあ」

 取り返しのつかないことだと理解するには十分だった。自分が何をして、どうなったのか、様々な情報でごちゃごちゃになった脳内のはずなのに、それだけは明瞭に認識ができた。

 シリエジオの機体が、体重を預けるようにアデーレへともたれかかった。

 それでこの一連の出来事は終わりなのだと、そう告げられているような気がした。

 

 

 

 コロニー・アナトリア――現在は反体制組織リリアナの根拠地になっている――の格納庫に半壊の状態で入ってきたピリオドを見て、整備員たちはうめき声をあげた。致命的な一撃こそ見合たらないものの、頭部カメラは粉砕し、擦過傷で漆黒の機体がすすけて見える。

 それがどれほどの激戦だったのかを瞬時に理解させた。

「嬢ちゃん、今からネクストの冷凍作業に入る!機体から出るなよ!」

 その言葉が届いたのか、反応がないため正確には分からないが、ピリオドは整備用のドックにもたれかかるとそのヘッドカメラを消灯した。

 ドックには整備員の点呼と作業用機械の金属音だけが響き、それ以外の言葉を口にする者はいなかった。

 

 

 

 プシュ、と冷却作業が終わったピリオドからコクピットが露出した。格納から二時間ほど経っただろうか、作業員は誰一人としてその場を離れてはおらず、それどころか基地中から他のメンバーが集結していた。

 騒然と聴衆が見守る中、ガシャリとコクピットの扉が開いたかと思うと、少女が姿を現した。その小さな体に、しかし全員が驚愕する。

 顔は黒い血と吐瀉物、涙にまみれて、その目は光を失っていた。彼女はしばらくコクピットの取っ手を掴んだまま立ちすくんでいたが、まるで闇の中で電灯を探しているような手の動きで虚空を仰ぐと、姿勢を崩して作業ドックの足場へと転倒した。受け身すら取れずに叩きつけられた彼女に、すかさず作業員が駆け寄り、その身体を支える。

「おい、大丈夫か、あんた」

 死んでいるかのように身体が重い少女を抱えて作業エレベーターに乗せた彼は、降下スイッチを片手で押しながら少女の顔を見る。

 蒼白だった。本当に死んでいるのでは、と思うほどに。目は開いていても、その目は自分の顔を見つめようとはしない。

 エレベーターを降りて整備長の前へ連れていくと、整備長は彼にそのままでいるように指示して、アデーレの顔をタオルで拭った。

 彼女は特段反応を示さなかった。

 ただポツリと、「もう大丈夫です」とだけ呟いた。

 その声に整備長が彼女の目を覗き込むと、彼女は焦点の定まらない瞳で整備長の口元を見つめ返したかと思うと、少し恥ずかし気にその眉を下げた。

「すみません、今ちょっと感覚があやふやで…。耳ぐらいしか、正常に機能していないみたいなんですよね」

 自嘲するように告げられたその言葉に、一同が絶句する。

 リリアナのメンバーは元軍人だった者が多い。当然リンクスに触れる機会はそれなりにあったし、そもそも彼らもオールドキングというリンクスを抱えていた。

 AMS適性が人体に影響を及ぼすことも当然よく知っている。だがそれは適性がなければ機体がうまく動かせないといったものであって、彼女のそれは見たことがない。彼女の現状はむしろ、フィードバックによる廃人化に近いものだった。

「お嬢ちゃん、すまないが、オールドキングはどうなった…?」

 沈黙を破ったのは整備長だった。空いたままのリザの格納庫を見つめて、神妙な顔をする。当然、彼には結論など分かりきっていた。オールドキングが一目置くほどのリンクスがボロボロに、それこそ死人のようになって帰ってきたのだ。どれ程の激戦だったのかは、察するに余りある。

「……オールドキングは、死にました」

 抑揚のない口調で、彼女が呟く、そこには別段、何の感情も含まれていないようだった。

「任務は、成功したのかよ」

 一人の整備員が呟いた。事実を受け入れられないといった怒気の入れようにアデーレは声の方を見上げた。

「オールドキングが死んで、お前だけが生き残って、逃げ帰ってきたのか」

 周囲の視線が一度彼に向けられたが、すぐにアデーレへと引き戻された。アデーレはそれに対しても何の反応も見せない。

 ただやはり「成功しました」とだけ小さく呟いた。

「敵ネクスト五機は……、全機、撃墜しました」

 彼女の言葉に瞬間的に込められた躊躇に整備長は片眉を上げたが、周囲のどよめきはそれが何を思ってのことなのかを考えることまでは許さない。

「五機だとよ…」

「カラードのリンクスが、そこまで…」

 その動揺は、やがて恐怖を伴った畏敬として、アデーレに向けられる。目の前に立つ、ぼろ雑巾のような少女が、いかに異端であるか、リンクスからさえも外れた存在であるかを、肌に焼き付けられる。

「…嬢ちゃん、あんたはまだやれるのか?」

 整備長が問う。何を、とは言わない。この先にある結末など分かり切っているからだ。

「オールドキングはあんたを後継者にするつもりだったようだが、俺はどちらでもいいよ。クレイドルという格差社会に人生を破壊されたのは俺たちだ。無理に嬢ちゃんが手伝う仕事でもない。カラードがあんたを敵と認識した以上、今までの生活は無理だと思うが、それでもここで機体を捨てればまだやり直せる。そうしたら――」

「…いえ、私はやります。やれます」

 アデーレはうつろな目をしながらもハッキリとした口調でそう告げた。焦点の存在しない瞳が見開かれたその様は、獣が慟哭するように純粋で、底の見えない執念にとり憑かれているようだった。

「私は、私の師を殺しました。母親であり、姉であり、友人であり、恋人であり、最も愛していた人を」

 彼女は虚空を見つめながら苦虫を噛み潰したような顔をする。そしてそのあと、その青白く幼い顔に、薄い笑みを浮かべた。

「それなのに、それよりも生きる価値の低い人々を生かしておくなんて道理、ないでしょう?」

 

 

 

 この後、たった一人のリンクスによりクレイドルは、深刻な出血を強いられる。

 二十億の空に浮かぶ人々は、皆殺しだった。

 カラード所属下リンクス七十八名中、五十二名が彼女に殺害され、無所属や別組織のリンクスを含めれば、その数は倍近くに上る。

 地上の企業戦力も淘汰され、そのうちのいくつかではコロニーも巻き添えとなった。

 五十億人以上を虐殺し、人類種の天敵とすら呼ばれた彼女は、史上最も多くの人命を奪った個人でもある。

 

 

 

 静寂。

 海のさざめきだけが永遠とも思える時間の流れを語るカーパルスで、少女はひとり、その大海に浮かんでその静けさを味わっていた。

「あいむしんかー、あいくどぶれーきだうん」

 拙いながらも透き通ったその声と冷たい波だけが、彼女の知覚するすべてだった。人生で初めての一曲を、自らの恩人の顔を思い浮かべながら口ずさむ。

「あいむしゅーたー、どらすてぃっくべいべー」

 ふっ、と少女は水に沈んだ。浮き上がるために入れるべき背中への力を抜いて、ぎゅっと目をつぶる。口からあふれ出るどす黒い血を見つめながら、彼女は沈みゆく夕日を見つめる。

「たくさん、おこられるかなぁ…」

 水に沈んでいく中、汚染されきった身体が冷えて何も考えられなくなった彼女の意識は、ゆっくりと暗闇に包まれていく。

 溺れるように。沈むように。眠るように。

 



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