神鳴流道場なう。
僕たちもはや小学三年生。刹那も木乃香の護衛として、神鳴流剣士としての教育が本格化してしばらく経つ。刹那の場合は僕より明るいところでの護衛だが。
始めた当初は知っている者の少なかった僕の仕事も、数をこなすうちに徐々に敵味方に知られ始め、それを機に方針を転換した。
僕の存在と戦力をあえて広め、プレイヤーとしての知名度を上げて抑止力として役目を変える。その狙いが功を奏したのか、明らかな雑魚は木乃香に近寄らず、一般に強敵と呼べるような実力のプレイヤーが使われるようになった。
そのお陰で襲撃の頻度は大きく下がり、内外ともに静観へと方針を変えるものも増えてきた。
静観とはつまり監視とか観察も含まれることで、僕は自分の技術力向上と監視者への誤解を植え付けるという二重の目的で、神鳴流の道場に来ている。
木乃香は僕が剣の道に目覚めたと思っているし、刹那は僕の仕事を知っている。何かに気を使う必要は無いわけだ。
とはいっても僕は見稽古を持っている。もらっている。正直に言ってしまうと、あまり稽古に顔を出す意味はないのだが、それこそミスリード用と割り切ることにした。
「さぎくん、手合わせをお願いします」
「ああ、いいよ」
柔軟から一通りの行程を終えて乱取りに入るなり、刹那は僕にそう申し込んできた。
僕は左右に木剣を構え刹那に向かい合った。神鳴流は訪れた日の、初日の見学で師範クラスの技を見取っているためここに通う理由というものはほとんどない。初日に弐の太刀まで放って見せたカンニングを、周囲は才能として評価してくれている。
その点も、僕という誇大広告に一役かってくれていた。
学ぶところは技ではなく、師範クラス以上の実力者が持っている経験。どういう状況でどういう対処をとるか、それを見るため、体感するために通っている。
僕には経験値が、経験知が、足りない。
そのためには見るだけではダメた。見るだけでは他人の考え方までは分からない。試合を、実戦を、重ねる必用がある。
刹那は僕と試合をして己を高め、僕は刹那と試合をして多彩な状況とそれぞれの対応を実体験する。ウィンウィンというやつだ。winwin。たぶんあってると思う。
「行きます!」
「来ませい」
真っ直ぐ正面から斬りかかってくる刹那。僕は左右どちらの木剣も払わずに迎え受けた。幼いながらも鋭い剣閃を見切りギリギリでかわす。気分は宮本武蔵だ。
こういった回避の技術は一人だけの練習では身に付かない。
●
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
道場での練習を終えて僕と刹那は近衛の本宅へ帰ってきた。その帰宅の挨拶をしながらふと思う。そう言えば刹那が僕や木乃香に敬語で話すようになったのはいつからだろう。
あれはたしか、刹那が護衛の任を命じられた頃だったろうか。同時に、その頃既に極秘でなくなっていた、僕が護衛として就いている旨もを聞いたはずだ。刹那は頭の悪い子ではない。何かを感じとったのかもしれない。
もっとも、それで木乃香や僕と不仲になるわけでもないので、気にしてないけど。
「お帰り~」
パタパタとスリッパの底を鳴らして木乃香が姿を見せた。薄紅色のエプロンを着けていてとても可愛い。
「今お父様とお菓子つくっとったんよ。さぎくん、せっちゃん、食べてえな」
「や」
その後ろからピンクのエプロンを着けた詠春さんも現れた。手には銀色のボウルと泡立て器を持っている。何をなさっているのだろうか。
「お頭、そんな雑事、私が!」
慌てた様子の刹那に僕は苦笑した。
「詠春さん、刹那が驚いておかしなことを口走っています。あまり突飛なことをしないで下さい」
「ふむ、私がお菓子を作るのは、そんなにダメかな?」
「ダメとまでは言いませんが、侍女方が戸惑われるでしょう」
「ええ、先ほど怒られました……」
「怒られたんですか……」
関西呪術協会のトップが侍女に怒られたなんて、ちょっと外部には漏らせない情報だった。これこそ極秘だろう。
「しかし、愛娘に誘われては断れません。それも、鷺志と刹那にあげたいという。私の愛しい子供たちの触れ合いです。こればかりは人任せにも出来ません」
「大将……」
感極まった様子で刹那が呟いた。桜咲刹那、苦手なもの、不測の事態。
もちろん僕も感動している。組織の長としては、確かに頼りなく映るかもしれないが、この人は僕の恩人で、父親だ。
これが僕や刹那のモチベーションを上げるための演技だったなら、それくらいの腹芸が出来ていたなら、もっと頼れる長だったのだろう。これでこそ詠春さん、と言えないでもないけども。
「ささ、パンケーキが焼き上がります。手を洗ってきなさい」
「はーい」
「はい」
●
パンケーキはとても美味しかった。こんがりきつね色と黒焦げたぬき色が混在していて、意外にもたぬき色が木乃香だった。詠春さん、隠れてお菓子作り熱中疑惑。
口中にパンケーキの柔らかさとジャム、メープルシロップ、ホイップクリームの甘さを思い出して自然と口元が綻んだ。食べ過ぎたせいで夕御飯が入らず、詠春さんともども小言を食らったのは苦い体験だが。
僕は夜風を浴びなから目をすがめる。今夜は風もなく、周囲の音がよく聞こえてくる。蜘蛛の巣よりも綿密に張り巡らせた糸も、ここに近付く何者かの数を伝えてくる。
「結構多いなあ、面倒臭いなあ」
僕の呟きも、張った糸を揺すった。
うちの情報室が持ってきた夜襲の情報は確かだったようだ。
協会本部ではない。支部のひとつに派遣されてきた。協会の規模縮小を狙うナンラカの組織が今夜襲撃をかけると、それらしい動きがあることを察知したのだ。
「かっこつけて『いいよ、僕ひとりで充分だから』なんて言わなければよかったな。『本部お抱えのプレイヤーは、僕は、決して弱くないよ』とまで言っちゃったしなあ……。実力はともかく数が多いよ、これ」
ついため息が出る。正直に言うと、今張っている糸を使えば寸刻みにするのも簡単だが、僕は剣士ということになっている。剣士ということにしている。
人に渡る正しい情報は少ない方がいいし、人に渡る間違った情報は多い方がいい。僕は剣をまったく使わないわけではないから、厳密に言うと間違った情報ではないけど、かといった正しい情報でもない。僕の得物を剣だけだと思い込ませておけば、いざというときの選択肢が広がる。
敵がいよいよ近づいてきた。そろそろ始動かな。
足に力を込める。御釈迦様が付与してくれた基礎能力の強化、Fate風に言うところの敏捷ステータスにあかせて走り抜ける。見取った瞬動の実戦登用も久しいが、移動中の周囲の風景に中々馴れない。動体視力もおいおい鍛えていく必用があるだろう。
「まず三人」
微かな手応えの後に首が地に転がる。【鈍】が血に濡れた。
首のない死体を眺める。闇に紛れる暗い布を使ってはいるが、どうやら魔法使いも混ざっているようだ。なにか仕掛けてくるかもしれない。その前に全部潰してしまおう。瞬動に瞬動を重ねる。糸と音の反響で前もって位置を割り出し、そこを通過して斬る。
その作業を何度か繰り返して、さあ後一人だけだ、そう言えばこいつ一人だけ離れたところにいて、動いてなかったな。
という場面で体の異変に気が付いた。感覚が、鈍い。
いや、体が動かない?
「効いてきたかな?」
ガサガサと藪を踏み鳴らして男が悠然と歩きよってきた。
「はじめまして。君が近衛お抱えのプレイヤーだね?」
「質問の体は取っているけど、確信がある口振りだね」
「確信しているからね。今宵ここに送り出されるのは君だと、確かな情報を得ているんだ。まさかここまで圧倒的だとは思わなかったけどね。うん、『前後左右(デッドアングル)』の名に違わぬ活躍ぶりだ」
『前後左右』ってなんだ。
「知らないのかい? 君の通り名だよ。縦横無尽なその戦闘スタイルかついた名前だね」
「僕の戦いを見て、いきている人は少ないはずですけど」
「噂くらい経つさ。死体を見ても予想は出来るし、遠見の魔法なんていくらでもあるからね」
「あぁー、それは考えてなかった。隠密って難しいですね」
「そうだね」
男の顔には余裕の笑み。僕の体は動かない。動くのは首から上だけで、その下は石にでもなったかのようだ。口ぶりからして、男の仕業なのは間違いないと思うが、術か薬かはわからない。
「これは君の仕業ってわけだ。どうやら僕の命もここまでみたいだし、参考までに教えて欲しいな、僕は何にかかったのか、僕がどうやって死ぬのかを」
「はっ」
男は鼻で笑った。
「君がなんらかの手段でこの手法を伝達しかねない以上、私が何かを伝えることはないな。少しでもリスクを減らすために、今すぐに殺すとしよう」
「せめて内通者の名前くらいは教えてよ」
ぴくりと、男の動きが止まった。
「僕がここに派遣されたのはその誰かの仕業なんでしょう? 何が気に入らないのかは知らないけど、関西呪術協会の解体か改革か、どちらかを目論んでいる誰かがいる。僕は邪魔だからこうして罠に嵌められたわけだ」
「……なるほど、奴は既に怪しまれていたわけだ。となると私の身も危ないのかな?」
「またまたぁ、ここら一帯の索敵は済んでるくせに。誰も潜んでないし、僕も魔法具なんて持ってないよ」
でなければわざわざ僕の前に姿を見せる必要がない。確実に殺すためだとしても、後ろから近付けばいいのだから。
前に来て、会話までしているのは余裕の表れだ。
「奴が怪しまれていないとすると、君は自分が罠にかけられていることを知りつつここに来たと?」
「まさか。罠だってはじめからわかっていたら、罠になんてかけられないよ」
男が訝しげに目を細めた。
「怪しい誰かもいない、罠の可能性も考えない。だというのに君は、私の言葉だけから、最初に裏切りの可能性を考えたというのか?」
「そうだよ」
男の表情が変わった。気持ち悪いものを見るような、忌避の視線。
「味方を疑うことに一切の躊躇がない。どころかその可能性を最初に検討する。どうやら君は危険だ。もう一言も交わすまい。今すぐに死ね」
懐に手を入れ小振りな刀を取り出す男。果物ナイフほどしかない刃渡りには古びた札が貼られている。魔法具、いや呪具の類いか。
男の目は決然と僕を睨み据え、どうやらお喋りに付き合ってくれそうはない。
「僕、死ぬときはお喋りしながら何かを言いかけて、って決めてるんだけど」
男の歩みに揺るぎはない。一歩一歩踏みしめて、焦るてなく怠けるでもなく歩み寄る。もう本当に聞く耳持たない姿勢だ。
仕方がない。会話はすっぱり諦めて、普段あまり意識しない豆知識を披露して幕切れとしよう。
「ねえ知ってる? 音は空気の波だから物理的に力が作用するんだよ。例えば……」
細い糸とか。よく揺れるよね。
そう言いきる前に、液体が跳ねる湿った音と複数の肉塊が地面に落ちる鈍い音が響いた。
やったことは単純だ。指が動かないから変わりに声の振動で張り巡らせた糸を操作した。そして切断した。たったこれだけ。
音で精神操作をして術を解かせてもよかったけど、ああも警戒している相手に操作が通じるかはわからなかった。何せ試したことがないから。そういう実験は僕が有利な時にしよう。
あとで死体に細工して切断面を刀のそれにしておかないと。用心のしすぎかも知れないけど、この死体だけ何回も斬られてるのは不自然だからね。
「さて、こうして見事敵の殲滅に成功して窮地を脱したわけだけど、問題は術を解く方法がわからないことだよね。どうしよう」
どうしようもなかった。朝になって物見が気付くまで、僕は術に掛けられっぱなしだった。
侵食系の呪いじゃなくて本当によかった。これからは反呪の呪具くらいは持ち歩こう。木乃香と刹那にもプレゼントしとこう。
魔法使い怖え。