一色いろははテキだらけ   作:sanmasfii

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一色いろははテキだらけ(2)

 私、一色いろはが生徒会長になってからの僅かの期間で、私を取り巻く人間関係は大きく変わった。

まず、私を生徒会長に推薦したクラスのスクールカースト上位の女子たち。彼女たちは、自分たちの目論見が外れて、私が生徒会長になったことに愕然としただろう。こんなはずではなかった、私に恥をかかせるつもりが、逆に生徒会長という名誉を与えてしまった。

そんな思いをひた隠しながら「おめでと~」と上っ面の祝福をする彼女たちの笑顔はいずれも引きつっていて、私は「ありがと~」と答えながら彼女らを出し抜いたことに優越感を感じた。

しかし、私の生徒会長就任は、彼女たちとの間に決定的な修復不能な溝をもたらした。もともとあった表面上の付き合いは、より一層白々しいものになっていた。

もっとも、私としてもこれは想定内だった。何の相談もなく勝手に推薦人を集めて生徒会長に立候補させるような女子たちとこれ以上付き合っていられない。

 

それ以上に厳しかったのは上級生からの目だ。1年の間ではそれなりに有名人だった私だが、それまでは上級生に対する知名度は殆ど無かった。しかし、今回の事件で私の名前は学校中に知れ渡ることになった。

 

「あの、生徒会長になった一色って1年生、なんなの?」

「1年で生徒会長とか、でしゃばりすぎじゃね?」

「生徒会長になって、指定校推薦枠狙ってるみたいよ」

「露骨過ぎてひくわ~。どう見ても生徒会長って感じじゃないしね~」

「1年の間では、性格悪いって有名だったみたいよ」

 

そんな会話が学校中で繰り広げられることになった。そもそも、誰も生徒会長に立候補しなかったくせに、誰かがその名誉を戴くと不満げに語る。それなりの進学校であるウチの高校の生徒会長は、一定のステータスになる。誰も、めんどくさいことはやりたくないが、ステータスだけは欲しいのだ。

1年生から供給された私のあることないことの噂話は上級生の間でもゴシップとして広がり、特に女子を中心に私の評判を一方的に貶めていった。

 

さらに私にとって逆風になったのは、先生たちの反応だった。どう見ても生徒会長にふさわしくない私の風貌や生活態度を毛嫌いする先生は多く、選挙のやり直しを提案する先生もいたと聞いている。

生徒会担当の平塚先生はそれを押しのけてなんとか私の防波堤になってくれているみたいだが、それもいつまで持つかは分からない状況で、一部の教師は私の地毛の亜麻色の髪の毛を染色したものではないかと疑いだす始末だった。

 

全てが、私にとって逆風だったが、肝心の男子からの評判は悪くなく、私の女子としてのステータスは学年の中でもトップの座を確固たるものにしていた。生徒会のイベントのせいで行けなくなってしまったが、クリスマスにもお誘いが押し寄せて、相手を選別するのに大変な思いをしたものだ。

 

そんな中で、学校生活は続く。平塚先生から与えられた海浜総合高校との間でのクリスマスイベントという生徒会初仕事に向けて、私達生徒会は取り組み始めていた。

 

 

ある日の数学の授業だった。教師は私に対して嫌悪感を持っている中年の女性教師だ。

「はい、じゃあ授業はここまで。各自、課題のノートを提出して下さい」

皆がざわざわとノート片手に前の教卓に向かう。私も、バックから数学のノートを出して…

「あれ?」

昨日やってバッグに入れたはずの課題用の数学ノートが見当たらない。バッグの中をよく探してみても、どこにもない。

(あれ~?机に置きっぱなしにしてきちゃったかなあ…)

やむを得ず、教室を出る女性教師を追う。

「せんせ~、すいませ~ん。やったんですけどノート忘れてきちゃってぇ」

私が言うと女性教師は目の奥をギラリと光らせてこちらを睨みつけた。

「一色さん!あなた、生徒会長の自覚があるんですか!課題を忘れるなんて、皆の模範になる生徒会長にあるまじき態度です!」

「はぁ…、すいません」

廊下で教師に説教をされている姿を行き交う生徒たちがチラチラと見ている。

(もー、最悪…)

衆人環視の中での説教は数分続き、晒し者にされた私はただただその説教を聞き流しながら、最悪な気分になっていた。

 

ようやく解放されて教室に戻ると、数人の男子が集まって来て、私を慰め始めた。いずれも私に好意を向けているハイクラスな男子達で、「いろはす、勉強教えてあげよっか?」などと言って来る。

「ほんとに、忘れただけなの〜!」

頬を膨らませながら反論すると、男子の琴線に触れたようで、彼らの表情がデレデレしたものに変わる。ちょろい。

ふと気がつくと、スクールカースト上位の女子たちがニヤニヤとこちらを見ながら笑っている。そのうちの一人が話しかけてくる。

「いろは~、災難だったね~」

「ほんとだよ~、もうサイアク~」

疲れ切った声で答えると彼女たちも

「超ヒステリックだよね~」「説教長すぎ~」などと口々に小言を言う。彼女たちと打ち解けた会話をするのは久しぶりな感じがして、幾分関係が和らいだように感じた。

 

 

その日の放課後。今日はサッカー部のマネージャーの当番ではないのだが、男子からの誘いを断る。明日は海浜総合高校との打ち合わせ…じゃなくて、ブレインストリーミング(だっけ?)があるので、今日は生徒会に行かなければならない。

 

机の中の教科書類をバッグに入れていると、ふと、数学の課題ノートがバッグに入っているのに気がついた。

「え…」

さっきは確かに無かったのに。何で。

一瞬の思考回路の凍結。そして、私は気がついた。

 

(隠された…)

 

恐らくあの女子たちの仕業だ。私があの教師に嫌われていることを知っていて、説教させようとノートを一時的に隠していたのだろう。

思わずキッと彼女らの方を睨んだが、彼女たちは素知らぬ顔で雑談を続けていた。

 

(証拠がない…)

何の証拠もなく彼女らを問い詰めるのは危険な行為だ。私は諦めて教室を去って、職員室に向かった。

 

===

 

提出時に改めて数分説教をされ、どんよりとした気持ちで職員室を出た私は生徒会室に向かった。

(許さない…)

そう思えば思うほど、行き場のない怒りが溜まっていくのを感じた。証拠を集めて、男子たちの前でなんとか暴露して彼女たちの威厳を失わせなければ…。

 

そんなことを考えているうちに生徒会室に着く。ドアに近づくと、中から副会長と書記ちゃんの明るい会話が聞こえる。

「ど~も~、こんにちは~」

私がドアを開けると、二人の会話がピシャリと止まり静寂が訪れた。

「お疲れ様です」

「お疲れ様です」

他人行儀に二人は返事をして、手元の作業に目を落とし始めた。

「あ…お疲れ様です…」

私もつられてかしこまって返事を返す。

私が席につくとモジモジしていた副会長が意を決したように話しかけて来た。書記ちゃんも不安そうにこちらを見る。

「あの…、会長。明日の話し合いなんですが…」

「あー、はい」

にこりと答える私。

「その、あまり海浜さんから仕事を押し付けられないようにして欲しいというか…。あちらは何でもこちらに作業を振ってきて、会長は全部それをお受けになるので…その、作業が溜まってきて…」

「あ、はい。分かりました」

実際、海浜総合の訳の分からない議論をただただニコニコしながら聞いているだけしか出来ない私は、「なるほどですね~」「すご~い」と繰り返すことしかできず、挙げ句の果てには作業を押し付けられると言うのがここ数回の流れだった。

そういえば、この二人は私がサッカー部のマネージャーをやっている日もずっと海浜総合から押し付けられた作業をしているようで、幾分か疲弊しているように見えた。

 

副会長と書記ちゃんは作業に戻り、黙々とペンを動かしている。

 

(あれ、私は何すれば良いんだろ…)

 

生徒会長の机には何も置いていない。数十分、手持ち無沙汰でスマホをいじったり、イベントの紙に目を通すふりをしていると副会長が話しかけてくる。

「あの…明日までの作業は二人で出来ますので、会長は帰ってもらっても…」

「え、大丈夫なんです?」

「はい、昨日遅くまで二人でやりましたので、殆ど終わりましたし」

書記ちゃんが答える。

「あ、じゃあ…」

一瞬迷ったがこのままいても気まずい空気が流れるだけだ。

「帰ります…」

「お疲れ様です」

「お疲れ様です」

二人が同時に言う。

私は荷物をまとめて生徒会室を後にした。

 

生徒会内でのコミュニケーションはぎこちない。おそらく、副会長と書記ちゃんのような真面目な人種にとっては、私が何を考えているか分からず、おっかなびっくり会話しているからだろう。私としても、どの程度踏み込んで良いのか測りかねていた。

 

3階の生徒会室を出て1階についたとき、ふと気がついた。

(あ…)

バッグを確認すると、ペンケースがない。生徒会室で取り出した覚えがあるので、机に忘れてきたのだろう。

(はぁ~、あの空気の中にまた行くのかぁ)

渋々、再び階段を上がり生徒会室まで向かう。生徒会室の前まで着いたとき、中から話し声が聞こえた。

 

『明日作業が増えるんだから、どれだけやっても終わらないよ』

『でも、会長はもうこれ以上増やさないって言ってたから大丈夫ですよ』

『そうかな。また、なるほどですね~って引き受けちゃいそうだけど』

『…ありそうですね』

『会長は自分がやらずに僕らに押し付ければ良いと思ってるんじゃないかな。』

『…あと少しですから、続きやりましょう』

『ごめん、愚痴ばっか言って』

『…いえ、事実ですから。私も悪口は言いたくないですけど…』

書記ちゃんが続ける。

『あんな会長だったら不満がたまるのも当然です』

 

『あんな会長』という言葉を聞いた瞬間、ズキッと心に杭を打たれたかのような衝撃を受けた。心臓の鼓動が早くなる。

 

(帰ろ…)

ドクン、ドクンと心臓が脈打つのを感じながら、一歩、二歩と生徒会室から離れる。

(…あの二人は悪くない)

自分の生徒会長としての行動を振り返ればそう思う。仕事を安易に引き受けてくるし、仕事を押し付けているし、何より生徒会長にも流れでなったこともあり、自主的に立候補して役員になった二人と比べてやる気も、ビジョンもなかった。それでも…

(あの二人に、あそこまで言われるのは…辛いな…)

彼らは真面目なタイプの生徒で、めったに人の悪口など言ったりしない人格の出来た人たちだ。生徒会スタートから間もなくで、その彼らをここまで追い込んで、不満をためていたという事実を突きつけられた気がした。

(はぁ…、これはもう修復不能かもなぁ…)

しかし、どんな状況でも任期までは生徒会は続く。これから彼らと力を合わせてやっていかなければならない。しかし、どうすればいいのだろうか。そんなことを考えながら、一段と心を落ち込ませて玄関に向かう。

 

憂鬱な足取りで歩いていると、携帯電話がバイブ音をたてて鳴り着信を知らせた。

ポケットから携帯電話を取り出して確認するとメールが来ていた。知らないアドレスからだ。タイトルには『一色さん、これ見て!』とある。

(…?)

メールを開いてみると、本文にはURLが貼り付けられているだけだった。

(スパム…?でも一色さんって書いてあるし、誰か知り合い?)

なんとなく不審に感じながら、URLを開くと、サイトが表示される。

 

『@総武高校裏掲示板』

 

サイトのタイトルにはそう表示されていた。そして、画面下部に表示されているスレッドタイトルを見た瞬間、私の背筋にピシッと緊張が走った…

 

『I.Iアンチスレ』

 

「なに…これ…」

見てはいけない、と思いつつ思わず画面を下スクロールする。

 

『こいつマジで嫌い』

『Twitterでアカウント名書き換えて選挙の推薦人集めたってマジ?』

『必死すぎ』

『外見は良いわ。中身クソだけど』

『こいつの周りにいる男たちも性格最悪って分かっててちやほやしてるよね』

『声聞くだけでイライラする』

 

文字を見るごとに手の震えが増して、携帯電話の画面がブルブルと震える。

そして、この文字を見た瞬間、心臓が過去に経験なくギュッと強く締め付けられるのを感じた。

『学校中が一色いろはの敵』

思わず、何かに怯えるように携帯電話を閉じた。一気に身体が緊張に固まり、冷や汗が出る。じわりと目に涙が浮かんだのが分かる。

「…っ」

私は廊下を走った。目から涙がこぼれ落ちる前に。誰もいない廊下を走る。無我夢中で向かった先は、校舎の端にある女子トイレだった。扉をあけて入ると、中には誰もいなかった。

一番奥の個室に駆け込み、戸を閉める。

カチャンと鍵をかけた瞬間、堰を切ったように私の目から大粒の涙がポロポロと流れ落ちた。

「ううぅ…」

本当は大声を出して泣きたいところを、声を押し殺して、歯を食いしばって泣き声をこらえる。

「うっ…ぅ…」

心臓が鼓動する度に、針金で縛り付けられたようにミシミシときしむような痛みが胸に響く。

涙は拭っても拭ってもぽろぽろとこぼれ落ちる。

「う…ぅっ…ぅっ」

女子から嫌われていることも知ってる。

男子は私の外見に興味があるだけで、本当の私を知りたがっているわけでないことも分かっている。

上級生から疎まれて、陰口を叩かれていることも知っている。

先生から問題児扱いされて、生徒会長失格と言われているのも知っている。

生徒会のメンバーからもダメな会長扱いされていることも知っている。

サッカー部の女子マネージャー達も、葉山先輩との接近を嫌って、私を仲間はずれにしていることを知っている。

だからこそ、あの言葉は心に鋭く刺さった。

 

『学校中が一色いろはの敵』

 

「ぅぅっ…」

陰口を言う人やメールでURLを送って来た人は、私が何をされても傷つかないと思っているのだろうか。中学校時代も敵は多かったが、こんなに表だって攻撃されることはなかった。今のような孤立無援の状態は初めてで、あざとく振舞っているからといって、何を言われても平気なわけでは決してない。

(私だって…もう、限界なのに…)

急激な状況の変化は、私の心を折るのには十分だった。

袖口でぽろぽろこぼれる涙を拭う。

「たすけて…」

ふと、意識すること無くそんな言葉が出た。かすれた、弱々しい声だった。

「助けて!」なんて真剣な表情で、大声で、助けを求めるなんて出来ない。そんなみっともない姿を見せて、誰かに笑われるのは耐えられなかった。

誰もいない放課後の校舎で、誰もいないトイレの、入り口から一番遠い個室で、カギを締め切って、消え入りそうな小さな声で助けを求めること。それが今の私の出来る精一杯だった。

「だれか…」

力なくしゃがんで、頭を個室の壁に押し付ける。もう、自分で立つ気力すら奪われていた。

涙は頬をつたい、ポタポタと床にこぼれ落ちた。

「たすけて…」

 

明日も生徒会の活動は続く。海浜総合との話し合いをなんとかこなさなければならない。

ふと、葉山先輩の顔が浮かぶ。ダメだ。葉山先輩のようなカンが良くて人脈も豊富な人に相談すれば、先輩はすぐに私の置かれた状況を理解するだろう。そして、万難を排して私をサポートしてくれるだろう。でも、先輩は同時に、私が激しい攻撃の対象になっていることも瞬時に理解する。庇護すべき対象になった瞬間に、私は先輩の恋人候補の座から転落する。完璧な先輩の彼女は、周囲の攻撃にめげて庇護を求めて、厄介な仕事を持ち込むような人間であってはならないのだ。

 

じゃあ前任者の城廻先輩…?。しかし、先輩は私が生徒会長になることに賛成だったわけではない。むしろ、雪ノ下先輩を推していた気配すらある。

 

そして、ある名前に至る。奉仕部…あの目の死んだ先輩…。

選挙で困った時、助けてくれたのは、あの先輩だった。

あの先輩は、確かに、私を見てくれていた気がする…。

あの先輩だったら…

止まらない涙を流しながら、私の真っ黒に染まった心に、1人の先輩の顔が浮かんだ。

 

(比企谷先輩なら…)

 

 

 

翌日の放課後、私は奉仕部の部室の前にいた。

大真面目に「助けてください」なんて言えるはずがない。

ドアに手をかける。

一瞬、もし断られたら、という懸念がよぎる。

(弱気になっちゃダメだ…)

いつもの一色いろはのあざとくて、可愛い後輩の仮面を被る。

そして、躊躇なく思い切って奉仕部のドアを開けた。

 

 

「先輩ヤバいですぅ~。ヤバいですヤバいです。本当にヤバいんです〜!」

 

(終)


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