空と海と最後のブルー   作:suzu.

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09.気がついたらまた息子が増えてた

 

 温かくも冷たくもない透明なブルー。

 それが却って、この女性(ヒト)の寂しさを、よく表しているようだった。

 

 

 ポルシェーミの一件で、海賊と諍いを起こした俺たちは、今までのようにゴミ山には住めなくなった。そのため俺は、エースやルフィが暮らしているダダン一家の世話になることにした。

 この時になって初めて俺は、二人の『母親』の存在を知った。

 その女性(ヒト)は不思議な人だった。

 まるで、空を切り取ったかのような淡い瑠璃の髪。海の水を凝縮して嵌め込んだような深い紺碧の瞳。その人は、俺が今まで見たことのない色彩を持っていた。少なくともこの東の海(イーストブルー)では見ることのない色だ。きっと他の海から来たんだろう。

 じっと眼を覗き込むと、こちらの心まで覗き込まれているような気がした。伸ばした自分の手が見えなくなるような、そんな深い底に落ちたような心地になる。どこか浮世離れした静邃を湛えた眼だった。きっと表情がなければ恐ろしいと感じてしまっていたに違いない。

 着ている服は白いワイシャツに黒いスラックス。上質なものではないが、シンプルでほどよく清潔感のある服装は、およそ山賊には似つかわしくなかった。むしろ、時折ゴミ山を監視に来る役人に、雰囲気がよく似ている気がした。

 そして何故か、白い服のあちこちから包帯が覗いていた。ところどころ赤黒く血が滲んでいるそれは、清潔感のある服装とは全く合っていないのに、異様なほど違和感なくその人に馴染んでいた。

 こんな人だったのか、と俺は思った。

 想像していた人物像とは全く違っていた。

 とはいっても、エースは今まで自分の母親の話は全くしなかったので、俺が想像するだけの情報もなかった。母親がいたということさえ、ルフィが口にするまで知らなかったほどだ。

 だから、ルフィの話とエースの態度から、漠然としたイメージを持っていたに過ぎない。

「君がサボ?」

 その人が静かに自分を見下ろして口を開いた。

 一瞬、話しかけられたのが自分だということに気がつかなかった。

 凪いだ海のような瞳が、俺を映していた。

 俺は狼狽えた自分を隠すように、わざとゆっくりとした動作で頷いて言った。

「あんたがエースとルフィの母親か。話は聞いてるよ」

「私も君の噂は聞いてるよ。エースといいコンビなんだってね」

 驚いた。俺のことを知っているのか。

 確かにあそこでは、エースとセットで俺の名前も知れ渡っている。しかしそれは悪名だ。でもこの人からは何の嫌悪感も感じ取れなかった。ゴミ山の孤児なんて、汚らしくないのだろうか。

「これからもよろしく頼むよ」

 そう言って、エースの母親は帽子の上から俺の頭を軽く撫でた。

 人に頭を撫でられるなんていつ以来だろうか。俺には覚えがない。何だか照れくさくなって、口の端が上がるのを隠すために帽子を引っ張った。

「なんだエース。お前の母親、いい人じゃないか」

「別に……」

 こそっと隣のエースに囁やくと、エースはむすっとした顔で呟いた。こんな様子のエースを俺は初めて見た。

 ダダン一家の世話になると決めた時にエースが渋い顔をするので、どんなに酷い環境なのかと思えば、こういう理由だったのかと合点がいった。

 エースが母親の存在を隠していたことに関しては、自分も人のことは言えないので追及はしない。でも、俺は断然この人に興味がわいてきた。

 こうして、俺はエースの母親を観察することにした。

 

 

 次の日から、さっそく俺は観察を始めた。

 それで分かったのが、エースの母親は本当に何もできない人だということだ。

 料理をすれば、食材を丸焦げにするか包丁で傷を増やしていた。そのため、一瞬たりとも手を触れさせまいと、エースが目を光らせている。

 掃除をすれば、アジトの中の物を破壊していた。見つけたエースにアジトから追い出され、しばらく入れてもらえずに外で蹲っていた。その間にエースが修理したり片づけたりする。

 洗濯をすれば、たらいをひっくり返し泥だらけになっていた。その後、エースにそのまま服ごとたらいに漬け込まれていた。

 全身泡だらけで、気持ちよさそうにシャボン玉を飛ばしているのを見て、ルフィもたらいに飛び込んで一緒になって遊んでいた。その間に俺とエースは残りの洗濯物を川で洗った。

 俺が「たらいじゃなくて、川に入れた方が早かったんじゃないか」と言うと、エースは「無理、流されるから」と答えた。俺はなるほどなと思った。

 他にもたくさんある。

 裁縫をすれば服を破くので、エースが丁寧に縫い合わせていた。森の中の山菜を取りに行けば獣に喰われかけるというので、アジトを一歩出たところでエースが意識を刈とっていた。勝手に街へ買い物に出かければ、エースが物凄い勢いで回収に行っていた。庭の薬草に水をやれば枯らすので、エースが『おふくろ禁止』の札を立てていた。

 何をするにもエースがフォローしていて、母親が一人で何かしないか目を光らせている。特に山には絶対に入れさせないという。

 俺が過保護すぎやしねぇかとエースに言うと、「おふくろのアレはざわざわ煩い奴らの所為だから仕方ねぇんだよ」と不思議なことを答えた。

「煩い奴らって?」

「知るか。昔は煩かったけど、今は俺にも聞こえねぇ」

 結局、エース自身もよく分かっていないようだった。

 エースについても、新しく分かったことがある。それは家事が得意だってことだ。

 俺だってゴミ山で暮らしてきたのだから、一人で生きていけるだけの生活力はあると思っていた。しかし、エースのそれは次元が違っていた。

 実のところ俺は、相棒の知らなかった一面に、母親のドジっぷりより衝撃を受けていた。

 特に料理だ。

 ゴミ山で暮らしていた時も、二人で飯を食うことはよくあったが、街で食い逃げをしたり、山で捕まえた獲物を丸焼きにしたりするだけで、エースは俺の前で料理という料理を作ったことがなかった。しかし、このアジトでは街で店でも開けそうな凝った料理を作る。

「何で今まで作ってくれなかったんだ」と文句を言うと、

「何でお前に作んねぇといけねぇんだ」と真剣に疑問で返された。

 どうやらコイツは無自覚でやってるらしい。

 もう一つ、食事に関して気がついたことがある。

 前々から、山賊一家で育ったわりにエースの食べ方がきれいだとは思っていた。ゴミ山の連中とはもちろん、高町の連中のもったいぶった食べ方とも違う。何と言うか、背筋がすっと伸びていて、静かに食べる。僅かに俯いた顔なんて同じ十歳とは思えない。

 それと同じ食べ方をするのがエースの母親だ。やはり何だかんだ言って、エースの母親はこの人なのだと実感させられた。

 そして、意外なことに、エースの母親は物知りだった。

 貴族の家庭教師なんかよりも、ずっと外の世界のことを知っていた。地理、天体、気象、航海術まで。聞けば立て水を流すかのように、俺の知りたかったことを余すことなく満たしてくれる。これには俺は狂喜乱舞した。

 ゴミ山で自由に生きるだけでは、決して手に入らない知識がここにある。それはいつか海へ出るためには必要なことだ。

 俺はエースたちと山へ行く時以外は、母親の後ろをついてまわっては知識を強請った。

 母親は何を聞いても答えてくれた。しかしこちらから聞かない限り、何も教えてくれない人だった。聞かれたこと以外は答えない。だから俺は質問を吟味して、母親の知っていることを全て引き出そうと躍起になった。

 だが、どれだけ質問を重ねても底は見えず、俺は世界の広さを垣間見た。

 やがて、昼下がりの窓辺に机を置いて、母親と話をするのが習慣になった。俺は分厚い帳本にペンを走らせながら母親の話を書き取った。すぐにエースもムキになって付き合うようになった。

 二人並んで机の前に座ると、また一つ気がついたことがあった。

「エース、お前って字が上手いんだな」

 島特有の気候について、その種類や特性を書き連ねたエースの文字を見ながら俺は言った。

「はぁ? お前だって上手いじゃねぇか、サボ」

「いや、だって俺は……。いや何でもない」

 まだ見たことがないが、きっと母親の字はエースに似ているのだろう。

 自分の生まれを誇ったことなど一度もないが、俺が受け取ってきたものと、エースが受け取ってきたものの一体何が違うのだろうか。もし俺の母親がこの人だったなら、……いや俺は孤児だ。両親なんていない。忘れよう……。

 

 しばらく時が過ぎ、俺とエースとルフィは杯を交わした。

 その間にもいろんなことがあった。ルフィのじいちゃんが来て、修行という名目でぼこぼこにされたこともあったし、三人で山を駆け回ることも増えた。街で食い逃げをすることもあったし、ダダンを怒らせてアジトから放り出されたこともあった。

 ある時、帰りの遅い俺たちを心配した母親が山に入り、アジトに戻ってこないことがあった。

 入れ違いで帰ってきて、それを知ったエースは、血相を変えて飛び出していった。俺やルフィも探しに行こうとしたが、ダダンたちに止められた。エースが探しに行くのが、一番早く見つかるのだという。

 その日、夜も更けないうちにエースは母親を背負って帰って来た。

 固い表情のエースとは違って、母親はへらへらと笑っていた。

 俺とルフィはすぐに近寄ろうとしたが、一歩踏み出したところで気がついてしまった。着ているシャツがどす黒くなるほど赤く染まっていることに。

 よく見たら足はぷらぷらと変に揺れているし、ぽたぽたと床に血だまりを作っている。

 怪我には慣れているつもりだったし、人間の死体もゴミ山で見たことがある。でも、こんな大怪我をしている人間が、平気な顔で笑っているのを見るのは、初めてだった。

 俺はどう反応してよいか分からずに、立ち尽くしてしまった。

 そうしているうちに、母親の怪我に気がついたルフィが、あまりの怪我の酷さにビビって泣きだした。

 しかし、俺たち以外の奴らは平気な顔をしていた。

 またかとダダンは母親を叱りつけるし、周りの手下たちも慣れたようすで怪我の心配すらしていない。手当ても母親はエースに手伝ってもらいながら自分でしていた。

 俺はただ、それを見ていることしかできなかった。

 

 また別の日のことだ。

 この日は天気が良くて、布団のシーツを洗っていた。

 母親が洗おうとするものを俺とエースで奪い取っていく。その手さばきも、遊んでいるルフィの方へさりげなく誘導するやり方も、エースに倣い俺もずいぶん慣れてきた。

「かあちゃん、でかいのできた」

 シャボン玉を作って遊んでいるルフィが、得意げに声をあげた。

 虹色に輝くシャボン玉が太陽に反射して輝いている。ふわふわと空中を漂うそれを眩しそうに見上げた母親が、「おお、でかいな」と言って目を細めた。

「かあちゃんもやってみろよ」

 ストローと洗剤液の入ったコップを差し出しながらルフィが言う。

「んー。わかった」

 少々、面倒くさそうにしながらも、ルフィの相手をしてやるつもりらしい母親がそれを受け取る。

 口にストローを銜えた時、俺はふと思ったままの懸念を口にした。

「間違っても吸い込まねぇでくれよ、母さん」

 ストローを口にしたまま吐き出しもせずに、母親は俺を見たまま動かなくなった。

 何やってるんだと思ったが、真横からも視線を感じて振り返ると、同じような顔でエースも俺を凝視していた。

 そうして俺はやっと、先ほどの自分の発言を思い出して、気まずくなった。

 ただ一人、ルフィだけが何も分かっていない顔をして、突然動きを止めた俺たち三人を、不思議そうに見まわしている。

「別に……、ずっと前からそう呼ぼうと決めてたんだ。ただ呼んでいいかなんて聞くのも変だから、今までタイミングが掴めなかっただけで……」

 言い訳がましく俺がそう言うと、エースが口を開こうと息をのみ、そのまま呑み込んでしまった。しかし、俺にはエースが何を言いたいのか何となく分かった。だから俺は必死になって言葉を続けた。

「だって、俺とエースとルフィは兄弟なんだぞ。なら、そのエースとルフィの母親なら、俺の母親でもあるじゃねぇか」

「……!? そう、なのか……?」

 俺の言葉に混乱したエースが、訊き返してきた。

 いい加減なことを言って煙に撒こうとしただけで、それに対して説明を求められても困る。でもここで言い包めておかないと、しばらくエースとの関係がギクシャクしそうな気がした。

 俺が何を言おうか考えあぐねている間に、母親が……ああもう、母さんでいいや。母さんが感心したように言った。

「わぁ、三段論法ときたかぁ」

「さんだんろんぽー?」エースが訊き返す。

「つまりな。AはBでBはCだから、AはCだっていう推論の型式だよ」

「????」

 余計混乱したエースは、眼を見開いたまま固まってしまっていた。

 自分で言ってなんだが、俺だってそんなこと知らなかった。

「まぁ、サボは賢いってことだね」

 母さんがさらりと言う。

 今更そんなこと知らないとは言えなくて、むっとしているエースの隣で俺は気まずい思いで黙ることしかできなかった。

 その後、母さんの言葉に思うところがあったのか、エースは街で本なんて買ってきて読みだすものだから、俺も知識では負けたくなくて競うように本を貪った。

 街で買ったどの本にも三段論法なんて書いてなかったが、母さんは俺とエースに質問攻めにされることが減ってにんまり笑っていた。くそッ、やられた!

 

 

 こうして俺たちは、長兄二人弟一人それから母親一人になった。

 それは俺が今まで経験したことのないほど、自由で温かな場所だった。こういう場所を『家族』と呼ぶのだと俺は思う。

 母さんは俺が知っているどんな母親とも違っていたし、頼りなくて危なっかしくて自由気ままで、子供みたいなところもあれば、老人みたいなところもある、母親らしくない人だ。でも、そんなことは重要じゃない。

 俺にとって母さんは母さんで、弟と一緒に守るべき家族だ。

 そして、いつもへらりへらりと笑っているのに本当は笑っていない、どこか寂しげな人。それが俺が息子になったテミスという人だった。

 

 

 

 

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