空と海と最後のブルー   作:suzu.

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06.知人の子は大きくなるのが早い

 

 誰かに会いたいと想う夜がある。そんな時は一人で酒場へ行く。

 会いたいと思うのに、誰に会いたいのかは分からないから、誰かを誘ったりはしない。誰でもいい訳じゃないのに、誰にも会えない。……そんな夜が私にもある。

 あまり込み合わないが、雑音と音楽がほど良く混じり合った薄暗い店を好んだ。上質な酒を出す店ならなお良い。酔えなくても旨いものは旨いだろうというのが持論だ。例え味がわからなくても。

 カラリ。涼やかな音と共に硝子杯(グラス)を傾けると、音に反するように喉が熱くなった。強い酒だ。少なくとも一気に飲み干すような楽しみ方をするものではない。だが熱は身体を巡ることなく、すっと波を引くように霧散してゆく。

 さらに杯を重ねようとして、目の前のボトルをかすめ取られる。伸ばした手がテーブルの上を彷徨った。

「そんな時化た顔で飲んでたんじゃあ、せっかくの上物が台無しだ」

 軽やかだが場にそぐわない陽気な声が降ってくる。

 その白々さが癪に障った。一人の静寂を破られた苛立ちが沸きあがる。

「酒は好きじゃないんだ」

「それは、知らなかったな」

 意外だとでも言いたげな言葉に、ようやく私は顔を上げて、背後に立つ男を振り返った。

 赤い髪に麦わら帽子。夜中の酒場に不釣合いなその帽子には、嫌というほど見覚えがあった。

「ずいぶん探しましたよ」

「……もしかして、シャンクスか」

「お久しぶりです、姐さん」

 そう言って帽子を取り、にんまりと笑った男の顔は、記憶の中にある少年の面影をはっきりと残していた。顔に残る三本の傷跡以外は。

「お前、ずいぶん男前になったな」

 揶揄い半分に指摘してやると、シャンクスは頭を掻きながら口ごもった。どうやらあまり触れてほしくない話題らしい。代わりにこちらをじっと見つめながら言った。

「テミスの姐さんはホント変わってねぇな」

「まぁね」そう言って苦笑する。

 テーブルの向かいに席を勧め、硝子杯を一つ追加し、改めて再会に乾杯をした。こうやって酒を酌み交わすことになるとは、時間というものは恐ろしく偉大だ。

「で、何か用?」

 カラカラと硝子杯の氷を弄びながら気だるげに問いかけた。

「赤髪海賊団の船長ともあろう者が、こんな東の果てで人探しだなんて」

 私を探してたんだろうと笑いかけると、シャンクスは生真面目に頷いてみせた。

貴女(アンタ)がマリージョアを去ったと聞いたので」

「謹慎中なんだ」

「まだ、ですか」

「そう、まだ」

 じっと此方を観察する眼に、彼がもうあの頃の子どもではないことを思い知る。

 溶けた氷が音を立てて二人の間に響いた。

「フーシャ村にいるらしいな」と私は言った。

「知ってたなら会いに来てくれよ。こっちはずっと探してたっていうのに」

「冗談」

 そう言って、ふふと笑う。

 実際、ずいぶん探したのだろう。この国だけではなく、東の海のあちこちでシャンクスの一味が現れたことは話に聞いていた。コルボ山にも何人か来ていたらしい。だが山賊の縄張りをむやみに荒らすことを嫌ったのか、ダダン一家のアジトまでは来なかった。さすがに山賊一家に世話になっているとは、思いもよらなかったに違いない。こちらも言うつもりはないが。

「まぁ、時間はかかったが思わぬ出会いもあったしな」

「いい女でもいたのか?」

 女でも作っていたら笑ってやろうと思ったのだが、シャンクスは酷く大人びた顔でこう言った。

「面白いガキがいるんだよ」

「どこに?」

「フーシャ村に」

 一瞬にしてフーシャ村の全村人の顔が頭をよぎる。

 もともと小さい村だが、その中の子どもといったら数人しかいない。そしてシャンクスに『面白い』などと形容されそうな子どもの心当たりは、一人しかいなかった。

「おい、それってガープの……。お前、ガープに殺されるぞ」

「それはやべぇな」

 シャンクスも知ってはいるのか、悪戯がばれた子どものような、それでいてばれるのを待っていたような、恐怖と期待の入り混じった器用な顔をしてみせた。

 一体何をしたのか。私とて、あえて一切接触しなかったというのに。

「あ。なんか、今。すごく嫌な予感がした」

「女の勘ってやつか」

「いや、ただの経験則」

 ぐいと一気に杯の中の酒を呷る。ぺろりと口の周りを舐めとって、酔えないなぁと栓なきことを思う。空になった杯にシャンクスが酒を注いだ。向こうの杯はちっとも減っていない。仕方なくもう一度杯を持ち上げたところで、姐さんと少し乾いた声で呼ばれた。

「俺の船に乗らないか」

「ぷっ」と声が漏れた。「あはははは……!!」

 思いがけず酒場に響いた笑い声に、周りの客の視線が集まる。片手をあげて謝罪すれば、特に興味も持たれずすぐに視線は散った。

「魅力的なお誘いだけど」

「そりゃあ残念だな」とシャンクスは言った。そして、「貴女には海が似合うのに」と女に甘い言葉を囁く貴族のようにほほ笑んでみせた。

「……言うようになったねえ」と私は言った。

 シャンクスは間をおいて、私をじっと見た。

 私は黙っていた。

「貴女の記録を見た」

 記録とは政府に保管されているもののことだろう。海賊の癖に何をやっているのかと呆れると同時に、たかが海賊が手出しするには度が過ぎる所業にいっそ感心すらした。まったく立派に育ったものだ。

「手に入れるのにずいぶん苦労したぜ」

 何を、どこまで知られたのか。たった一部でも政府は動くだろう。もとより見られて本気で困るような記録など、残してはいないのだとしても。

「貴女が政府の狗であり続ける限り――」

「だから、味方に引き入れて目の届くところに置いておきたい、と」

 相手の言葉を奪うように結論だけを言うと、シャンクスは黙ったままこくりと頷いた。そのどこかぎこちなくも幼い仕草に、同じ船に乗っていたあの頃の面影を強く感じた。

 彼は船員たちの中でも一層若かった。同じ年頃の赤い鼻の子とよくケンカしていた。一方的に向こうが怒鳴って、彼はいつも飄々としていたけれど、実は張り合っていたのを知っている。

 直面する困難の数々に感嘆の声をあげながら、必死に大人たちを追いかけていた姿を知っている。あの輝いたまなざしを、夢を語っていた力強い声を、別れた仲間に流した涙を、私は全部知っている。

 あれからもう12年だ。強い意志を秘めた眼は少しも変わっていないのに、笑い方だけが大人になった。今の彼は何のために海へ出るのだろうか。きっとあの頃とは、何もかもが違うのだろう。

「今、貴女を殺せば、世界は変わるんだろうな」

 そう言って、シャンクスは麦わら帽子を深くかぶり直した。隠された視線からピリピリとした殺気が伝わってくる。

 私は思わず、うふふと笑った。

「殺せるものなら殺してみなよ」

「……そういうところも、相変わらずだ」

「そうかなあ」

 そう言って、さも可笑しそうに笑いながらシャンクスを眺めた。懐かしい麦わら帽子の下で歪められているだろう顔を想像し、柄にもなく感傷的になった。笑うのをぴたりとやめて天井を振り仰ぐ。

「そろそろ帰るよ。子どもに怒られる」

「子ども?」シャンクスが顔をあげて訊ねた。

「子育て中なんだ」と私は事もなげに言った。

「……!? 姐さん、が……!?」

 シャンクスは絶句した。きっといろんな意味で言葉を失った。

 その顔を見ながら、こいつもなかなか失礼な奴だったよなあ、と昔を振り返る。

「言いたいことは分かるが事実だ。安心して、私一人で育てている訳じゃないし、私が産んだ訳でもない」

「どっかで拾ったのか」

 訝しげな声で訊くシャンクス。

 どうにも腑に落ちないと顔に書いてある。それはそうだろう。自分でも未だにどうしてこうなったのか分からないのだから、私の意図を探ろうとしたって無意味だ。

「いや、押し付けられた。遺言だよ、あの男の」

「まさか……」

 とある可能性を察したのだろうシャンクスが、それを即座に否定しようとして驚きに見開かれた眼で私を見つめる。私はそれで合っていると肩を竦めて笑ってみせた。

「笑えないだろう」

 シャンクスは何も言わなかった。ただ酷く真剣な顔でじっと此方を見ていた。

 そんな顔をされるとは思ってもいなかった。

「今ちょっとばかり反抗期でさ。この前も料理を作ってたら、そんなものが食えるかって飛び蹴りしてきてね。洗濯物持って行こうとしたら投げ飛ばされるし、掃除しようとしたら首絞められるし、山菜取りに行こうとしたら木に縛られるし……。ちょっと乱暴な子だけど、素直で人の話をよく聞くいい子だよ。父親と違って」

 最後を強調すると、シャンクスは微妙に引きつった顔をした。

 私はくすくすと笑った。

「そういう訳で、今この地を離れる予定は全くないんだ」

「変わったんだな……」

 ぽつりと呟くようにシャンクスは言った。

「変わるさ。私だって変わる。何もかもが変わっていくんだから。人も街も国も世界も、――神でさえもね」

 そう言って私は手の中にある硝子杯に視線を落した。琥珀色の液体が万華鏡のように反射していた。僅かばかりの明かりと表面についた水滴がきらきらと輝いている。

「変わらないものは過去だけだよ。……それだけは、どうしたって変えられない」

 残った酒を一気に煽る。そして帰るよと呟いて、私は金を置いて席を立った。

 去り際にシャンクスがもう一度私を呼んだ。私は振り返って言った。

「心配することなんて何一つない。何をしたって世界は変わる。私がいようがいまいが同じことだ」

 シャンクスはゆっくりとひとつ頷いた。

「でも、時代を変えるのは私の仕事じゃない。……いつだってね」

 私は少しだけ笑ってみせ、それからするりと酒場を出た。

 今度こそ呼び止められなかった。

 外に出ると、夜も更けた中心街は酷く静かだった。端町にほど近いとはいえ、酒を飲んで騒ぐ者がいない程度には上品な区域だ。

 私はしっかりとした足取りで外に通じる門へと急ぐ。大門が開く明け方にはまだ早かったが、今はすぐにでも帰りたかった。外に出る手段などいくらでもある。私はズボンのポケットに手を入れて、暗い空を見上げた。

 月のない夜だった。

 

 

 

 

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