空と海と最後のブルー   作:suzu.

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08.兄弟喧嘩は外でやれ

 

 しとしとと鬱陶しい雨がようやく止んだ。

 久しぶりに拝んだ晴れ間に、一家総出で洗濯をすることにした。ウチは大所帯だが、男手ばかりでロクな家事もできねェ奴らがごろごろいる。

 男だけじゃない。預かっている小娘なんかは、家事どころか何もさせることができないほどだ。正直、ガープからの預かりものじゃなければ、早々に簀巻きにして海に投げ捨てていた。

 今日も今日とて、いつの間にか洗濯物を干している手下たちに紛れ込んでいた。洗い終わった布団のシーツを手に取って、一歩踏み出した瞬間にシーツの端を踏んづけてすっ転んでいる。また洗いなおしだ。

 近くにいた手下たちが、二度手間だから手を出すなと厳しく言い聞かせているが、これもいつものことで、何度言っても聞きやしない。

 ふと見ると、エースの後について森へ入ろうとするガキの姿があった。生傷だらけの身体をものともせずに駆けていく。

 それに気づいた周りの手下たちが慌てて声をかけた。

「おい、ルフィ! おミーいい加減にエースの後追っかけるの諦ミろ。死んだら元も子もニーぞ」

「いやだ!! おれは海賊王になる男だぞ! こんな山なんともねぇ!!」

 ドグラが相変わらずの訛った言葉で止めるが、ルフィの奴は意地になっているのか言うことを聞かない。こういう所は血も繋がってないのに小娘と同じで、はた迷惑なことこの上ない。

「はぁ……、どうしようもねぇクソガキだな」

 思わずため息と一緒に悪態も出た。もはや怒鳴るのも面倒くさい。

 確かにテミスの体質に比べれば断然手はかからないが、あれはあれでゴキブリより生き汚くてしぶといので命の心配は必要ない。それに帰らない時はエースが迎えに行くので、預かっているという点では管理がしやすいのだ。

 だがルフィは、ちょろちょろと森へ入っては数日間帰ってこず、生きているのか死んでいるのかも分からない。

 エースが適当に連れ帰ってさえくれれば、後はどうだってなるのに。

「ったく。おいエース、一応お前が兄なんだから面倒をみてやりな」

 見かねてそう声をかけると、エースはキッと険しい顔で振り返り、あたしに怒鳴り返してきた。

「俺に弟なんかいねぇ!!」

「ああそうかい。じゃあ小娘、母親なんだからお前が何とかしな」

 予想した通りの反応を受け流し、今度は転んで座り込んだままのテミスに声をかける。しかし、こちらを見上げるように目を細めたテミスは「そうだねぇ」と、さらりと同意してみせた。

 あたしは唖然とした。

 ぴたりと、洗濯をしていた周囲の手下たちが動きを止める。エースも僅かに目を見開いてテミスを凝視していた。

 まさか、あれほど子どもに無関心だった小娘が、母親としての責任を感じているだと……!

 固まっている周囲の反応などお構いなしに、テミスは立ち上がると、「んじゃまぁ。とりあえず、ついて行くかな」と言って、何も分かっていなさそうにポカンとしているルフィの傍に行こうとする。

 しかしその足元に、ガッと石が投げつけられた。

「おふくろは来んな!!」

 怒ったような、それでいてヒドク焦った顔で怒鳴ったエースは、そのままくるりと身体を翻し、森の中へさっと消えて行った。

「あ! 待てよエース!!」

 慌ててその後を追って駆けだしたルフィが森に消える。

 その場にぽつんと残されたテミスが、こちらを振り返って笑ってみせた。

「ねぇ、ダダン。エースのああいうところ、すっごく素敵だと思わない?」

「ひねくれ過ぎてて、見てるこっちがハラハラするよ」

 うんざりして、あたしはそう吐き捨てた。

 

 

      ***

 

 

 結局、その日のうちにルフィは帰って来ず、三日後に生傷を増やして一人で帰って来た。

 今回はよほど怖い目に遭ったのか、先ほどから部屋の隅にうずくまって、ぐずぐずとべそをかいている。

 もうとっくに夕食も済んで、全員が思い思いにくつろいでいる時間だ。酒を飲むような蓄えはないが、カード遊びをしたり雑談をしたり武器の手入れをしたりと、それなりにゆったりと過ごしている。少し離れた所では、壁の方を向いて横になっているエースもいた。

 そんな賑やかな男共の声に紛れるように、ガキの泣き声がぐずぐずと絶えず聞こえてくる。いい加減、鬱陶しい。

 イライラして怒鳴り散らしたくなるのを押え、さっさと泣き止ませろとばかりにテミスを睨みつけた。

 テミスは床に包帯や消毒液などを広げて、ルフィの傷の手当てをしている。自分も怪我が絶えない所為か、手当だけは意外と上手い。

「もう泣き止みなよ。痛いぐらいどうってことないだろう? 死ぬ訳じゃあないんだから」

 消毒液を吹きかけながらテミスは平然と言った。

「イダイもんばイダイんだッ!!」

 液が傷に沁みたのか、びくりと身体を震わせてルフィが叫ぶ。

「そんなことで泣いてたら、海賊王なんて到底なれないね」

「う……!! だっで……」

「言い訳すんな」

 ぴしゃりと、テミスが口を閉じさせる。

 こうしているとそれなりに親らしくみえる。やろうと思えばできるんじゃねぇか。実際はあたしの睨みに屈しただけだろうが。

 唇を噛み締めて嗚咽を堪えようとするルフィに構わず、消毒を終えたテミスはするすると手際よく包帯を巻いていく。ルフィも傷が見えなくなってようやく落ち着いたようだ。

「何でおどなはみんな泣がねぇんだ?」

 まだ鼻をぐすぐすいわせながらルフィは訊いた。それをテミスはぼんやりとしたうわの空で「んー?」と返事をしておいて、しばらくしてから答えた。

「いや、泣くよ。誰だって泣く時ぐらいあるさ」

「なんだよ!! やっぱり泣ぐんじゃねぇが……!」

 それを聞いてぽこぽこと怒り出すルフィ。

 また騒ぎ出しやがったなと呆れていると、テミスが額にデコピンをして黙らせた。

「怪我が痛くてピーピー泣いてるガキと一緒にするんじゃない。ちょっと目を洗うだけだ」

 ぱちくりと目を見開いてから、ルフィは天啓を受けたように叫んだ。

「そうか! 目っでそうやっで洗うのか!! じらながった!」

「「いやいや違うだろッ!!」」

 素直に感心するルフィに、二人の会話を聞いていた周りが思わず突っ込みを入れた。

 もしかして小娘の奴、ルフィで遊んでいるんじゃないだろうね。振り回されるこっちは堪ったもんじゃない。

「何だ。違うのか」

 首を傾げて不思議そうにテミスを見上げるルフィ。

 その黒々とした丸い目を見下ろして、テミスは口の端を僅かに上げて笑った。

「違わない。洗うんだよ。泣くと、濁っていたものが落ちて、よーく見えるようになる。知らない間に目先ってのは曇るもんだ。だから、時には洗わないといけないんだよ。覚えておくといい」

「? わがっだ!!」

 絶対に分かっていない顔をして、返事だけは威勢よくルフィは応えた。

 時折、テミスはこんな風に、こちらが思わず考えてしまうようなことをいう時があった。いつもはふわふわとした笑みを浮かべて、適当なことしか言わないようなダメ人間の癖に、訊かれたことに関しては存外真面目に答えるのだった。

 だが、小娘の言うことをいちいち真に受けていても、こっちが疲れるだけだ。現に周りはもう誰もテミスとルフィのことなんて気にしていない。いや、一人いた。エースだけが、顔をこわばらせて背中越しにテミスをじっと横目で見ていた。

 

 

 タン、タン、と天井から音がした。

 その音は次第に短い間隔となり、音も激しくなっていく。どうやら雨が降り始めたらしい。

 カタカタと音を立てる戸口に嵐の予感がして、素早く周りの奴らに雨戸や外回りの指示を出す。

 にわかにアジトの中は慌ただしくなった。

 寝ころんでいたエースもむくりと起きて戸口へと向かう。家事の全てを掌握しているのはエースなので、運び入れた荷物などで部屋の中を荒らされることを嫌ったのだろう。無駄に細かな自分ルールがあるエースは、神経質なほど指示も細かい。

 動き回る周りを気にも留めず、手当てが終わったルフィはごろりと床に大の字に寝ころぶ。医薬箱をもとの棚に戻そうと立ち上がったテミスに、ルフィが寝ころんだまま声をかけた。

「なー、()()()()()。腹へったぁー」

 ルフィを見下ろしたテミスは、一瞬何を言われたのか分からないという顔をした。

 マズい。咄嗟にあたしはそう思った。

「――ッ!! いい加減にしろよッ!!」

 激しい雨音すらかき消すほどの声で怒鳴ったかと思うと、エースがルフィに殴りかかった。

「何すんだ!!」

 突然の暴力に抵抗しようともがくルフィ。

 しかし、寝ころんでいたのが災いして、馬乗りになったエースにされるがまま殴られている。この頃の三歳差は大きい。完全に力負けしているルフィだが、悪魔の実を食ったゴム人間ということもあり、そこまでダメージはないようだった。

 今まで何だかんだ邪険にしながらも、エースがルフィに手を挙げたことはなかった。それなのに、ここにきてエースに限界がくるとは思わなかった。いや、よく考えなくてもエースはもとから短気で喧嘩っぱやかった。最近大人しくしていたから忘れてしまっていただけだ。

 下から逃げ出したルフィとエースが、掴み合ったまま転げまわり、部屋はドスンバタンと音を立てた。

 周りの手下たちが尋常ではない様子に駆け集まり、やめろと叫ぶが耳に入らないようだ。

 ガシャンと棚から落ちた皿が割れて部屋に散らばった。

 もつれ合った二人は棚に当たったことさえも気づかず、部屋の中をめちゃくちゃに壊していく。

 机を吹っ飛ばし、隅に積んでいた洗濯物の山を引っかけてぐちゃぐちゃにし、囲炉裏の鍋をひっくり返して灰がもうもうと部屋に立ち込めた。

 目の前の光景に、カッと頭の毛先まで血が上ったように熱くなった。こんな馬鹿なことがあるものか!

「やめなぁあ二人ともッ!!!」

 これ以上アジトの中を破壊されては堪らないと、雷鳴を落す如く怒鳴りつけるが、飛びあがったのは周りの手下共だけで、クソガキ二人は止まらない。

 ランプが落ちて割れた。ふっと明かりが消える。急に真っ暗になった部屋に目が慣れず、視界は闇に閉ざされる。星月の明かりさえ届かない嵐の中で、激しい破壊音ばかりが聞こえてくる。

 こんな時に小娘は何を黙って見てるんだ、と怒りの矛先を変えて真っ暗になった部屋に視線を走らせる。ちょうどその時だった。

 

「――やめろ」

 

 たった一声。

 決して大きな声ではなかったのに、不思議とその声は部屋の隅々までよく響いた。

 時が止まったかのように、ぴたりと破壊音が止む。

 誰もが声が響いた方向を振り返った。

 ぼんやりと慣れてきた目に黒いシルエットが映る。月も星もない薄暗い部屋の片隅に、テミスはぽつんと立っていた。

 静寂が支配する部屋の中で、ざぁざぁと降る雨の音だけが場違いによく響いていた。ゴロゴロと低く唸る空。一瞬だけ、光を迸らせる雷がその横顔を見せた。

 テミスの白い横顔には、表情という表情がなかった。

「…………ッ!!」

 ぶわりと体中の毛という毛が逆立った。背筋を流れ落ちる冷たい汗にぞくりとする。

 これは誰だ? コイツはこんな人間だったのか?

 声にならない声をあげたのは誰だったのか。エースだったかもしれないし、ルフィだったかもしれない。もしかしたら、あたし自身だったかもしれない。もうそんなことさえも分からないほど、この場には息苦しいほどの重圧が満ちていた。

 テミスがこちらを振り返った。

 薄暗い部屋にぼんやりと白い顔の輪郭が浮かんでいる。その中で深い海の底のような暗い眼だけが、ちろちろと埋もれ火のように、此方を射抜いていた。

 今更ながらに、その容姿が他に類を見ないものであったことを思い出す。

 あたしは声をかけようとし、何と言うべきか言葉が見つからないまま、口を開けたり閉めたりした。

 そうこうするうちに、テミスの視線が私を通り過ぎ、平坦な声でテミスは言った。

「ドグラ、マグラ。二人を外の木に吊るしといて。……朝までそのままでいいから」

 ちょうどあたしの後ろにいた二人が、こくこくと無言で頷くのが気配で分かった。

 それを合図に、周りもそろりそろりと動き出す。

 壊れたランプの代わりに蝋燭を立てると、部屋の中にぼんやりとした明るさが戻る。誰も一言も声を発することなく片付けを始めた。

 ドグラとマグラの二人にロープでぐるぐる巻きにされている間、エースは手負いの獣のように、今にも飛び掛かりそうな形相でテミスを睨みつけていたが、抵抗は一切しなかった。青ざめて震える唇を、血がにじむほどに噛みしめている。

 対してルフィは拘束が終わった後、ようやく硬直が解けてじたばたと暴れ出した。

「おれ、わるぐねぇ!! 向こうが殴ってきたんだ!!」

 この状況で喚く元気があるとはこのクソガキは間違いなく大物だ。

 テミスが一歩一歩と近づき、座り込む二人を見下ろした。その冷ややかな視線に耐え切れず、ルフィは悲鳴のような息をのみ込んで黙った。

「ルフィ。エースが何で怒ったか分かる?」

「…………わがんねぇ」

「そう。じゃあ、よく考えてみることね」

 普段と違って、今のテミスには何を言っても無駄だと分かったのか、ルフィはくしゃりと顔を歪めた。目に涙が溜まっている。やがてひぐひぐとすすり泣きが口から零れ落ちた。

「エースは自分で分かるね」

「…………」

 顔を逸らすことなく無言で睨みつけるエースにも、テミスは一切動じることなく冷たかった。

「いいよ。連れてって」

 ドグラとマグラに声をかけて、テミスは奥の寝室にふらりと消えて行った。姿が見えなくなると同時に、部屋の空気が少し軽くなった気がする。

 知らず知らずのうちに詰めていた息を、あたしはゆっくりと吐き出した。

 いつの間にか嵐は過ぎ去っていて、雨脚も弱まっていた。

 エースとルフィは木の下に吊るされたことだし、この様子だと雨にはあまり濡れないだろう。ドグラとマグラは獣が来ても問題のない高さに吊っていた。

 テミスの白い顔が、ちらちらと脳裏から離れない。

 どうして忘れていたのだろうか。ガープが連れてきた娘は、あれで政府の役人だという話ではなかったのか。あの娘の体質とは呪いなのではなかったのか。

 いつも此方を馬鹿にしているのかと思えるほど、へらへらと笑いながら、はた迷惑な不幸体質で問題をまき散らしているあの駄目人間代表のような娘は、本当は一体何者なのであろうか?

 いつも周りから叱られながらも、ふわふわと気ままに生きていた小娘が、あのような感情を見せたことなどかつて一度もなかった。いや、今まで見てきたものは、感情などではなかったのかも知れない。

 どんなに酷い怪我を負っても、どんな罵声を浴びせられても、テミスはそういう時ほど完璧に笑ってみせた。――でも、あの笑みは全部偽物なのだろう。

 

 あの娘はきっとロクな笑い方も知らない。

 

 

 

 

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