1 まな板の鯉
携帯電話のアラームで目が覚める。
寝付きが悪く疲労が抜けていなかった
休日が明けてすぐ、次の日の1日の始まりというものは本当に体が重たい。ベッドから降りるどころか、布団を体から剥がすだけで重労働に感じるし、朝の身支度なんてもっとやりたくない。心の中で愚痴を言いながら、のっそりと上体を起こす。
「マジ、だるぅ~………」
壁掛け時計に目をやれば、針は午前5時50分を指している。夜明け直後で外は薄暗く、社会人でもまだ寝ている人間が居るような時間帯に起きなければならない職種についている事が本当に腹立たしい。
これぐらいの時間はいつもSNSで友人から仕事の連絡を教えて貰っている。寝起きで
『鈴谷起きてますか? 今日のスケジュールを貼っておきますわ』 携帯の液晶に目を通すと、数分前に送られてきていたメッセージの下に、友人が書いている通りに予定表の画像が
ぱちん、と音が部屋の中に響くぐらいに少し強めに手のひらで自分の頬を叩いて無理矢理脳を覚まさせる。大きく深呼吸をしてから、鈴谷は着替えてから朝食を摂るのだった。
朝早い時間帯で車通りの少ない道を、自分のシビックを飛ばして職場に着くと、適当な場所に車を止める。鈴谷はほとんど荷物の入っていない手提げ鞄を助手席から引ったくって、慌ただしく車から降りる。
赤レンガを積み立てて作られた塀に四方を囲まれて、同じくレンガ造りで広い敷地を持つ建物を観る。駐車場の近くに立っている看板には「第7・横須賀鎮守府」と書かれている。もう勤めて2年以上は経つはずなのだが、このこぢんまりとしていながら妙な迫力のある建造物に、どうにも彼女は慣れることがなかった。
眠気覚ましと口臭対策に噛んでいたガムを、吐き出すのが面倒で飲み込む。同時に彼女は小走りで、自動ドアが当たり前のこのご時世にあまり見なくなった、玄関の回転ドアに体を滑り込ませた。
建物の中は、まだ朝の7時にもなっていないのに、仕事中の人間で賑やかだった。夜勤明けで眠いのか、工具箱を持ってふらふらしている作業着姿のおじさまや、何かの書類を持って小走りしている同年代の女性やらに適当な挨拶をして横を通り過ぎる。鈴谷は廊下を走り、突き当たりにある大きな観音開きの扉を開けると、部屋の中に入った。
「すいませーん。鈴谷は遅れましたー」
気の抜けた言葉を発しながら、すでに上司と何か話していた同僚5人の横に並ぶ。自発的に宣言した通り、鈴谷は職場に遅れてきていたのだが、悪びれている様子は
横並びになった6人に対面するように置かれた机に座っていた自分の上司は、「いつものことか」とでも言いたそうに、なんだか情けない笑顔を浮かべている。そんな彼に代わって。あくびをしていた鈴谷に、右隣に居た、彼女と似た服装の友人が軽い説教を始めた。
「全く呆れますわ。社会人としての自覚が足りてないのでは?」
「始業が早すぎるのがダメなだけで私は悪くないもんね!」
「まぁ。そこまで開き直られると逆に感心しますわ」
学生の時からの親友、
普通に考えて上司の前でとんでもない発言をしていた鈴谷に。
「熊野さん、良いですよ。ですが鈴谷さん、出来ればもう少し早く来ていただけると私は嬉しいですね」
「善処しまーす」
「はい。お願いしますよ?」
鈴谷の「仕事」は6人1組で行われる。が、休み明けの日はたまに彼女は遅れてやってきて、その度に誰かに苦言を呈されてほんの少しの口論になる。それについて、ありがたいことに、鈴谷は優しい優しい佐伯から軽く
いつも通り、彼女には見慣れた光景だ。これが鈴谷にとっての仕事の始まりの風景だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
誕生の経緯だとか、どこから沸いて出てきたのか。10数年近くに渡って研究されているのにも関わらず、あまり詳しいことは解っていないその生き物に、今でも人類は海での行動に制限をかけられていた。
連中が出てきたばかりの最初は、それはもう酷かったらしい。体から生えている鉄砲サイズの銃口から、軍艦やら戦車やらのキャノン砲レベルの異常な破壊力を持つ弾丸を放ち。その攻撃力でタンカーや輸送船、客船を沈めまくり、経済に大打撃を与えたんだとか。
一応は軍艦や戦闘機による攻撃・撃沈は可能だった。が、人間サイズか、大きくても鮫やイルカぐらいで的が小さすぎて打撃を与えるのが面倒で、何よりも燃料や弾薬費とお金が掛かりすぎて。頭を悩ませた人たちはじゃあどうしたかと言うと、意外すぎる手を打つ。
魔術、という物に頼ったのだ。学生時代、それを教科書で読んで鈴谷は噴き出した覚えがある。
昔から人というものは神様とか魔法とかが大好きである。無神論者を名乗っている大半の日本人だって、あまり勉強しないで試験に挑む日とか、大事な取引がある日とか、人生のなかでほぼ必ず1回ぐらいは「あぁ神様!」って言う経験があるぐらいだろうし。
話を戻すと、悩みに悩んだ人達はオカルトに頼ったのだ。怪しい宗教の人間に、由緒正しきお寺のお坊さんや、自称陰陽師の血筋の詐欺紛いの自営業をしていた人とか。冗談半分でそういった人間を集めて適当な儀式をやったところ、事件は起こる。
妖精、と今では呼ばれている何かの召喚に成功してしまったのだ。たぶん、面白半分でやっていた偉い人は死ぬほどビックリしたんだろうなと鈴谷は思う。事実は小説よりも奇なりとは正にこういったエピソードを指すんだろう。
意図せず呼び出した2頭身の可愛らしいマスコット人種はとても凄い技術を持っていた。人にとって目の上のたんこぶだった深海棲艦と同じく、手持ちの銃火器ぐらいの大きさで凄まじい破壊力を産み出す武器、海を歩いたり滑っていったり出来る靴に、目に見えないバリアのような物が展開できる服やエンジンが組み込まれたリュックサックサイズの機械。なぜかどれも女性の、それも適性がある人物しか使えない物だったが、敵と戦うには十分すぎるオーパーツを作った。
嬉しい誤算が発生したことに、政府の人は大喜び。同じことの繰り返しで妖精を呼び出し、そしてその技術も少しずつ盗んでいって。量産された装備、今では船の設備に見立てて艤装と呼称するそれらを身に付けた女性を、今度は艦船の擬人化に見立てて艦娘と名前をつけて。
それらを指揮するトップを、提督とか司令官と付けて艦娘と同じく基地に配置する。そうして、海軍と名前は変わったが元を辿ると自衛隊と呼ばれていた組織が、深海棲艦の駆逐や捕獲をして海の安全を護っている。そんな状況が現在まで続いていた。
あ゙あ゙あぁぁ。どうしてこうも、面倒な世界に自分は産まれたのか。こんな職種に就くぐらいだったら、いっそ男に産まれたかった。
つい数年前まで、学校の教科書で読んでいた艦娘に、まさか自分がなるだなんて夢にも思っていなかった。鈴谷は朝に顔合わせした5人と隊列を組んで海を滑っていきながら、心の中でぶつぶつ呟く。
悪感情というのは、意識してもしていなくても顔に結構出てしまうようだ。鈴谷が内心で、少なくとも良いものではない黒い何かを煮ていると、すぐ近くに居た熊野に声をかけられた。
「鈴谷、調子はいかが。少し眺めていましたが、レディがする顔ではありませんわ。昨夜はよく眠れまして?」
「ぜ~んぜん? 鈴谷、夜型だしぃ~」
「あら、やっぱり褒められたものじゃありませんこと。夜更かしは美容の大敵なのはお分かり?」
「知ってるけどさ、やりたいことが多くて」
一日が60時間ぐらい欲しいな~ 鈴谷が言う。熊野は話題を変えた。
「そう言えば、それ、また染め直しましたのね」
「そ。綺麗でしょ?」
質問に得意気な顔で返した鈴谷へ、熊野は何ともいえない微妙なひきつった笑顔を向けた。親友の事を変な顔で見つめるのにも理由がある。
鈴谷の髪の毛は、一般人を取り込んで緩くなったとはいえ、一応は軍を名乗る組織に所属する人間とは到底思えないような色をしている。少し薄めのターコイズブルーなんて、ファッション関係の職種の人間でもそうは居ない色に染めた髪を手で弄りながら、鈴谷は熊野との雑談を続けた。
一応は、民間の企業にシステムや理念が変えられているのだが。細かい規則なんかは未だに厳しい軍隊に勤めていながら、鈴谷がそんな事をやっているのには意味と訳があった。
というのも、彼女は自分からなりたくて艦娘になった訳ではない。本当に目指していた職業は看護師だったのに、適性があるとかないとかで、無理矢理、この仕事場に所属させられたのだ。妙な色に髪を染めたのは、彼女なりの「会社」に対する反骨精神の現れである。
自分を砲弾飛び交う戦場に引きずり込んだ軍と、そんな状況を作り出すに至った根本の原因である深海棲艦とかいう連中にイライラする。が、この2つが居るから儲かっている人達も居るので、そう簡単に居なくなっても困るのが面倒なところか。
保険会社なんかは商魂
「お前ら、雑談もほどほどにな。もう少しで敵が来そうだ」
「了解でーす」
「承知しました」
人を二人ほど挟んで、少し離れて前にいた
那智、鈴谷、熊野。これらの名前も彼女らの本名では無かった。艦娘の名前というのは、鈴谷の記憶が正しければ第二次大戦の軍艦の名前から取っていると偉い人から聞いている。あまり意味はないように個人的に考えていたが、一応ゲン担ぎみたいな物らしい。付け加えて、何かの間違いで提督職の者が死亡し、指揮を取る人間が代わったりしても覚えやすいように、という理由がある。
先頭に居た那智の発言に、鈴谷熊野以外の3人も緩んでいた気を引き締める。
無駄話をやめて1分もしなかった。鈴谷が水平線を睨んでいると、ぽつぽつと黒い何かがこちらに向かって進んできているのが見えた。自分達の敵、深海棲艦の、魚類のような見た目をしている駆逐艦級だ。ちらほらと違うのも混じっているが問題はない。
6人は各々持っていた火気類の安全装置を外し、敵に向けて構えた。先手を打ってきたのは相手からだった。
鈴谷他、6人全員は慣れた様子で攻撃を避けた。外れた砲弾が海面に当たって飛沫が上がり、鈴谷は頭から海水を被って目を細める。初めて海に出たときが懐かしい。最初の頃はおっかなびっくり、それこそヘマをすれば自分は死ぬと思っていたが、今ではすっかりそんな感情も沸かなくなっていた。
戦闘に入ったと同時に鈴谷は艤装の出力を上げる。足元から自前で巻き上げていた水煙が大きくなり、エネルギーを生み出す動力部が唸る音も先程までとは比べ物にならないほど
『一捻りで黙らせてやりますわ!』
反撃に移るのが一番早かった熊野の声が、胸に付けていた無線機から聞こえてきた。お嬢様は好戦的な性格なのは長い付き合いなので知っているが、よくもまぁ、こんな朝から元気でいられるなと感心する。
『イ級が3匹にホ級が2、一番後ろにリ級だ』
『了解!』
『イ級1、沈黙を確認しましたわ』
「じゃあ、私は真ん中のホ級ね」
右に左に体を揺すり、敵に補足されないようにと動きを止めないことを心掛ける。脇に抱えていた火器を一発、本棚にヒトの上半身が生えているような化け物に見舞う。
当たりどころが良かったらしい。たった一撃で、鈴谷が狙った敵は金切り声を挙げて沈んでいった。
さっさと終わらせて帰ることしか頭に無い彼女はすぐに違う武器を構える。装填の手間と時間すら惜しい。そう素早く判断し、背負っていた対艦ロケットランチャーの引き金を引く。狙った先には残った深海棲艦が3匹ほど固まっている。
「あっちいけっての、この!」
「*$)'::-:-&*&:&)=@``@^:^?!!!!!」
「那智さーん、とどめ!!」
『わかってる』
砲と違って、あまり敵に効く武器ではないそれらから、赤いカラースモークを飛行機雲のように巻き上げる弾が敵に殺到する。ボイスチェンジャーを通したような声で怒鳴り散らし、爆煙に包まれた敵から目を逸らさず、鈴谷は味方に追い討ちするように指示した。
『敵、全て沈黙しました。先に行きましょうか』
「は~い………はぁ」
たかが2年と少しとはいえ、全員戦場に出て久しい。火気類なんて触ったこともなかった時から考えれば、言うまでもなく、ただの素人とは呼ばれない程度には艦娘として熟練者になっていた。
特に苦もなく敵は全て倒して。6人は引き続き海上警備の作業に戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「疲れた……もう帰りたい」
「鈴谷、まだ昼だぞ」
「那智さんは辛くないの?」
「さぁな?」
「なにそれ………」
鈴谷が自分の肩を叩きながら言うと、同い年の同僚から突っ込まれる。
朝の7時頃から、ずっと6人は海を駆けていたが。敵との初遭遇の後も散発的な戦闘を繰り返すこと、およそ7、8回。時刻は12時近くになっていた。あぁ、やっと昼ごはん休憩か。那智の発言に腕時計を覗いて鈴谷は肩を落とした。
艦娘の仕事というのは結構ハードだ。今日の鈴谷の場合は、朝の6時半までに鎮守府に来て点呼、7時に海に出て昼に1度戻って休憩と補給。それが終わるとまた海に出て、日が落ちきった19時ごろにやっと帰投して解散、帰宅である。
ダルい、メンドい、もう、とにかく嫌! 鈴谷に言わせればそんな仕事なのだから、最低で半日、たまにはそれすら超える時間の拘束なんて
自分の艤装をぶっ壊して売り飛ばし、そのお金で高跳びでもしてやろうかこんちきしょう! ……何度思って決行しようとしたかわからない発想である。おまけにこの艦娘の装備のブラックボックスは未解明の技術が使われているらしい。テロリストとかにはさぞや高く売れるだろうな、と未だに危なすぎる夢を見ていた。
余談だが、変な技術が使われているなんて、無知な人間からすれば危険に思うかもしれないが。これも見方と多少の知識で考えれば、特に変なことでもない。
わかりやすい例で言えば、例えばテレビゲームのディスクやカセットのコードである。電子コードやIT産業というものが技術発展はしているが、未だに「この文字列を打ち込んでどうしてこう動くのか?」という事もわかっていない物を、とりあえず正常に動くから使おうなんてやっている、というのは、パソコンに疎い彼女でも聞いたことがある。
考え事に
「あ~――――ッ!! やっとお昼かぁ。疲れすぎて食べたそばから吐くかも……」
「人一倍食べる貴女が? ありえませんわ」
「ジョーダンよジョーダン、それだけ疲れてるって言いたいの。」
肩を落としてゾンビみたいな歩き方をすると、熊野に茶化された。鈴谷はすかさず発言に補足を加えたものの、友人は「あぁそう?」と笑い、まともに対応しようとはしなかった。
やっている業務の都合上、どうしても足元は海水でグチャグチャになる。鈴谷は濡れた靴下の感触に気持ち悪さを感じつつ、シャワーでも浴びたあとにさっさと昼食を済ませてしまおうと建物に入ろうとしたときだ。特に意味もない雑談を仲間と交わしていると、自分の上司が外で誰かと話しているのが見えた。
何やら人相の悪い男にペコペコ頭を下げている佐伯のすぐ近くの駐車場には、見慣れない黒の高級セダンと、男の側には部下と思わしき女性が1人立っている。あぁいうのを見ると、管理職って本当に大変そうだな。まるで他人事だとそう思っていたときだった。ちらり、と男がこちらを見てきたのに気が付いた。
「ねぇ、誰あれ?」
「私に聞くな。どこかの提督じゃないのか」
「どこかで見たことがあるような……」
「どこかってどこさ熊野?」
「だから今思い出している途中ですの」
何だか気になるものがあると、すぐに足を止めて知人と立ち話になるのは、この世の女性全員の特徴とは言い過ぎか。少なくとも鈴谷のクセではあった。
1度目だけだったら気のせいだと自分に言い聞かせたが。なんどもチラチラやられると、少しカチンと来るものがある。こちらの何かを監視するような態度が少し気に入らなくて、彼女はお返しとばかりに相手にわかるように男の方を向きながら那智、熊野の2人を巻き込んで話をしていると。
どうやら
「お前が鈴谷か?」
「そうですけど」
やっば。メンドい事になっちゃったかな? 内心ではそう思いつつ、偉い人か何かかと予想して一応敬礼しておいた。
ガン見しながらガールズトークの話の種にしたのは流石に不味かったか。よし、2人に擦り付けて早くお風呂に……。そこまで考えて鈴谷は振り返る。迷惑極まりない計画は崩れ去った。那智も熊野もさっさと鎮守府に入っていったのかもう居なかったのだ。
「貴様なんだその髪は? 軍をナメているのか?」
「……………」
そう来たか。自分が男だったら、下手をすれば髪の毛を引っ張られてパワハラでもしてきたんじゃないか、なんて容易に想像できる剣幕で言われて。鈴谷は目を細めながら男に応対する。
「成果と能力が認められれば、個性を主張して良いと提督から聞いてます」
「そんなふざけた色に染めるのが許されると思っているのか」
「そのぶん真面目に仕事してますよ」
「そういう問題じゃないと言ってるんだ!! 風紀が乱れる、貴様のような奴が居ると、それが許されると勘違いするバカどもが増えるんだ!! わかったらさっさと真っ黒に染め直せ!!」
呆れた。「バカども」さえ無ければ少しは反省しようと思ったのに。
がなりたてる目の前の人物の真ん前で、目くそでも飛ばしてやろうかという気分になる。全く怖じ気付く様子すら見せず、あくまで鈴谷は
「鎮守府内はここの提督がトップで、従えとの規程ですから、貴方に指図される覚えはありません」
「……………今何と言った?」
「貴方の言うことが聞きたくないです」
「なんだその態度はぁぁ!!?」
うるさっ!
1mも距離がない場所からものすごい大声で怒鳴られて、鈴谷は耳元で風船を爆発させられて鼓膜がキーンとするような感覚に見舞われた。頭に血が昇りやすい人間を指して「瞬間湯沸し器」と表現することがあるが、まさにこういうおじさまの事を指すんだろうな、なんて思った。
鈴谷がこんなにも相手に暴言じみた
本人に自覚は無かったが。不幸なことに、鈴谷……本名は
秘書官と艦娘を掛けた秘書艦という役職がある。日替わりのこれに任命された時は、書類仕事を提督の佐伯よりも手早く済ませ、余った時間を昼寝にあてた。日常業務でも倒した深海棲艦の撃沈スコアは少ないが、それは味方のフォローに回ることが多いだけで、実際は高い。
ついでとばかりに、新米として配属された艦娘への指導役を頼まれた際も、もともと人に物を教えるのが好きだった彼女には、それはむしろ楽しくやれる仕事だった。おまけに彼女の教えを貰った艦娘は能力が高い者が多く、教え子たちのことを「鈴谷ブランド」とか言って誉める人まで出てくるぐらいだ。
簡単に言うと、彼女は「手を抜く」というのを意識しないと出来ない性分だった。お陰でいつも仕事は全力でこなして成果を出すせいで、周りからは非常に頼りにされてしまっているのである。
とてつもないアンポンタンだったり、人が寄り付かない破天荒な性格だった方が彼女には幸せだったか。悲しいことに、必ずしも本人の意志と能力が噛み合うとは限らない。仕事が辞めたくて仕方がないのに、鈴谷は艦娘として必要な能力が軒並み高水準だった。
今現在こそ虫の居所が悪すぎて爆発しただけで、別に普段からここまで素行に問題がある人間でもない。軍が手放すわけが無かった。
「…………はぁ。何してんだろ」
良い年して上に噛みついて。それでラクになればみんな苦労してないっての。シャワールームで汗を軽く流して来ると、軽く頭が冷える。冷静になってみなくても凄いことしてたな自分は、と少し前に外で上官をおちょくった事を思い出す。
安物の腕時計を見ると、2時間と少し多目に設けられている休憩時間もあと半分と少ししかないと確認して。着替えを早く済ませると、鈴谷は小走りで食堂に入り、その場で購入した食券を給仕の者に渡して空いている席に座る。
出撃から遅く戻ってきた事に加えて、完全に自滅だったが説教に首を突っ込んだのが悪手だった。あぁ、貴重な休み時間が。座り心地の良い椅子の背もたれに全体重を乗せてぐったりしながら、広い部屋の中、1面ガラス張りの部分から見える水平線を見ていると。頼んだオムライスを運んで給仕が来るのと同時に、隣に誰かやって来た。
「隣空いてるか?」
「うん、大丈夫だよ~」
「ありがとさん」
小脇に黒い外套を抱え、少し丈の短い水兵服に顔の右目に眼帯をしているのが目を引く人物だ。名前を
那智や熊野と同じく、自分と同期で朝の出撃にも一緒に出た相手は持っていた服を背もたれに掛けて椅子に座った。一連の様子を見てから、鈴谷は食事に手を付けようとしたときだった。隣から視線を感じる。何かと横を見ると、木曾が自分の顔を見てニヤニヤしている。
「何? なんか顔についてる?」
「いんや、こってり絞られてたなとおもってよ」
「なにさ、覗き見してたの? 趣味わるわる……」
「他の奴等はすぐに帰っちまったがな、ちょっと面白そうだから俺だけは陰から見てた。ウケたね、あのゴリラみたいに怒ってるヤツさ!」
自分がここに着いたときにはもう食事を済ませていた熊野達の中に居なかったのはそういうことか。遅れてきた自分と何故か昼食の時間が被った相手に、悪趣味だと毒づく。
やったことを批判されて、鈴谷に向かって、悪いね、と木曾は軽く流して見せると。彼女は私物の肩掛け鞄から1枚の少し大きな新聞のスクラップを広げて、オムライスの皿の横に差し込んだ。何かと思って鈴谷の視線が強制的に記事に向かう。少しびっくりした。いましがた口論してきた男の写真が載っている。
「熊野が思い出した!ってよ、これをお前に見せろって」
「ふーん……新聞載るぐらいのお偉いさんと」
「佐伯も可哀想に。蒼い顔してたじゃんかよ」
「変な噂もけっこー聞くヤツさ。気に入らないヤツはこいつの権力で飛ばされたとかね」
「へぇ、鈴谷には好都合かも」
「辞めたいからか」
「そ!」
木曾が苦笑いしている。畳み掛けるように鈴谷は続けた。
「でもアタシは、やーね! 顔も悪いしすぐ怒鳴るし。だいたい裏でこそこそと悪巧みなんて時点で男らしさの欠片も無いじゃん?」
「ほー? じゃあうちのナヨナヨした提督サマは?」
「佐伯提督は、そりゃ病弱で色白だけどさ、芯はしっかりしてるっしょ。やるときはやるってカッコいいよね、あと結構イケメンだしぃ?」
鈴谷の発言に、木曾はひきつった笑顔を弱くした。彼女の言う通り、この場所のトップを務める佐伯は、決まって1ヶ月に2、3回ぐらいはいつも風邪をひいて体調を崩す虚弱体質だ。が、人柄と顔立ちはそれなりに整っているので、人望は厚い。
「でも本当、お前のそーゆートコ尊敬するよ。俺なんか再就職のアテ無いし辞めるつもりもないし、飛ばされたらどーしよって戦々恐々だぜ」
「嫌なものは嫌! ぜぇ~~~ッッッ対に嫌!! 口に出さないと延々と付きまとわれるのが嫌だから私は口に出すんだもんネ!」
「ははは。面白い事言うな」
「笑い事じゃないよ……ホント何したらやめられるのここって? 提督にナニする!?」
いくらなんでも流石にそれはやめた方が…… いつの間にかに食べていたのか、もう皿に盛られた料理が半分になっているのを見ながら、木曾は頭を抱えている鈴谷を
「ん~……? あ、そうだ、大怪我でもすれば良いんじゃないか? 手足の1本吹っ飛ぶぐらいの」
「うわっ………それ本気で言ってる?」
「冗談だよ。だがまぁ、あそこまでやっても囲い込んで来るぐらいだからなぁ……それぐらいやらないとダメなんじゃないか?」
まぁ本当のところはお前さんが優秀すぎるのが一番の問題だと俺は思うがね。木曾の口からそんな言葉が飛び出そうになったが、彼女は滑りそうになった舌と喉にブレーキを掛ける。テーブルに突っ伏しかけていた鈴谷はいきなりガバッと上体を起こして口を開いた。
「ふん、上等じゃん! 辞めさせてくれないんなら鈴谷は悪の限りを尽くすね!」
「山賊か何かかよお前は」
ホント、ブレないのね。滅茶苦茶な事を言って、また鈴谷は木曾に少し落ち着けと諭された。
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