職業=深海棲艦   作:オラクルMk-II

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これにて一章は終わりです。
エタったように見せ掛けても更新しちゃうんだなぁこれが!(byゾルタン)


10 あの雲の向こうまで

 

 

 

 夜が明けてすぐ、まだ日の出きっていない薄暗い早朝。鈴谷は鎮守府から徒歩で歩ける範囲にある港に、とある用事から来ていた。

 

 佐伯、那智、熊野と鎮守府の中ではそれなりの立場の3人が、夜通しで会議をしていたらしいのだが。その結論として、鈴谷の「やりたいこと」は通ったから、と朝に自分を叩き起こしに来た熊野を思い出す。彼女によれば、鈴谷を送り出すにちょっとした準備があるため、と、この場所を指定されたのだ。

 

 満潮と話をしていたときから4時間も経っていない時間なだけに、完全に睡眠不足で、この深海棲艦の顔にはくっきりと隈ができてしまっている。熊野の言ったこととは別の理由で鈴谷はわざわざ車で来ていたが、眠い目を擦って約束の時間を待つ。

 

「…………………はぁ」

 

 昔は立派なヨットハーバーだったらしいこの場所も。深海棲艦の登場なんてイベントが起きては、船遊びをする者はすっかり減ってしまったため、ぽつりぽつりと小型船舶が停めてあるだけの寂しい風景が広がる。

 

 残された少ない船はほとんどが白色だったが。その中に、1つだけ黒い船を見つける。何だか仲間外れみたいに少し離れた場所でゆらゆらしているそれに自分の姿を重ねてしまい。自然と溜め息が出た。

 

 開けていた運転席の窓から冷たい風が入ってくる。髪の毛が緩くなびく程度のこれは、眠気を強くするぐらいには心地よい物に感じられた。

 

「…………義父(とう)さん。」

 

 あなたに、最後に挨拶ぐらいはしたかったなぁ―― ズボンのポケットから家族写真を出して眺めていると。そんなつもりは無かったのだが、鈴谷は思わず泣き出してしまう。

 

 かなり強い眠気に(さいな)まれていた筈なのに。シートに深く腰かけていても、不思議と寝落ちする気はしなかった。

 

 歩いて行ける場所に、回りくどく車で来たのは。それは、昔は父の所有物だったシビックの中で、ほんの少しでも父親を感じていたい……そんなように思ったからだった。

 

 (すす)り泣いて濡れた頬を拭う。時計を確認すると、集合の時間まで残り5分を切っていた。

 

「……さよなら。義父さん、いつか必ず帰ってくるから」

 

 

 行ってきます。

 

 

 車のダッシュボードに写真を仕舞う。

 

 未練がましく、たっぷりと1分かけて乗り物から降りる。

 

 鈴谷は開いた窓から車内にキーを放って投げ入れると、待ち合わせ場所へ向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 車から降りてすぐの場所に、丁度良い場所を見付けて腰掛ける。

 

 本来は釣り人なんかが待機する時に使うベンチに座り、重い目蓋を薄く開けて相手を待つ。繰り返すが満足に取れた睡眠時間は4時間と少しで、いつもの鈴谷ならどうということは無かったが。妙なことばかり起きた最近のせいで、体も心も疲れが抜けていない。

 

 目を半開きにして、数秒間落ちる。そんな、自分が寝ている事にすら気付かないで居るときだった。耳元で女の(ささや)きが聞こえ、体をびくりとさせて鈴谷は意識を戻す。那智だった。

 

「ふふふ……眠いのかい? 寝顔がかわいい事になってるぜ」

 

「えぇ………うん」

 

 多少ビックリしながら相手の顔に向き直る。那智はにんまりと笑いながら、鈴谷の隣に座った。

 

「おはようさん。どうした、やけに早いじゃないか?」

 

「何も持たないで出てきたもの。熊野に叩き起こされて何が何やら……」

 

「そうか。でもここに居たって事は伝言は聞いたってことだな。熊野にはあと20分ぐらい後の時間に、お前さんが来るよう仕向けろと言ったんだがね」

 

「熊野らしいや……時間に厳しいんですよアイツ。私って結構ギリギリに来るタイプだから。多分わざと()かしたんだ」

 

「ははは、そりゃカワイソー」

 

「笑い事じゃないですよ……昨日ぜんぜん寝付けなくって」

 

 会話の最中、鈴谷の目の下にかなり深い隈が出来ているのと、誰が見ても解る程度には顔に浮かぶ疲労の色が濃いのを見て。那智は薄笑いを顔に貼り付けたまま続ける。

 

「……重たい話していい?」

 

「………………どうぞ」

 

「ありがと。お前、親父さんに会えなくて寂しいな、とか今考えてたか?」

 

「!!??」

 

 一瞬だったが、鈴谷の眠気が完全に吹っ飛ぶ。

 

「なんでそれを」

 

「お、考えてたのか。すごいな私。エスパー名乗ろうかな?」

 

「ごまかさないでください。父に何かあったんですか」

 

「電話したんだよ。鈴谷、入院中に親父さんと多少はメールとかでやり取りはしてたんだよな?」

 

「えぇ、まぁ。心配してたと思うし……」

 

「実は、こっそりこっちでも色々連絡は取ってたんだ。お前だけじゃなく、職場からも「大丈夫だ」って言ったら安心してくれるかなって思って」

 

「あぁ、それは確かに」

 

「ただ、もう陸に居るつもりは無い訳だろ。流石に娘が深海棲艦になったなんて言う度胸は無くてさ……遠回しに伝えておいた」

 

 膝の上で指を組み、那智は難しい顔をする。鈴谷は何を言ったのか、と聞いてみた。

 

「どう伝えたんですか……ちょっと想像つかないです」

 

「……貴方の娘さんは、海外に転勤する。って言っといた」

 

「……………賢明ですね。無茶苦茶だけど」

 

「そう思う?」

 

「うん」

 

 「はぁ~」とわざとらしいため息を吐いてから、那智は言う。

 

「そもそもの話、お前が大怪我した時点でこっちの失態だし。そこでは何も言われなかったけど、今度こそこっちは怒鳴られるだろうなって覚悟で言ったんだよ」

 

「……………」

 

 ニヤリ、と笑って鈴谷は突っ込む。

 

「怒られなかったでしょ? むしろ海外転勤するぐらい快復したって捉えられたんじゃないの?」

 

「なぜわかった!?」

 

「あのオヤジ変わった感性してますから。あと、電話をかけると必ず格言みたいな事言ってきたり!」

 

「すごいな……流石娘。合ってるよ、ほとんどそんな感じだった。私は拍子抜けしたがね」

 

「へぇ……なら、何言ってきたか当ててみましょうか? そうだな……俺より先に墓に入ったら許さん! とか?」

 

 鈴谷が言いたいことを終えると、那智は少し身を引いてひきつった笑みを浮かべた。あれ、何か変なこと言っただろうか。そう思って焦るが、相手はすぐに答えを教えてくれた。

 

「うわ……そこまでピタリと当てられると薄ら寒いよ。「絶対に俺より先に死ぬな。もし先立つような事があるなら俺が殺す」だってさ。面白い事言うなって思ったよ」

 

「え、当たっちゃった……冗談だったのに」

 

 会話が一段落する。一旦2人の口の動きが止まり、お互い顔を見合わせて思わず噴き出してしまう。

 

 那智に、「仮眠でも取れば?」と提案されて。鈴谷は彼女の膝に頭を乗せて横になった。

 

 

 

 

 その状態のまま、うつらうつらとしていること数分。パンパンに荷物の詰まった大きなリュックを背負い、両手にキャンプ用品を持った熊野が駆けてきた。それに合流するように、佐伯、蒼龍、木曾と同僚達が集まる。

 

 人の気配で目が覚めた鈴谷は、あくび混じりに親友に尋ねた。

 

「熊野、どこ行ってたの? あ、提督おはようごさいます。」

 

「訳は後で話しますわ、どれでも構いませんから、急いでこれら一式に着替えてくださいまし」

 

「えっ」

 

「ほら早く!」

 

 鞄を体に叩きつけられて鈴谷は体勢を崩した。

 

 何が何だかさっぱりわからないが、切羽詰まる理由は有るのだろう、と、人目を気にして車の中で言われた通りに下着を除いて着替える。

 

 リュックサックに入っていたのは大量の肌着・上着の類いだった。それも、防水・撥水(はっすい)系、または速乾性の物ばかりで、中には水着も幾つか入っている。

 

 私物の運動靴を脱ぎ、マリンシューズのベルトを足首に巻いていく途中に。鈴谷は何事かと周りの人物に聞いてみる……前に那智に先手を取られた。

 

「あのさ…」

 

「海に出るなら、こういう服が必須だろってな。熊野が昨日で金に物言わせて揃えたそうだ」

 

「……マジで?」

 

「現代の海なんて危険しか無い不毛の地ですもの。最善を尽くすにも、水を吸って重くなる装備など悪手も良いところでしょう?」

 

「……ありがとね、無茶聞いて貰っちゃって」

 

「礼には及びませんわ。どうせ使うアテも無い貯金でしたし」

 

 自覚していなかったが、どこか寂しさの漂う笑顔で感謝した鈴谷に。熊野は凛々しい表情で返答してくる。

 

 着替えが終わったと同時に、今度は艤装を着けろと言われて、鈴谷は那智と蒼龍から物を受け取って体に固定していく。軍の備品を勝手に持ち出して大丈夫かと聞けば、元々鈴谷が使っていたもの以外は、廃棄する予定だった使い捨てみたいなモノだから平気だ、と返される。

 

 装備の砲やら何やらを背負うのがやけに久し振りに感じられた。暇をしていたのは1ヶ月と少しらしいが、体感的には2週間と経ってないのにな、と思う。

 

 着けづらい場所の物を手伝って貰っている時。ふと、那智が思い付きを喋る。

 

「……このウネウネ、もっと武器積めるんじゃないのか?」

 

「あら、那智、良い意見ですわ。自分もちょうど思っていました」

 

「あ、なら副砲足そうよ。予備弾倉の代わりに」

 

「ナイスアイディア!」

 

 装備の懸架(けんか)に使う頑丈なマジックテープで、ガチャガチャと鈴谷の体を弄くり回しながら3人が色々喋る。端から見れば楽しそうだが、鈴谷から見て、誰一人として目だけは笑っていなかった。

 

 自分の事を思って色々考えて行動してくれているのは解る。また、自分と同じく今日・昨日の現実離れした状況に思うところもあるんだろう。が、流石にその気が立っているのがあからさまな表情は少し怖くないか。そんなような事を考えていた時だった。

 

「根上さんッッ!!」

 

「………あらあら」

 

 背後から聞こえてきた声に。着替えを覗かないようにと反対を向いていた佐伯を除いた全員が振り返る。鈴谷が顔を向けると、浜波と手を繋いでいる直海が居た。

 

「……あちゃ~。見付かっちった」

 

「直美、ちゃんが、つつ、ついてくッ……て。きか、聞かなくて……」

 

「はぁ……やってくれたな浜波。そら、見たらわかるよ。」

 

 那智がタメ息混じりに言い、片手で頭を抱えた。わざとらしさの溢れる身ぶりの後に、彼女は浜波に小声で問い詰める。

 

「女の子にはどこまで話したんだ?」

 

「ずやっ、すず、鈴谷さんっが、遠出するって」

 

「遠出……ねぇ。「転勤」とかのが合ってないか?」

 

「! すすす、す、すいませっん!」

 

 なるほどね。鈴谷が聞き耳をたてて一人納得していると。2人を放って、直海が自分の手を握り、尋ねてきた。

 

「転勤って、どこになんですか……そんなに遠いんですか。いつ、戻ってきますか……」

 

「遠いかなぁ……場所はちょっと、詳しくはお姉さんもわからないの。戻ってくるのは、ナオちゃんが子供から大人になった頃かな。元気してるんだよ?」

 

 答えになってないよナ。これ。自覚しながらそうやって誤魔化そうとすると、直海は鈴谷が予想していなかった部分に食い付いてくる。

 

「こっ、子供じゃないもん!」

 

 あぁ、そう来る? 笑いながらあしらう。

 

「なーに言ってんのさ。小学生なんてまだまだちんちくりんよちんちくりん。悪い大人は知らないけど、ここのおねーさん・おにーさんは()い人だから。言うこと聞いてあげて、ね?」

 

「……はい゛っ!」

 

 あらあら声が上ずってる。少しはぐずるかと思えば、意外とそんなように聞き分けがよかった相手にそう思ったときだった。

 

 「これ、持っててください! そして絶対返しに来て!」 女の子が掌に何かを乗せて自分に向けて突き出してくる。

 

 直海が差し出してきたのは、てんとう虫の形をした鈴の髪留めだった。子供ながらにいい趣味をしているな、等という感想が頭に浮かぶ。

 

 慣れた手つきで前髪をそれで留める。努めて笑顔を崩さないようにして、鈴谷は感想を聞いた。

 

「どう? 似合ってる?」

 

「はい! と、とっっても素敵です!」

 

「ありがとう……いつか必ず。また会いに来るから!」

 

「うん!」

 

「よしよし。いいこいいこ……ほらほら、泣かないの」

 

 真顔のまま涙を流し始めた彼女の顔を、持っていたハンカチで拭う。そのまま彼女のことを浜波に任せると、次に佐伯がこちらに寄ってきた。

 

「準備は整いましたか。お着替えは?」

 

「できました。人付き合いって大切だなァって実感してます。みんな私のためにこんなにしてくれたんだし」

 

「ふふっ、鈴谷さんらしいです。こんな状況で悲壮感の欠片もない」

 

「そうですか? けっこー、メンタルやられてますヨ」

 

 言葉とは逆に、あくび混じりに適当な様子で鈴谷が言うと、佐伯の表情がほんのりと崩れた。すぐに真面目な顔に作り替えて、佐伯が会話を繋ぐ。

 

「お聞きしたいことがあったんです。海に出るんですよね。どうしてその道を選んだんですか?」

 

「……まず第1に、この身体です。誰がどの角度から見ても深海棲艦その物だし、多少でも知識のある誰かに見られでもしたら問題になりかねない」

 

 「後は……」と鈴谷は続けた。

 

「熊野は隠居と言いましたが、そんなに長い間、痕跡を消していられるほど陸は安全じゃないと思ったんです。木を隠すなら森って言います。深海棲艦だらけな海なら見付かりづらいだろうし、ほとぼりが覚めた頃には……なんて甘い考えで言っただけです……」

 

 一気に周囲の空気が重くなった気がした。話の内容をここに居た中では唯一直海はわからなかっただろうが、その彼女すら場の雰囲気に呑まれて表情が怪しくなる。

 

「…………そう、ですよね。貴女が考えもなくそんなこと、言う筈がないですよね」

 

「あの、すいませんでした」

 

「貴女はなにもしていませんから、謝ることなんて無いんです。……解りました。精一杯、お力添えします」

 

 気を取り直して、といった表現が正に正しい様子で佐伯は表情を切り替えると。持っていたファイルから、ラミネート加工した地図を渡してきた。

 

「逃走に使えそうな経路を模索したところ、最適な物が見つかったのでお伝えします。これに沿っていれば、少なくとも艦娘からの攻撃は抑えられるかと」

 

「ありがとうございます」

 

「カバーストーリーとしては、深海棲艦の襲撃をでっち上げます。杜撰(ずさん)な計画ですが、1日で私の足りない頭で考えるのはこの程度が限界でした」

 

「襲撃……。私が、何発か港に撃つんですか?」

 

「いいえ。貴女から見て、我々の姿が見えるか見えないか、という程度の距離で爆弾を起爆させる手筈になっています。遠慮せず、全速力で逃げてください」

 

「なっ!? ……そんなことしなくたって」

 

「貴女を安全に送り出すには必要経費です。大丈夫です、後は全てこちらで収拾をつけますから、とにかく前だけを見て逃げるんです」

 

 あまりにも無茶だ。やりたいことの方向性は違うとはいえ、自分から自爆テロを起こすような事をして足がついたらどうするんだ。考えるな、とは言われても心配しないでいられなかった鈴谷の口が自動的に動く。

 

「本当に良いんですか。私を逃がすためだけにそんな大掛かりなこと……下手をすれば提督にも危害が……」

 

「そんなことどうだっていいんですよ」

 

 え? と生返事が鈴谷の口から飛び出た。

 

「提督という役職の者がやるべき事は、部下の艦娘をよく管理し、その身柄を(あつ)く支援し、預かることです。貴女だって例外ではない」

 

 いつもの、簡単に言って弱そうという印象が、全く感じられないぐらいの気迫を纏いながら。佐伯は細い腕でがっしりと鈴谷の肩を掴み、自分にも言い聞かせるような声質で言う。

 

「親しい間柄の人に、死んでほしいなんて思う人間は……居ない。いや、あってはならないんだ。だから私は、私にできるやり方で精一杯、貴女に死んでほしくないから、尽くすんです!」

 

 今の自分ほどではないが、色白な男の指に掌を掴まれる。非力ながら、力強さと、意志の強さのようなものを。確かに鈴谷は感じ取れた。

 

 眼前の男に対するイメージが変わる。佐伯、という病弱な彼は、ここまでヒートする人間だったのか。自分の思い込みは大きく違っていたらしい。考えつつ。鈴谷は、言葉からして熊野と同じかそれ以上に自分を案じてくれる提督に、思わず涙が出そうになる。

 

「この事件は、どれだけの時間がかかったとしても。必ず真相を突き止めて見せます。だから、死なないでください。絶対、何年かかろうと構いません。また生きてここに戻ってきてください。……じゃないと、真実を貴女に伝えられませんから」

 

 返答すべき言葉は1個だけかな。鈴谷は返事をする。

 

 

「……了解しました。必ず、ここに帰ってきます。」

 

 

 しん、と周囲が静かになった。

 

 ほんのコンマ数秒に満たない時間だが。鈴谷には、全世界の人間と音が死滅したみたいな静けさに感じられる。

 

「いつまでも、貴女のことをお待ちしています」

 

「……………………。2年間、お世話になりました。佐伯提督」

 

「こちらこそ、貴女に支えられる事が多々ありました……お気をつけて」

 

「はい。お元気で………いつか必ず、帰ってきます」

 

 敬礼をして別れの挨拶は済ませる。鈴谷は海面に降りた。

 

 武器をしっかりと持ち、ゆっくりと港から離れて沖へ向かって進む。手を振っている仲間達の姿もぼやけてくるぐらいに離れたとき。筋書き通り、深海棲艦の襲撃に見せ掛けるための爆薬が炸裂し、何ヵ所かの水面で飛沫が上がり鎮守府・港からは煙が上がる。

 

「………………」

 

 まるで非現実的だ。ここまで無茶な能書きの芝居をうってくれるなんて―― 頬を伝ってきた涙を拭い、彼女は呟く。

 

「さようなら……みんな」

 

 それらを合図にして、鈴谷は持ち物を再度しっかりと抱え直して艤装の出力を最大にする。2度と背中の景色に振り返ることなく、彼女は逃げるように警備の海域から脱出した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 海に出てからどれぐらい経ったのかな。そう思って腕時計を覗くと、自分が港を出発しておよそ4時間ほど経過していた。薄暗かった周囲も、日が昇ってきた事で明るくなっている。

 

 雲1つ無い快晴の空の下を、眉間にシワを寄せながら鈴谷は地図に沿って先を進んでいく。島がある場所が、10個の点で示されていたがそのうち通過したのはまだ3つだ。終点は遠いな、と思う。

 

「……………」

 

 しかし、腹がたつぐらいにギラギラの晴れだ。青空を睨みながら考える。休日のドライブなら気持ちが良いだろうが、深海棲艦のひしめく海では、晴れという天気は曲者だ。

 

 海図や星を目印に動くのが苦手な鈴谷のためにと、最短ルートではない、島と島とを繋げる(みち)を佐伯が提案してくれたからまだマシなほうだが。遮蔽物が無い海上では、特に見付かると面倒な今の鈴谷的には、大雨や霧が出ているぐらいが望ましいのだ。

 

 幸い今のところは艦娘にも深海棲艦にも捕捉される事はなかったから良かったものの。いざ見付かったら何をしようか、と考えて気を張り詰めていたせいか、意外と疲れていることに気付き。頃合いよく、4つ目の島を見付けた鈴谷は休憩として少し留まることにした。

 

「ふううぅぅぅ………はああぁぁぁぁ」

 

 リュックに差していたブルーシートを乱雑に広げてその上に大の字に倒れた。そして、意図的に腹式呼吸を行って、心持ちちょっぴり乱れた息を整える。

 

 顔に降り注ぐ直射日光に、目を細める。何か遮るものが欲しくなり、地図で顔面に影を落とした。

 

「侵入禁止海域……か。」

 

 地図の数ヵ所、ボールペンで走り書きされた「アウトエリア」という横文字が目に入ってきて。鈴谷は独り言を呟く。

 

 アウトエリア。それは、深海棲艦の登場により、その発生・遭遇が特に多い場所に設定される、軍・漁業・運送と様々な海に関する関係者達の間で決められた「封鎖区域」の別称だ。こんな名で言われる由来は、海外の艦娘達の間で飛び交っていた専門用語をそのまま使っているかららしい。

 

 現在鈴谷は、その場所の中でも比較的安全・かつ近隣に位置する、26番地帯という場所に向かっていた。……もっとも、安全、といっても噂では日に50匹の深海棲艦と遭遇する等と言われる文字通りの危険地帯らしいが。

 

「…………………。」

 

 ふっ飛ばしたバックパックの中身を適当に漁る。着替え・飲料水・缶詰に、その他キャンプ用品等諸々が張り裂けそうなぐらいにパンパンに詰まっている。こんなものに加えて艤装を長時間抱えて動いていたのに、以前とは明らかに疲労感が違う。そんな体力がついた辺り、やはり自分はもう人間じゃないんだろう……変な考えが浮かび、また一段と気が沈んだ。

 

 自問自答を繰り返す。同僚らは準備までやってくれて、気持ちよく見送ってくれた。だが、そんな自分は、どれだけの人間に迷惑を強要させてしまったのだろうか。そんな考えばかりが浮かぶ、その時だった。

 

 唐突に、体のどこかがむず(がゆ)く感じた。何かと思って上体を起こす。

 

「鈴谷しゃん……お昼ぅ、なのです……」「「「ですぅ……」」」

 

「…………………え?」

 

 お腹の上にへばりつき、ぐったりしていた2頭身の小人たちに。鈴谷の口から変な応答が漏れた。

 

「妖精さん? なんでここに」

 

「お手伝いに来たのです! でも、まずはお昼が欲しいのですぅ……」「「「「ですー……」」」」

 

「えぇ……しょうがないな……」

 

 どこから湧いて出たのだこやつらは。鈴谷は困惑したまま、缶詰の蓋を1つ開け、彼女ら(?)に渡した。

 

 

 

 

 絵本の世界で靴でも作っていそうな容姿の彼女らに混じり、鈴谷も空腹ではあったので食事を摂ることにする。

 

 いつ、どのタイミングで自分にくっついてきたのか。それを聞いてみた。

 

「どこから来たのさ? 港に居たの?」

 

「鈴谷さんが艤装を付けてたときですぅ。そーりゅーさんが、貴女をたすけてーってー」「「「ですー!」」」

 

「あぁあの時か……え、でもどこに居たの? リュックの中とかじゃ狭くなかった?」

 

「もにもにの中です~」「「「です~」」」

 

「……?」

 

 「もにもに」って何だ? 何かの武器のことか? 妖精は艦娘の武器に取り付いて操作することができることを知っていた鈴谷は考えた。が、このマスコットたちが隠れていた場所の答えは、彼女の予想の斜め上を突き抜ける。

 

「お呼びですかー」「「ですか~」」

 

「……うそん」

 

 まさかまさかの場所に居た。缶詰を食べている一団とは別にもう1グループ、昼寝か何かをしていたのが、あろうことか鈴谷の腹部から生えている触手の口の中から出てきたのである。

 

「ちょっと待って待って、そこに居たの!? え、大丈夫??」

 

「那智さんの指示なのれす! 温度20度・湿度40%、快適なのです~」「「「です~」」」

 

「そういう問題なの?」

 

瑞雲も10個(ずいうん(艦載機))持ってきたです。できたてホヤホヤなのです」「「「です~♪」」」

 

 『……このウネウネ、もっと武器積めるんじゃないのか?』――確かそんなような事言ってたけど、こういうことだったのか。鈴谷はとんでもないことを指示したらしい那智に呆れる。口内からミニチュアの飛行機を担いで小人たちがこちらを見ているが、パニック映画の鮫の中から脱出してきたみたいで非常にシュールだ。

 

 何かの弾みで噛んでしまったりするかもしれない。そう思って心配した鈴谷は口を開く。

 

「危ないよそんなところに居たら……牙みたいなの生えてるし。噛まれたら痛いんじゃないの?」

 

「もうもぐもぐされたのです」「「です~」」

 

「え゛」

 

「でもへっちゃらだったのれす! へ~ん、なのれすー」「「「「です~!」」」」

 

「………………」

 

 もう意味がわからん。頭が痛くなってきた。大丈夫というなら大丈夫なのか……? 鈴谷は考え事を後回しにすることにした。

 

 

 そんなような事を考えているときだった。何かが近くに飛来し、島の木々を薙ぎ倒して爆発を起こす。

 

 

「!!」

 

 危ないと本能的に悟った鈴谷の行動は早かった。大事な荷物をかっさらうように掴んでジッパーを閉じて背負い、残りの食べ物を喉に押し込むと、すぐに海面に立つ。

 

「敵襲だぁ! なのです!」

 

「嘘でしょ……!」

 

 同じ深海棲艦なら狙われないハズ―― 鈴谷が仲間たちに語った甘い幻想は、たった一日。港から発って半日もしないうちに崩れ去った。こちらの事を捕捉した数匹の深海棲艦の発砲による攻撃だったのだ。

 

 動きやすい沖に向かって航行しつつ、素早く敵の数を把握することに努める。ざっと見ても片手で数えられる物量に、ひとまずほっとした。

 

「ト級2匹と…? リ級か。なんとかなるかな?」

 

 なるべく弾は温存しておきたかったため、彼女は使い捨てられるような物だけでの対処を考えていると。風でなびく服にしがみついていた妖精から、こんな提案があった。

 

「発艦許可を願うのです。やつらを撹乱(かくらん)するのです!」「「です~!」」

 

「お願い。指揮はできないけど、大丈夫?」

 

「お構い無く、なのです!」「「「です~!」」」

 

 やり取りの最中にも、何の恨みがあるのか、相手は矢鱈滅多らとこちらを狙い撃ちにしてくる。気が抜けない状況に体を緊張させながら、副砲で牽制から始める。許可を貰った妖精たちは、10機の内の3機で編隊を組み、鈴谷の体から発っていった。

 

「声を張るのだ貴様らぁ、なのです。戦場では、雄々しき咆哮(ほうこう)しか認めぇん、なのです!」「「「あいさー!」」」

 

 これは吉と出るのかそれとも凶か―― 蒼龍と違って慣れていない、なんて話で収まらないどころか。妖精さんという人材と、艦載機という装備を使うのは、今日が初めてな鈴谷には不安がのし掛かる。

 

「うっ…ぐッ…!」

 

 至近弾で視界が遮られる。その場所から敵が突っ込んでくると先を読み、爆炎と水煙にむせながら、手榴弾のピンを抜いて投げた。読み通りの動きを見せた軽巡ト級が怯んだのを見逃さず、主砲の直撃で撃破する。

 

「まずは1、次は……!」

 

 敵の姿を見失い当てずっぽうで適当に砲弾をばら蒔いてひたすら沖に出る。程なくして、最初に不意打ちしてきたときよりも遠くの場所にト級を見つける。しかし今度はさっきまで視界に入っていたリ級の姿が見えない。

 

 激しく抵抗してくるト級にも警戒し、必死に首を忙しなく動かして周りを見ると。リ級は、自分の右側に陣取り、スナイパーのように狙いを定めていた。

 

「!?」

 

 怪我で右目が完全に死角になっているのを忘れていた鈴谷のミスだった。気がついたときには相手は照準をつけ終わった直後らしく、射撃を始めてきた。弾の1発は対応が遅れた鈴谷の髪を掠め、もう1発が触手に当たる。

 

 痛みに悶えながら位置取りを崩そうとその場から動く。が、先手を打ってリ級はそのまま鈴谷の右側面を取り続けながら攻撃を敢行してくる。更にそこへト級の攻撃も加わってきた。

 

「……っ!! 十字砲火!」

 

 避けきれない――!! 本能的に、利き腕に触手を巻き付けて顔を守る。

 

 が、砲弾は飛んでこなかった。不思議に思い、ト級側に撃ち続けながらリ級が居た方向に目を動かすと、3機のフロート機が虫のように周囲を囲んで敵の注意を引き続けていた。機銃と爆弾で彼女らが奮戦しているのがはっきりと見える。

 

「妖精さんナイス!」

 

 視界の隅でト級方向から煙が挙がったのを確認する。少なくともそちらには大きな被害を与えることはできたと認識し、触手の1本を小脇に抱える。それに那智が固定してくれた砲の安全装置を切り、すぐに引き金を引いて、今のうちにとリ級に主砲と副砲を総動員させた集中砲火を行った。

 

 飛行機に気をとられていた敵は、鈴谷が放った弾頭が頭部や胸といった急所に当たり。金切り声を挙げながら、炎と共に沈んでいく。

 

「はぁ……はぁぁ……終わった……たったの3匹でこれか……」

 

 大きく深呼吸をして、息を整える。一人で深海棲艦の群れを相手するのは初めてだったが、なかなかどうして、想像以上にキツいと感じる。時間にして交戦から5分も経っていないというのを時計で見るが、それが信じられない位には疲れてしまっていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 完全に敵が居なくなったのを確認してから、先程ブルーシートを置いてきた場所まで戻り。鈴谷は現実の厳しさというものを思い知らされたな、等と考えていた。

 

 妖精の助けがなければ間違いなくさっきは直撃を貰っただろう。それだけならまだいいが、最悪は荷物に当たって物資がオジャン、という展開だ。本当に感謝としか言いようがないな……。

 

 出したものを元通りに整頓していると、3人の妖精が戻ってきた。鈴谷の周囲をゆっくりとマニューバしながら、彼女らから話し掛けてくる。

 

「お怪我はありませんかぁ~」

 

「お陰さまで。ありがとうね、妖精さん」

 

「どういたしまして、なのです!」「「です~」」

 

 素直に礼を言うと。間接的には命の恩人とも言えなくもない者たちは照れながらそう返答した。

 

 長居しているとまた何か来るかもしれない。さっさと先を急いだ方が良いのかな。端的に結論を下し、鈴谷は地図を広げた時だった。

 

 また、近くではないがどこかで爆発音が響き、それが風にのって耳に入ってくる。

 

「今度は何?」

 

「熱源反応なのです! どこかに艦娘が居るのです」「「「ですぅ」」」

 

「!」

 

 艦娘? まさか追い掛けてきたのか?

 

 先程とは比べ物にならない緊張が体に奔る。妖精の報告を聞きながら、鈴谷は反応とやらの場所に向かうことにした。

 

「妖精さん、どこかわかる?」

 

「この島に沿って海を行くのです。そうすると会えると思うのです」「「「です~」」」

 

「……………わかった」

 

 何にせよ、少し様子を見ようか。身に付けた装備すべてのセイフティーを外し、戦闘に備える。

 

 反応、とやらがあったらしい場所は、鈴谷が休憩していた砂浜から少し離れた、海面から伸びる岩が目立つ岩礁地帯だった。

 

 浅瀬の上にしゃがみこみ、海面から突き出ていた岩に身を隠して様子を伺う。どうやら作戦行動中で、今正に交戦している艦娘達のようだった。

 

「………………」

 

 様子からして、追っ手ではないと判断する。理由としては、その艦娘たちはこちらに全く気付いていないどころか、かなり敵に苦戦していたからだった。あの日に出会った連中は、破壊工作にこなれた動きから、かなりの手練れと少なくとも鈴谷は考えている。今目の前に居る彼女らは、それとは程遠い、悪く言えばお粗末な動きをしていた。

 

「…………ヤバい、かな?」

 

 独り言が漏れる。というのも、その艦娘達は明らかに動きがぎこちなく、いいように敵に狙われているのがすぐにわかったのだ。

 

 これが普段通りなら、鈴谷は勿論手伝いに入るところだが。今の自分の格好で茶々を入れると少々不味い事は流石にわかり。間に入るには、気持ちがくじけてしまっていた。

 

「妖精さん、海面に降りて隠れられる?」

 

「了解なのれす」「「「です~」」」

 

 鈴谷の指揮に従って、フロート機たちは海面に軟着陸する。彼女はそれを確認してから、再度戦闘に注意を向け直した。

 

 ざっと見たところ、数は勝っている。艦娘側は駆逐艦が2、軽巡洋艦が1、自分と同じ重巡洋艦が2、最後に軽空母が1人か。対するは駆逐艦2・戦艦が2・空母が1。あまり自信は無いが、那智・熊野らが居てくれれば多少苦戦するぐらいで勝てる敵だろうか。

 

「……………ッ」

 

 助けるべきなのか? それともさっさと逃げた方が良いのか―― 合理を追求するなら勿論後者だ。しかしその選択肢を選ぶには、鈴谷という人間には非情さが足りなかった。

 

「助けたいのですか? でも、そうすると見付かっちゃうのです」「「「ですぅ」」」

 

「……。わかってる」

 

 悩んでいる内にも刻々と戦況は変わっていく。さっきはわからなかったが、改めてみれば軽空母の艦娘は体から血を流して脱力し、それを駆逐艦の1人が抱えているような状態だった。

 

 見ていられない、文字通り「悲惨」だった。軽空母の他にも重巡の1人は片腕で応戦している辺り、腕を1本負傷しているのか。このまま放っておけば全滅も見えるような流れだ。

 

 鈴谷の中で何かが吹っ切れる。彼女は艦載機に乗っていなかった残った妖精たちに指示を出した。

 

「妖精さん。残った飛行機、全部出せる?」

 

「私達を使うのです~?」「「「ですー」」」

 

「うん……ごめんね。無理言って」

 

「心配するな! です~。貴女のもにもにの上に瑞雲を乗せるのです~」「「「です~」」」

 

 指示に従って触手の上に飛行機を置く。

 

 腕を伸ばすような感覚で動かすと、触手は2本とも体に対して垂直に張れた。その上に乗せた両手で数えられる程度の艦載機達が、それを滑走路代わりに各々独自のタイミングで発進していく。一瞬だが、搭乗している妖精達が自分にガッツポーズしてアピールしているのが見えた。

 

「残ったみんな、荷物お願いできる?」

 

「任せろ、なのです! 責任もってお預かりです」「「「です!」」」

 

「ふふふ……ありがと」

 

 数が多いと邪魔なものは極力外して動きたい。そう思った鈴谷はリュックサックを預けて、軽く体を捻りストレッチをした。

 

「…………ッ!!」

 

 もう後には引けない。サァ。どうにでもなれ。前に向かって進み続ければ、道ってのは開けるもんでしょうが―― 見捨てる選択肢は頭の隅に追いやって。弾を残していた装備まで全ての安全装置を切り、鈴谷は艦娘と深海棲艦の前に躍り出る。

 

 チリン。

 

 炸薬の弾ける轟音が鳴る戦場には似合わない。身に付けていた髪留めの鈴の音が、涼しく海上に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 




来週更新できればいいな

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