職業=深海棲艦   作:オラクルMk-II

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挿し絵から先に書いたせいで壊れたはずの仮面を被っているネ級さん

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15 指名手配犯の生存戦略

 

 

 どうしてこんなことになったんだろうな。駆逐艦の艦娘、「(かすみ)」は脱力して海面に体を投げながらそう思っていた。

 

 周囲に味方などなく、武装の弾薬は全てゼロ。航行するための燃料も尽きかけているし、何より怪我で指ひとつ動かすことも億劫(おっくう)に感じる。間違いなく、自分はここで死ぬんだろうな―― そんな考えばかりが脳裏にちらつく。

 

「………………」

 

 額から垂れてきた雨水と血が口の中に入ってきて、鉄の味が広がる。頭上の鉛色の空と、自分の体液を舐める不快感の両方に顔をしかめた。

 

 なぜこんな海の真ん中で一人だったのかと言えば。規模の大きい深海棲艦の群れが現れたということで、今日は手練れの味方とそれらの討伐に向かった彼女だったのだが、予想を遥かに越えた敵の抵抗に遭い、味方とはぐれてしまったのだ。

 

 霞自身もそれなりの練度があったので、最初こそ適当に応戦しながら艦隊に合流する予定だったのが。運が悪いのか、凄まじい豪雨と濃霧に阻まれて、すっかり自分の居場所も味方の方角も把握できなくなってしまっていた。

 

「うぅ……痛っ………」

 

 忌々しいことに、艤装の効果で溺れ死ぬことは無い。寝返りをうつように、仰向けから体を転がして立ち上がろうとする。が、ヒビでも入ったか嫌な音を立てる骨の感触と、恐らくはそれらの発する鈍痛に。体を起こすこともままならず、諦めて再度彼女は海面に身体を寝かせた。

 

「ハァ………つまらないわ。惨めね、今の私…………」

 

 締め忘れた蛇口から水が垂れるように、ポタポタと傷口から血が出ているのがわかる。流れ出た体液が濁った海の水を赤くしていくのを眺めることしかできなくて。彼女は自虐を込めて自分にそう呟いた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 島に居着くようになってからあまり気にしていなかったが、一週間ほど時間は経っただろうか、とネ級は思う。現在の時刻は昼で、彼女は連れのニ級とのんびり砂浜を散歩していた。

 

 鎮守府から出奔してからというもの、数日はカンカン照りの晴れが続いていたのだが、今日は雲が厚く涼しい日だ。今にも雨が降り出しそうな空模様を眺めながら、ネ級は妖精たちへ口を開く。

 

「鉛色の空だね~。ジメジメ暑いのはヤだからいいんだけどさぁ~」

 

「気温は18度なのです。湿度も降水確率も高いらしいのです」「「「湿気(しけ)ってる~」」」

 

「ふ~ん……雨か……」

 

 会話の最中。ネ級は鼻の頭に何か冷たいものが当たった感触に、少し驚いて目を細める。

 

 話したそばから降ってきたかな? 彼女は手のひらを胸元に持ってきて空を見上げる。予想は当たり、小雨だが降ってきているらしい。

 

「言ったそばから来たね。こりゃ、早く戻ってジッとしてたほうがいーかね?」

 

「こんな医者も居ない辺鄙(へんぴ)な場所で風邪でも(こじ)らせたら大事なのです。とっとと戻るのです!」

 

「だね。さ、ニッちゃん戻ろうか?」

 

「ガウ!」

 

 犬の吠えるような声でニ級が返事をする。最初こそおっかなびっくり接していたが、意外と聞き分けのいいこの動物にもネ級はすっかりなれていた。

 

 歩いて帰ろうとしていたが、一行が屋敷に戻る前に雨足はどんどん強くなっていき。あと数百メートルほど、というぐらいで本降りになり始めたので、濡れるのを嫌ったネ級は崖の下に身を寄せて雨宿りをすることにした。

 

「うわぁ、けっこう長く降りそうだよこれ?」

 

「ドンマイなのれす。大人しく晴れるまでまちませう」「「にんたい!」」

 

 雨水が額から頬を伝っていく感触に身震いする。ネ級は首輪を取り、首を横に横断する傷跡を指でなぞる。

 

「……………………」

 

 あの日もこんなどしゃ降りだったっけ―― ミミズ腫れのように残ってしまったナイフ傷を触って、背筋に寒気を感じたときだった。

 

 ふと、何か大きな機械の駆動音を耳にする。それを知覚して間も無く、3機編隊のジェット戦闘機が、見事に連携のとれたマニューバをしながら比較的低い高度で通りすぎていった。

 

 綺麗だな。自分がいま陸の人々からはなんという生物と呼ばれているかを忘れ、ネ級は雨を切り裂いて飛んでいった物体に見とれていたが。そんな呆けた顔は状況を理解すると、すぐに蒼くなった。

 

「まさか見つかった!?」

 

「いいから早く身を隠すのです!!」

 

「う、うん」

 

 表情なんて読めるわけではないが。キョトンとしているように見えたニ級のことを、両手両触手でその体を絡め抱えてネ級は走る。

 

 慌てて近くにあった岩の(くぼ)みに背中をぴったりとくっ付け、体の上からその辺に落ちていた葉っぱを被る。祈るような気持ちで数分間じっとしていたが、戦闘機は引き返してくることもない。どうやらただそのまま通りすぎただけらしかった。

 

「ビックリしたぁ……えぇと、見つかってたら空母の飛行機来るなり引き返してきたりするよね?」

 

「です。たぶん大丈夫なのです」「「「こううん!」」」

 

「だよねぇ……ハァ。助かったぁ」

 

 万全を期して、この葉っぱを傘代わりに身を隠しながら帰ろうか……なんて言いながら。ネ級は妖精たちに疑問を話す。

 

「でもなんだってこんなところにあんな飛行機……あれ、確かうちの海軍の機体だよね?」

 

「私に聞かれましても~」「「「のーでーたなのです」」」

 

「あ、ごめんね……でもなんで…………」

 

 変なところに偵察が来たもんだな。ネ級は考える。

 

 深海棲艦には普通に戦闘機や軍艦の火気類も有効だが、ここ最近は滅多に使われていない。というのも目標が小さすぎるし、何より高級車を買うぐらいの費用で装備を揃えられる艦娘のほうがコストパフォーマンスに優れるからだ。ただし、例外が一つだけある。

 

 それは、普通の任務と違って規模の大きい作戦が展開されるときだ。戦闘機を運ぶ空母に艦娘を乗せたり、兵員輸送船を同伴させ、海戦の時にはそれらを展開して大隊を結成。ローラー作戦みたいに深海棲艦を殲滅する、ということが定期的に軍で行われていることを、ネ級は知っている。

 

(こんな変なところに大隊……? どこかに艦娘の大部隊が居るってことになるし……?)

 

 少し考えてみて。思い当たるものが頭に浮かび、「あ」と声が漏れた。

 

 南方棲鬼を付け狙っているという、味方すら攻撃する「2番目の深海棲艦たち」の事だ。レ級には「人に情報を売る深海棲艦」の事も聞いた。2つの符号が彼女の頭の中で結び付く。

 

「ヤバイんじゃないか、これもしかして!」

 

「どうかしたのです?」

 

「妖精さん瑞雲出せるように準備してて! すぐに装備とって海出るよ!」

 

 ネ級の言葉に不思議な顔をしたが、妖精たちは不満もなく支度を始めた。それを見て、彼女はニ級を抱えたまま走り出す。

 

 島にまた敵の深海棲艦が、それも結構な数で迫っている。多分それは何かで予想できるものであり、恐らくレ級の言う「ヲリビー」という人物のリークに従って艦娘達が近くまで来ている筈だ――

 

 ガレージに着くなり、持てるだけの武装を引っ張り出して、ネ級はUターンして海側に駆ける。彼女が立てた予想はおおよそそんなものだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 定期点検の効果は抜群だったようで、この日の艤装の調子は絶好調といって差し支えが無かった。

 

 鉛色の雲の下、雨の降る中をネ級はフル装備で駆け抜けていく。連装砲・副砲・艦載機、加えてここ数日に妖精に作ってもらった対艦用の弾丸を込めた武器、それら武装の予備弾倉も持って来ている。更には海難救助の可能性も一応は見越して浮き輪と救命胴衣も持ってきた。

 

 いつでも発砲できるように両手にそれぞれ火器類を構えていたとき。キョロキョロと辺りを見回すネ級に、妖精の一人が質問した。

 

「例え見つかったって、何か問題なのです? また逃げるだけじゃ」

 

「あの人たちには世話になってるもの。先にこっちから見つかるように動いて艦娘を引き付けて陽動しないと」

 

「あまりにも危険すぎるのです。鈴谷さん一人じゃ無理なのです」

 

「もしもよもしも。というか目的は艦娘サン相手じゃないし」

 

「? どういうことなのです?」

 

「見たのはジェット戦闘機だけだった。なら索敵で遠くまで来てただけかも知れないじゃん? もしそうだとしたら艦娘は遠いでしょ。問題は多分近くに深海棲艦の群れが居るってことだよ」

 

 会話の最中、視界に入ってきた物にネ級は急ブレーキをかける。この辺りは小島や浅瀬が多いことを利用し、それらに身を隠しながら遠くを見渡した。

 

「いたよやっぱり。妖精さん」

 

「発艦の用意はできているのです」

 

「話が早くて助かるよ。偵察お願い」

 

 ネ級が視界に捉えたのは、十数匹の深海棲艦の群れだった。想像していたよりは数が全然少ないが、偵察するに越したことはないと彼女は艦載機を幾つか海面に浮かべる。指示を出された妖精らはそれぞれ自分のタイミングで飛んでいった。

 

 まだ現時点ではただの深海棲艦ということしか解らないが、ネ級はレ級から教わった「2番目の見分け方」というものを思い出す。話によれば、理性のある深海棲艦は争い事を避ける傾向が強く、深海棲艦だろうが艦娘の物だろうが飛行体には手を出さないらしい。

 

 そんなバカなと思いつつ、持っていた双眼鏡を構えて一団を眺めた。妖精たちの無線も拾えるように、イヤホンも耳に指しておく。

 

 今しがた飛ばした瑞雲を相手が攻撃するのが見えた。

 

 紐で首に吊っていた双眼鏡を手離し、ネ級は砲の照準を合わせながら突撃する。

 

 妖精の陽動に引っ掛かった敵方はネ級が来るのとは真逆を向いているのを視認したので、そのまま速度を上げて近付く。弾の届く距離まで接近したとき、軽巡の1匹がこちらに気がついたがもう遅い。

 

「,-)-*,-=*:,-)&*,-::)-'%&*:&!!!!」

 

「うりゃああぁぁ!!」

 

 抱えていた20.3cm砲が火を吹く。奇襲で側面の弱点を狙われた2匹の軽巡はあえなく沈没していった。幸先の良いスタートにネ級は内心でガッツポーズをする。

 

「予想は当たってたみたい。これ、多分2番目でしょ?」

 

『間違いないのです。言葉を喋る様子が無いのです』

 

 レ級からもうひとつ教わった、簡単に見分ける方法があった。それは「2番目は解読不能な言語を用いる」というものだ。早い話がいつも鈴谷が仕事で相手をしていたのは全て「2番目」だったわけである。耳障りな断末魔の叫び声に確信を持ったネ級は、残りの個体も遠慮なく攻撃することにする。

 

『敵の分析完了なのれすぅ~。空母ヌ級が2、雷巡チ級が4、重巡リ級が2なのれす』

 

「ありがと、何か手伝うことある?」

 

『射撃の援護がほしいのです! 9機じゃ捌けないのです!』

 

「よしきた!」

 

 待ってました、とネ級は持ち込んだ武装の中での「とっておき」を構える。島のガレージで妖精らと夜なべして作った、特殊砲弾入りの対空バズーカ砲だ。

 

 音声ガイドのスイッチを入れてスコープを覗く。液晶画面に敵が映ると、機械音声が喋り始めた。

 

『ネツゲン、カンチ。テキカンサイキ、ロック』

 

「ここだっ!」

 

 指示に従って引き金を引く。初日に投げ捨てたロケット砲の弾頭と同じく、妖精特製という特殊砲弾は夥しい黒煙を連れ添って、敵の飛行体へと飛んでいった。

 

 発射されてから数秒後。一瞬、閃光弾が弾けたような光が周囲に放たれたと思った次の瞬間に、大爆発を起こして弾頭が弾ける。

 

「!!」

 

 目も眩む青白い光に、思わず瞼を閉じて腕で影を作る。光が収まり、すぐに周囲を確認すると、爆風に飲まれた空母ヌ級の生体飛行機はそのまま消えていた。

 

「おぉう!? ……すっごい♪」

 

 流石に妖精なんて呼ばれているのは伊達じゃないな。敵航空機に絶大な効果があったロケットに、ネ級は鼻歌混じりに口笛を吹くような余裕を持つ。

 

 一発で弾が切れる武器は一先ず手離し、砲による攻勢に切り換える。狙いをつける前に様々な方角から飛んできた弾を回避するか弾き飛ばすかでいなした。

 

(いぃ)ッッつ!」

 

 腕の固い部分に当たって、敵の撃った攻撃はどこかに弾け飛んで行く。が、無理な行動で衝撃が体中を駆け巡り、ネ級は腕全体に(はし)った痛みに顔をしかめた。

 

「対艦用の弾丸だよッ! 当たると痛いよぉ!!」

 

 利き腕に持った連装砲で弾幕を形成しながら、空いた手に持っていたショットガンの、トリガーガードに指を引っ掻けて物を一回転させる。弾の装填された銃を、突っ込んできた深海棲艦の顔に遠慮なく撃ち込んだ。

 

 二年間の艦娘としての活動もあったが、サバイバルな日常で海戦に対する熟練度が急激に上がっていたのもあるか。敵を撃つネ級の腕前は以前よりも上達しており、一人で多数を相手にしても特に苦戦することは無くなっていた。

 

 顔を超合金製の散弾で撃ち抜かれた敵が次々に爆発して沈んでいく。縦横無尽に海面を駆け巡りながら、ネ級は妖精たちに無線を飛ばした。

 

「チ級1、リ級1撃破!」

 

『こっちはヌ級の沈黙を確認したのです~ あとはチ級が3、リ級が1なのです~』

 

「ありがと、こっちでなんとか――」

 

 喋りながらネ級は後ろに振り返った。砲撃戦で分が悪いと思ったのか、チ級が1匹目と鼻の先まで迫ってきていた。

 

「!!」

 

 仮面を被った女のような姿の敵に肝を冷やす。咄嗟にネ級は素手で手刀を作り、それをチ級の胴体めがけて突き刺した。

 

「ntedtjsッ――! ――……………」

 

 相も変わらず、敵の軽巡チ級は解読不能な言語で喋っている。だがそんなことよりもネ級に衝撃を与える事象が起きた。

 

 破れかぶれで放った貫手(ぬきて)は、相手の腹部に刺さるどころか、体を貫通して反対側まで突き抜けていた。結果に意味がわからず混乱しかけるが、ネ級はすぐに相手を蹴飛ばして腕を引き抜き、他の敵に意識を向け直す。

 

「嘘でしょ……」

 

 あまりにも無茶苦茶な動きをしてしまったので、爪が剥がれる程度はもちろん、指の何本かは折れて明後日の方向に向くに決まっている。そう思っていただけに、予想を越えるどころではない威力が出た貫手に恐怖すら感じた。

 

()っつ!!」

 

 呆けていたが、頭に弾が当たって。痛みと衝撃で現実に引き戻された彼女は、気を取り直して残った敵と相対した。

 

 ネ級からの奇襲で始まった砲撃戦だったが、5分もかからずに終わりを迎える。最後に残ったチ級に接近した。

 

 トリガーガードに指を引っ掻けてショットガンの銃本体を回し、弾の装填を手早く済ませる。すぐに照準を自分から少し離れた水面に合わせ、ネ級は引き金を引いた。

 

 激しくうち上がった水飛沫に動揺したところを砲門を集中させた一撃で止めを指す。耳につく嫌な叫び声をあげながら、最後の1匹は沈んでいく。

 

「終わった……かな?」

 

『周辺に敵反応は無いのです。敵部隊の全滅を確認したのです!』

 

「索敵ありがとう。じゃ、帰ろうか」

 

 ネ級の言葉に、彼女の周辺に瑞雲が集まる。

 

 予想は思い違いだったのかな。嫌に少なかったけど、島に上がられる前に倒せたなら良いか……。そんなことを思っている彼女の前に、まだ沈んでいなかったらしいチ級の死体が流れてくる。

 

 胴体に穴が空いているそれは。間違いなくさっき自分が手刀で貫いた個体だ。

 

「……とんでもないな」

 

 自分が人間ではなくなったということを。島への帰路につきながら、ネ級は今一度認識していた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 帰り道に、ふと、どこからか流れてきたらしい深海棲艦の死骸を見つけて。ネ級は島への向きからまた沖へと進路を変えていた。

 

 今日最初に交戦したとき「数が少ない」と思ったのは正解だったらしい。気になって残骸を辿っていくと、一行は明らかに戦闘があったらしい場所に到着する。辺り一面、ゴミの山のように撃破された深海棲艦の死体が浮いていて異様な雰囲気が漂っている。

 

 「嫌な空気ね、妖精さん」 火薬と生き物の血の臭い、更には油やらの香りが混ざっている臭気に顔をしかめながらネ級が何の気なしに連れの小人たちに同意を求める。

 

 唐突に彼女は目を見開いて表情を変えた。

 

「!」

 

 人型をしているものが海面を漂っている。肌の色から深海棲艦ではない。最初は水死体か何かと思ったが、死後のガス膨張が始まっていない点からその考えを捨て、更に近付いてみた。

 

 一定距離まで近付いて、それが艦娘だと気が付いた。明らかに怪我をしていて手負いの状態だ。

 

 手当ては間に合うだろうか? ネ級が目と鼻の先まで距離を詰めたとき、相手も気がついたらしく。目だけを動かしてこちらの様子を伺うのが見えた。

 

「……ふふふ……ぉ迎えが来たみたいね」

 

 青い顔をしながら彼女は言った。怪我や滴る血液を見て、この人物は少し衰弱しているとすぐにネ級は判断する。

 

 迅速に処置に取り掛かることにした。前に瑞鳳にやったように、触手を相手の体に敷いて体勢を安定させる。

 

「なによ……取って食べたいなら好きにすれば良いじゃない」

 

「じっとして。手元が狂うから」

 

「え……?」

 

 手袋を嵌めた手に消毒液を染み込ませた布を持ち、汚れている相手の体を拭いていく。傷口の衛生を一先ず確保でき次第ガーゼか包帯かで患部を塞いで応急手当てとした。

 

 処置の片手間に相手の体をあちこち眺めるなか、ネ級はこの艦娘が首から下げていたドッグタグが目に入る。金属板には「駆逐艦 霞」と彫られている。どこの所属かまではどうでもいいので見ないが、とりあえず駆逐艦の艦娘らしい。

 

 おまけで、破損してこそいたが、かなり上等な装備で身を固めているのが目立ち。相当の手練れらしいことをそれとなく彼女は察した。

 

「手と足以外に痛いところはありますか。霞さん」

 

「!? なんで名前……」

 

「タグ読んだらわかります」

 

「人の言葉を理解して……!!」

 

 本当、この体は色々と不便だな! 驚いてばかりで質問に答えない相手に少し苛立ちながらネ級は続ける。

 

「痛いところが無いかと聞いてるんです。大丈夫なんですか?」

 

「……別に」

 

「本当に?」

 

「い゛っ゛っ……!」

 

 意地悪で肩の辺りを叩く。霞は呻き声をあげた。打撲か裂傷か、それとも撃たれた物か服の上からは判断がつかないがやっぱり傷を負っているようだ。

 

 さてどうしたものか。おんぶするよりは、お姫様抱っこみたいな体勢の方が揺れも少なさそうだし、相手への配慮になるだろうか。だけど、そんな行動したことないしな……。

 

 まぁ何とかなるだろうか? 楽観的な考えのもとに出た結論に従って、ネ級は目の前でうずくまっている霞をお姫様抱っこの体勢で運ぶことにした。

 

「!? ちょ、ちょっと何すんのよ!」

 

「あ、結構な傷の割に元気ですね。暴れないでね?」

 

 触手を1本だけ器用に動かし、それを、彼女が背負っていた装備ごと霞の胴部に巻き付ける。軽く持ち上がった相手の膝の裏と、背中の艤装を上手く避けて腕を差し込んで体を支えて抱える。このままの体勢だとフリーになっている頭が重いか――そう思ったネ級は残ったもう一方の触手を枕のように彼女の頭に敷いた。

 

 装備も込みの重さは自分に持ち上げられるだろうか。そんな思いは入らない心配に終わった。流石は深海棲艦。ネ級の体はフィジカル的にもなかなかパワフルらしい。

 

 「あの、どこからここまで流れてきたの?」 近くに本隊が居るなら送るつもりだったネ級が相手に聞く。

 

「敵に喋るわけ無いでしょ。馬鹿なの?」

 

「馬鹿だから助けてるじゃないですか」

 

「……アンタ……さっきから嫌に人間みたいね……はぁ。わかったわ……」

 

 少なくとも、自分一人では生き残るのは不可能に近いこの状況、この深海棲艦に害がないという事を信じるしかない。身柄を抱えられながら覚悟を決めた霞は、そんな考えを喋らないように、行きたい場所を指示した。

 

「あっちに島が見える。私から見て、島の右側の沖にずっと進んで」

 

「そちらに味方が?」

 

「さぁね。で? 教えたけど」

 

「どうも。送迎致しますね」

 

 にまにまと笑いながらネ級が言う。

 

 本当に信用して大丈夫なのか。自分の抱えている女の、薄ぼんやりと赤く光る瞳を見ながら。霞はこの日の妙な巡り合わせに心配した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 霞を抱えて、彼女の簡単な指示に従ってひたすらネ級はまっすぐ海を行く。30分ほどずっとこのままだったが、抱えていた霞はその腕と触手の中で眠りに就いていた。

 

 自分で言うのはおかしいかもしれないが。この触手、銃弾・砲弾・爆弾を跳ね返して無傷な丈夫さでありながら、もちもち柔らかで感触は良いのだ。一度、野宿で枕にしたらグッスリ眠れたこともあった。そういった物に包まれていて、なおかつ疲労も溜まっていただろうし、こうなって当然かとネ級は思う。

 

 ただ、それよりも彼女が心配になり始めたことがある。指示に従ったものの、本当にこの方角で本隊が居るのか、ということだった。

 

 軍用戦闘機が飛んできた方角は覚えていないし、燃費が良い乗り物とは言えないとはいえ、飛行機とは結構な距離を飛ぶからまだまだ遠くに隊が居ることも考えられるが。先ほどのような交戦した跡などの痕跡が一切無い場所をひたすら進んでいると、多少心細くなってきていたのだ。

 

 断続的に続く豪雨と、それで起こる霧から視界が利かない。そんな自分の視野を確保するため、数分の間を置いて妖精らに索敵させ、瑞雲を戻して休ませて……のサイクルを2、3度繰り返す。

 

 何か、誰か、見つからないものか。そう思って渋い顔をしながら霧の中を進んでいたときだった。妖精の一人から無線が入る。

 

『かなり大きな熱源を感知したのです! 大規模な艦隊なのです!』

 

「お、意外と早く済んだね。方角は?」

 

『そのまままっすぐで大丈夫なのです』

 

「おっけー。撃ち落とされたりしないように気を付けてね?」

 

『委細承知なのれす』

 

 妖精との会話が終わった頃に、霧のいっそう濃かった場所を抜ける。正に白い闇と言えそうな所に比べて少しは視界が開けてきた。

 

 一機の艦娘用の小さな艦載機がネ級の横を通りすぎた。自分の瑞雲かと思ったが、フロートの無い機体だったので違うと判断してはっとする。

 

 目の前に広がる光景に思わず息を呑んだ。

 

 2隻の灰色の巨大な船と、ぽつぽつと人影みたいな物が白い海上にうっすらと確認できる。間違いなく空母か何かの軍艦に、その周りを固めている艦娘達だろうと考える。

 

 急接近すると変なことになりそうだ。そう思って速度を落とし、歩いて軍団への距離を詰めようとしたとき。再度、妖精からの声が届いた。

 

「無線を傍受(ぼうじゅ)したのれす。聞きたいのれす?」

 

「お願い。続けてくれる?」

 

 ネ級の返事を聞き。操縦していた者の指示で、彼女の体に取り付いて待機していた妖精が、彼女が耳につけていた機械の調整をした。ほどなくして、目線の先で展開されている部隊の隊員と思われる者らの声が流れ始めた。

 

『ごく小さな物ですが熱源反応を感知! どうしますか?』

 

『識別は重巡ネ級だと? どういうことだ? なんでここまで近くに来ていて撃ってこない?』

 

『気にする場合か? 早く倒して霞の捜索を続けないと』

 

『待ってください、あの個体、誰か抱えてます! あれは……!? 霞です! 第3艦隊の霞だと思われます、映像送ります!』

 

 頭上を先程すれ違った空母艦娘の艦載機が、通り過ぎたり戻ったりを繰り返しているのがぼんやりと見える。なんとなく考えてはいたが、もうあちらは自分の姿を捕捉していたようだ。しかし人を一人抱えていたので攻撃は控えてくれていたらしい。

 

『重巡ネ級、なおも微速で近付く。敵の速度、ちょい下がりました。どうします?』

 

『どうするも何も、攻撃なんてできないだろう。私らの所じゃなかったとしても人を抱えてるんだ、見殺しになんて』

 

『しかし……』

 

『提案だ。敵は単独だろう? 狙撃の得意な者は甲板に集まってくれ。何か妙な動きをしたときに射殺する必要がある。ネ級だけを狙えるか?』

 

『難しいですね。人質は触手で絡め取られるように抱えられています。目標は波で上下していますし、残念ながら私の腕前では…』

 

『そうか。……まぁいい、単艦程度ならこちらの戦力で余裕で潰せる。最悪、抱えられている人物ごと撃破する必要が出るかもしれない。みんないいか?』

 

『…………了解』

 

 妖精のお陰で筒抜けな軍人たちの会話に注意しながら、刺激しないようにゆっくりと歩き続けていると。部隊長か何かと思われる艦娘から、スピーカーによる勧告があった。

 

『そこの深海棲艦、その場に止まれ。指示に従わない場合は遠慮なく攻撃するぞ』

 

『ばっ!? 聞くわけが……』

 

『どうしようもないだろう。取り合えず話してみるぞ』

 

 言われた通りに大人しくネ級は歩みを止めた。イヤホンからは「本当に止まった……」などと聞こえてくる。

 

『止まったな……まぁいい。敵対する意志は有るのか、無いのか。こちらの言うことが解るのなら、武装を解除しろ』

 

「………妖精さん、瑞雲で後から武器拾ってこれる?」

 

「それぐらいならわけないのです」

 

「そりゃ助かるよ。流石にこれから丸腰なのは不味いしね」

 

 戻ってきた艦載機の妖精に話しながら、ネ級は身に付けていた物を次々と外して海に投げる。妖精たちは後で持って返るために、せっせと武装と瑞雲とをロープで繋いだ。

 

『こいつ……人の言葉を理解している?』

 

『そうだとしか思えません。これはもしや』

 

『返せと言えば返してくれる可能性があるな。やってみるか』

 

 警告に従った行動を取った深海棲艦に、またスピーカーによる勧告が行われる。

 

『その艦娘の身柄を引き渡して貰いたい。お願いできるかな?』

 

「…………………」

 

 一応、何かの役に立つだろうか。そんな考えで南方棲鬼から貰って持ってきていた浮き輪が必要になるときが、意外と早く来たな。彼女は触手に引っ掛けていた浮き輪をひとつ取り、海面に浮かべた。

 

 ネ級は眠っている霞を、それに寝かせて軽く押し出す。ゆっくりと波に乗っていきながら、怪我人を乗せた赤い浮き輪は艦娘たちの方へと流れていった。

 

『すごい……』

 

『確定、だな。間違いない。こっちの言ってることが解ってる』

 

『どうするんだ? 拿捕(だほ)するのか?』

 

 何を言われるだろうか。そう思っていたネ級の耳に、意外な会話が流れ込んできた。

 

『このまま逃がそうと思う。行方不明者をわざわざ見つけてくれたんだ、深海棲艦とはいえ、恩に報いるべきだ。』

 

 

 

 

 

 




1章が重々の重々ストーリーなので今後は基本的に優しい世界が続くゾ

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