取りあえず着替えと昼食と一通りのことは終えて、鈴谷は鎮守府の外に出ることにした。
東北の北に寄った方では、今ぐらいは雪が溶けて暖かくなってくる頃かな。なんて思う。とはいえまだ4月になったばかりなので、時折思い出したかのように寒い日が来たりもする。一応桜の花は咲いているが満開というには少し遠い。
第7横須賀鎮守府、なんて名前のクセに神奈川どころか千葉に構えているこの建物の敷地の、海と鎮守府と駐車場が全部見渡せる場所に設置してあるベンチに腰掛ける。鈴谷は両腕を背もたれの後ろに引っ掛けて体の力を抜く。
「あぁ~―――はぁ………」
独り言と溜め息でも
「
特に相手は居なかったが、強いて言えば空にたくさん浮かんでいた白い雲に向けて、彼女は愚痴った。数秒後に本当に誰もいないよね? なんて周囲を見渡すと、一人、知り合いが向こうから、自分が見ていた駐車場の方へと歩いているのを見つけた。
熊野が透明なバケツに何かのポリタンクとタワシ、洗車用のハンディスポンジを突っ込んだ物を持って歩いている。行き先を目で追ってみれば、直線上に白い輝きを放っている車が停めてある。真っ白で、ペッタリと潰れたスリッパみたいに低い車体のスポーツカーは熊野の愛車だ。
自動車には特に興味はない鈴谷でも、ちょっと昔に熊野のアツいトークに聞いてから知識として知っている。ランボルギーニ・ガヤルド。あんまりしつこく言うものだから、前に気になって調べたが、新車ならなんと最低グレードでもお値段2000万円のスーパーカーである。
中学生で友達になってから数年経った今でも熊野は車好きだ。中でもこの車はデビューしたのを見てから一目惚れしたみたいで、乗ってみたいと高校生の時からうるさかった。それが今では自分の所有物なんだから、まぁ嬉しいんだろうな、ぐらいは想像がつく。
「……ちょっかいかけてやーろぉっ!」
ベッドから跳ね起きるみたいに足で反動をつけて勢いよくベンチから立ち上がり、鈴谷は親友の元へと走った。
軍では艦娘・熊野と名乗っている女の本名は
でっかい会社の社長令嬢として特に不自由なく育っている彼女だが。ふつうそういった環境で育つと、幾分か世間知らずな箱入り娘が出来上がりそうな物だが、熊野は違った。
彼女はプライドが高いのは鈴谷も知っているが、1つの人生のポリシーみたいなものを持っている。それは、周囲から「甘やかされて育っている」と見られることを何よりも嫌い、それを行動で示すという物だ。身の回りの事は自分でやらないと気が済まないらしく、その行動のわかりやすい証拠として、なんと彼女の私物のランボルギーニは自分の力だけで購入した物である。
そもそも裕福な家庭の生まれという時点で運が良さそうな物だが、それに甘んじなかった熊野に神様は微笑んだのか。学生だった頃からアルバイトで稼いだ元手の数百万円を、彼女は人生一度きりと決めた、競馬だか競艇だったかの博打で倍以上に増やしてマイカー購入の頭金を用意したのだ。大好きな物への、もはや
「く~まのっ。何してんの?」
「見てわかるでしょう? 日課の洗車ですわ」
今更何を聞くんだ? ニヤリと笑った友人の目は鈴谷にそう言っていた。
彼女の言う通り、この行動だっていつものことだ。熊野は帰投して挨拶や報告その他の用事をなるべく早く済ませると、すぐに外に出て駐車場に停めてある自分の車を気が済むまで磨いている。
前に、なんでそこまでご執着なのかを聞いたことがあったが、ルーティーンとかいうやつらしい。この行動をすることによって、彼女の心はピリピリした戦場から日常へと戻るんだとか。勝手気ままな性質でその日が良ければそれでいい、なんて毎日考えている生来の楽天家な鈴谷にはそんな行動理念はないのであまり理解は出来なかった。
へぇ、と生返事を相手に返すと、今度は反撃を貰った。カーマニアの熊野から、汚れていた車を見られて鈴谷は軽い説教を食らうことになる。
「貴女はしないのね。汚れたまま乗るなんて趣味の悪いこと」
「……そんなに酷いかな」
「みすぼらしいといったらないですわ」
やれやれ、とわざとらしく言われる。「タイヤが4つあって、走れば全部同じ」なんて考えのもとに運転している鈴谷は、車の汚れとかコンディションとか、そういうところには無頓着なのだ。彼女のシビックは、つい数日前の大雨に濡れてほったらかされていたせいで水垢汚れまみれである。
「EK型シビックは日本が世界に誇る名車ですわ。もっと大切に乗ってくださいまし……水垢と泥だらけで可哀想に」
「そーなの? こんな古くさい車がぁ?」
「道具は貸しますから、少しぐらいは洗った方が良いですわ。お
「メンド~……まぁいっか。まだ時間あるし」
手首を顔に向けて時計の文字盤を見る。もう少しでまた出撃かと思っていたが、まだ30分ほど休憩は残っていた。仕事は佐伯の方針で非常に規則が緩く、多少海に出るのに遅れたところでやることさえしっかりやれば何も言われないので時間は結構残っていると言える。
おーよしよし良いコだね~お前はね~ 思ってもいないことを口にしながら、熊野から貰った洗剤の染みたスポンジで車を擦る。茶色がかったシミの下からメタリックの塗装が顔を出した。
全体的にカーシャンプーをかけたら、後は高圧洗浄機の水をかけてすぐに終わりだ。普通と言えば普通だが少し適当すぎたか、鏡みたいになるまでランボルギーニを磨きあげていた熊野に白い目で見られた。
「ホイールまでは磨きませんのね」
「別にぃ~? 熊野みたいにメッキの高いタイヤ着けてるわけでもないし」
車は走れば充分ヨ! にっかり笑って鈴谷はそう言う。細目で見た親友は、なんとも表現しづらい哀れみみたいな視線と笑顔をぶつけてきていたが無視する。
2人が友達同士らしい他愛ないやりとりをしていると。1人の、緑色の着物に濃紺色のスカートという格好の艦娘が自分らの所まで走ってきた。艦娘の中では空母と呼ばれる区分の装備で仕事をする
「いたいた。2人とも、もう装備確認して港に居た方がいいと思うよ?」
「わざわざご忠告、ありがとうございます」
「うあーだるだる……帰りたいなァ……」
「あはは。本当に鈴谷は変わんないね。あぁ、あとね、
長門、というのは今朝の任務で鈴谷も一緒に居た仲間の1人だ。海に出ないなんて羨ましい!! 口には出さないが鈴谷はそう思う。
今日という日もあと半分か……………頑張るか。
しゃがんでいた体勢から立ち上がって借りていた道具を熊野に返し、凝り気味の肩を叩く。「鈴谷ったらおばあさまみたいですわ」 失礼な事を言ってきた友人に「ウッサイ!」と一言突っ込んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『輸送船の護衛部隊が攻撃を受けているみたい。現地に近い私たちは、大至急救援に向かえ、とのことです』
「「「了解!」」」
ま~た他の部署の尻拭いかァ。
2時間あったとは思えない昼休憩も終わってしまい。彼女は弾を積め直した武装を担いで、親友や那智、木曾に蒼龍と、最後に自分の後ろを着いてきている駆逐艦の
今のご時世、タンカー等の輸送船は複数名の艦娘を雇って海に出る、という考えは深海棲艦対策の常識としてワールドスタンダードである。が、絶対的に人手不足な軍は修練の度合いも全く足りていない人員を護衛任務に回すことも普通だ。結果、運悪く戦艦や空母級といった強力な個体だらけな敵の部隊と遭遇した者らが近隣の鎮守府にSOS、なんて事も日常茶飯事だった。
とはいっても、だ。幾らなんでも私らだけ多すぎないだろうか。つい1か月前なんか、ある1週間に似たような任務に5回は駆り出されたことを思って鈴谷が考えていると。敵反応は近くにない、と蒼龍から聞いた那智が無線で雑談を始めた。
『そういや、熊野。ご執心の車の様子はどうなんだ?』
『絶好調ですわ。最近クラッチの交換をしましたの』
『ランボルギーニのクラッチか……1個で100万近くしそうだな』
『工賃込みで50万円ですわ』
『ごじゅっ!? オイオイマジか!』
那智の質問に熊野が答えると。特に車が趣味というわけではないが、金額に驚いたか、木曾が声を震わせながら呟く。
やっぱりというか。高級外車に乗っていたり、社長令嬢をやっていたりする熊野は、話題も豊富なのでこういった雑談の主役になることは多い方だ。が、残念ながら長い付き合いで別に今更聞くようなことなんて何もない鈴谷には会話には混ざりづらい。というわけでこんな雰囲気の時、彼女が声を掛けるのは、決まって、今現在だと後方に控えている浜波だ。
無線が全員の声を拾う状態になっているのを、手元のスイッチの感覚だけで判断して。鈴谷は後ろの人物に話を振った。
「ハマちゃん、今ヒマ?」
『な、な、何……なん、ですか……』
「私さ、髪、今朝染めてきたばかりなんだよね。ヘンにムラになってたりしない?」
『べべ、別に、問題ないっ…と、思う…私は……』
「そっか、なら気にする必要もナイ、か。」 生来の
因みにこの浜波という人物、鈴谷に近い色に髪を染めていた。なんでも、持病があって仕方がないとはいえ、上手く話せない事で孤立しがちだった自分を仲間の輪に引きずり込んできた鈴谷に憧れて、だそうで。大胆にも一度真っ白に脱色して薄い緑色に染めたという経緯がある。顔を見られるのを恥ずかしがって、目元が隠れるぐらいに前髪を伸ばすほどの引っ込み思案な性格の割にははっちゃけたことをする。そんな風に鈴谷は思っていた。
髪がちゃんと染められたかの確認で始めて、次に最近どこに出掛けたとか、気に入った外食の店と会話の風呂敷を2人が広げていたときだった。各々最低限の警戒は緩めないでお喋りに花を咲かせていると、救援を求めている人達が近いと蒼龍が通達してきた。
『あ、また通信だ……このまま行ったら5分もしないで目的地みたい。みんな、安全装置は切っておいてね?』
『当たり前だ』
『了解しましたわ』
……ハァ。また忙しい数分間が始まる―― そう思って鈴谷は渋々会話を切り上げ、持ってきていた武器の弾やセイフティーの確認に入る。
『浜波、いつもの頼むぜ。狙撃は
『ぜ、ぜん……善処……し、します……』
『応。頼むぜうちのエース』
「那智、木曾。あんまハマちゃんに変なプレッシャー掛けないでよ?」
職場で一番最初にできた友達へ、知らない人間が見たらダル絡みに見えなくもないことを言う2人に。あまり良い気がしなかった鈴谷は釘を指しておいた。
ウダウダ喋っているうちに護衛対象が見えてくる。
あまり視力が良いという訳でもないが、目を細めているとテレビの液晶の1ドットぐらいに小さく見える輸送船から、目測でおよそ1kmぐらいの距離かと鈴谷は判断する。1000m先の物を見るとなるとなんだか凄そうだが、
空母の艦娘である蒼龍が、艦載機を出すために動き始める。彼女は背負っていた矢筒から何本かの矢を掴み、弓につがえて空の雲を射抜くような角度で放った。端から見ると不思議な一連の行動だが、立派な作戦行動だ。
放たれた3、4本ほどの矢が、手持ちの花火みたいな炎を上げながら光る。すると、それらはミニチュアサイズのプロペラ機に変形して、編隊を組みながら船のある方へと向かっていった。毎度のことながら、原理不明のこの戦闘機の発艦は、鎮守府の威圧感と同じく何度見ても鈴谷は慣れない。ちなみにこれらは
護衛役だった艦娘たちも目視可能になるぐらいに近づいたとき。蒼龍は無線越しの相手に口を開いた。
『こちらファルコナー、援護します』
『ナイトフライヤー、感謝します。オーバー』
『た、助かった……!』
旗艦の彼女が救難信号を出してきた部隊に挨拶がわりの無線を繋ぐと、よっぽど深海棲艦の襲撃に堪えていたらしい。相手の部隊員は隊長が「オーバー」と言ったのにも関わらずため息混じりに安堵の声を漏らした。まだ敵はいるのにな、とは鈴谷は心の中に仕舞っておく。
『敵はかなり多いです。我々は足止めが精一杯で数を減らせていません。申し訳ありませんが、後は頼みます……』
『心配すんな任せとけ。怪我の手当ては早めにな?』
『お気遣い、ありがとうございます』
相手と木曾の会話を聞きつつ、鈴谷は最後の戦闘準備を済ませる。両足の
SOSなんて打ってきたものだから、どれだけ船はやられてしまっているのか。等と思っていた鈴谷の想像よりも輸送船は無事だった。恐らくは護衛の艦娘が死に物狂いで防御を徹底したお陰かと考える。
船を盾にするように敵から距離を置いている艦娘たちを眺める。相当敵の攻撃が激しかったのか。6人体勢のこちらと違って4名しか居なかった彼女らは、みな体の服のどこかが破れて血を流しており、装備の至る箇所から爆破された建物ののように黒煙を噴き出し、痛々しい姿を晒している。
『各自散開、熊野だけ私の直衛お願い!』
「ラジャ!」
『『『了解!』』』
蒼龍の指揮に従い、熊野以外はそれぞれ独自判断で散らばって敵に当たった。
『せっかく考えるアタマがあるんだから、困ったら自分から行動しろ』 こういった特殊な状況の時に、対応について教えてくれた、配属されたばかりの頃の自分にスパルタ教育を敢行してきた教官役の艦娘を鈴谷はいつも思い出す。
『うわ、凄い数……重巡の他にも戦艦がいる。気を付けてね?』
『駆逐7、重巡3、戦艦が2……いや、3ですわ』
「……めんどくさ」
熊野の敵戦力分析を聞き流しながら、逆手でグリップを握る構造になっている自分用の砲の引き金を引く。1発は目標のすぐ横を掠めた。すぐに別の砲を発射し、怯んだ駆逐ロ級を追い撃ちすると、2発目が良い具合に着弾し敵は沈んでいく。
『鈴谷後ろっ!』――唐突に無線機が味方の誰かの声を拾う。味方の発言にコンマ数秒で思考をまとめて。慌てて鈴谷は転ばない程度に上半身を仰け反らせて回避行動をとる。
「あぶなッ……! この、うりゃぁぁぁ!!」
間一髪。頬の皮と肉を少しばかり、こそげとって飛んでいった砲弾から彼女はすぐに敵に顔を向け直しつつ反撃に移る。
敵の追撃を許さないためにも、落ち着いた精神状態を維持することを第一に考えて動く。手持ちの砲、次いでロケット、最後にダメ出しのように大腿部についている砲、という順番で間隔を空けながら射撃する。時間を置いて飛んでくる砲弾に行動を阻害され、重巡リ級と軍に呼称されている人型の怪物は、鈴谷の支援に入った浜波の砲撃をまともに受けて沈んでいった。
数秒で軽く2匹は数を減らせたのは流石の腕前と経験といったところか。しかしまだまだ残った敵は元気に動き回っている。
『遅いッ!』
「ハマちゃんナイス!」
自分から見て右側に居た浜波の声を機械が鈴谷に持ってきたのと同時に、彼女の前をウロウロしていた駆逐イ級の頭に砲撃が当たり、敵は被弾した部分から黒煙を上げる。すぐに鈴谷も攻撃に参加し、十字放火を受けた相手は爆発して吹き飛んでいった。
「ありがとうね、手伝ってくれて」
『え、ええぇ、援護は……得意だからっ……』
恥ずかしがり屋さんの彼女は、戦闘となれば安定した射撃の技術で味方を支える。現在進行形で軽く命を助けられている鈴谷は感謝の情を伝えることを惜しまない。少し離れた場所の敵に対応するために移動しながら、ちらりと別方向に視線を向ける。浜波は鈴谷の遠目でも確認できるほどに顔を赤くしていたが、そこについては触れないことにしてあげた。
あまり離れていると命中率もそうだが、攻撃の威力が落ちるので敵との距離を詰めようとしたときだった。艤装の最大出力で海を駆けていた鈴谷の目の前に大きな水柱が上がる。
味方の誤射か? 全員近くに居ないからそれは無いか。じゃあ敵か! 持ち前の頭の回転の早さで素早く行動を起こす。
右か左か、それとも前か後ろか? 一応は装備の防御力というもので直撃弾を食らっても死亡することはないとはいえ、1秒でも判断を誤って病院送りはごめんだ。
そんな考えで鈴谷は目の前の水柱目掛けて1発武器を撃ち込んだあと、急いで後退しながら周囲を見回した。が、どういうことだろうか。撃ってきた敵の姿が見当たらなかった。
「敵が巻き上げた水柱」という鈴谷の考えは当たっていた。しかし、「周りから放たれた攻撃によるもの」という早合点は間違っていたのだ。もう少し余裕があれば気が付いたかもしれないが、残念ながら彼女には、爆煙が昇り砲撃の音が響き渡るこの場所で落ち着いて考えるなんて芸当は無理だった。
「深海棲艦」という名前なんだから、そりゃあ海からいきなり出てくることもある。そんな大前提を忘れていた鈴谷は顔を蒼くした。
「あっち行けっての、このっ!」
不気味な笑顔を浮かべて突っ込んできた相手に。鈴谷は敵に向けていた砲の照準を自分の足下ギリギリに変えて引き金を引いた。いくら後退していたとはいってもたった数秒では満足に距離が取れない、ということでとった苦肉の策だ。
「イチ……ニィ……ここだっ!」
大きく上がった水柱を潜り抜けてきた敵に、タイミングを見計らって彼女は腰につけていた手榴弾のピンを口で抜いて投げる。ダメージという点では期待できない攻撃だが、爆風と煙を利用して間合いを詰めさせないようにするための行動だ。
「<-),:-$';,+,$-[-)=:-)@@!」
「ヨソ見したね?」
腕を振り回して煙を振り払ったル級の、体の側面に鈴谷は回り込む。
「それじゃあバイバイ!!」
なんとか時間稼ぎに成功し、リロードが完了した武器を総動員させてありったけの火力を注ぎ込んだ……だが撃沈するまでには至らなかった。爆風が晴れて出てきたのは、満身創痍だが殺気を全身から放つル級だ。
「ぅぅぅる゙ぅぅぅ…………」
「こういうときどうするんだっけぇ!!」
訳のわからない言語で喋っていたかと思えば、猛獣のように唸りながら副砲を乱射し始めた相手へ。鈴谷は、首からベルトで下げていた飛行甲板装備を盾の替わりに構え、唯一弾頭が装填された状態で残っていたロケットランチャーを撃とうとする。
『急いで下がれ! 当たっても知らねぇぞ!』
「!!」
また、彼女は胸に着けていた機械と仲間に救われた。ノイズの混じった木曾の声に、ロケットを引き撃ちして退がる。
鈴谷の足下を、大量の白い航跡を残して何かがル級に殺到する。敵の足下で大爆発を起こしたそれらに続いて、野球選手がホームベースめがけて滑り込むような動作で、木曾は体の側面が海面につくぐらいに身を低くし、戦艦ル級の足を狙い両腕でしっかりとサーベルを握って突貫した。
敵のこの行動に予想もしていなかったル級が、目を見開いて下に注意を向け直しているのが、木曾と鈴谷の目にもはっきり確認できたがもう遅い。滑り込みの勢いをつけて振られたサーベルに両足の膝から下を切断され、女性の姿をとっている怪物は鼓膜が破れるような声量の叫び声を上げる。
木曾が鈴谷の援護に放った魚雷の直撃に、鈴谷のロケット、追い撃ちに足を切られたル級は沈んでいった。
『ったく、危ないったらねーぜ」
「ゴメンね!」
「ホントだよ。もってあと3回だ、それ以上は助けてやれねぇからな……まぁ、もう終わりか?」
助けてくれた木曾に礼を言う。流石に今の無茶な行動が祟っているのか。彼女が握っていたサーベルを見ると、ノコギリみたいにガタガタに刃が欠けて歪んでしまっていた。ただ、木曾の発言に一度鈴谷は軽く周囲を見渡すと、確かに、敵はもう指3本で数えられるほどに数を減らしていた。
「浜波、そっちは?」
『あ、あたし、だだ…だけで大丈夫ッ』
「そっか、頑張れよ……ハァ、疲れた……」
残っていた駆逐艦の敵に一番近かった浜波が、特に苦もなく敵の
敵の集団が全滅したのを確認する。その次に自分の体に目を落として、鈴谷はひどい状態だと独りごちた。
最近新調したばかりの装備もボロボロである。綺麗な灰色をしていた鉄板が、ル級が撃ってきた弾の火薬の焼け跡で茶色に変色し、撃たれた場所は当たり前だが穴だらけになっている。頭から海水を被ったので全身びちゃびちゃだし、顔に軽く傷までつけられた。
「つっかれた……ホント、最近どうなってるワケ? 敵さん元気で……」
『あぁ、鈴谷……あんなに良いヤツだったのに……』
「な!? 勝手に殺すなバカ那智!」
『ははは! なんだ元気じゃないか。生きてるか?』
「ゾンビでもあるまいて、死人が口聞くわけないでしょ! もう!」
頬から流れてきた血を服の袖で拭いながら、鈴谷は無線の相手に吠える。ただ、軽傷とはいえ負傷した自分を気遣って那智がふざけている、というのは薄々気がついてはいた。
『やっと一段落つきましたわ……こんな激戦久しぶりですの』
『ちょっと私は被害大きいかなぁ……旗艦としては、鎮守府への帰還を提案します』
『シャレか蒼龍?』
『あのさぁ……木曾、私そういう意味で言ったんじゃないんだけど……あ、なんだ……船の人から通信だ?』
仲間同士、今日も生き残れたな! なんて冗談を飛ばしあっていると。蒼龍が無線とは別に持っていた携帯電話に似た形の通信機器を操作するのが、鈴谷の遠目に確認できた。
『船の船長さんが、コレの中で休んでかないかって。どうする?』
「ノろうぜ。俺は肩が重てぇよ……」
「鈴谷もさんせー」
『そっか。みんな、
ほぼ全員一致で、護衛していた輸送船の乗員の厚意に乗ることになって。筋肉痛気味の腕や腰に顔をしかめながら、鈴谷は船から下ろされた梯子に手をかけた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
本日2度目の出撃を無心でこなして、予定外だったが守り抜いた船で砲弾や燃料の補給を済ませて。鈴谷達は3度目の、今日最後の出撃で海に出ていた。
午後5時ぐらいから終業の7時まで。それは、多少は鍛えられているとはいっても、元はあまり活動的という訳でもない生活を送っていた彼女には一番辛い時間帯だった。波に乗りながらスケートするように海を駆けていく艦娘だが、乗り物のサスペンションのように揺れたり衝撃を吸収したりすることになる下半身に掛かる負荷が高い。結果、いつも鈴谷は帰宅後は歩くのも
朝の寝起きに迫るか、それ以上に険しい顔をしながら彼女は水平線を睨む。ごくまれに、敵がほとんど確認できず、2、3度砲弾を撃って後は夜中に仕事をしている遅番に仕事を渡して帰宅、ということが1年の中で何度かあるのだが。今日がそれだったらいいのに、なんて考え混じりに索敵を行う。もっとも、すでに何度か交戦して敵を打ちのめした後には、そんな希望的観測は崩れたも同然だったが。
どうにかしてこれ以降の時間をサボれないだろうか……。考えながら、鈴谷はそれとなくこっそり仲間の表情を伺ってみる。しめた。鈴谷はそう思った。まだ月曜日だというのに、木曾と浜波、蒼龍の顔に濃い疲労の色が見えたからだ。
少し一計を案じてみるか。彼女はワザと首筋に手を置いて、肩が凝ってるような演技をしながら唐突に口を開いた。
「あのさ、みんな」
「……なんだよ」
一番に振り返ったのは那智だった。続いて他の4人が足を止め、鈴谷の居るところに顔と体を向けた。思った通り、週の初めであの激戦は体にキたとみえる、ほぼ全員が今にも「疲れてんだよ!」とか言いそうな雰囲気だった。
「ちょっと休憩にしようよ……ホラ、あそこに良い感じの小島もあるし。もうノルマなんてとっくに越えてるぐらい倒してるっしょ?」
「休憩ねぇ……木曾、蒼龍。どうする?」
「俺は構わないぜ。鈴谷程じゃねーが土日で疲れが取れてねぇんだ、ちと肩が重い」
「肩こり酷すぎだろ」
「うっせ!」
「う~ん……? 少しぐらいなら良いと思うけど……」
「りょ、了か、了解、です………」
「皆様がそういうのなら、賛成ですわ」
ヨッシャ! 計算通り! 鈴谷はガッツポーズしたい心境だった。
実際、今日という日に6人が水底に叩き落とした敵の数は結構な数になっていた。朝の出撃だけで18~20は撃退ないし撃沈したのに加えて、ついさっきの輸送船の護衛だけで軽く10匹(人?)は吹っ飛ばしている。
鈴谷の策略に誘導されて、6人は軽く職務放棄に近い行動をとることになった。
小島の砂浜に直に座るのは、服に砂利や流木の破片がついてエラいことになるので嫌。なので、鈴谷はちょうど良いところに浜に刺さっているような岩をみつけて、それの上に座った。
「しんどい……今日は何持ってきてたっけか……」
「本当にな。休み明けてすぐにアレはちと体に
「鍛え方が足りませんのね?」
「お前のパワーはどこから出てるんだ?」
「鈴谷と真逆で熊野は本当に元気だね……」
昼に摂取したカロリーを消費し尽くしたどころか、これ確実にマイナスだ……。なんて思いながら、鈴谷はいつも服の内張りに仕込む携帯食料を探す。近くでは準備体操みたいなことを始めた熊野に、伸びや
カロリーメイク様にウィダー様バンザイ。いや、よく考えたらクソむかつく。だってこういう美味しく頂ける携帯食料と栄養剤が発達したものだから、自分等のような残業上等労働がまかり通ってると言えなくもないのだ―― ゼリー飲料と高カロリーブロックをかじると、健康食品メーカーに喧嘩を売る思考回路に頭が染まる。
木曾は装備に取り付けてある魚雷発射管をウェスで磨き、その隣では浜波も装備の自主点検をしている。浜波は言わずもがな、木曾については、話すことから行動までサバサバしていて女らしくないが、妙に真面目なところがあるな、と見ていて鈴谷は思う。
それぞれ勝手な事をして数分間の時間潰しをしていたときだった。旗艦の蒼龍の小型端末が、電子音を周囲に響かせる。
「…………あっ」
「まさか」
「うん、提督から」
まさか、バレた? 普通に考えてありえないが、全員の脳裏に同じ考えがよぎる。鈴谷、お前が提案したんだぞとでも言いたげに目を細くしてこちらを見てきた那智に、鈴谷は口を開いた。
「やめよやめよ! 働けって言われても私だけはストするもんネ! 始末書かいてるほうがいいし!」
「筋金入りだなお前は……」
「あはは……とりあえず出てみるね?」
フンッ! とワザとらしく鈴谷は鼻をならして足を組む。数秒間機械を通して蒼龍は佐伯と話す。そもそも提督の彼の性格から有り得ないのだが、「サボるな!」なんて言葉は飛んでこなかった。
『皆様、お疲れ様です。もう時間ですので、帰投してください』
「アレ、もうそんな時間?」
『輸送船の乗員の方から活躍は聞きました。少し早いですが、皆さんお疲れですよね?』
「「「モチ!」」」(ロン!)
『おっと、やっぱり予想通りだ』
佐伯の言葉に当然さ!と鈴谷が言った。偶然だが木曾と那智の2人とも声がハモって、彼に笑われる。
鈴谷が腕時計の表示をナイトモードに切り替えて覗く。午後6:30。なるほど、いつもより多少早いが、今日の激務を考えてオマケしてくれるらしい。人一倍仕事嫌いで自由を愛する鈴谷にはとっても嬉しく感じられた。
「今日もやっと終わりか」 「帰ったらなにしようか?」 皆それぞれ思い思いに独り言みたいな事を言いながら、時たま話し掛けてくる佐伯に応対していたときだった。
気のせいだろうか。遠く、距離感が掴めなかったが、赤く光っている何かを見つけた。敵だろうか? そう思って鈴谷は口を開く。
「ねぇ、熊野。あれ見える?」
「…………?」
「ほらあそこ、何か光ってるやつ」
「あ、ホントだ。なんだろうねあれ」
鈴谷の言うことに、熊野は眼鏡を無くした人みたいな顔で頭上に?マークを浮かべていると、彼女よりも早く蒼龍が鈴谷のいう「ヘンなの」を見つけた。味方の様子が少しおかしいことに、現場にいなくても気付いたか、佐伯が心配そうに話してきた。
『どうかしましたか皆さん?』
「いや、それがさ、変なのが見えるんだよね」
『変なもの……具体的には?』
「何か遠くで赤く光ってるのが……離れててよくわからないや、大型艦の深海棲艦かな。写真取っておきますかー?」
「鈴谷、危険ですわ。無いとは思いますが、もしも姫級だったらどうしますの?」
「別に? コレ盾にして、ケツまくって逃げるかな」
熊野に、得意気に穴だらけの飛行甲板を見せつける。ここまで破損してしまうと新品に交換・廃棄は
鈴谷は佐伯の発言に、艤装に標準装備されているカメラを手に取る。それのスイッチを押し、レンズの倍率を変えて鎮守府と中継するモードに切り換える。電波の伝わる時間の都合か、数分挟んでから佐伯から返事が返ってきた。
『なるほど、確認しました…………そうですね。もう少しだけ近付いて写真をお願いします。ですが、無理はしないでくださいね?』
「りょーかい! 任せて」
「はぁ……まったくもう。お供しますわ」
「え、付き合ってくれるんだ」
「当たり前ですわ。単独行動の後で貴女に何かありでもしたら、友人として寝覚めが悪すぎますの」
このツンデレめ♪
提督の命令で島から海に出た鈴谷についてきた親友に。渋々といった様子だがどこか楽しそうな雰囲気を醸していたので、そんなような事を思った。
「さ~てどれぐらい近付こうか……これぐらいかな」
「さぁ? お好きにしたら」
流石に被写体が遠すぎるので、こっそりこっそり距離を詰める。改めて対象を見てみると、炎のようにゆらゆらしている赤い光がなんとも不気味な物体(生物?)だ。
偵察ですらないナニカだし、適当でいいか。鈴谷がそう思ったときに「それ」は起こった。
隣でカメラを構えた親友を、欠伸を噛み殺して熊野が眺めていた時だった。
突然周囲が赤みを帯びた光で明るくなり、目が眩みそうになった熊野は両手を顔に持ってきて影を作り、たまらず目を瞑る。
何が起こったのか。鈴谷にも、そしてその隣に付いてきた熊野にもすぐには理解することが出来なかった。
鮮血のような気味の悪い赤い色をした光線が、目映い閃光を伴いながら調査対象の方向から放たれた。という事象によってもたらされたのか。その場に残ったのは、左腕を肩ごと、そしてついでのように左脇腹を虫食いのような跡を残して吹き飛ばされた鈴谷が気を失って倒れている。そんな目を覆いたくなる状況だけだった。
「…………え?」
熊野には意味がわからなかった。
「う、嘘よ……ありえませんわ、こんな事………!」
どしゃり。
聞きたくもない、生々しい水の音に体が動く。親友の背中に腕を差し込んで持ち上げる。外はもう夜で、暗いはずなのに。手の上に広がっていく赤い液体の色が、酷く鮮明に認識できた。
「悪い冗談はやめてくださいまし、ホラ、さっさと目を覚まして…………鈴谷……聞こえてまして…………?」
昔、こんな事があったなぁ。自分の誕生日などの祝い事に、ドッキリだとかいってこいつはよく死んだふりで私を驚かしてきたものだ――頭が混乱していた熊野の脳内に、この状況の中で考えるには場違いな思い出が広がっていく。
一番早く行動を起こしたのは那智だった。たまたま都合のいいことに心配になって2人を着けていたのに加えて、良くも悪くも、あまり鈴谷と関わりの少なかった事がプラスに働く。彼女は着ていた紫色の制服の上着を脱いで裏返し、倒れた鈴谷の傷口に押し込む。続けて、放心状態の熊野を無視して木曾に指示を飛ばした。
「木曾何してる! 早くそのマント寄越せ!!」
「え? あぁ、おう!」
木曾が羽織っていた外套で、自分の服ごときつめに鈴谷の体を縛る。お粗末な止血だったがやらないよりはマシだ。那智はそう思っていた。
「あぁ、ぁあ……あ………」
あくびでもしたときに出すような呻き声と表現するとぴったりか。見る人間によっては笑ってしまいそうな、そんなどこか間抜けな声を、熊野は無意識に口から漏らした。目の前で起きていることが、現実だと認識することを脳が拒否していた。
数秒も挟まないうちに。熊野はぐったりと力無く海面に倒れた親友を抱き、叫んだ。
「何か喋りなさいよ鈴谷あああぁぁぁぁぁ!!」
周りで自分を見ている同期達の存在なんて忘れていた。
死んだように動かない大親友を抱えて、声が裏返るほどの声量で吠えることしか今の熊野にできることはなかった。
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