「ツ級1、ヌ級1撃破しました!」
『そうかい、流石だな秋月。このところ絶好調じゃねーか』
「ふふ、ありがとうございます」
大した事ない敵、か。この程度なら簡単だ。良かった良かった……。ネ級・摩耶・鳥海の3者が奇襲の対応に追われていた時。手早く天龍と敵に当たって
陸のどこかに捕らわれているという港湾、離島棲姫のために鎮守府に潜り込んで、はや数ヵ月。なかなかどうして、結構自分は演技が上手いな、等と思う。
自前の身体能力のおかげで苦戦する敵はほぼなく。偶然だが、角や触手といった身体的特徴もないので変装せずとも人に近い。様々な要因に恵まれていたため、じっくりと時間をかけた内偵は順調に進んでいた。
その昔、激戦で行方を眩ましたという人物に成り済ましつつ、記憶障害をチラつかせ姉妹と仲を深める。演習、任務でも功績を積み上げ、信頼を得る……読めないことがあったとすれば、せいぜい最近ネ級とレ級が鎮守府に来たことぐらいか。たった数ヵ月でも、振り返ると懐かしく感じるなぁ。
天龍と無線越しの瑞鳳が連絡を取り合っているのを見ながら、防空棲姫は少し考え事に上の空になる。が、部隊長の彼女の発言に現実に引き戻された。
「…………? なんだ、通じねぇな」
「天龍さんどうしました」
「鳥海と無線が繋がらねーんだ。他にもネ級に摩耶、あと弥生とかも残してきた筈だけど……瑞鳳、そっちはどうだ?」
『ダメ、繋がらないよ。どうしちゃったんだろ?』
「……なんか怪しいな。おい、急いで戻ろうぜ」
「はい」『はーい!』
別に機械に詳しくないが、確か艦娘用の無線って性能いいよね? どういう事だろうか、等と思っていると。
ブウウゥゥン……と、微かにプロペラ機が飛んでくる音を聞き。頭を空に向けた。同じく不思議そうな顔で天龍も同じ行動を取る。遠くから支援した瑞鳳は既に船へと撤退を始めているため、彼女の飛行機ではないはずだと2人とも考える。
やはり、飛んできた瑞雲は彼女の物ではなかった。深緑色ではない。現代航空機のような、青と黒を基調とした洋上迷彩が施された――ネ級が持っている機体だった。
「ネ級の機体です」
「なんだいったい? しかも1機だけかよ」
怪しい表情をしていた天龍の元へ、その瑞雲は機体後部からパラシュートのようなものを展開し、強引に減速しながら彼女の胸へと飛び込む。
「はぁ!? わっ、おい、ちょっと!!」
防空棲姫は驚く。この妖精、かなりの腕前だと思うと同時に、こんな無茶をするなんて本当に何をしに来たのかと疑問が膨れ上がる。
頭を大量の?で埋め尽くしていた2人へ。機体のキャノピーを壊すような勢いで飛び出した妖精が天龍へと口を開いた。
「緊急事態なのです! 緊急事態なのです! 敵なんてほっぽって早く戻るのです!!」
「はぁ?」
「船が襲われてるのです! ネ級しゃんが孤軍奮闘で、通信妨害されて!!」
「何だと!?」
支離滅裂にも聞こえた発言を飲み込み、天龍は動く。理解はできずともただ事ではないと判断し全速力で戻ろうとした相手に合わせ、慌てて防空棲姫も追従する。
最大船速のために、猛烈な水飛沫を巻き上げた天龍に顔をしかめたときだった。
唐突に防空の頭に「景色」と何者かの「声」が届いた。
ひき肉がいーかな。踊り食い? いや、なんか子供って生臭いンだよなぁ……あ、そうだ、すりおろしってやったことないな、それでいこう!
妙なビジョンが頭に届くと同時に頭痛と吐き気を覚える。思わず彼女はその場に止まり、えづいてしまった。
「うっぅ、あっ……! ぉえ……!」
「はぁ!? なっ、おい、大丈夫か?」
「へ、平気です。それより早く行かなきゃ!」
「え? あぁ、おう、ってちょっと!!」
他の深海棲艦がどうなのかは知らなかったが。防空棲姫という女は、簡単なテレパシーのような能力が行使できた。
と、言ってもそれは融通が利かない、勝手に電波を拾うラジオのような物なのだが。時折、今のように敵対する者の考えている事などが、ノイズとして頭に届くことがあった。
「待てったら、おい! ったくどうしたんだよいきなりよ……!」
「急ぎます! 強い敵が来てるようで」
非常に不味い―― 脳裏に浮かんだ、「血を浴びて顔を綻ばせているタ級」という情景に。そして彼女が今考えている事も読み取り――何よりもこの危険思想の塊のような敵が今しがたネ級や鳥海らと交戦中だと察し。防空棲姫は先を急いだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最悪な時間はとっくに過ぎた。今、傷を負うとすれば戦闘中の艦娘や自分ぐらいだ。もっと気楽に考えなきゃ―― 手のひらに固定した槍を振り回しつつ、ネ級は考える。
時間にしておよそ数分が経過したか。コンマ1秒にも満たない間にチラチラと確認していたレーダーの反応では、船は自分からそれなりに離れていた。どうにかこのタ級の妨害は半分は成功したと認識する。
「活きがいいな、良すぎて邪魔だァ!」
「勝手な事ばかり言って!」
「敵がわがままで悪いか? なんでお前なんぞに手心を加える必要があるんだァ??」
最初から倒す気がさらさら無いネ級は、自然と弾を温存する動きをしていた。味方に攻撃が当たるのを嫌い、何度も距離を詰めてしつこく近接戦闘を仕掛ける。
だがしかし、自身の安全を度外視した戦法の最中にも、少しずつネ級は劣性になっていた。既に艦載機はほとんど撃ち落とされ、猫艦戦も瑞雲も大半が海に没した。
何とか脱出していた妖精に片手間で指示を出し、中破していた怪物は船の護衛へと後退させている。正真正銘、今度こそネ級は正面からこのタ級との一騎討ちの状態になっていた。
「んっふ、くく、ふふふふふ……」
「何が可笑しいのさ……このっ……なんで、そんなに船ばっか狙って!」
「う~ん?」
遊んでいるとしか思えないような楽しそうな表情で、ネ級の質問にタ級は返答する。
「……甘いんだ」
「!!」
「甘いんだぁ……脂ノッてる人の肉ってさ。だからなるべく生け捕りにしてから、美味しく頂いてる。そんだけ」
「……………!」
「なんだよ、答えてあげたのにそんな青筋浮かべてぇ……おぉ恐い恐い」
タ級が言い終わらないうちに。ネ級は右目を文字通り煌々と赤く光らせながら力任せに殴りかかる。やはり回避されたが、今度は反対の手を音を置いていくような速度で女に叩き付けた。
「ざ~んねん♪」
「っ、いちいちウザイってぇ!」
これでやっと攻撃が入ったかと思えば、タ級は寸前で槍が飛んできた方向に動いて衝撃を吸収した。舌打ちするネ級を尻目に、また敵は後退する。
一方的な鬼ごっこが続く。1度近づいて槍で刺そうとすると避けるか弾くかで通らず、すぐ逃げられては弾幕が飛んでくる。そう何度も同じことが続くと、流石に鈴谷の集中力も持たなかった。
柄に巻いた包帯をきつく締め直し、再度、接近して横に凪ぐ動きをしたときだった。
さっきまでは近接戦に積極的ではなかったタ級が、唐突に今度は限界まで距離を積め、弱い体当たりでネ級の事を押し退けてくる。
「――――――!?」
「間合いが近すぎたな、お嬢ちゃん?」
一体何を。思わず軽く背中を仰け反らせたネ級に、タ級はすぐに答えを見せた。
ネ級と同じく、両手は素手でも砲撃が行えるタ級という個体だが。さっきまでは何も持っていなかった手に、女は最初にネ級を刺した物と同じナイフを握っている。
「!!」
「串刺しになれってェ!!」
ちょうど、ネ級の頭の、耳がある場所を目掛けてタ級は両手を振った。
このままでは避けきれない。ネ級は賭けの行動に出る。
ほんの少し、後ろのめりになっていた彼女だが。一思いに膝を曲げると、そのまま海面に倒れた。
「何ィっ!?」
「うぅりゃああぁぁ!!」
これで終わりじゃないだろうな、間違いなく。そう思い、寝そべったまま動こうとした彼女へ、爆風を押し退けながら、タ級がぬるりと姿を晒す。
「仕返しぃぃイイ!!」
「!?」
相手が頭を守っていた事を読んでいた女は、ネ級の持っていた武器を腕ごと掴んで強引に構えを解く。急の出来事で怯んだ彼女へ、更にタ級は逆手に持った刃を降り下ろした。
一瞬の判断が生死を分ける。半ば条件反射で、馬乗りに近い体勢の女の腹をネ級は蹴飛ばした。結果、ナイフはネ級の顔面を両断はせず、薄皮をなぞる程度に留まる。
慌ててネ級は艤装の出力を限界まで下げる。浮力が小さくなった彼女は、触手で大量の海水を飲んで自分の体を重くすると、1度海の中へと沈んで身を隠す。
「はぁ……はぁ……」
おっかない……なんて敵だ……。
初めて直撃を与える事が出来たのを喜ぶ間も無く、恐るべき切り換えの早さでこちらを殺しに来たタ級へ。改めてネ級は恐怖を覚える。
呼吸を整え、浮上する。落ち着いてくると、顔に付けられた傷に海水が染み、じわじわと痛みだした。
「いっ……痛い……ぃ! 全くろくでもない……!」
まだ島に着かないのか?? 傷口を強く縛ったせいで痺れる腕を必死に振り回しながら考える。相対する敵が強く、時間の流れが遅く感じたのもあったが、まだ戦闘開始から10分も経っていない。しかしそんなことは知らないネ級は、次第に焦りの感情が大きくなっていく。
足止めだけでイイなんて考えたけど……私はあと何十分も戦えるのか? この強敵に? 戦艦棲姫とやったときだって、周りに味方が居たから出来たことであって……。 疲労でネ級の動きは精彩を欠き始める。
そこへ、思わぬ援軍が乱入してくる。
「でぇやああぁぁぁ!!」
「「!?」」
ネ級の肩の辺りを砲弾が通り過ぎる。何処からかやって来たその攻撃は、距離の近いタ級の胸を正確に捉えた。
薄い霧を抜けて姿を現したのは、摩耶だった。それなりの数がいた敵に付けられたのか、体のあちこちが傷と血で汚れている。
「はは、なんだお前?」
「沈めぇぇ!!」
かなりの速度で航行中の彼女だったが、途中から防戦一方だったネ級のことなど無視して、タ級に近付いて殴りかかる。が、軽く手を払うような動作でいなされた。
「スッとろいんだよカス!」
「まだァ!! しっかり受け取れぇぇぇぇぇ!!」
「ぅおっと!?」
渾身の右ストレートが防がれたと見るや、すぐに切り換えてバックすると。摩耶は砲身が焼き付くような無茶な連撃を繰り出す。連戦によりダメージも蓄積していた武装の砲身が吹き飛ぶ。身を削るような摩耶の重い一撃に、タ級が冷や汗をかくのを、ネ級は見た。
「おいおい……セコンドの乱入は反則だろォ?」
「うぅぅりゃああぁぁぁぁぁ!!」
「はっはは、いいねぇ、楽しませてくれるなお前!」
着実に傷を増やし、血を流し続けているにも関わらず、女は笑みを濃くする。反撃に転じる隙を潰さんと、攻撃手段のほとんど無くなった摩耶に代わり、ネ級も加勢に切り込んだ。
「いいねぇ、最高だねぇ、でもまだ足りないよなぁ?」
「何をッ」
「こうすればもっとケツに火がつくだろうがァ!?」
何をする気だ タ級に投げ飛ばされ、受け身をとって海面を転がるネ級が不審に思う。
ネ級も気付いていたが、ここ数分で霧が薄くなっていたのだが――うまい具合に船を隠してくれていた物まで無くなっていた。タ級は、見晴らしが良くなった事をいいことに、また船に狙いを定めて砲撃を行おうとした。
ただ、それも不発に終わる。何に変えても船は守り通す―― そんな執念が摩耶から滲み出ていた。
彼女は手榴弾に空の弾倉、果てはキャンプ用のナイフまで、およそ武器になるものをありったけ投げつけてタ級の進路と射撃を妨害する。
「ぶっ殺されてぇかあぁぁぁてめええぇぇぇぇ!!」
肩の副砲を乱射して吠える。摩耶は使えなくなった砲の嵌まった腕で女の鳩尾を殴ろうとした。
「効かないなァ、
膝で彼女の腕を蹴りあげて回避したタ級は、右腕でわざとらしく手刀を作って振り上げる。
何か、猛烈に嫌な予感がしてネ級の体に寒気が走る。予測は当たり。タ級は豪快に腕を降り下ろし、指で摩耶を切りつける。
「うぅっ、がぁっ!!」
「摩耶さん下がって!」
「ぐっ……うぅ゙、くそがぁ……!」
刀で袈裟斬りをされたように皮膚を裂かれた摩耶は、自分の傷と相談し。納得のいかない顔をしながらも、ネ級の叫びを聞き胸を押さえながら後退する。
「止まれ……ええぇぇぇ!!」
謀らずも敵との距離が取れていたことを利用する。短い助走でやれるだけの加速をすると、ネ級は背中を水面に叩き付けるように再度わざと倒れた。慣性で前方へと流れるように滑り込みながら、両手で持った槍をタ級の足を狙って思い切り振る。
「ふっ……うふ、フフフ……」
「ッ、まだまだっ!」
行動は読めていた、と言わんばかりに相手はネ級の槍を飛んで避けた。
足元を通り抜けていく敵を、さも余裕そうに目で追っていたタ級に。ネ級は滑りながら身を捻って、
もっと手を動かせ。そう思ってもこれで手一杯だ、何をすればいい……? 考え事などしようものなら一撃必殺の威力を秘めた致命傷が飛んでくる。手を止めずに、しかし残った少しの思考回路で必死に考える。
ふと、何度も繰り返される無我夢中の行動の中で、無意識に振り回していた触手が目に入った。
これしかない。ネ級はまた新たな攻撃方法を思い付くと、考えるよりも先に行動に移すことにした。
肩に深傷を負ったせいで満足に力を出せなくなった手に固定していた槍だが。ネ級は前に戦艦棲姫と殴り合いに発展したときのように、固定に使っていた包帯と止血のための物二つを解いた。違う手に武器を持ち直すと同時に、大振りに凪ぎ払う。
「てやぁっ!」
「っと、なんだよ、当たらないな?」
お粗末な動きだったので、避けられる事は想定済みだった。ネ級の狙いはここからだった。
彼女は痛む左腕全体に触手を1本絡ませると、副砲を撃つ。更に巻き付かせた物の力で、動かすときに力む必要がなくなった手に連装砲を持ち直して乱射を始めた。明らかに動きが変わったことに動揺したか、意図せずしてタ級の追撃と反撃が止まる。
「おっほォ! なんだぁ!?」
「こうっ、すればっ! 少しは面倒でしょう!?」
「ははは、面白いこと言うじゃないか」
例え固い表皮に阻まれて通じない豆鉄砲でも。相手だって生物ならば、目に何か飛んでくるとなると、生理現象として瞑ってしまったりぐらいするはず。それを見越して、ネ級は右手の槍も触手に噛ませると、空いた手に持ったマシンガンのマガジンが尽きることも
自分が深海棲艦だからこそ出きること、と思い立って実践してみたが。このまま不意を突いて押し込めるか? ネ級が攻撃を交わし続ける敵にそう思ったとき。負傷して後退した摩耶が居た方向から、また誰かの砲撃が飛んできた。
「何だと……!」
噴煙の色が普通の砲弾とは違う――ロケットか何かの類いがタ級の頬の辺りに着弾して爆発する。大きな隙ができたとネ級は全砲門の火力を集中しようとしたが。この混戦で計算を間違えたか、また弾切れを起こしてしまう。
迷っている暇はない――破れかぶれでネ級は触手を女の胸に噛ませると、槍を大上段から袈裟斬りに振るった。
「!!」
「何をォ!?」
渾身の一撃が、一瞬ネ級が怯んだせいで見切られた。一体どれだけ戦闘に慣れているのか。触手はいかつい牙が並んでいる割りには力が弱いことをすぐに察した相手は、もがきまくって拘束を解く。摩耶にやられたことの再現に体を縦に切り付ける予定が、首を掠める程度に回避されてしまった。
「ふふっ、ふふぁははっ、もう終わりかぁ?」
「……ッ、こんな……」
本当、自分はダメなやつだ。せっかくだれかが作ってくれたチャンスだったのに……!
大振りに長物を振り回した隙に、やはりタ級は仕返しに反撃を開始する。やられたことの再現とでも言うか、女はついさっきやったように、吐息が顔にかかるぐらい限界まで逆に距離を詰めてきた。
ネ級は相手の手の内が読めず、内蔵が氷水に浸されるような悪寒を感じた。
「よくもマァ、私の体に傷なんぞ付けおってマァ……!!」
なんだか勿体を付けた発言だったが。簡単に言うなら今まで殺す気で武器を振ったネ級と摩耶に対する文句だった。もっともこのときのタ級の、やはり例によって口許が割けそうなぐらいにひきつった笑顔だったのは、ネ級の内心の不安を更に煽ったが。
「はっはぁ!」
「ガッ!? ぐっ……ゥ」
起き上がりこぼしに似た気持ちの悪い動きで猛烈な頭突きを繰り出す。避けきれずに強烈な衝撃を額で吸収することになり、ネ級の意識が一瞬飛んだ。
「死ねぇ!」
武器がない。弾がない、槍は間合いが近すぎて振れない、じゃあ何をすればいい…… 朦朧とする脳で、この後、雨あられと殺到するだろう弾丸を血の滲む腕で弾くべく、構えながら考える。
しかし。計、数十門の火砲が鈴谷を消し飛ばすことはなかった。再度、助け船を差し出すものが居た。
またどこからか、白い闇を切り裂いてロケットが飛んでくる。それは視界の悪いこの状況下でも、恐ろしい精度でもって放たれたものらしく、正確にタ級の鼻の頭を捉えて着弾した。
「何をっ……、邪魔ばかりっ!!」
また援護射撃? 一体誰が――つけっぱなしだった胸元のトランシーバーから叫び声が出力された。
『隙ができたでしょ! 今ァ!!』
音質の悪い声が無線から届けられる。声の主は、不信感を抱きつつも、特に深い交流はしていなかった防空棲姫だった。
そっか、
間合いが近いので槍は仕舞う。ネ級は胸元に入れていたが、何度もいなした女の攻撃で持ち手の壊れたナイフの刃先を握る。研ぎたての部分で切れた手のひらから血を滴らせながら、しかしネ級はそんなことなど微塵も気にせずタ級の肩目掛け突き刺す。ダメ押しとして刺さったものに拳を叩き込み、更に深く射し込んだ。
「なんだ……これはァ??」
ずぶり、と鈍い感触が伝わる。ダメージを与えることができた。手を伝わる確かな手応えにネ級は会心の笑みを浮かべた。対照的に、痛みからか一瞬白眼を剥いた後、女は激昂した。
「この私にィ、こんな安物の刃物なぞ突き刺してぇぇ!!」
普通は痛みに叫ぶものだろう……。プライドからなのか。意味のわからない事を言い始めた敵を蹴ろうとするが、寸前でかわされる。しかし間を離された程度で彼女は諦めない。おまけに、蓄積された負傷からか、明らかにタ級の動きが鈍っている事を確かめる。
ふと、前に自分が貫手を放ったチ級のことを思い出した。そこから繋がるように、あの戦艦棲姫が自分にしてきたことも脳裏によぎる。
「どいつもこいつもぉ! 私の邪魔をしてぇ!!」
「こっ……のぉっ!」
それを言いたいのはこっちだって同じなんだよ――ネ級の激情と連動するように、彼女の左目の眼球全体が紅く光る。その光が美しく残像を描くような速度で、彼女はタ級の胸元まで再度、距離を詰めた。
腰から生えた尻尾を何本か掴んで牽制射撃をしてくる敵に、冷静に攻撃を見切りながらネ級は両手に何も持たない状態になると、顔以外を触手で覆って強引に突撃する。
強引に防御を突破した後、ネ級はまた触手をタ級の脇腹に噛みつかせると。殴りかかろうとした相手の行動を膝で蹴って封じる。次いで、逃げる隙を作らせず、爪を立てた右手を全力で相手の腹を目掛けて叩き込んだ。
「私を舐めんなぁぁぁぁ!!」
勢いをつけた指は、タ級の
「おッぼ……ぁあっあ、ぃいっ!? いだぃ痛い痛い痛い痛い!?」
「捕まえ……たぁァァアア!!」
自由だった左手でしっかりと敵の体を抱えるように固定し、逃げ場を無くす。ネ級は万力のような力を込め、生暖かい部分を時計回りにかき混ぜた。
「うううぅぅぅぉぉぁぁ!!」
1度勢いが付いた貫手は、ネ級の激情を余すことなく破壊力に変換してタ級の体を壊す。だめ押しとばかりに押し込んだ腕は、敵の背骨を圧壊させ、背中を貫いた。
「ずううぅぅおおぉぉりゃああぁぁ!!」
白眼を剥いて
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
周囲に立ち込めた霧が完全に晴れる。息切れでぜえぜえと肺の空気を入れ換えるなか、ネ級は自分の行動で辺りに蔓延した火薬と血の臭いに表情を険しくした。
さっきまで元気だったのが嘘のように、瀕死のタ級は弱々しく痙攣している。ため息をつきながら、ネ級は血塗れになった腕を引き抜いた。
「ぅあっ…………寒い……寒いよぉ……」
「……………………」
まるで別人みたいだな。胴部に穴の空いた女は、うわ言のように同じ言葉を復唱して海面に横たわっている。
罪悪感は――少し、感じてしまっていた。戦闘中の発言から、きっと多くの人間を殺してきたのだろう。しかし自分がここまでする必要はあったのか……? 一度考えると気が滅入ってしまう。そんなことを思っているうちにも、赤い海水を作りながら女は没していく。
「痛い……寒い……いた…い………さ…む……ぃぃ……―――――」
目から光の無くなっていくタ級に、目が釘付けになる。可愛そう、等と思っていた訳ではなかった。
妙な物をネ級は見詰める。気のせい、と言うにははっきりと。水底から、彼女を引きずり込むような動きの、血の気の感じられない真っ白な「腕」が見えた気がした。
たすけて こわい……。
完全に顔が水に浸かったとき、タ級が自分にそう言ってきたような幻聴を覚える。
「…………自業自得、でしょ……ふん」
自分に霊感だとかが有るのかは知らないが。そもそも今のが疲れすぎたことによる幻覚・幻聴だった可能性もあるが……一体「誰」の腕だったのかを察して、ぶっきらぼうにネ級は吐き捨てた。
今まで身勝手に食い散らかした報いを受けた。だから、「連れていかれた」んだろう。そんなように、鈴谷は解釈した。
「はぁっ、はっ……うっぷ……おぇ……」
無茶な動きを何度も繰り返した反動が遂に出る。ネ級は海面に両膝をつき、胃液を吐いた。
酸に焼かれて傷む喉に顔をしかめる。電源の入ったままだった無線はそんな彼女の声も拾ったか、機械の先にいる防空棲姫から心配されてしまった。
『!? ちょっと、大丈夫なの?』
「えぇ、何とかッ!? ぅぇ……」
『もしかして何か戻してるの? 本当に大丈夫!?』
「心配、いりませんよ。敵は居なくなりましたから……そんなことより、ありがとうございます。貴女のお陰で、本当に助かりました」
見晴らしが良くなったため、遠方で航行中の船を見付ける。そこからそう遠くない場所で護衛中の防空棲姫も見付ける。相手から見えていたかはわからないが、一応軽くお辞儀をしながらネ級は応対した。
やっと、一息つけるんだな……。そんなように思ったとき。無線が鳥海の声を拾う。
『敵、第3波! 来ます!』
『嘘だろ……』
『つべこべ言ってる場合か、迎撃体制だ早く!』
苦い口内を海水で
「うぅぅ……ぐぁ……」 どうにか槍を海面に突き刺して立ち上がろうとするが、戦闘なんてもっての他どころか立つことすら満足に出来ない。呻き声と共に崩れ落ちそうになる。
諦めの念がエスコート隊の面々に伝播していたそのときだった。ネ級他、全員の無線・レーダー機器類の警報が鳴る。
『追加の反応! ひ、姫級です!』
『どうしろってんだ!? 弾も人も足りねーぞ!!』
『うるせぇ!! やるしかねぇだろうが!』
『げ、迎撃! 弾幕です!!』
天龍らは雑兵相手とはいえ連戦に次ぐ連戦。残っていたネ級たちは視界不良と難敵に痛め付けられた。辛うじて元気なのは防空棲姫と船上に待機していた艦娘ぐらいだった。
霞む左目に力を入れ、遠くに意識を向ける。さて、私たちを殺しに来た姫級はどんな顔をしている? おおよそ、ネ級はそんなようなことを思っていた。
(…………。……あれ?)
遠方に見えたのは。強力な深海棲艦特有の、赤黒い光だ。不気味で威圧感を与える物だ……しかしなぜか、どこか落ち着く優しさが有るような、そんな色。遠くに立っていた個体に、妙な感想をネ級は思い浮かべた。
雰囲気、か? どこかで感じたことのあるようなこの違和感は……? 震える手で、艤装に備え付けられたスコープを覗いたとき、その疑問は消えてなくなる。
そこに居たのは、忘れもしない、数か月前に自分が看病した中枢棲姫だった。ただ、あのときとは服装や装備が違う。
戦艦の艦娘に似た格好をした彼女が、マイクらしき物へ口を開くのが見える。
『そこの艦娘さん……深海棲艦も連れているなんて……変わっているのね』
『な、なんだ?』
『通信です。どうやらあの深海棲艦からのようです』
『なんて返事する?』
『知るかよ、俺に言われたって……』
私が何とかするしかない……ネ級の口は自然と動いていた。
「中…枢棲姫、様……覚えて、ますか……私です。ネ級です……」
『なっ、てめぇ! 何勝手に』
『待て。エスコート6に任せてやれ』
途中、摩耶や天龍の声が混じったが、ネ級は続ける。
『ネ級……!? あっ……あの時の……貴女なの?』
「! は、はい!」
『どうして艦娘の子達と?』
「理由は、長く……なります。お願い、します……周りの敵、お願いでき…ますか……?」
やろうと思えば、防空棲姫が何とかしてくれるかもしれない。だけど、本気を出せば内偵がばれてしまう。
先程自分を助けてくれた借りがあるから。そんな理由から無意識に彼女を庇って、ネ級は中枢に呼び掛けた。
返事は、「YES」だった。次の瞬間、両手に構えた大口径砲で、中枢棲姫は船に迫っていた重巡級を派手に撃ち抜く。
『あいつ、一体何を!?』
『ふふふ……貴女たちと居るネ級……大切な友達なの。お手伝いするわ』
疑問の色を多分に含んだ天龍に返事をしつつ、中枢棲姫の支援が始まる。
赤黒い、彼女が体から発しているものと似た色の細い糸のような光線が、3連装の砲身から幾つも放たれる。それは着弾時にほとんどの個体を一撃、持っても2撃で爆発させて、文字通りの消し炭に変えていった。
『て、敵反応……中枢棲姫以外は消えました』
『わーお……隊長さんよ、どーする?』
『…………こいつぁ……敵わねーな。』
圧倒的。この一言に尽きた。中枢棲姫は構えた武器を適当に撃つと、1発として無駄な弾を出さずに敵を殲滅して見せた。天龍配下の艦娘とネ級は勿論のこと、同じ姫級の防空棲姫も呆気に取られている。
『お仕事、頑張ってね。じゃあね』
船にひらひらと優雅な仕草で手を振りながら、優しい声色で彼女は言う。それなりの規模だった敵艦隊を全滅に追いやってなお涼しげな様子に。護衛艦隊の面子は冷や汗を流さずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ほんと、何者なんだろうね。あのネ級さん」
「瑞鳳よォ……お前なんで俺に聞く。後ろに居んだ、本人に直接聞きゃいいじゃねぇか」
「いやちょっとそれは」
「はぁ~っ。ったく……」
大量に自分等に襲い掛かってきた危機を乗り越えて、約30分弱。港に着いた船を見ながら、天龍はため息混じりにコンクリートの地面を踏み締める。
たった今日一日、それも戦闘に掛かった数十分で、天龍を含めた部隊員のネ級への印象はがらりと変わった。何せ、彼女が居なければ全滅していた可能性があったのだ。良くても護衛対象その他の被害は確実に出たろう事を考えても、誰も彼女の独断行動を責めようとは思わなかった。
「…………。」 タラップから親と一緒に降りていく子供たちと、船から少し離れた場所で顔を海に向けて警戒中のネ級とを交互に見る。降りる客の中には、振り返って大型艤装に乗り込んでいる彼女の事を見る者がちらほら居た。子供たちは深海棲艦ながら護衛についていたネ級に興味津々だが……対照的に、親と思われる大人はほぼ全てが彼女を睨んでいた。
「…………ちっ。」
情けねぇ、よな。助けてもらってその態度かよ……いや、それを指摘できねー俺も同じか。
仕事は、乗客が降りて、手続きを済ませるまでは一応続く。出迎えの家族らと話している者達を尻目に、天龍は暗い顔をしながらタバコに火をつけた。
子供はいいよナ。純粋だもの、深海棲艦だろーがなんだろうが助けてもらったらちゃんと礼言うもんな。変なプライド持ってる俺らはダメなクソババアだよなァ……。そんなような考え混じりに、煙を吐いたときだった。
「あの、すいません。お時間ありますか……?」
「んぇ?」
死角から来た女の声に変な声が出た。天龍がくわえ煙草のまま頭の向きを変えると、小学生ぐらいの男の子を連れた女性が近くに来ていた。
煙が掛からないように子連れの彼女の反対方向の手に吸っていたものを持ち、耳を傾ける。
「どうかしたっスか、まぁ、今は大丈夫っすよ」
「この子が、話したい人が居るって聞かなくて。すいません」
「あぁ~わかり、ました。ここから見えます? 例えば服の色とか。呼びますよ」
「あの……彼処の見張りをやってる人? なんですが……」
女性が指差した方向を見てギョッとする。
天龍の見間違いでなければ、その親子はネ級を指名したのである。
「あいつ……ですか、すいません、もしよければ聞いて良いですか。何かあったんで?」
「深海棲艦、って言うんですよね。あの、クジラみたいなの。船が撃たれて、この子、海に落ちたんです」
「え゙っ」
「私からも……頭を下げるぐらいしかできませんけど、お礼が言いたいんです。ユウキの命の恩人ですから……」
「そ、そーですか……わかりました、あいつですね? すぐ呼びます」
おいおいおいおい。マジかよ―― 頭の中が白くなる。天龍は言われた通りの事を、何も考えずに実行した。
無線越しには別段嫌がる素振りも見せず。ただ、若干不思議そうに思っているような声だったが、ネ級はOKと言って切る。それほど距離も無かったので数分もせず、仮面の彼女は港に来た。
「えぇ……っと。」 どうすればいいのか、そもそもなぜ呼ばれたのか知らず。ネ級は困惑の声をあげる。天龍は簡潔に指示を出した。
「……。こちらの方が、お前に直接会ってお礼したいそうだ。あとカオに付けてんの、外せよ。失礼だ」
「…………わかりました」
上司の命令に、深海棲艦は付けていた狐の面を外す。
ゆうき、というらしい男の子はパアッと明るい表情になる。逆に、整った顔立ち――化け物みたいなのを想像していたのに、人間とそう変わらない顔面が出てきて、母親と天龍の2人は驚きが顔に出た。
「ユウキ、この人で間違いないの?」
「うん!! このおねーちゃん!!」
「そっか、ほら、あいさつ……」
「おねーちゃん大好き!! めっちゃかっこよかったー!!!!」
喜びを抑えられない様子で、男の子はネ級に抱き付いて触手を
「すいません、すぐやめさせますから」
「あぁ、いや、ぜんぜん大丈夫ですよ。……うりうり、きみスッゴい元気ね~!」
抱っこされて満面の笑顔になっている子供を見て。天龍は何とも言えない表情で自分は離れる旨を母親に伝える。
「では、手続きとかあるんで、ちょっと離れます。好きに使ってやってください、話すこともあるでしょうし」
「ごめんなさい、勝手で聞き分けの無い子で」
「いえいえ全然。では、ごゆっくり」
言い様の無い居心地の悪さを感じた天龍はそそくさとその場を離れた。
吸い損ねた煙草を口に戻す。顔を上げると、今の一連の様子を見られていたのか。部下の艦娘が何人かまばらに自分の前に立っている。
「何を喋ってたんですか? 隊長さんがお話なんて珍しい」
「あ~。作戦中に海に落っこちたガキんちょが居んだと。まぁ、色々あって」
「はぁ!? 海に落ちただ!? だ、誰が引き上げたんだよ」
それは。答えようとした天龍より先に、弥生が口を開いた。
「あのネ級だよ」
「「「!?」」」
「弥生の言う通りだよ。喜べお前ら、あいつのお陰でノー犠牲者記録更新だぜ」
「「「……………。」」」
期待していないどころか警戒していた者の働きぶりに思うところがあったか。全員が無言になる。
「命の恩人に親子揃って礼がしたいらしい。……ほんと、すげー野郎だよ」
黙っていたうちのひとり、瑞鳳に向けて天龍は口を開く。
「マジで何者だろーな、あのネ級は」
全員の目線の先では、穏やかな表情で親子と話している深海棲艦の姿があった。
新型コロナウイルスの罹患者が世界で230万人を超え、原油価格のマイナス等、異常な事態が多発しています。
外出自粛で暇をもて余している方々に、少しでもこの作品が癒しとなれればな、と思います。
ついでに作者は感想を貰えると舞い上がります()