職業=深海棲艦   作:オラクルMk-II

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不穏すぎる空気がサブタイでもうオチている問題


3 鈴谷の残骸

 鎮守府の現在は、簡単に言って酷い状態だった。

 

 鈴谷が意識不明の重体で運ばれてきた――その一報が原因で、建物の中に限らず、敷地内の至るところまで、とてつもなく重たい空気が充満している。それらは働いている工兵や提督の佐伯、艦娘職の女達の心を確実に(むしば)んでいた。

 

 すぐに那智と浜波の2人に抱えられて運ばれた鈴谷は、鎮守府内に組み込まれている医療施設に入ることになったのだが。奇跡的に生きてこそいたが、上半身の半分近くを吹き飛ばされた彼女の意識は、1週間が経過した今でも戻るまでに至っていない。

 

「「………………………」」

 

 鈴谷が気絶したあの後は軽く地獄に近い状況だったと言える。自分の提出した、鈴谷が、彼女自身が撃たれる直前に撮った写真と、その様子を近くで見ていた自分のカメラの動画を眺め、暗い顔をしている佐伯の表情を(うかが)っていると。那智の頭には、作戦中の時の思い出したくもないことがフラッシュバックする。

 

 艦娘の着ている服は特別製で、艤装と組み合わせて着用することで見えない壁のようなものを張ることができる。これを利用して艦娘は戦うので、深海棲艦の攻撃を受けても即死することはほぼなく、またバリアで緩衝できなかったダメージは代わりに服が負担してくれる構造になっている……筈なのだが。鈴谷は、なぜかその装甲を無視するように貫通してきた攻撃を受けて致命傷を負ったので。初めてのケースに軍は頭を悩ましている、と那智は佐伯から数日前に聞いている。

 

「何度見ても、わかりませんね……こんな距離から、ここまで精密に狙い撃ちをしてくるなんて」

 

「あぁ。本当にな……」

 

 既に、両手の指の数を越える回数は見ている動画に、佐伯は悩みと不安と不思議とが混じった顔で頭を抱える。映像や写真は解像度が低かったので、敵がどんな姿だとか、どんな武装を所持しているなんてことは解らなかったが。1つ、余計すぎる事が解析によって判明していた。

 

 それは、相手は夜で視界が限られるなか、約30km離れた場所から正確に鈴谷のことを狙い撃ちしてきた、という分析結果だった。

 

 光っている物、というのは、性質上かなり遠くからでも見えるという特徴がある。例えば夜空に浮かんでいる星などは、光度が凄いことを差し引いても、何光年も離れた場所からその光を人間の目に届けている。同時に、発光体というものは距離感もとりづらい。周囲が暗い夜なら尚更だ。……そのせいで恐らく読み違えたか。那智は実際のところ、この赤い光を放つ敵との相対距離はせいぜいが数km程度だろうとたかをくくっていたので、この結果に軽い頭痛を覚えていた。

 

 軍艦やジェット戦闘機の攻撃なら射程距離30kmなんて普通の距離だ。今の技術なら、それこそ弾道ミサイルとかなんて北海道から発射して沖縄に着弾、なんてこともできるだろう。が、恐らくは人間大の深海棲艦が人間1人を精密に狙撃してきた、という所が、軍が顔を蒼くした点だ。

 

 那智は唇を噛みながら、敵についての考察がタイプされた紙に目を通す。今回の正体不明の敵は、わざわざ鈴谷を殺すわけではなく、痛め付けるために狙撃してきたのでは? と書かれてある。敵の攻撃を間近に見ていたものとしては――少なくとも那智は、確かにその通りかもな、と思った。

 

 考えればなんとなくわかることだった。あの謎の光線は、周囲が明るく照らされるほどのエネルギーを秘めていたのだから、やろうと思えば鈴谷をそっくりそのまま蒸発させられたはずと那智は仮定している。さらにもう少し踏み込んで考えれば……自分達を皆殺しにするのも簡単だったはずだ、とも。

 

 敵の狙いが外れただけという可能性も勿論あるが。鈴谷の応急処置でアタフタしていたこちらへ、弾(?)の装填に十分な時間があったにも関わらず続けて何度も攻撃してくる様子が無かったことから、その予想は那智の頭から離れていた。

 

「地雷()くような戦いしてくるとはな……この野郎、鈴谷だけ攻撃してこっちを揺さぶるつもりか」

 

「下っぱ働きの私には、詳しいことは。……しかしその考えで(おおむ)ね間違いはないかと」

 

「問題越えて、超がつく大問題だな。この私らの考えが正しいとすれば、敵は人の心とか情って物を理解していることになる」

 

 話す言葉が、怒りとも悲しみともつかない感情で震えていることに、那智は自分で気づいていなかったが。佐伯は真剣な顔で彼女の声に耳を傾けた。

 

 戦争が発生している世界情勢の中で、敵をわざと生かす戦法が有効だとよく言われることは、自分から艦娘に志願していた那智は知っている。地雷や何かで手足を吹き飛ばされたが、まだ命が助かるかもしれない味方を助けにいった結果、部隊の被害が増えた、なんて紛争地域の小噺(こばなし)はよくあるからだ。

 

 もっとも、ただの破壊衝動で動いていると結論がつけられていた深海棲艦がこんなことをしてくるとは夢にも思わなかったが。

 

 それに、問題はもう1つあった。それは、この個体だけならまだしも、敵全体が人の心を攻めてくるような攻勢に切り換えてくるのでは、という懸念だ。

 

「撃退・撃沈のマニュアルが確立されるぐらいに対処が簡単になってきた辺りでこれかよ……厄介な生き物だな。深海棲艦」

 

「えぇ、全くです」

 

 狙った場所に正確に砲撃する射撃能力。防御を貫通する攻撃。人の心を攻める結論を導ける理性か、もしかすればこちらと遜色(そんしょく)ない作戦や行動方針を考えられる頭脳――この3つは、突発的に現れては突撃を繰り返す、プログラムされた機械のロジックのような行動を取ると知れ渡っていた今までの深海棲艦にはない要素だった。

 

 考えすぎだと言われればそれで良いのかもしれない――しかし職業柄、2人はそういった「最悪」を想定せずにはいられなかった。

 

 規格外に異常な能力を持っている敵。そうとしか言えない結果が出てくる出てくる。そんな現状に、佐伯と、鈴谷と親しくしていた艦娘の中では比較的メンタル面の健康がまだ平気な部類で済んだ那智はため息をついた。

 

「……………………」

 

 (いく)ら考えたところで、自分がやれることはたかが知れている。今のところは、悩むだけ無駄かな。那智は書類の束を机に放って椅子から立ち上がる。

 

「どちらへ?」

 

「貴方が今日非番にしたんだ、好きなところに行くさ……細かく言えば、熊野のメンタルセラピー……かな?」

 

 行き先を佐伯に聞かれて。那智は力の抜けた笑顔でそう言った。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 大親友が危篤(きとく)という今の状況からしても仕方がないと言えるか。ここ一週間の集中できやしない仕事が終わると、熊野は食事も洗車もせず、鈴谷の寝ている無菌室の隣にある待合室に来ることが当たり前になっていた。

 

 『生きてるのが奇跡を通り越して、薄気味悪いとまでいえるほどです。艦娘の艤装の防御が発動したのは、幸運なのか不幸なのか……』 部屋一面のマジックミラー越しに、ベッドに寝かされている鈴谷の顔を見ながら、医師免許を持っている艦娘が数日前に言った言葉が頭に木霊(こだま)する。

 

 言葉の意味の通りだった。艦娘の装備は身に付けていると多少の生命維持装置の役割も持っているのだ。……もっとも、現在進行形で死の淵をさまよっている親友を見ると、そのまま即死したほうが幸せだったのでは、等というネガティブな考えばかりが熊野の頭に浮かんでは消えてを繰り返していたが。

 

 何秒か。何分か。何時間か。時計が無いここにいると、時間の感覚が狂う。熊野は観葉植物に向いていた目線を、マジックミラーの奥の景色に向けた。

 

 普通の人生を歩めば、一度も目にしないまま終わりそうな医療機器がベッドを囲むように置かれている。どれもがかなり大掛かりな機械で、外見はコンピューターサーバーに似ているか。本体からは大量の配線とチューブが延び、血管みたいなそれらは鈴谷の体の欠損部分に接続されている。さながらSF映画のロボットが整備されているみたいな光景が、これが現実だという認識を薄くした。

 

「………………」

 

 傷口から細菌が入る可能性から無菌室へ入れられたため、もちろん今の鈴谷は面会謝絶だ。話し掛けたところで、とも思うが。親友だと周囲に言っておきながら励ましの言葉すらかけてやれないことに、熊野は自分が不甲斐なく感じられた。

 

 吐息で曇ったガラス面を指でなぞっている時だった。彼女一人しか居なかった部屋の中に、入口の扉をノックする音が響く。熊野の返事を待たず、那智が手に何かを持って入って来た。

 

「よう。お疲れさん」

 

「…………何かご用ですか」

 

「鈴谷が元気かと思ってな」

 

「さぁ……どうでしょう」

 

 今のような精神状態だと、知人友人のちょっとした冗談に腹を立ててしまいそうだから。そんな熊野の考えから、このごろは2人以外にも他人との会話は最低限だった。今にしたって、「これが元気になると思って?」と叫びそうになったのを我慢して、熊野は自分を誉めている始末だ。

 

 ごとり、とわざとらしい音をたてて那智は持っていたものを部屋のテーブルの中央に置いた。何かの溶液が入った瓶に、竹串が何本か挿してあるそれは何だろうかと熊野は聞いてみる。

 

「これは?」

 

「アロマディフューザーっていって、香りを嗅ぐと心が落ち着くらしい。最近みんな元気無いから。鈴谷の見舞いにくる奴が多いから、ここに置きに来た」

 

「……お気遣い、痛み入ります」

 

 他人行儀な返事を返すと、那智が続けた。

 

「今日も機嫌悪いな相変わらず。……言いたくないなら私の独り言として流していいよ、誰かに何か言われたか?」

 

「…………午前中、満潮(みちしお)と言い争いになりまして」

 

「鈴谷ブランド第1号か。なんとなく察するものがあるな」

 

「………………」

 

 熊野の発言に、明るい茶髪が特徴の19歳の顔が那智の脳裏に浮かぶ。満潮、というのは、出撃のローテーションが無い日には教育係をやっている鈴谷が一番最初に取った教え子の事だ。

 

 恩のある人間以外には目上にすら当たりの強い満潮(あいつ)の事だから、親友を名乗っておきながら何をウジウジしているんだ? とか煽って熊野と喧嘩になったんだろう。そう思ったことは、那智は目の前の彼女に気を使って言わないことにした。

 

 「あなたも――」 何秒か黙ってから口を開いた熊野に、那智は顔は向けないで耳だけ意識を向ける。

 

「説教でもしに来ましたか」

 

「いいや、そんなつもりはぜんぜん」

 

「じゃあ」

 

「あ、いや、そういえば1つだけ業務連絡だ。2~3日後、鈴谷の親父さんが来るらしい」

 

「!」

 

 那智の言ったことに、熊野は一瞬表情を強張らせた。娘が怪我をしたから親が見舞いに来るとは至極当然な事に思えるかもしれないが、こと鈴谷という人間に限ってはこれはデリケートな話題だったからだ。

 

 鈴谷は、今の時世では特に珍しいものでも無くなっていた、戦災孤児とか呼ばれるような存在だった。

 

 まだ3歳になるかどうかというときに夫婦揃って自衛隊で働いていた両親が亡くなり。身寄りもなく、養護施設で過ごしていたところを今の義父に引き取られたという経緯は、鈴谷と付き合いの長い熊野は当然として、那智も知っている。

 

 普段からクソオヤジだと鈴谷は自分で言っていたが、出撃するときは、愛用の手帳に必ず家族写真を挟めて服に入れ海に出る事も認知していた那智は、きっと彼女の父はできた人間なのだろうな、と勝手な予測をたてていた。そんな鈴谷の父親は今は北海道の仕事場に勤めているらしいが、彼に「友達として面倒を見てやってくれ」と熊野は言われていたのだ。

 

 義理とはいえ大切な一人娘がこんな状態と知っては、一体自分は何を言われてしまうのか? 那智の連絡に熊野は予想がつかなくて、怖くて無意識に体が震えた。

 

「有休とって、こっちに見舞いに来るらしい。…………怖いかやっぱり」

 

「当たり前、ですわ」

 

「そっか。でも心配はいらないと思う」

 

 そんな気休めはいらない。そう言う前に、熊野は那智に先手を取られる。

 

「そんな気や……」

 

「バカ娘の看病をありがとう。目が覚めたら紀美を叱っておく、だと。お前にオヤジさんから伝言だ。良かったな、本当に」

 

「…………!?」

 

「熱心に毎日見舞いしてるから、西円寺((熊野))さんは仕事に身が入ってないって正直に言った。そうしたらさ……娘が迷惑をかけて悪かった…って。優しいよな、鈴谷の親父さん。義理ったって、家族が危篤なんて気が気じゃないだろうに」

 

「………………ッ」

 

 そうか。わかったぞ、那智が何を言いたいのか。熊野はほんのちょっぴりの怒気を言葉に混ぜ、口を開いた。

 

「鈴谷の心配はいらないから、安心して仕事に打ち込めと?」

 

 今にして思うと、何故こうも相手の神経を逆撫でするような事を言ったんだろう。熊野自身がそう思うような事を呟く。が、またも那智が発したのは、予想外の言葉だった。

 

「逆だよ逆。一番仲良しの自負があるんだろ? なに言われようと、その姿勢は曲げずにいろよ」

 

「え……」

 

「気が済むまでこういうことはやってくれていい。私としては、変な指示を同期に出して気分くじくようなことも嫌だしさ」

 

 那智が、つり目がちな顔を少し情けなさが滲み出ている笑顔にして言う。性格のキツそうな表情を普段からしている彼女のこんな顔は初めて見たので、熊野は内心ギョッとした。

 

「…………うつ病ってな、一度なったら治らないそうだ。心の病気って、体に傷がつくよりもずっと、重いんだ。だからさ……その、なんだ……」

 

 那智の目が、涙で潤んでいるような気がした。

 

「こんなときだけど、お前にはせめて元気でいて欲しいんだよ。お前まで壊れちまったら私はどーしたらいい? 同期が死にかけるなんて今までの人生で初めてでね。言い方は悪いが、しかもそいつに引っ張られてもう一人、心が死にかけてる。だから、お前さんには優しくする」

 

「…………」

 

 他人からの優しさを真正面から受けて。熊野は、先程まで何もかもマイナスに捉え、人を攻撃するような思考をしていた自分が情けなくなる……そんな風に思っていた時だった。

 

 那智が来てから開け放しになっていた部屋の入り口から、佐伯が入って来る。

 

「どうかしたかい」

 

「やはりお二人ともこちらに居ましたか。鈴谷さんの治療について、お話したいことが」

 

 こんな状態の人間に治療?? 提督の言葉に、女2人の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。さらにもうひとつ、那智は妙に思った。先程まで話していたのとは明らかに彼の様子が違うように見えたのだ。

 

「一人、紹介したい方が居るのです。私の知人で、元医師なのですが」

 

「待て待て待て、あんた何言ってる、意味がわからないぞ」

 

「助かる可能性があるかもしれないと言うお話です」

 

「…………!?」

 

 男の口から出てきた発言に、熊野は口を半開きにして驚きを隠せないような顔をした後、何か喋ろうとした。それを制して、先に那智が口を開く。

 

「本気で言っているのかい提督。正直こんな怪我は……」

 

「腕は確かです。今は軍の引き抜きを受け、医学界を離れ深海棲艦の研究をしている学者なのですが……」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 

 佐伯の知人とやらが来ると聞いて、説明を聞いてから2日後の昼頃。熊野は落ち着かない様子で、回転ドアのある玄関の近くをうろうろして客人を待っていた。

 

 恐らくは特殊な治療・手術になるだろうから、義父の許可は必要になるでしょう。しかし、知人の貴女にも彼女の話を聞く価値はあると思うんです…… 半信半疑だったあの時に、提督が自分に言ってきたことが頭に残る。果たして、あのような怪我を直すなんて方法が、本当にこの世に存在するのだろうか? 右に左に、廊下を歩き回りながら熊野は考える。

 

 漫画かドラマの人物みたいに、そんな行動をして数分経った頃合いだった。玄関から離れて、いつのまにかに熊野は廊下の突き当たりに来ていたので、回れ右して来た場所を戻ろうとする。目線の先に、見たことのない人物が立っていた。

 

 喪服みたいな真っ黒いスーツ姿にリュックサックを背負い、首から、来客であることを証明する名札を着けていて。事前に上司から聞いていた通りの、長い白髪が目立つ女性だったので。件の元医者の知人とはこの女か、と、熊野は声をかけた。

 

「もし、何かお困りでしょうか?」

 

「あ……こちらに勤めている方ですか」

 

「はい。艦娘・熊野と申しますわ」

 

 綺麗な人だな。第一印象はそんな感じだ。ただ妙に思ったのは、この女、頭髪はおいておき、美白だとか白人の血が混じっているとかの言い訳がきかないぐらいに異常なほど肌が白かったり、今日みたいな少し暑い日に両手に黒い手袋を着けていた点だ。

 

 それこそ、今も自分が戦場で日々見かける人型タイプの深海棲艦だといえば通じそうな容姿をこの人はしている。奴らと違う点を挙げるとすれば、目の虹彩の色が日本人らしく茶色をしているぐらいだろうか。

 

「談話室、というのはどこでしょう。そこで話を済ますようにと佐伯に聞いています」

 

「案内しますわ。着いてきてくださいまし」

 

「あぁ、ありがとうございます!」

 

「いいえ、お構い無く」

 

 変なことを考えてしまった。今のことは言わずにおこう。

 

 来客が来たときの対応を、マニュアルに従ったような事務的な物でこなすと、相手に柔らかい表情の笑顔でもって返されて。まさか、この人当たりの良さそうな人物が深海棲艦などとはありえまい。熊野はそんな風に思った。

 

 

 

 

「渡くん、久しぶり……でもないね。結構近くにまた会えた」

 

「いえ、でも半年ぶりです」

 

 親しげに話している上司と女をぼんやりと眺める。会話からしてそれなりの仲なのだろうが、正直、部屋に1人の仲間はずれみたいな感じがして、熊野は居心地が悪かった。

 

 挨拶が代わりの応対が終わり。女は上着と鞄をソファに置いて座ると、熊野に名刺を差し出した。

 

「名刺入れは……あったあった。遅れましたが、私、こういう者です。よろしくね」

 

「はぁ、どうも……」

 

 《第六艦娘技術実証研究所・土井 涼子(どい りょうこ)》。渡された、ラミネートされたカードにはそう書かれていた。が、熊野の視線はすぐに別の物へと移る。土井、という彼女が机に置いた、大量の書類ではち切れそうになっているファイルだ。

 

 『深海棲艦化実験の経過に対する見解と報告』『侵食作用の医療行為への応用』――クリアファイルから透けて見えた書類の束の一番上にある書類の文面からして、怪しさと不穏な空気しか熊野は感じ取れなかった。

 

「時間もないし本題に入ろうか。で、渡くんは何が聞きたいのかな」

 

「鈴谷さんの容態です。送った資料を見て、どう思いました?」

 

 佐伯の言葉に、土井はうっすらと笑顔だったのが、すぐに真顔に変わった。熊野にも軽い緊張が走る。

 

「はっきり言って、普通じゃ助からないような状態かな。ハリウッド俳優やら財界の富豪なんかが、よく金に物を言わせてハイテク医療なんかに頼るけど、そんな物でどうにかなるレベルをとうに超えてる」

 

「やはり……」

 

「あそこまで行ったら、流石に何も知らない人でもそりゃ助からないと思うよね。その考えは間違ってない」

 

 「ただ。」土井は続ける。

 

「生命の神秘と言うのは結構ある。史実は小説よりも奇妙だ、だっけ? 例えば脳を半分失ったり、心臓に槍が刺さったり。そういった怪我をしても元気に生きている人とういうのは世界にたくさん存在するから、おかしいとは言い切れない。現に私も、彼女の現在の容態を見たわけだしね」

 

 置いていた紙の束から、幾つかの報告書やら何やらを出して見せられる。どれも普段なら暇潰しぐらいには楽しめそうな文章だったが、今の熊野にそれをのんびり眺める心の余裕は無かった。

 

「まぁ、こんな物は子供だましだ。熊野さん、だったよね? 私は貴女を落胆させに来た訳じゃあナイ。ちゃんと方策は持ってきてあるから安心してね」

 

「!」

 

 さっさと「治療」とやらを説明しろ。端的に言うとそんなような事を考えていたのはばれていたらしい。少し熊野はヒヤリとする。

 

「ただ、少し妙に感じるような手術だから。驚かないで聞いてほしい」

 

 女の言葉を、全神経を向けて聞こうとする。

 

 前置きがあっても、動揺してしまうような答えを土井は提示した。

 

 

「深海棲艦の血液と細胞……まぁ、肉だね。それを患部に充てて、彼女の欠損した部位を培養・再生させて補完する」

 

 

 へぇ、と、熊野の口から生返事が漏れそうになった。言われたことの内容を脳内で反復して。彼女は凄まじい剣幕で怒鳴り始める。

 

「貴女、ふざけていますの!?」

 

「話は最後まで聞いてほしいね。君は私をマッドか何かだと思ったみたいだけど、別にそうじゃないよ」

 

「……何を言うかと思えば……そんな御託に耳を貸す義理はありませんわ」

 

 希望をちらつかせてきたかと思えば、一気に機嫌を悪くされて。暴言を吐いて熊野が椅子に座り直す。そんな彼女をちらりと横目で見てから、今度は佐伯が、興味を感じたといった様子の顔で土井に尋ねる。

 

「…………。魚の鱗や皮を火傷の痕にあてて治療すると、皮膚が再生した、という手術をメディアの聞きかじりで知っています。そのような?」

 

「渡くんの言うのは、ブラジルで実験が行われた物かな? アイスランドではその技術に由来したパッチなども販売されて……いや、話が脱線したな。そうだね、少し違うが広義には似たようなものか」

 

「提督!?」

 

「熊野さん、頭ごなしに否定するのはいけないと思います。まずは先方の意見を聞くべきだ」

 

「しかし……」

 

「渡くんいいんだ、熊野さんの言うことも尤もだと思うしね。では、熊野さん、思ったことをそのまま言って構わないよ」

 

「…………。脳死の方から臓器移植をした患者さんが、ドナーになった人の人格を得た、という話を鈴谷から聞いた事がありますわ」

 

「……なるほど。何が言いたいかは大体わかった」

 

「あんなに危険極まりない、どういう生態かもわからない生き物の体から移植手術ですって? 信用しろと言う方が無理な話ですわ」

 

 言いたいように言えと言ったのはそっちだぜ。熊野は、じっと土井の目の瞳孔に視線を合わせる。彼女は対面する相手に見つめられているのをプレッシャーとは感じていないのか、淡々と説明を始めた。

 

「まぁ、確かにそうだ。そりゃ、専門知識が無いと危険だと思うのは当然だ。というわけで、言い訳の代わりに説明させて頂くよ。」

 

 土井は、熊野が最初に見て気になっていたファイルの先頭の書類を引っ張り出し、続ける。

 

「少しずつ、小指の爪ほどの大きさの薄皮を、根上さん((鈴谷))の怪我の酷い部分に移植していく。代謝を促進させる効果があるから、深海棲艦の細胞は、ゆっくりと体に適応して同化する。これを毎日繰り返して、理論上では2ヶ月もあれば前と変わらないほどまで回復するかな」

 

「危ない、といった私の疑問の答えは」

 

「医療の分野ではすでに有用性が証明された技術だよ。動物実験も山のようにやった、もう5、6年もこれをして失敗は無かった」

 

「マウスやラットで平気なことが人間にやって」

 

「大丈夫なんだなこれが」

 

 熊野の思考がコンマ数秒停止した。

 

「一体何を根拠に……」

 

「既にこの方法で怪我を治して社会復帰した人の例が有るんだ。訳あってその資料は持ってきてないが」

 

「………………ッ!?」

 

「もっと言おうか。過去とはいえ医療に携わったものとして、私は根上さんを助けてあげたいんだ……やっぱり信用ならないかい?」

 

 医療関係の事は、経歴的に本職に近かった鈴谷と違って無知だったとはいえ。友人の受け売りでそれなりの情報は知っていたつもりだった熊野は、そこまで進んでいた話だったのかと驚いた。

 

「私は本気だよ。熊野さん。やってくれとさえ言ってくれれば、今すぐにでも治療に移る気持ち」

 

「……その、怪我を治した人の話を聞かせてくださいまし。それで貴女を信用するかどうかを判断しますわ」

 

 一体自分はあいつの親でも無いのに何を言っているのだろうか。後になってそう思うが、土井は、そんな熊野の言葉に素直な返事を出してくれた。

 

被験者(モルモット)は私だよ。他人にやらせるなんて無責任はできないからね」

 

「「なっ!?」」

 

「証拠ならある。なんなら今すぐにでも見せられるけど……どうかな?」

 

 予想外な事ばかり言う彼女だったが、口論の様子を今まで静観を決め込んでいた佐伯も、流石に今の発言には驚いて熊野と同時に変な声が漏れた。

 

 2人から返事は無かったが。驚いているその様子を見て、土井ははにかみながら上着を脱ぎ、上半身はワイシャツ姿になる。

 

 佐伯も熊野もずっと気になっていたが、今日は比較的気温が高い日なのに、土井は厚手のかなり長い手袋を着けていたのだが。彼女は指先から肩までを被うそのアームカバーを、ゆっくりと左腕から取った。

 

 ()めていたものの下にあった彼女の手を見て。佐伯と熊野は言葉を失った。

 

 腕の肩関節から下の部分が、ただでさえ白い肌の色が輪を掛けて白くなっている。それが、指先に向かうにつれてだんだんと黒くなっており、血管のような赤い模様が皮膚の表面に浮かび上がっていた。

 

「昔から、私は結構どんくさいもんでね。プライベートで少しばかり事故にあってさ。いい機会だからと臨床実験に参加した、というわけ。私の左肩から先は深海棲艦だ」

 

 絶句している相手に構わず、土井は鞄からカッターナイフとハンカチを取り出し、軽くその腕を切った。腕の傷口から、少し黒みがかった静脈血が重力に従って滴り落ちる。

 

「深海棲艦の中には、たまに青い血液を持つ個体も居るそうだね。でもこの通り、ちゃんと私の血は赤いよ。見た目の悪さはどうにもできなかったけどね」

 

 さて。証拠は出したよ。答えはまとめてくれたかな?――熊野は、ゆっくりと立ち上がり、口を開いた。

 

 

 ニヤリ。そんな擬音が似合う、不敵な笑みを土井は浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 




土井さんの見た目はスーツ姿のタ級と思って頂ければだいたいあってます

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