職業=深海棲艦   作:オラクルMk-II

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投稿時間はこれからまちまちになると思います。今まで通り完結はちゃんとさせますので、エタだけはご安心を


4 穏やかな時間

 仕事が仕事だけに、働き詰めだった1週間が終わる。

 

 鈴谷は、休日に一緒に出掛けないかと振られて、熊野の提示してきた待ち合わせ場所に来ていた。

 

 町の中の、特に人口が集中していそうな場所の一角に建てられた喫茶店のテラス席に座っていること、はや30分。時間にうるさい割には、プライベートの時にはルーズな奴だ、と親友を待ちながら思う。

 

「おっそいな……典子((熊野))のやつ…………」

 

 相手がすぐに来るものと思って特に何もしていなかったが、こう、ただ待つだけだと流石に暇だな……。そう考えると、鈴谷は注文でもしようかと店員を呼ぶ。

 

「あの、アイスコーヒーください――」

 

 運ばれてきた飲み物にガムシロップを入れながら、暇潰しに入ろうと、(かばん)から1冊の文庫本サイズの本を取りだし、(しおり)の挟まった場所から読書を再開した。

 

 「医療の光に隠れる闇」。なんとも不穏なタイトルの本だが、内容は医者の卵やベテランの医療従事者による暴露本だ。妙な本を読んでいる、と噂好きそうな周りの女子高生なんかがチラチラ様子を伺っているのに鈴谷は気付いていたが、昔から変わり者だとか言われて慣れているので特に気にはしない。

 

 軽く、1時間程の時間が経過した。

 

 おかしい。こんなに遅い筈がない。暇潰しで始めた行為が終わってしまったことに驚き、時計を確認して鈴谷は異常事態だと気づく。自分にもしつこく言ってくるぐらい、熊野はルールだとか時間だとかに厳しい人間なのだ。どうしたのか、と、SNSアプリ等に何か書かれていないか確認する。

 

「よいしょっ」

 

「………ん?」

 

 読んでいた本を閉じて、スリープモードのスマートフォンを見ようとしていたとき。近いところから人の声と物音がして、やろうとしていたことを中断した。なんと、見ず知らずの他人がいきなり相席してきたのだ。

 

「あ、すいませーん。ハニートースト1つくださーい」

 

 誰だアンタ。断りもなく取っていた席を占拠し、注文まで済ませた相手にそう言おうとした鈴谷の口は、相手の姿を見て固まった。

 

「ちょ、ちょっ……と…………!?」

 

「ん? あぁ、相席いいかな? ネ ガ ミ さん?」

 

 どうして自分の名前を知っている。そういう疑問も遠くに飛ぶような生き物が座っていた。

 

 異常に白くて、デッサン用の石膏像を思わせる色の肌と髪。ぼろぼろのレオタードみたいな黒っぽいノースリーブの上に、服から出ている体の所々には、光沢を放つ暗色の鉄板のような物が貼り付き。極めつけは腹部から1対の、灰色の内臓みたいな、先端には鮫のような牙が並ぶ口に似た器官を持つ触手が生えている。そんな見た目をしていた。

 

 話しかけてきていたのは、鈴谷の知識が正しければ、どこから見ても深海棲艦の「重巡ネ級」という個体で。しかも理由は全くわからないが、気さくに話し掛けてまで来る敵に、酷く頭が混乱した。

 

「なんで……ッ!?」

 

「なんで? なんでなんて酷いなぁ、袖振り合うも多生の縁って言葉知らない? 折角会えたんだからさ、友達になろうと思って声かけたのに」

 

「どうして深海棲艦がここに……」

 

「ありゃ、気が動転して聞こえてないのか。おーい、もしもーし?」

 

 その気になれば、ビルの1つや2つを簡単に吹き飛ばせる破壊力の武器を持っている生物だ。腰が抜けそうになるほど驚くのは、普通の感性を持った人間なら当たり前だった。

 

 意味があるかはさておき、思考がまとまらなくなっていた鈴谷は咄嗟(とっさ)に警察に電話しようと思い付く。すると、慌てすぎて指から端末を落としてしまった。

 

 一連の様子は端から見れば笑えなくも無かったが、少なくとも鈴谷には自分の命に関わると思っての必死の行動だ。対面する位地に座っていたネ級は、あたふたしている彼女をみて口角を吊り上げた。

 

「何を慌ててるか知らないけど、ここは夢の中だよ。ホラ、漫画とかドラマであるでしょ? 気絶した人が、もう一人の自分と会うとか」

 

「気絶!? そんなメにあった覚えは無いもんネ!」

 

 地面に落とした携帯電話を、鈴谷は「左手」で拾おうとした。しかし、なぜかそれはできなかった。

 

 一瞬意味がわからなかった。どう解釈したものか。指先で地面を触っている筈の感覚がなかった。

 

「覚えがない!? 覚えが無いんだ! へぇ、そうなんだ!」

 

 新品のおもちゃでも貰った子供みたいな、やたらと元気の良い声でネ級が(まく)し立てる。鈴谷は、なぜか全身が火照り、冷や汗が背筋を伝う感覚に包まれる。

 

「そのおててと横っ腹さんを見ても、そう言えるのかな?」

 

 この女の意図する行為を、自分はしてはいけない気がする―― 暗に「自分の体の左側を見てみろ」と言ってきた相手にそう思いつつ、鈴谷が自分の体に目を向けてみた。

 

「あ……あぁ…………!?」

 

 自分の体は。左肩から先と、脇腹の一部が無くなっていた。

 

「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!???」

 

 全てを思い出した。鈴谷は、「あの時」蒸発して無くなった腕と脇腹を見て叫んだ。

 

 

 

 

 

「いきなり大声を出すものじゃあナイ。怪我に(さわ)るでしょう……?」

 

 欠損した先から滴る血液で、じっとりと湿っていく服の感触と。2つ目に、目の前で呑気に頼んだものを食べている深海棲艦を不快に感じる。

 

 認めたくもなければ、こんな奴の言うことを信じるのも(しゃく)だったが。どうやらここが夢か何かの中だ、というのは本当のようだと鈴谷は考える。こんな大怪我を負った状態で、血は出ているのに痛みが全く無いという不思議で不気味な感覚からその結論に至る。

 

 もう一度周囲に目を向ければ、場所は洒落っ気のあるコーヒー屋から、真っ白で何も無く殺風景な、いかにも異常な空間らしい物へと姿を変えていた。こういった事象を見て、なおのこと夢の中だろうという考えが強くなる。

 

「私は……」

 

「ん?」

 

「私は死んだわけ? ここ、何? 三途の川だとか血の池だとか無いけど、もしかして天国?」

 

 自分の体を見て発狂しかけたが、時間の経過が鈴谷の理性を呼び戻した。何分・何時間かは知らないが、とにかく人と受け答えができる程度には立ち直り。血まみれの部分に手をあてながら、彼女は周りを見回しながらネ級に聞いてみた。

 

「ん~? 夢と天国両方、かな?」

 

「…………………………」

 

「ひっ!? 怖いなもう……いいよ教えるよ。えぇとね、両方っていうのは嘘じゃナイの。実際貴女は死にかけたみたいだし」

 

 はぐらかすな、という意味を込めて(にら)み付けてやると、相手は人間味のある動作で怯えたのち、口から出したことを言い直した。鈴谷は、この女のうっすら赤く光っている瞳を、目で殺すように見つめる。真顔とも笑顔とも言えない微妙な表情でトーストにガッついている相手は、少なくとも嘘は言っていないように思えた。

 

 鈴谷の問いに端的に答えたあとも、ネ級は已然変わらず、くりぬかれたパンに埋め込んであるアイスに舌鼓を打っている。

 

「ん~このアイスおいしぃ」

 

「どっちかって……どっちさ。私は生きてて、あんたも、この体も夢ってわけ?」

 

貴女(あなた)はねぇ、たぶん、深海棲艦になるのさ。どーせ死んではいないから、それは安心だねぇ……」

 

 へぇ、といって聞き流しそうになった。いきなり飛び出してきた言葉に、鈴谷は血相を変える。

 

「ちょっと、それどういうこと」

 

「あぁ、そういえば言ってなかったね。ごめんごめん」

 

 「ごちそうさまでした。ヒトのご飯はおいしーね」 そう言いながら口を拭くネ級を眺める。さっきから感じていたが、この深海棲艦、嫌に人間らしい行動を取るのが。敵としていつも戦ってきた鈴谷には、非現実的でとても不気味に思えて仕方がなかった。

 

「人間って面白いこと考えるね。佐伯って貴方より偉いひと、その友達のお医者様が、貴女のおなかに深海棲艦の細胞を詰めて治すんだって」

 

「!!」

 

「傑作だね。人間(ひと)深海棲艦(にく)詰めというわけさ。まるでキグルミか何かみたい」

 

 深海棲艦の体を使って治すだって? そんな話は聞いたことがない。学生だった頃には、自分の進路に向けて勉強していたのに初耳だ。相手を攻め立てるように話していた鈴谷の口の動きは、ここで止まった。

 

「そんな()きっ腹に詰め物をしたら、精神に悪影響が出るかもね。知らないけど」

 

「…………」

 

 伸びをしてそう言う女に。昔、熊野に自分がした海外の医療現場での小噺を、鈴谷は思い出していた。内容は、ドナーの内蔵だか何かを移植された人が、臓器の提供元であるその人の家庭で1日を過ごす夢を頻繁(ひんぱん)に見るようになった、とかそのような物だ。

 

 既存の技術の範疇(はんちゅう)で行われる臓器移植ですら、こんな話が大量に出るぐらいには人の体は未解明な事が多いのに。まして、どういった生物なのか、ほとんど詳しい事のわかっていない生物の体から細胞を移植するなんて、一体何が起こるだろうか―― 鈴谷の背筋に冷たい物が流れる。

 

 初めは目の前の人物を全く信用していなかったのが、今は真逆で、その言葉を信じて飲み込み、鈴谷が不安に駆られていた時だった。急に、視界がグラつき、目の前の景色が暗くなってきた。

 

「…………っ?」

 

「あ、そろそろお目覚めみたい。じゃあね。また会えるときまで……会えるかどうかは知らないけれど」

 

 一気に体の力が抜けていく。訳もわからず鈴谷は残っていた片腕を地面についたが、ネ級が言うことを理解するに、「夢が覚める」予兆らしい。

 

 トーストを食べ終えてから、眠そうな顔をしていたネ級が、また口を開いた。

 

「さぁ、貴女はどんな化け物に生まれ変わるんだろうね? まぁ結果なんて私は別にいいや。寝る!」

 

 ネ級が話し終わったのと同じぐらいのタイミングで、目がほとんど見えなくなった。鈴谷の瞳に最後に映ったのは、言うが早いか、どこからか取り出した布団に入って横になるネ級の姿だった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「んん……う?」

 

 柔らかい布団と枕の感触を確かめる。目を(つむ)ったまま考えるに、ベッドか何かに寝かされているのか。

 

 閉じていた(まぶた)を開ける。「ここ、どこ?」とか言いそうになった鈴谷の口は、視界に入った点滴のスタンドや、ナースコールのボタンがある機械を見て、言葉を発する前に動きを止めていた。置いてあるものからして、病院か何かの一室だろうと察したからだ。

 

 本当にただの夢だったんだろうか。いつもなら寝ていたときの事などさっぱり覚えていないのに、やけに鮮明に思い出せるネ級とのやりとりを、頭の中で動画みたいに再生する。今考えても、妙に気さくな奴だったな。あの、変に人間味のあった深海棲艦の事をそう思う。

 

「あ…………」

 

 患者用の寝巻きか何かを着せられていた自分の体の、左腕を興味本意で眺めてみた。体のおよそ左半分が飛んだ記憶は確かにある。ということから、ガンダムチックな義手がついているぐらいは覚悟していたのだが。そこにあったのはなんの変鉄もない、いたって普通の人間の腕だった。

 

 まさか、腕が無くなったのも夢? いや、でもそれじゃあ病院にいる理由がつかない……ということは、これが「深海棲艦を使った治療」、なのか? 寝起きでまとまらない思考回路でそこまで考えたが、軽い頭痛を覚えて。鈴谷は考え事はそこでやめておいた。

 

 さて、とりあえず病院かどこかだろうけど、だとしたらどこの病院だろう。軍の病院なのか、普通の大学病院とかなのか。ナースコール押して、ここの人に聞いてみようか。自分が把握できる範囲の事を確認し終えると、鈴谷はひとまず上体を起こして部屋の間取りなんかを見てみようとしたときだった。

 

 向いていた方向の反対側から、ガタン! と物音がした。少しびっくりした後に顔と体の向きを変える。椅子に座っている浜波が居た。

 

「……………!?」

 

「……? お、おはよう」

 

 この状況は一体なんだ。自分をみて、口を開けて唖然としていた浜波に、とりあえず朝の挨拶をしておいた。

 

「先生ぇ! 土井さん! 早く! 鈴谷さんがぁ!!」

 

 よっぽど興奮しているのか。普段の彼女らしからぬ明瞭な声量と発音でわめき散らしながら、弾かれたように浜波は部屋から出て「土井さん」なる人物を呼びに行ってしまった。物音でも驚いたが、エネルギーを感じさせる動きをした相手に、鈴谷は2度驚いた。

 

 ネ級が夢で言っていたことが、まさか本当だったなんて。鈴谷は飛ぶような速さで部屋から出ていった浜波の背中と、自分の左手を交互に見て、そう思った。

 

 

 

 

 数分後に戻ってきた浜波が落ち着き、彼女が呼んだ「土井」なる人物(元医師で今は研究員らしい)の到着で、ようやく鈴谷は現在の自分が置かれている状況を把握することとなった。

 

 まずは、外科手術を受けてから、もっと言えば負傷してから1か月近く眠っていたことを。次には土井の自己紹介を挟み、最後に自分が寝ているうちに施された処置についての説明を受ける。

 

「気分はどうかな、根上……あぁ、鈴谷さん」

 

「良いか悪いかは、なんとも。食欲とか無いけど、別に体がだるいわけでもなく」

 

「なるほどね。経過は良好、と」

 

 カルテの代わりだろうか、手帳に何か書き込みながら土井は続ける。

 

「驚かないで聞いてほしい。君のお父様と、ご友人の熊野さんの署名を頂いて、貴女にはちょっと特別な処置をさせて頂きました」

 

「特別な処置」

 

「うん。深海棲艦って勿論わかるよね? その細胞で体の無くなった部分を再生する、っていう物なんだけど。早い話が臨床試験だね」

 

「はぁ」

 

「…………意外と驚かないんだね」

 

 土井の言葉にドキリとした。別に、鈴谷は驚いていないわけではなかった。彼女はこの医者の言うことが、そっくりそのままネ級の言っていたことと合致(がっち)しすぎていた事に、半ば思考と表情筋が停止していたのだ。また同時に、「夢で深海棲艦から聞いたよ!」なんて絶対言えないな、との理性も働いていたが。

 

 鈴谷はアドリブをきかせて、適当にはぐらかすことにした。

 

「いや、なんか現実味がないな。って」

 

「あぁ、そういうね。にしてもびっくりしたな。いつも静かに鈴谷さんの見舞いに来てた浜波さんが、ドアを壊しそうな勢いで来たんだもの。雨どころか槍でも降ってきたかと思ったね、あの時は。」

 

「だ、だって、鈴谷さん、いきっ、いきか、生き返ったからッ!」

 

「生き返ったって、ハマちゃん、私、キリストじゃないんだから……」

 

 落ち着いた、とはいっても普段の彼女を知っている鈴谷からすればまだまだ浜波は興奮していた。乞音に加えて、更にろれつの回らない様子で早口に話す相手に、鈴谷は、はにかみながら(さと)す。土井は黙っていたが、2人を見る表情は笑っていた。

 

「だっ、だって、ずっと寝てておきなっ、起きなかったッ、から……」

 

「ごめんね、心配かけて。鎮守府はどうだった?」

 

「みん、みんな、落ち込んでる。鈴谷さん、いつ、起きるのかなっ、て」

 

「あぁ、やっぱり」

 

「よかっ……良かったっ! すず、鈴谷さん、生きてた……からっ!」

 

 泣きそうになりながら、浜波は両手で鈴谷の手のひらを握る。

 

 そりゃ、昨日まで元気していたようなのが、突然不注意で死にかけたわけだし……影響も出るよね。たまたま生きていたから良かったものの、死亡していたらどうなったんだろう。 自分から振った話に、気持ち、暗い顔を見せた浜波に。早く熊野や那智、佐伯提督に顔を見せねば、と思う。

 

「じゃ、ちょっと体を見せて貰っても良いかな? その病院着、手の部分が外れるようになってるんだけど」

 

「あ、はい、お構い無く」

 

 土井に言われて気がついたが、鈴谷の着ていた服は、袖の根本がボタンで止められている構造をしていた。

 

 言われた通りの指示に従い服の袖を取り払う。改めてじっくり手を見てみる。すると、肩から先が、日焼けをした跡みたいな境界線ができていた。ただし、これも日焼けだと言い張れば、周囲の人間には何も詮索されなさそうなぐらいには違和感の無いものだ。

 

「ふ~~ん? いや、いつみてもすごいな。こんなに綺麗に治ったのは君が初めてなんだよ」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。だって私のを見なよ。みんな普通はこうなるんだけれど」

 

 鈴谷の疑問に、彼女の知らないことだったが、土井は熊野や佐伯にやったように手袋を外して見せた。

 

 目の前の白衣の女の、黒くなっている腕を見て、鈴谷は思わず体を少し後ろに引いた。隣にいた浜波が動じなかったところを見ると、彼女はこの医者の体の異常をもう見たんだろうなと思う。

 

「それは?」

 

「長くなるから別の日に追って説明するよ。とにかく、この手術、無くなった体の一部分ぐらいなら綺麗に治るのは良いんだが、見映えがよろしくないのが欠点だったんだ。……まだ研究が必要かな」

 

 へぇ、と生返事を返した。昔は看護師を目指したといっても、なる前に終わっているし元は知識だけ持った学生だ。目の前の本職に経験でも知識でも敵わないからわからないが、なにやら自分はレアケースらしい。

 

「これぐらいでいいかな。目が覚めたばかりだし、暫くは大人しくしていてね。じゃあ、浜波さん、何かあったらまた呼んで。2人でお喋りでもしているといいだろうし」

 

「わかり、ました」

 

「どうも」

 

 「邪魔者は居なくなるとしましょ」 そう言った土井は2人を残して部屋を出ていった。

 

 

 

 

 数十分、1時間には及ばないぐらいの時間を浜波と世間話をして過ごしたが、彼女は今日この後は用事があると言い、帰宅のために部屋を出たので病室の中は鈴谷1人になった。

 

 枕の近くにあった時計を見ると、デジタルの画面に16:14と出ている。その上にかかっていたカレンダーには大量のバツ印がついていたことから、今日は5月の土曜日だと言うことも把握した。休みの日の、しかもこんな時間まで自分ごときの見舞いに来ていたと知って、浜波の熱心さに鈴谷は申し訳なく思った。

 

 彼女から聞いた近況を復唱する。防ぎようがなかったと周囲は庇ってくれるだろうが、自分のせいで職場の環境が悪化したと知らされれば、流石に罪悪感を感じる。また、自分をこんな目に遭わせやがって、と姿も知らない敵への怒りが心にのんびりと立ち上がり始める。

 

 ただ、1か月も寝ていたとなるとすぐに現場復帰とはならないのだろう。ならばせめて、ゆっくり出来るうちに限界までのんびりしてやろう。元来、自由人な鈴谷は一転してそんな気持ちに頭を支配された。

 

 暇を楽しもうと、鈴谷は横のベッドに手を伸ばした。

 

 この病室には、ベッドが自分の寝ている物の他にも2つ設置してあった。そのうちの片方、自分から近かったものには鈴谷の私物が置いてある。浜波によれば、熊野や父が鈴谷が回復したとき暇潰しに使えるように置いていった物らしい。

 

 持つべきものは友人と家族なんだな。そんなような事を思いながら、鈴谷は身を乗り出してショルダーバッグから携帯電話と文庫本を引っ張り出したときだった。

 

 プー! と外から車のクラクションの音が聞こえてきた。結構近い場所からだったので、何事かと鈴谷は窓から見えるこの建物の駐車場に目を向ける。

 

「何なの……って、ハマちゃんか!」

 

 白い旧式のロードスターがゆっくりと動いていたのを見て、誰かはすぐにわかった。さっきまで一緒にいた浜波だ。朝にあの車で出勤していることを知っていたし、こちらを見ているのも確認できた。

 

 車の運転席の窓を開けて、彼女が自分に向けて手を振っているのが見える。もちろん、鈴谷はわざわざ休暇を潰してまで見舞いに来てくれた友人へ、手を振り返して応える。腕に刺してある点滴が少し(わずら)わしかった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 適当に過ごして就寝したのち、翌日を迎える。のんびりと昼に目を覚ました鈴谷は、用意されていた食事に手をつけているところだった。

 

 病院食は味気ないとは誰が言ったのか。減塩のニシンやサラダ、白米といった、見るからに体に優しそうな物が乗っていたトレイに顔がひきつる。それなりに空腹ではあったので、また自分の体を思ってここの職員が作ってくれたであろうと仮定して、我慢して鈴谷は出されたものは完食した。

 

 一息つこう、そんな考えで読書を初めて1時間ほど経ったとき。病室の引き戸を開けて、誰か入ってきた。熊野だ。

 

「あ」

 

「鈴谷、お久し振りね。調子がいいと聞いているのだけれど?」

 

「どう見える?」

 

「そんな風に変な答えが口から出るぐらいには、回復したと理解しましたわ」

 

 熊野の質問に質問で返事をした。鈴谷が答えを言って、お互いにニヤリと笑う。周りからみると妙な応対だが、昔からやっている儀式みたいなものだ。

 

「浜波から聞きました。元気になったと聞いたからお見舞いに来ましたの」

 

「ありがと!」

 

「体に違和感はありません? その、左側が勝手に動くとか」

 

 鈴谷は苦笑いする。

 

「別に、そんなエクソシストみたいなねぇ……それよりもさ、なんかニュースが聞きたいな。最近鎮守府で何かなかった?」

 

「ニュース、ですの? ……そうだ、吉田 法正、と言ったら覚えてまして?」

 

「あぁ、あのオジサンね」

 

「数日前にこちらに来ていましたわ。何か、佐伯提督がまたお小言を食らっておりましたが」

 

「はぁ~?」

 

 あんにゃろめ、提督が何をしたっていうんだか。体感的には数日前だがもう1か月も前に自分にも怒鳴ってきた男を、ハンマーでコテンパンにする妄想をする。

 

「やっぱり気になるのかしら」

 

「そりゃもう、悪い方向にね」

 

「ふふふ……実のところ、私もあの殿方は苦手ですわ」

 

「えっ意外」

 

「口を開けば他人への説教ばかりですもの。しかも、よくよく聞いていれば気にしないでいられる程度のもの。人の揚げ足をとって重箱の隅をつつくような方は、あまり好きにはなれませんわ」

 

 なるほどな、と鈴谷は思った。自分にも他人にも厳しいが、どちらかといえば熊野は他人を誉めることの方が多い人間である事を知っているので、こんな意見が出るのも当たり前かと考える。

 

「貴女はどう思うのかしら。あのお方」

 

「な~んか、もう、ね? (こじ)らせたオタクみたいな所がやぁね」

 

「あら。全国のそういった方々を敵に回すような発言ですわ」

 

「いや、別にオタクな人は好きだよ? 物事に熱中するのは良いことだと思うし。その、大義名分みたいなのを盾にして、人を攻撃するような人間が嫌いって言いたいの」

 

「……貴女もたまには大人みたいな事を」

 

「もう成人してるっちゅーの!」

 

 「ほら、これ見なよ」 鈴谷はベッドの近くにつけていた机の上から新聞を手に取り、熊野に見るように促す。

 

「第2警備隊基地の艦娘を解体? ((解雇と同義))初耳ですわ。……? しかもここは彼の管轄(かんかつ)では……」

 

「そう、そこなんだよ。木曾からも聞いたんだけど、なんか変な権力持ってるんだって。昨日暇でさ、いろいろ調べたの。そうしたら、陰謀論みたいのたくさん出てきてビックリしちゃった。噂だけど、艦娘の()をトラウマができるようなやり方で激戦区に飛ばしたとか」

 

「インターネットの情報なんて玉石混交ですもの、あまり信用はしていませんが、確かに聞きますわ。重ねますが私は信じませんけど」

 

「でもさ、火の無いところに煙は立たないって言うでしょ」

 

「貴女らしい考えですわ」

 

 世間に流れている情報が本当かはさておき、思い思いに嫌いな男への悪口を吐いてスッキリして。2人は笑いあった。

 

 「ただまぁ、もしも全部本当だったとしたらだけどね」 鈴谷の顔から笑顔が消える。

 

「許せない、かな。こういうの、ホント嫌い」

 

「ッ!」

 

 鈴谷がそう言った時だった。下げていた頭を上げて熊野の顔を見る。

 

 見られたくないものを見られた、とかそういった感情を抱いている人間特有の、あのなんとも言えない目を見開いた表情をしていた。

 

「…………? どうしたの? なんか顔についてる?」

 

「!! いいえ、鈴谷も格好をつけたことを言うんだな、と」

 

「なっ!」

 

 「失敬なぁ!」 笑っていた相手に鈴谷がそう言うと、熊野は更に笑顔を濃くした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 実は今日、午後から仕事だから、帰らせてもらう。そんな嘘を親友について、今、熊野は駐車場に居た。

 

「…………………」

 

 「あれ」は一体なんだったのだろうか。いつもなら楽しくお喋りする相手に、決定的な異常を見つけてしまって、彼女は数分前の会話の内容なんて吹っ飛んでいた。

 

 それは自分も鈴谷も嫌いといった吉田の話をしていたときに見つけた。鈴谷が声のトーンを下げ、あの男が嫌いだと言ったとき。ほんの少し。それこそ恋人同士がキスするぐらいに顔を近くにしてやっと気づく程度の、小さなものだったが。

 

 鈴谷の瞳が一瞬だけ赤く光ったような気がしたのだ。

 

「…………」

 

 気のせい、ですわ。あんなに元気になったのに、そんなことがあるはずが…… 

 

 まさか手術の影響で体が深海棲艦になっている? 土井の体を己の目で見て、それは無いことだと思っていた。が、そんな嫌な考えが喉元まで上がってきて、無意識に独り言として発してしまいそうなぐらい、熊野は疑心暗鬼に(さいな)まれる。

 

 言いようの無い不安を胸の奥底に抱いたまま、熊野はランボルギーニのエンジンを掛ける。研究所の敷地を出て、自宅に戻ってもなお、この異物感は抜けなかった。

 

 

 




あからさまな伏線を撒くのは拙作作者の嗜み

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